第9話 白湯
==========
シリルによって、氷のモンスターから救い出されたアルヴィス。
小屋の中で暖を取りながら、ふたりは黒い結び目、赤い紐、そして氷のモンスターについて語り合う。
白湯の湯気が、張りつめていた緊張を少しずつほどいていく。
果たして、アルヴィスの胸に残された黒い結び目とは――。
==========
湿った雪が、浅く積もっていた。
木々の枝のあいだから、月が覗いている。
光を含んだ雪は、森の底で静かに白んでいた。
小屋の近く。
木々に囲まれたひらけた場所で、アルヴィスは膝をついていた。
「寒い……」
濡れた長い黒髪から、水が滴っている。髪が背や肩、額に落ちている。そのいくつかは顔に張りつき、体は指先まで震えていた。
そばにはシリルがしゃがみ、アルヴィスの肩を支えている。
術の名残を飲み込むように自身の指先から流れる血を口に含むと、アルヴィスに話しかけた。
「立てるか?」
「うん。大丈夫」
指の痛みにも目もくれず、痩せた肩で巨躯を支え、ゆっくり立ち上がらせる。
小屋の中に入るなり、シリルは炉の近くへアルヴィスを座らせた。
「脱げ。濡れたままだと体温を持っていかれる」
「あまり、見ないでね」
「恥ずかしがっている場合か」
返事を待たず、シリルは濡れた上衣に手をかけた。布が肌に張りつき、剥がれるたびに冷たい水が床へ落ちる。
シリルは布でアルヴィスの体を拭いていく。その手つきはあまりにも手早かった。
体を拭き終えた布をアルヴィスの体に掛け、部屋を離れたかと思うと、何着か衣類を抱えて戻ってきた。
「お前に合うかわからないが、これなら入るはずだ」
出されたのはかなり年季の入った装束だった。
所々に渦を巻いた模様がある。糸で縫い付けられており、神秘的に見えた。
意外にも、アルヴィスの体にぴったりだった。
「ちょうどいいね。誰の服?」
「前ここにいた死霊術師から頂いたものだ」
「シリルと同じ……」
「ああ。俺の師でもある」
「そんないい服、僕が着てもいいの?」
「構わん。風邪をひかれるよりマシだ」
「ありがとう」
「では、髪が乾くまで話でもしようか。少し待っていてくれ」
「うん。でも、あまり無理しないで」
心配だった。
その表情には疲れが見え、もともと白い肌が更に青白くなっていた。
「俺なんかの事を気にかけてくれるのか」
シリルはそう言うと、再び部屋を離れて行った。
「……もちろんだよ」
返事はなかった。
けれど、隣の部屋で、何かを置く音が一度だけ止まった。
(出会ってまだ何日も経っていない自分のために、ここまで体を張ってくれたんだ)
アルヴィスは膝を抱えるようにして、炉の前で身を縮めた。
炉の火が、濡れた髪の先を少しずつ乾かしていく。
床に落ちた水だけが、まだ冷たく光っていた。
部屋に戻ってきたシリルは、湯気の立つ湯呑みをふたつ、卓の上に置いた。
「すまない。急いで沸かした、ただのお湯だ」
「気にしないで。とても嬉しい」
湯呑みを手に持つ。熱くない。沸かしたてではなく、少し冷ましたのか飲みごろだった。
アルヴィスは早速、湯呑みの白湯を飲んだ。
体の芯から温まっていく。
シリルが口を開いた。
「その胸について、聞いていいか」
「うん」
「赤い紐、と言ったな」
アルヴィスは湯呑みを両手で包んだまま、少し考えた。
「紐に見えた。赤くて、糸みたいに細くて……僕の中にある黒いものに、絡まろうとしていた」
「胸の結び目に反応したのか」
「うん。前から、そこにある気はしていた。でも、あんなふうに見えたのは初めて」
シリルは黙った。
湯気の向こうで、赤紫の瞳が細くなる。
「その赤い紐、お前を殺すためのものじゃない」
「わかるの?」
「殺すためのものなら、もっと単純だ。あれは……おまえと繋がろうとしていた」
「本当に、その通りだよ」
アルヴィスの指が、湯呑みの縁を強く押さえる。
「胸の奥を勝手に開けられて、繋がりそうな感じがした」
シリルはそこで、少しだけ視線を落とした。
「まだ胸に残っているかもしれない。子供みたいなことを言うけれど、正直怖かった」
「……怖かったな』
短い言葉だった。
けれど、その言葉でアルヴィスは少し息がしやすくなった。
いつのまにか口の中が渇いていることに気づき、白湯を飲む。
ふと、シリルが小屋を出る時の言葉がよぎる。あの大きな氷のモンスターが以前にも現れたことについて、知りたくなった。
「たまにこういうことが起こるって言っていたけれど、本当にあったの?」
「あった。だが、あんなに大きくなかった。もっと、人の姿をしていた」
「そういえば、首の骨が七つ見えた」
氷のモンスターの体内に、人のような頭蓋骨と背骨が浮かんでいたことを思い出す。
「俺が最初に出会った時。雪の化身のような女の見た目をしていた。それ以外のことは、これから調べないとわからない」
シリルはカゴの中から布に包まれているものを取り出した。
「それは……」
「頭部だ。さっき倒したあれの中に浮かんでいた」
布に包んだまま持ち上げられているが、明らかに頭蓋骨だということは分かった。
「ただの骨じゃない。妙な石が埋まっている」
シリルはそう言うと、すぐにカゴの中へ戻した。
それ以上、今は見せるつもりがないのだと分かった。
炉の熱で、アルヴィスの髪は少しだけ軽さを取り戻していた。
「髪が乾いてきたよ。これなら眠れそう」
「もういいのか」
「あとは毛先くらいだし」
「そうか」
シリルはそう言うと、アルヴィスをじっと見つめている。
「どうしたの?」
「輪郭が俺の師に似ている」
アルヴィスはくすりと笑うと、色々な姿勢を取ってみせる。
まず、背筋を伸ばしてみせた。
それから、少し首を傾ける。
袖の長い装束を持ち上げ、まじめな顔で立ち姿を変えてみせる。
「こう?」
「……何をしている」
「似てるかと思って」
シリルは先程まで疲れていた表情を一瞬だけ緩めた。
「充分似ているな」
静かな小屋の中で、空気がほどけていくのを感じた。
アルヴィスは寝台に横になる。毛布と自身の体温で、体の冷えが遠のいていく。
胸が、一度だけ脈を打ったように感じた。
それが自分の鼓動ではないと気づく前に、アルヴィスは眠りに落ちた。
登場人物
・アルヴィス
・シリル
キーワード
・黒い結び目
・赤い紐
・シリルの師が着ていた服
・氷のモンスターの中に浮かんでいた頭蓋骨




