第4話:野良犬の咆哮
第4話:野良犬の咆哮
グリーンフィールドの街外れに建つ「テニス・ギルド」は、白亜の壁に囲まれた、この世界における情報の心臓部だった。
自動ドアを抜けると、ひんやりとした空気が肌を撫でる。屋外の芝生が放つ青臭い熱気とは対照的な、データと金属が混ざり合った無機質な匂いだ。
「カケール、ここだよ。最新の『ギルドログ』。ここでは上位ランカーの戦跡がホログラムで保存されているんだ」
リチャードが、換金したばかりのTPを惜しげもなくコンソールに注ぎ込む。空間が微かに歪み、中央の広場に淡い光の粒子が集積していった。
そこに現れたのは、一人の少年の残像だ。
ケン・ハワード。
ハーフ特有の彫りの深い横顔は、戦闘の最中とは思えないほど静謐で、陶器のような滑らかさを保っている。彼は無駄のない動作でラケットを振り抜き、対戦相手の足元へ、針の穴を通すような精密なショットを突き刺していた。
「……っ」
駆は息を呑んだ。
映像の中のケンは、現実世界にいた頃よりも、さらに「正解」へ近づいている。ボールの毛羽立ち一つ、空気の層の揺らぎ一つまでを計算し尽くしたような、冷酷なまでに美しいテニス。対戦相手は、まるで自分の未来をあらかじめ記述されたかのように、一歩も動けずに立ち尽くしていた。
「これがケンの『理論』か。……カケール、見てごらん。彼の打球には、迷いという名のノイズが一切ない。まるで完成された組曲を奏でているようだ」
リチャードの声には、コーチとしての心酔と、一人の敗北者としての微かな戦慄が混じっていた。
「……ふん、相変わらず鼻につくテニスだな」
駆はあえて吐き捨てるように言った。しかし、その視線はケンの足元に釘付けになっていた。
ケンは、一歩も乱れることなくコートを舞っている。その完璧なリズムを支えているのは、一点の曇りもないサーフェス――「正解」が用意された環境だ。
「リチャード、こんな綺麗な映像、俺の庭なら3秒でバグらせてやる」
駆は自らの右手をポケットに突っ込み、その中で指先を激しく動かした。卓球のラケットを握り締め、ボコボコの地面でイレギュラーと格闘してきた記憶が、指先の腱を熱く昂らせる。
ケンのテニスが「数式」なら、自分のテニスは、その解を物理的に引きちぎる「劇薬」だ。
「その意気だよ、カケール。だが、この街を抜けるには避けて通れない関門がある」
リチャードが操作パネルをスワイプすると、別のデータが浮かび上がった。
ケンのログとは異なり、重厚で、どこか湿度を感じさせるオーラを纏った男のプロフィール。
「【スライスの魔術師】柴田。このグリーンフィールドのエリア・マスターだ。……ケンはこの男を数十分で粉砕してスカイハイ・シティへ向かった。だが、それはケンが『正統派の極致』だったからだ。柴田の打球は、君のような『回転』に依存するプレイヤーにとって、最も相性が悪い」
「柴田……」
プロフィール画面に映る老雄は、穏やかな笑みを浮かべていた。だが、その瞳の奥には、幾千もの若き才能を泥濘に沈めてきた、執念深い狩人の光が宿っている。
「やつは地を這うようなスライスしか打たない。バウンド後の伸びがない、死んだような球だ。それを君の『トマホーク』で無理に持ち上げようとすれば、手首が悲鳴を上げることになるだろう」
「……へぇ。死んだ球を、無理やり生き返らせてやればいいんだろ?」
駆の瞳に、一点集中した時の「狂気」が宿った。
それは、周囲を焼き尽くすような苛烈な光。
リチャードは、その輝きに一瞬だけ目を細めた。自分がかつて失い、そしてケンにも教えることができなかった、野性の疼き。
「行こうぜ、リチャード。そのジジイをぶっ飛ばして、ケンの背中を拝みに行ってやる」
「オーゥ……威勢がいいね。だがその前に、カケール。君のジャージの襟が、左右でひどくズレているよ」
「……うるせーよ! 性格なんだよ、これは!」
緊迫した空気を、リチャードの呑気な指摘が霧散させる。
駆は不機嫌そうに襟を正しながらも、ギルドの出口へと力強く歩き出した。
背後で、ケンのホログラムが静かに消えていく。
その残光が消えるよりも早く、駆の心はすでに、緑の地獄――柴田の待つアリーナへと飛び火していた。
手首の腱が、古傷のように疼く。
それは苦痛ではなく、次なる獲物を求める肉体の、歓喜の産声だった。




