9-1 「何だったのかしら、アレ」
「わたしは時々思うンですけれど、巡り合わせというものは、本人が望んで居ない逆の場面でこそその真価を発揮しているのではないか。そんな気がして為らないんです」
セルフレームの眼鏡をかけたOLは、魔法使いの帽子をぺしゃんと畳み、ローブと一緒にかなり大きめのトートバッグへ仕舞い込みながら愚痴こぼした。
「いきなりどうしたんですか、灘さん」
緑青剣の剣士はウェスで剣の血糊を拭いながら聞き返した。足元には、頭に豪奢な金の輪冠を付けた人の背丈と変わらぬサイズの猿が息絶えている。その直ぐ脇には鉄製の棍も転がっていた。
「毎朝毎夕こんな物騒な連中に絡まれて、自分の人生における出会いの大半がこんな者どもなのかなと、ふと虚しくなったのです」
「ああ、まぁ、その気持ちは分かりますよ。でも、悪い出会いもあれば良い出会いもあるでしょう」
「禍福はあざなえる縄の如しと、本当にそうでしょうか。深山さんはそれを信じていらっしゃる?」
「信じた方が気分は楽です。それに出会いというものは数じゃ無いでしょう。本人にとって大切な相手と出会えたのなら、それで充分なのでは?」
「……それは確かにそうですね」
チラリと一瞬だけ視線が絡んだのだが、直ぐさま彼女はぷいと横を向いた。
そして、それはソレとして毎日こんなヤツラと出会すのはウンザリですと憤慨するOL魔女を、まぁまぁと宥めながら剣をバックパックの中にしまうと、深山は一緒にエントランスを出た。
夕刻のこと。
灘羽多子が仕事から戻り、エントランスの前でいつもの魔女装束を身に着けようとしたときだった。「すこしお話よろしいですか」と声を掛けられて振り返って見れば、若い警官が立って居た。
なにやら気難しげな顔だ。一瞬自分がナニかやらかしたのかと思ったが、むしろこのマンションでは思い当たるコトが多すぎる。なので素知らぬ体を装った。
「あの、何かありましたか?」
我ながら実に白々しい台詞だと思った。この建屋の中では日々「何か」ばかり。普通じゃ無いのが日常だ。
逆に「何も無かった」という話題こそが貴重。テレビのニュースなどで騒がれる異常事態なんて「え、そんな程度で大騒ぎなの」と驚いたりするのだが、それはソレ。普通の方々の前では、「世間の常識」に寄り添う必要が在った。
恐らく、些細な変化を異常と叫べる日常こそが平穏というヤツなのだろう。
「いえ、このマンションの界隈で不審な人物を見かけたとの通報がありましたので、巡回している最中なのです。失礼ですがこのマンションにお住まいの方ですか?」
お名前と住所、そして連絡先を教えて頂けますか。ソレを確認できるモノが在ればそれでも結構ですが、などとおっしゃる。
「……あの、失礼ですけど本当に警察の方ですか?」
おかしい。このマンションのアレコレに関して警察は見て見ぬ振りのはず。制服は確かに着ているが本当にソレなのか?
そもそも警察なんて信じられなかった。
以前、コチラが困って助けを求めても暖簾に腕押しだったではないか。「対処しておきます」などと、その気もないクセにテキトーな返事でなしのつぶて。いざという時に結局ナニもしてくれなかった。
そんな相手をどうやって信用しろと?
まぁ確かにこのマンションは普通じゃない。対処しきれないからノータッチというのも判らなくもない。でもだからといって、完全無欠に割り切れるというのは違う。理屈と感情は別物だ。頭で判っているからと言って、気持ちも納得づくとは限らないのである。
そしてソレは彼女に限った話ではなかった。このマンションに住む者皆が等しく持って居る、この手の者たちへの漠然とした不信感だった。
「身分の確認がしたいとおっしゃるのなら、言い出しっぺが率先するのが筋でしょう」
「……それもそうですね」
求められて内ポケットから警察手帳を取り出し、「この通りです」と提示されたソレを、セルフレームの眼鏡をかけたOLはまじまじと眺めた。
そして「にせものっ」と叫んだ。
「ナニをおっしゃるんです。コレは本物ですよ」
「いいえ、違います。警察手帳っていうのは、こう黒くて代紋があって警察って金文字で書いてあるヤツです。こんなアメリカの、刑事コロ〇ボがヨレヨレのトレンチコートから出すみたいなバッジじゃありませんっ」
「コロ〇ボは普通バッジ持ってませんよ。大抵携帯するのを忘れてて現場でも部下が顔パスで、ってそうじゃなくて、最近の警察手帳ってのはバッジなんです。こうやって顔写真とIDが一緒じゃないと本人だって証明できないじゃありませんか」
近頃過去に人気シリーズだった刑事ものがまた映画化されたでしょう、あの刑事もコレと同じもの持って居ましたよ、そう説明したのだが「あのシリーズは俳優が好きじゃ無いので見てません」と切り捨てた。
そして最近の俳優は顔芸と大声で喚くダケの大根役者ばかり、と不満を垂れるのである。
「だいたいアナタには警察官独特のオーラがありません。軽薄です、地に足が着いていません、威厳不足です。ガタイは良いですけどただの若造じゃありませんか。本物を真似たいのならもっと修行を積みなさい。
それに何故一人なのです。警察官は警らの時、いつも二人組だとネットに書いてありました。もう一人は何処なのです」
「ぐ……相方は、その、諸用でちょっと外してまして」
「ご近所にお住まいのみなさーん。ここに警察官のニセモノが居ますぅ。バッタもんです、パチもんです、いかがわしい悪徳商法ですーっ」
「ちょっと大声出すの止めて下さい。自分は本当に正真正銘の警察官です。この界隈に銃を持った警官がいると聞いて」
「警官が銃を持っているのは当たり前じゃないですか。なにスカタンなこと言ってるんです」
「あ、いえ、そういう意味では無くてですね」
何とか取り繕おうとする彼の肩へ、不意にガッチリとした手が食い込んだ。
「藤堂、オマエはここでいったい何をやっている」
セルフレーム眼鏡のOLと若い警官が振り返って見れば、壮年の警察官が渋い顔で立っていた。
「巡査長、これは、その……」
「ちょっと目を離した隙に居なくなったと思ったら、こんな場所で手前勝手に職質など始めおって。この女性が何かしたのか?お嬢さん、コイツに何かされませんでしたか」
「由良さん、なんてコト言うんです。俺を不審者みたいに言うのは止めて下さい」
若い警官は異議を唱えようとするのだが何処吹く風。巡査長は軽くいなして灘と二、三言葉を交わし、「ご迷惑をおかけしました」と軽く頭を下げると上背のある相方を引きずるようにしてマンションの前から立ち去ったのである。
「何だったのかしら、アレ」
二人が消えて行った辻向こうを眺めながら小さく呟いた。マンションの中ならままならないイベントは日常茶飯事ではあるが、その外とでなるとちょっと珍しい。何かの前触れだろうか。小首を傾げて訝しんだ。
そういや、ミイラ坊主と出会ったのもマンションに入る直前だったわね。
途端、不愉快な記憶が蘇り、いやいや縁起でもない頭を振ってトートバッグの中からいつもの魔女装束を取り出した。
帰りがけに近所のスーパーで、セール中だった鶏肉のお徳用冷凍ミートボールパックを買い込んでいるのである。コレが溶ける前に自分の部屋に辿り着けなければならない。
軽く護符の印を結んで「よし」と軽く気合いを込めた。




