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スマッシュフロンティア  作者: あめたす


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第27話:暴君を呑み込む卵

第27話:暴君を呑み込む卵(エッグボール)


 白磁の庭に、不気味な静寂が落ちた。

 右腕をダラリと下げ、ラケットのグリップに左手を添えて全身を奇妙に捻った俺の構え。それは、テニスの教科書のどこを探しても載っていない、極端に不格好なフォームだった。


「オーゥ……カケール、その構えは……!」


 ベンチで青ざめていたリチャードが、ふいに目を丸くした。


「右腕の関節を完全にロックし、左手と体幹のひねりだけで面を操作する……! まるで、築地市場の職人が百キロの巨大マグロをさばく時のような、究極の重心移動(ウェイト・コントロール)! 力に力で抗うのではなく、自らの肉体を巨大な『刃』に変える気かヨ!」


「……例えが相変わらず生臭えんだよ。だけど、正解だ」


 俺は痛覚が麻痺し始めた右手首を、ただの「ラケットを支える棒」として固定する。

 バロウの放つ鉄球に、手首の小手先で抗おうとしたから砕かれた。なら、手首から先なんて最初から無いものと思えばいい。

 仮想空間の師たちから叩き込まれた、足の裏から太腿、腰、背骨へと連なる『キネティックチェーン(運動連鎖)』。全身の筋肉という筋肉を総動員して、俺という人間の質量のすべてを、この一球に叩き込む。


「狂ったか、泥犬。小細工を諦めてサンドバッグになる道を選んだか」


 バロウの巨体が沈み込み、再び大気が圧縮される。

 破壊の暴君が放つ、慈悲なき弾丸。


 ドゴォォォンッ!!


 空気を圧殺する咆哮と共に、黒い残像が俺の正面へと突き刺さってきた。

 逃げない。

 俺は白磁の床にシューズのゴムを焼き付けるほど強く踏み込み、迫り来る鉄球の正面へと身体をねじ込んだ。


(一瞬を、引き延ばせ……!)


 時間が、極限まで遅くなる。

 ボールの黄色いフェルトが、大気の摩擦で焦げる匂い。

 ラケットのガットにボールが触れた、そのミリ秒。


 ガガガガガァァンッ!!


 右腕の骨が、根元からへし折れそうな絶望的な衝撃が全身を貫いた。

 千切れた手首の腱が、無益な悲鳴を上げて脳髄を灼く。口の中に血の味が広がり、眼球が裏返りそうになる。

 だが、俺は右腕を絶対に引かなかった。

 

「……おおおおおおおおっ!!」

 

 バロウの絶対的なパワーを、ただ耐えるのではない。

 俺は、その重たいエネルギーをラケット面で『丸飲み』にしたまま、深く沈み込ませていた下半身のバネを一気に爆発させた。

 大地を蹴り上げる力。腰の捻転。肩甲骨の回転。

 それらの巨大なエネルギーを、添えた左手を通じて、ラケットのヘッドを「下から上へ」と猛烈に擦り上げる力へと変換する。


 力には力を、ではない。

 圧倒的な力には、それを絡め取る『重厚な回転』を。


 ギィィィンッ! と、空間そのものが軋むような異常な打球音が鳴り響いた。

 俺のラケットから放たれたボールは、バロウの暴力を完全に吸収し、猛烈なトップスピンの呪縛をかけられて空へと舞い上がった。

 

「……ハッ。軌道が浮いたぞ、阿呆が。ただのホームランだ」


 バロウが嘲笑する。

 確かに、ボールはベースラインを遥かに越える高い軌道を描いていた。誰の目にも、アウト軌道のミスショットにしか見えない。

 だが。


「……沈めッ!」


 俺が血まみれの口で呟いた瞬間。

 空気を切り裂いて飛んでいたボールが、異常な回転力によって自らの形を「楕円(エッグ)」に歪ませながら――突然、滝のように急降下した。


「なっ……!?」


 バロウの嘲笑が、凍りついた。

 重力法則を無視したかのような、悪夢の急降下。

 ボールは、バロウが「アウトだ」と見切って見送った、その足元のベースラインぎりぎりへ――絶対的な死角へと、隕石のように突き刺さった。


 ズドォォォォンッ!!


 白磁の庭が、爆発したように揺れた。

 着弾したエッグボールは、バロウのパワーと俺の全身の回転力が掛け合わさった凄まじい反発力を生み出し、バロウの巨体を掠めて、後方の防球ガラスを粉々に粉砕した。


「…………ぁ?」


 破壊の暴君は、自分の横をすり抜けていった現象を理解できず、間抜けな声を漏らしたまま完全に硬直していた。


『フィフティーン・オール……!』


 審判の震えるコールが、粉砕されたガラスの降り注ぐ音の中に響き渡る。

 静寂。

 そして。


「オ……オーゥ……! オオオオーゥ!!」


 ベンチにいたリチャードが、膝から崩れ落ち、両手で顔を覆って号泣し始めた。

 それは、怯えの涙ではない。

 かつて自分がバロウのパワーに屈し、へし折られたテニスへの情熱。俺が今、バロウの暴力を『泥臭い回転(エッグボール)』で完全にねじ伏せたことで、彼の中で長年止まっていた時計の針が、浄化の音を立てて動き出したのだ。


「カケール……君の、君のテニスは……本当に、最強だヨ……!」


 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになったリチャードの声援を背に受けながら。

 俺は、痙攣する右腕をかばうように下げたまま、ヘラヘラとした笑いを顔に張り付けた。


「見たかよ、デカブツ」


 全身から湯気のように汗を立ち昇らせ、俺は暴君を真っ向から見据える。


「あんたの暴力、思いっきり利用させてもらったぜ。……さあ、ここからが本当の絶望だ。俺の卵(エッグボール)、残さず全部食わせてやるよ」


 三強の第二の壁、バロウ。

 その絶対的な力による支配が、一人の泥まみれの職人によって、今、完全に崩壊し始めていた。


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