9-2 「ぐわっはっは」と笑った
「アソコには手を出すなと言った筈だが?」
新米巡査をパトカーの中に引きずり込んで直ぐさま、壮年の巡査長は口火を切った。詮索不要、触れるべからず、地域社会の秩序とは別個の都合であの場所は出来上って居る。
「世の中には、余所者が踏み込んじゃならん場所ってもんが在るんだよ」
「俺はこの町の出です」
「あのマンションのコトを知らんのなら余所者と一緒だ。それに、行方不明になった親父さんのコトを探っているみたいだがソレも止めとけ。被らなくてもいい火の粉を被るハメになるかもだぞ」
「何か知ってるんですね。父の行方、心あたりがあるんですね」
「俺は何も知らんよ。おまえさんの親父さんは実直な警察官だった。それはよく知っている。だが何故失踪したのか、何処にいってしまったのかなんて皆目見当も付かん。調査報告書にも目を通したんだろう。だったらそれ以上のコトは何も分からんよ」
捜査のプロが探して分からなかったことを、素人のおまえが探したところで先は見えている。親父さんを尊敬しているんだろう。同じ道を目指すと決めたんだろう。だったら、自分に課された責任を果たせ。おまえの親父さんもソレを望んで居る、そう締め括られて終わった。
「……」
「もうあのマンションには関わるな。いいな?」
視線を逸らす新米の警官からはただ沈黙だけがあって、壮年の巡査長は小さく吐息をついた。
その日の夕刻は非道い雷雨だった。
深山は腰の辺りまでずぶ濡れになりながら、舌打ちしてマンションの入り口で傘を閉じた。こんなことならレインコートを用意して置けば良かったと独り言つ。バックパックに傘を仕舞って代わりにフィッシングロッドケースを取り出し、腰に着けた。
さて、本日はどんなお相手であることか。
エントランスに入ると黒い人影がエレベータの前に立っていた。制服姿で帽子を被っている。でもそれ以上は薄暗くてハッキリとは分からなかった。
「濡れ鼠だな」
人影は口を利く。「そうですね」と答えた。
スラックスからしたたる雨水がジャングルブーツを伝い、床に小さな水たまりを作っていた。一瞬、空に稲妻が走ってエントランスが閃光に焚かれる。お陰で人影は警察官であると知れた。
でも今の制服じゃあない。古い映画の中などで見る軍服っぽいデザインのやつだ。
そして人外だなと知れた。フラッシュのような雷光であったにもかかわらず、床へその影が落ちなかったからだ。
「腰のモノがおまえの得物かな。ひょっとして剣士」
「まぁ、隠しても性が無いですね。そうですよ」
「七〇六号室、深山だな」
「よくご存じですね。だれかから聞きました?」
「凄腕の剣士と聞いている。相対した者がよく話していた。わたしの相手をしてもらおう」
「俺はただ自分の部屋に帰りたいだけです。あなたと戦う理由はありません。通していただけませんか」
「強い者と戦って自分を高めたい。銃の腕を上げたい。もっと、もっと、この銃に相応しいおのれに成りたい」
「だったら尚のこと俺じゃ役不足です。剣と銃とじゃ俺が全敗ですよ」
「それは条件次第」
そう言うとスルリと歩み寄って来た。何の迷いも無い。立ち止まったのは二メートルそこそこの距離だった。
「どうだ、この距離なら一足の間だろう」
「……」
確かにこの間合いなら、切っ先は一呼吸もなく相手の心臓に届く。先ず外しはしない。むしろ銃には不利な距離ではなかろうか。
そして「抜け」などと言う。
「先手をわたそう。そうでなければ、意味はない」
「随分とこだわりが強いのですね」
何か自分に課したモノが在るんだろう。でもだからといって、コレに乗るのは気が引ける。
ジワリと血の気が引く感触があった。
「納得いきませんね」
「なに?」
「あなたは俺に勝てば達成感を得られるでしょうが、俺は何も得るものはない。不公平です。しかもコレだけズクズクに濡れた身体です。服が絡み付いていつもの出足は期待出来ないでしょう。どうせヤルならベストの状態なんじゃないですか?」
「……対価があり、万全ならわたしと事を構えると」
「ヤるからには俺も悔いは残したくありません」
「いまはその時ではないと言うか」
「ええ」
「稚拙な言い逃れだ。しかし言い分はもっとも、今晩は引き下がろう。対価は、そうだな。敗北の暁にはこの銃を渡そうではないか。では確かに約束したぞ、次は言い逃れなど出来ないからな」
人影はそのままとろりと溶け落ちて、影の中に消えて失せた。
出会ったのも唐突なら消え去るのもまた突然。気付けば、ぽつんと一人エントランスの中に立って居た。地面を叩く激しい雨音だけが聞える。
不意に、どっと疲労がのしかかって来た。
大きなため息をひとつ。
勘弁してくれ。カマ掛けやはったりなんて不得手もいいところ。ガラじゃあないのだ。
咄嗟に思いついた屁理屈で相手が引き下がってくれて助かった。聞く耳を持つ辺り、まだやり易い相手なんだろう。けれども次が勝負なのは間違いない。
やれやれ、何か準備しておかないと。まったく厄介な予約を入れられたもんだ。
ほんの数分のやり取りだというのに、首回りにはべったりと脂汗が貼り付いていた。
「そんなことがあったのですか」
通販で買った品物を近くのコンビニに配達してもらって、それを取りに行った帰りだった。偶然駐車場脇で出会したのは、もうすっかり成長したミマちゃんだった。
今では俺と変わらないくらいの背丈がある。ちょっと見には高校生か女子大生に見えた。面立ちが日本人離れしているので、ヘタすれば社会人でも通用しそうだ。少し前まではまだ小学一、二年生くらいだったというのに。
深く考えても答えは出て来そうに無いので、「大きくなったね」と言うに留めて置いた。世の中は常識では説明の付かない不可解な出来事であふれているのである。
彼女は最近、マンションの中に怪しい警官が徘徊していると聞きいて、自主的に見回っているのだとか。
「銃で撃たれたと何人も言ってました。でしたら、わたしの技で撃退出来るのではないかと思いまして」
パチンコ玉やコインを指で弾くアレか、と合点が着いた。アレなら俺の剣より遙かに間合いが広い。あの長剣の男を撃退したと聞いた時には驚いたものだ。
「朝の出勤の時には、わたしが部屋の玄関からマンションの出入り口までご一緒します。ご帰宅の時も同様です。その都度わたしのスマホにご一報下されば、マンションの入り口でお出迎えします。不埒な警官など退治してご覧に入れましょう」
「いや、それは流石に悪いよ」
「お気遣いは無用です。もう学校には通っておりませんし、日中は時間を持て余しておりますので。お役に立てるのならむしろ嬉しいです」
いやいや、若い女性を危険に晒すというのは無しだろう。しかも俺の盾役をするなどと言うのだ。
「ありがたい申し出だよ。けれど」
「深山さん。このマンションは危険でいっぱいです。住民同士が互いの得意分野で助け合うのはむしろ必然。危険な輩を排するのは皆の安全にもつながります」
彼女は俺の反論を許さなかった。
「誰かの危機を目の当たりにして素知らぬフリなど出来ません。ましてや、それが親しい者であるとなれば尚更です」
「……」
「全てを自分で背負い込む必要は無いのではありませんか」
そう言われて返答に窮した。手にした段ボール箱を眺める。その中には買ったばかりの防弾防刃チョッキが入っていた。何も無いよりは心強い。しかし万全というにはほど遠かった。
「でも、それでも……」
「やあやあ。それはまったくご婦人のおっしゃるとおりですなぁ!」
俺の台詞は唐突な大声でかき消された。振り返ってみると声に見合った大柄な男性が立っていた。
「脇からの乱入失敬。盗み聞きするつもりは無かったのですが、ふと耳に入ってしまいましてね。しかし深山さん。協力を申し出て来た相手をその場で袖にするとは、些か意固地に過ぎませんか」
「こ、これは……お久しぶりです。いつお帰りに?」
「つい今しがた。空港から新幹線と特急を思いのほかに上手く乗り継ぐことが出来まして、予定より半日早い帰宅と相成りました」
巨大なバックパックとボストンバッグを手にした巨漢であった。
そして大口をあけて「ぐわっはっは」と笑った。




