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16 魅了の魔術

 ハルジュ様に連れられて、城内の廊下を進んでいく。


 白壁の廊下はエントランスと同じように繊細な彫刻が施された柱が続いている。

 大きな窓から差し込む日の光が青い絨毯(じゅうたん)をより鮮やかに見せていて、まるで空の中を散歩しているようだった。


 廊下には花の代わりに多くの絵画が飾ってあった。

 緑があった時代の辺境領の風景や美しい花々など、自然を描いたものが多く、廊下を歩くたびに心を和ませてくれた。


 城にはたくさんの客間があったけれど、辺境から緑が失われてからはここを訪れる人もほとんどなく、今では使われていない部屋ばかりだそうだ。


 それでも城内は隅々まで手入れが行き届いており、少しも古びた感じはしない。

 歴代の辺境伯たちがこの城をとても大切にしてきたのがよくわかった。


 今の王都の人たちはこの城の美しさを知らないのだと思うと、少し残念な気がした。




 応接間に案内され、使用人が淹れてくれたお茶を頂く。紅茶の葉一つとってもここでは大切なもの。そう思うと、味もより深みを増してくる。


「再度、自己紹介しておこうか」


 ハルジュ様がティーカップをテーブルに置いた。


「私の()()名はハルジュ・ドルク・レストラーシェ。レストラーシェは辺境伯爵家の家名なんだ。大伯父上の引退後は私が領主を引き継ぐことになっている。黙っていてごめんね。最初に話してあまり混乱させたくないと思って」


 罪人として連れてきたわたしに、すべて話せないのは当たり前だ。驚いたけれど別に謝るほどのことでもない。私は「大丈夫です」と首を振った。


 なのに……


「もう少し詳しく話そうか? 辺境伯を受け継ぐのは特別な聖術を持った王族の血筋と決まっているんだ。聖術については王族の中でも一部しか知らない秘術なんだけど……」

「ま、待ってください! 秘密で構いません! わたしなんかに、そんな話していいんですか……!?」


 突然始まったハルジュ様の暴露大会に私は慌てふためいた。


(いきなりどうしちゃったの……?)


「君に秘密はなしだ、と怒られたんだ」


 ハルジュ様は苦笑しながら言った。


(怒られたって……誰に?)


 首を(かし)げる私を見て、ハルジュ様はくすくす笑った。


「やっぱりもう少し秘密にしておこう。君がますます混乱してしまうからね。それよりも……今後の話をしようか」


 私は姿勢を正してハルジュ様と向き合う。


「これから君は領都の修道院でシスターとして奉仕をしてもらうことになる。創世神と聖霊王に仕える者として、祈りを捧げるのが一番の務めだ」


 この世界には、世界を創造した創世神とその眷属(けんぞく)である聖霊王がいるとされている。

 聖霊王については神話に少し出てくるだけで、学園でもあまり詳しくは教えてもらえなかったのだけど……


(たしか、聖霊王様を信仰するこの国最古の聖堂が辺境の修道院にあるのよね)


 私がうなずくとハルジュ様が言葉を続けた。


「奉仕は祈ることだけではない。領民に寄り添い、困っているときは手を貸すこと。特に君は癒しの聖術を持っている。その力は領民たちの助けになると思うよ」

「そ……それは……」


 私は返事を返すことができず、思わずハルジュ様から目をそらした。するとハルジュ様は向かい側のソファから立ち上がって私の隣に腰を下ろした。


「リナリエ。私に聖術を使ってごらん」

「えっ」

「君の力は恐れるものではないから」

「……で、できません」


 私が使っているのは魔術かもしれないのに……力なんて使えない。

 うつむいた私の耳に、穏やかな声が響いた。


「私はね、昔……魅了の魔術を受けたことがあるんだ」

「えっ!?」


 驚いて顔を上げると、優しく微笑むハルジュ様と目が合った。


「私が聖術を覚醒して間もないころだった。王都の大聖堂に視察に行ったことがあってね。術者の中に魔が刺した者が紛れ込んでいたんだ。君が聖女として大聖堂に来る前のことだし、公にはなっていないから知らないと思うけど」


(そんなことがあったなんて、大聖堂では聞いたこともなかった……)


 愕然(がくぜん)とする私に、ハルジュ様はゆっくりと語った。


「ちょうど剣術の稽古で傷を負っていてね。治療の練習をさせてほしいと頼まれて術をかけられた。私は強い力を持っていたから、異様な力の気配に驚いてすぐに聖術ではないと気がついた。その者はすぐに捕らえられて、魅了の魔術を使っていたことがわかったんだ」


 その話を聞いて全身に震えが走った。


(わたしも……王太子殿下に同じことをしているかもしれない……)


 意図的ではないとしても、私は王太子殿下に何度も聖術を使ってきた。

 それが本当に聖術だったのか……確信が持てない。自分の力を疑い始めてしまった今、もう誰かに力は使いたくなかった。


 しかし、ハルジュ様の結論は意外なものだった。


「だからね、君の力が魅了の魔術ならば私にはわかる。万が一魅了だったとしても私には絶対に効かない。私には強い加護があるから」


 ハルジュ様の新緑の瞳が私を見つめる。


(本当に……信じてもいいの……?)


 彼を信じたい気持ちと信じた結果の最悪な想像が頭の中でせめぎ合う。

 ハルジュ様のまなざしに捕らわれたまま動けないでいると、彼が私の手を取った。


「大丈夫。――私を信じて」


 そう強く言われた瞬間、私は力を使っていた。


「……っ! これは……!」


 重なった手から、まばゆい光がハルジュ様の全身に行き渡る。彼は息をのみ、目を見開いて私の力を受け入れていた。


 やがて光が消えるとハルジュ様は大きく息を吐き、しばらく何もしゃべらなかった。


(やっぱり……魅了、だったんだ)


 どのくらいの時間待っていたのかわからない。

 ひどく長く感じた沈黙を破って、ハルジュ様が口を開いた。


「――違う。これは魅了の魔術とは別物だ」


 そうはっきりと断言したハルジュ様の声。新緑の輝きが私をまっすぐ見つめる。


(魅了じゃない)


 彼は嘘をついていない。本能的にそう感じた。


(わたしは、魔女じゃなかった……)


 張り詰めていた緊張が解けるように、強張(こわば)っていた体の力が抜けていく。私はソファの背もたれにゆっくりと背中を預け、ほっと深く息を吐いた。


 ずっと不安だった。

 聖術だと思っていた自分の力で、知らないうちに人に害を与えてしまっていたら。

 悪意を自覚しないまま悪役ヒロインとして行動していたのなら。

 運命に抗うすべなんて、最初からなかったとしたら――。

 そんなことをもう何度考えたかわからない。


 それでも……ハルジュ様のおかげで、私はまだ諦めずに立っていられる。

 私は彼に何を返せるだろうか……。


 私は感謝の気持ちを伝えたくて、ハルジュ様の方へと顔を向けた。すると彼は真剣な表情で何かを考え込んでいるようだった。


 そこで気がついた。


(そういえば……ハルジュ様は『魅了とは別物』と言っただけで、癒しの聖術だとは言わなかった)


 私の聖術は強力だと誰もが言う。

 一般的な治療の聖術とは違うから断言できないだけ?


 それとも私の力は……やっぱりおかしいの?


 魅了の魔術ではなかったことに喜びと安堵を覚えながらも、ハルジュ様の思い詰めたような表情に、また別の不安の芽が顔を出そうとしていた。

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