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第8話 結び目

==========

アルヴィスは、氷のモンスターの中に取り込まれてしまった。

中は液体のようなものに満たされていた。

果たして脱出することが出来るのか?

そのとき、モンスターの体内が赤く光った。

===========



 飲み込まれた。


 そう理解するまでに、少し時間がかかった。


 そこは、氷の腹の中だった。


 外側には、分厚い氷の殻がある。

 胴体を形作る、鎧のような氷。


 そのさらに内側に、別の空間があった。


 三角形の透明な壁に囲まれている。


 面は、八つ。


 まるで、氷でできた正八面体の箱の中に閉じ込められているようだった。


 箱の中は、水で満たされている。


 アルヴィスは、その中心に浮いていた。


 でも、不思議と苦しくない。冷たすぎない。


(音が遠い)


 風の音も、シリルの声も、森のざわめきも、すべて厚い水の向こうへ沈んでいく。


 かわりに、胸の奥から何かが響いた。


 鼓動のような音。


 自分の心臓ではない。


 もっと奥。


 黒く、硬く、ほどけないもの。

 

 その箱の向こう側に、骨が浮かんでいた。


 頭蓋骨に似たもの。


 七つの首の骨。


 そして、その下。


 赤い光が、輪を描いていた。


 ひとつの輪ではない。


 輪は途中でねじれ、中央でもう一度つながる形をしている。


 それが、脈を打っている。


「……なに、これ」


 アルヴィスが呟いた瞬間、赤い光が胸へ伸びた。


 触れられた。


 そう思った。


 けれど、氷が肌に触れたのではない。


 もっと内側。


 皮膚よりも奥。


 胸の奥にある黒い結び目へ、何かに指をかけられている感覚。


「……っ」


 息が詰まる。


 ほどかれる。


 違う。


 繋がれようとしている。


 自分ではない何かと。


 赤い光が、アルヴィスの中の黒い結び目へ、細い糸のように絡みついていく。


 怖い。


 そう思った。


 氷のモンスターが怖いのではない。


 自分の中に、自分の知らない場所があること。


 そこへ、知らないものが勝手に入ってくること。


 侵入。


 胸の奥を開けられている。


 見られている。


「嫌だ」


 小さく声が漏れた。


 その時だった。


 氷の外側で、何かが激しく砕ける音がする。


 音が、戻ってきている。


「アルヴィス!」


 その声を聞いた瞬間、胸の奥に絡みついていた恐怖が、ほんの少しだけ緩んだ。


 まだ氷の中にいる。


 けれど、ひとりではないと感じた。


 下を向く。


 透明な氷の向こうで、シリルが片手を突き出していた。


 白い髪が風に乱れ、赤紫の瞳が、今まで見たことがないほど強く光っている。


 その周囲に、骨の守衛たちが立っていた。


 一体、二体、三体。


 四体。


 さらに増える。


 骨の守衛は、八体になっていた。


 シリルは黒い石の短剣を抜いた。


 刃は光を返さない。


 その刃で、迷いなく自分の指先を裂く。


 赤い血が、雪混じりの地面に落ちた。


 血は吸い込まれず、細い線となって広がっていく。


「八方を閉じろ」


 骨の守衛たちの目が光り、一斉に散った。


 東へ。


 西へ。


 南へ。


 北へ。


 そして、その隙間を埋める四つの方角へ。


 八つの影が、氷のモンスターを囲む。


 骨の守衛たちは、同じ姿勢ではなかった。


 ひとつは膝をつき、ひとつは槍を立て、ひとつは両腕を胸の前で交差させている。


 それでも全員が、中心だけを見ていた。


 命令を待つ兵ではなく、死後も墓を守る者たちのようだった。


 氷の巨体が軋んだ。


 逃げようとしている。


 いや、違う。


 アルヴィスを連れて、どこかへ行こうとしている。


「待て」


 シリルの声が低く落ちた。


 怒りではなかった。


 祈りにも似ていた。


「そいつは、俺のものだ」


 骨の守衛たちの槍が、同時に氷へ突き刺さる。


「俺が、ここに居ろと言った」

 

 氷の表面に、八つのひびが走る。

 

「……俺を置いていくな」

 

 シリルは、アルヴィスを見ていた。


 まっすぐ。


 視線を逸らさずに。


 赤い光が、強く脈を打った。


 アルヴィスの胸の奥で、黒い結び目が引かれる。


 赤い輪が、アルヴィスを奥へ引き込もうとする。


 シリルの術が、外から引き戻そうとする。


 引き裂かれるような感覚が走った。


 それでもアルヴィスは、氷の中から手を伸ばした。


「シリル……!」


 声は、ほとんど音にならなかった。


 届いた気がした。


 シリルの指先が、氷に触れる。


 その瞬間、赤い光と黒い結び目のあいだに、細い亀裂が入った。


 シリルの唇が、ほとんど音にならない言葉を刻む。


「揺らげ。そして共鳴しろ」


 氷の奥で、何かが鳴った。


 高い音ではない。


 低い音でもない。


 耳では聞こえないはずの震えが、アルヴィスの骨の内側をかすめていく。


 氷の壁に、小さな泡が生まれた。


 一つ。


 二つ。


 数えきれないほど。


 透明だった氷が、内側から白く濁っていく。


 固く閉じていた氷の体が、水へ戻されていく。


 水はさらに熱を帯び、白い蒸気となって裂け目から噴き出した。


 氷。


 水。


 蒸気。


 氷のモンスターの体が、形を保てなくなっていく。


 シリルは顔をしかめた。


 アルヴィスごと沸騰させるわけにはいかない。


 だから、外側だけを壊す。


 結びつこうとする赤い光だけを、揺らして、ほどく。


「返せ」


 シリルの声が、蒸気の中で低く響いた。


 八つのひびが、同時に走る。


 氷のモンスターは、音もなく崩れた。


 地面に落ちた氷の欠片が、赤い光を失っていく。


 ずしりと音を立てて、アルヴィスは地面に落ちた。


 シリルは膝をつき、アルヴィスの肩を掴んだ。


「息は」


「……できる」


「胸は」


「少し、変」


 アルヴィスは、自分の胸に手を当てた。


 そこにあるはずのない熱が、まだ残っていた。


 黒い結び目の奥。


 そのさらに奥で、赤いものが一度だけ脈を打つ。


 シリルの顔から、血の気が引いた。


「アルヴィス」


「うん」


「その胸に、何をされた」


「赤い紐みたいなのが見えた」


「紐?」


 アルヴィスは答えられなかった。


 知らないからだ。


 ただ、ひとつだけ分かった。


 氷のモンスターは、自分を食べようとしたのではない。


 殺そうとしたのでもない。


 繋がろうとしていた。

当時人物


・アルヴィス

・シリル


・骨の守衛

・氷のモンスター

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