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第11話 ほどける黒

==========

何事もなかったように朝は来る。

※二人の静かな朝食回です。

♢はシリル。♦︎はアルヴィス。

♢♦︎はアルヴィス視点開始の合図です。

==========


 朝は、何事もなかったように訪れた。


 小屋の隙間から、薄い光が差し込んでいる。

 シリルが昨夜見た夢は、記憶の箱の中に収まっていた。

 もう一度自分の手を見る。指は全て問題なく動かせた。

 

「所詮、夢だ」

 そう呟くと、ようやく息を吐いた。


 台所に立つ。

 残り物をまとめて火にかけ、雑炊にした。料理と呼ぶには少し荒かった。


「こんな朝にはちょうどいいだろ……」


 ひと口、味見をする。味付けは濃すぎていないと感じた。

 

 そのあと、茶を淹れた。

 夜は白湯しか出せなかったが、今は違う。なるべく気持ちを落ち着かせられる茶葉を選んだ。


 朝食と茶の香りがただよう。

 

 いつも通りの朝に見えた。

 けれど、シリルの指先は一度だけ止まった。


「……動け」


 吐き捨てるように言うと、指は遅れて動いた。

 それでいい。まだ使えるなら、それで十分だった。


 動かせる内に、出来ることをしておこう、と思った。


 ♢♦︎


 アルヴィスは、薄い光の中で目を開けた。

 閉じられた窓の布の隙間から、朝の光が細く伸びていた。


 胸に違和感はある。だが、体は昨日よりも軽くなっている。シリルの小屋に泊めてもらってから、魔力の根源は少しずつ戻ってきている気がした。


 ふと、優しい香りが漂う。シリルが朝食を卓に並べていた。

 

「おはよう、シリル」


 声をかけると、少し遅れて返事が来た。

 

「起きたか」

「うん。いい匂いがした」

「朝食だ。食え」


 卓に置かれた雑炊。一杯の中に色とりどりの野菜が入っていた。

 

「ありがとう」


 アルヴィスは椅子に座り、湯気の立つ茶を受け取った。器に触れた指先が、少しだけ温まっていく。

 シリルの方に目を向けると、顔が少しやつれて見えた。


「……眠れた?」


 その言葉にシリルの箸が、一瞬だけ止まった。


「ああ。眠れた」


 卓を一点見つめながら答える。その声は、疲れが乗っているように聞こえた。

 

「本当に?」

「……聞くな」

「わ、分かった」


 食後、アルヴィスが胸元に手を当てた。


「また痛むのか」


「痛む、というより……引っ張られる感じがする」


「見せろ」


 短い命令だった。

 アルヴィスは少し迷ってから、衣の合わせを緩めた。

 胸の奥、皮膚の下に沈むように、黒いものが絡んでいる。


 結び目。


 それはただの痣ではなかった。細い糸が何本も寄り合い、魔力の流れを塞ぐように沈んでいる。


「今のお前の様子だと、そうだな」


 シリルは目を細め、呟く。


「一度に全部は無理だ」


「全部?」


「一気に解けば楽になる。だが、お前の体がもたない。俺も」


 シリルは指先を近づける。


「一つだけ、だ」


 シリルの指先が、アルヴィスの胸に触れた。


 冷たい。

 そう思った瞬間、胸の奥で黒い結び目が震えた。


「息を止めるな」


 シリルが低く言う。


「吐け。ゆっくり」


 アルヴィスは言われた通りに息を吐いた。

 胸の奥で、固く絡まっていたものが軋みだす。


 シリルの指先から、熱のようなものが滲んだ。光でも火でもない。もっと低く、深いところを震わせるものだった。


 結び目の一つが、わずかに緩む。


「……っ」


 アルヴィスの喉から、短い息が漏れた。


 空気が入ってくる。今まで吸っていたはずの息が、どれほど浅かったのか、その時初めて分かった。


「息が……」


「戻っただけだ」


 手を離したシリルは腕を組み、目を逸らす。


「勘違いするな。まだ、一つ目をほどいただけだ」


 シリルはそう言い、立ちあがろうとした。


 その時――膝から力が抜けた。


 咄嗟に伸ばした手が、机の端を掴む。

 ほんの一瞬だけ。アルヴィスはそれを見逃さなかった。


「シリル?」


「騒ぐな」


 声が低い。いつもの低さではなく、底に沈んでいくような声だった。


「危ないから触るな」

「倒れたらもっと危ないよ」


 アルヴィスはシリルの体を支えた。とても軽く、ふらついているのがわかる。


 白い肌が、朝の光の中でさらに白く見えた。


「君、血色が」


「元からだ」


「違う」


 アルヴィスは思わず言った。

 シリルの目が、少し遅れてこちらを向く。焦点が合うまでに、わずかな間があった。


 シリルはそれ以上何も言わず、寝台に向かった。


「少し寝る」


「うん。休んで」


「あまり近くに来るなよ」


 その言葉だけは、妙にはっきりしていた。


 アルヴィスは足を止める。


「……どうして?」


 シリルは答えなかった。

 ただ、毛布を肩まで引き上げ、背を向ける。


 白い髪が、枕の上に広がっていた。

 朝の光の中で、それは雪のようにも、灰のようにも見えた。


 アルヴィスはしばらく立っていた。


 胸の奥は、さっきより少しだけ楽になっている。体も軽くなっていた。

 けれど、その軽さが誰かの体温を奪って得たもののように思えてならなかった。


 寝台の上で、シリルの指先がかすかに震える。

 寒そうにしている。そう思っても、近づけなかった。


『近くに来るな』


 その言葉だけが、まだ部屋の中に残っていた。

登場人物

・アルヴィス

・シリル

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