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第3話 朝

==========

夜が明ける。アルヴィスはこの小屋で初めての朝を迎えた。

シリルは朝食を用意し、ふたりで食べながら互いのことを知っていく。

シリルの両腕の包帯の下には、赤黒い跡がついていた。

==========


 眠りは、思ったよりも深かった。目を覚ました時、小屋の中はまだ薄暗い。薬草の匂いだけが漂う。

 

 アルヴィスはしばらく、天井から吊るされた草の束を見つめていた。


「やっぱり夢じゃなかった」


 ぼんやりと片手を上げる。天井の草の葉に自分の手のひらを重ねた。葉っぱの先がちょうど片手の指の数と同じだった。一本、二本、と数えていく。不思議と意識が現実に戻っていった。

 

 視界が慣れた頃、ゆっくりと上体を起こした。体はまだ重い。


 部屋の隅で、骨の音が小さく鳴る。見張りに立っていた骸骨が、入口のそばで赤い目を灯している。


 その奥でシリルが机に向かって何かをしている。手元には古びた紙と、骨でできた筆のようなものが置かれていた。


「シリル……起きていたの」

「今起きたところだ」

 シリルは目を合わせないまま即答する。机の上には起きたばかりとはとても思えない文字がいくつも並んでいた。


 見慣れない文字。その横には簡単な図。

 人型の図面に、胸のあたりを示すような印がついている。

 

 アルヴィスは、自分の胸に手を当てた。

「それ、僕のこと?」

「そうだ。お前が寝ている間に見せてもらった」

「何か悪いものがあるの」

「ある」

 忌憚のない返事だ。


「だが、今すぐ死ぬものじゃない」

「その言い方、安心していいのか迷うね」

「危機感を持っておいた方がいいからな。この結び目を見るのはお前が初めてではない」

「僕以外にもいるのか。その人はどう治ったの?」


 シリルは筆を置き、アルヴィスの胸を見ながら答える。


「全員、治す前から死んでいた」

 確実に死へと導く呪いなのは間違いない。

「僕も、そろそろまずいね」

 自分で答えておいて、どこか他人事だ。


「お前は割と持つみたいだが、時間の問題だろうな」

 シリルの指先がアルヴィスの胸に触れる。一瞬、静電気のような衝撃が走る。胸が僅かに輝くと、黒い結び目が浮かびあがる。


「お前をまだ死なせるわけにはいかない」

 その言葉は宣言にも、観察結果にも聞こえた。


 シリルは指を離すと、机の紙を裏返した。

「起きられるなら食え。食わなきゃ、もっと早く死ぬぞ」

 そういうとシリルは別室へ去っていった。


「死ぬ、か」

 言い方はひどいが、今の自分にはちょうどいいのかもしれない。できる範囲で身支度を整えた。

 

 ――

 

 卓にはすでに二人分の器が置かれていた。

「ここに座れ」

「……ありがとう。僕の分まであるんだ」

「ちゃんと食べろよ」


 小鉢には細い花びらが甘酢に漬け込んである。目を引く色はまだ鮮やかで、薄暗い小屋の中で小さく咲いているように見える。隣には温かい汁物、ご飯の器が揃っていた。


「この花は宮殿にも咲いていた。だけど、これは食用だね」

「その通りだ。よく知っているな」

「僕は花のことには詳しいんだ」

「なら、後で森の草木について見てもらおうか」

「え、うん。見るよ」


 木の食器を手に取り、口に含む。食事の温かさが口の中で溶け、花びらの甘酢漬けの酸味でゆっくりと目が覚めていく。


 卓を挟んでシリルも静かに口に運んだ。

 シリルの両腕の袖がずれる。包帯が腕の奥まで巻かれてあるのが見える。

「その腕……」

「どうした」

「訊いてもいい?」

「ああ。構わない」

 シリルは袖を捲り、包帯をゆっくりめくっていく。手首から肘までが露出し、皮膚の下に赤黒い筋が見えた。


 アルヴィスは思わず箸を置いた。


「これは……」

「昔、保護領で捕まった時にできたものだ」

「保護領。元はダークエルフの州。百年以上前に呼び名が変わったと父上が言ってた」

「そうだ。俺たちの国は戦争で敗れたろ。だからあの国、ラートネクが支配した。俺の故郷は今もあのままだ」

 シリルは包帯を元に戻し、器を持つ。


「僕は行ったことがない。行っちゃダメだって止められていた。どんな場所なの?」

「保護なんて言葉では済まされない、支配の場所だ。外面だけは丁寧なラートネクらしいやり方だ」

「支配。具体的には」

「母国語の禁止。歴史書の処分。主に、このふたつ」

「国際化のためにラートネク語を学習させているって教わったけど」

 

 シリルは首を横に振る。

 

「ラートネク側の建前だな」

「君の故郷の仲間たちは、誰も変だと言わなかったの」

「何も言わなかった。誰も言えないんだ」

「言ったらどうなるの」

「投獄だ。俺も、そうなった」


 その時のシリルの瞳は、小刻みに揺れていた。

 

「シリル、そんなことを経験してきたんだ」

「ああ。最後は流刑。だからここにいる」

「流刑って……海と島じゃないのに」

「この森はある意味、孤島だからな。戻った者はいない」

「シリルは戻らないの」

「戻る理由がない」


 他人事のように淡々と話す。しかし、シリルの瞳の内側で何かが燃えているように見えた。


 アルヴィスは生まれてまだ三十五年。やっと成人したというのに、まだ知らないことがたくさんあるのだと実感した。

 

「あの」

「なんだ」

「シリルの歳を、聞きたい」

「そんなに歳はとっていないが」

「僕は、今年の春で三十五になるんだ」

「成人だな」

「君は」

「百五十、程度だ」

「意外だ……もう七百は超えているかと」

「なぜそう思った」

「白い影。絵本にいたのは君かなって」

「昔、俺も同じ本を読んだかもしれない」

「シリルも?」

「白い影の棲む森。あれは古代文明の亡霊かもしれないという説があった。だが――」

 シリルは少し表情を緩めながら言う。

「――俺も『そのひとり』だろうな」

「そうだったら、なんだか面白すぎるよ」

 アルヴィスはくすりと笑うと、再び箸を進めた。

 

「お前、成人の祝いは予定していたのか」

「うん。父上がその話をしていた。戻りたくないけど」

「無理なら俺が祝ってやる」

「なにで祝うの」

「俺と骨。しかばねとともに祝う」

「それは嫌だなあ」


 笑っていると、幼い頃から住んでいた宮殿での生活を思い出した。

 宮殿の中で聞く言葉は、いつも綺麗に磨かれていた。古い歴史書は本棚には置いていなかった。思い当たる古い書物といえば、幼い頃に読んだ、あの絵本くらいだ。


 あの宮殿はもしかしたら『綺麗な形をした檻』だったのではないか。そう思った。


「いけない、汁が冷める」


 汁物を啜る。塩気で意識が切り替わり、食事風景に引き戻されていく。

 花びらの甘酢漬けの、最後の一枚がなくなった。

 

 ――

 

 アルヴィスは食事の後、木造の簡素な洗面台へ向かいながら壁を見渡した。火の光を除けば光の量が一定の暗さで設計されているように感じる。

 自分のいた宮殿も薄暗かったが、ここまで暗くはなかった。


 洗面台に視線を移す。光沢のある物や鏡が一切置いてない。


「鏡は、置いていないのか」

「ない」

「……なぜ」

「必要ない」

 短く返された。


 棚の前に目をやる。ひとつの丸まった布が視界に入った。包帯に見えるが暗い色に染まっていた。

 

「なぜ、暗い色……」

 

 言いかけて、やめた。

 訊いてはいけない気がした。

 棚の端に残された暗い布だけが妙に目に残った。


 そのあとは、驚くほど静かに時間が過ぎた。シリルは必要なこと以外は話さず、薬草を刻み、紙に何かを書きつけていた。


 アルヴィスは何度か眠り、何度か目を覚ます。目覚めるたびに小屋の中は同じように薄暗いと感じた。二人が居合わせても目を合わせることはない。


 エルフたちは普段目を合わせない。真正面から目を見ることはあまり好まれない。代わりに相手の口元や耳、手の動きを見る。それが当たり前だった。


 昼に出された粥も、夕方に出された温かい汁も、不思議と味が良い。食べるたびに、まだ生きているのだと分かる。それが少しだけ、怖かった。


「シリルの料理、おいしいね」

「ありがとな。お代わりならあるぞ」

「いや……もういいかな」

 目を合わせなくても通じ合っている気がした。

 互いに表情の硬さが緩んでいることにアルヴィスは気づいて安心した。


 その日の夜。眠りに落ちる直前、棚に残された暗い布の色だけが、瞼の裏に残っていた。

登場キャラ

・アルヴィス

・シリル


食事あり

ラートネクの回想あり

会話シーンメイン


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