8-5 苦笑いすることしか出来なかった
「なるほど。深山さんは本日、そんな大冒険をしていらっしゃったのですね」
部屋に戻るまでの短い時間、エレベータの中で簡単にコトの顛末を説明すると伊勢さんは感服したように頷いていた。
「ただ長い階段を登り降りしていただけですよ」
「そう言えば先日、灘さんが妙な夢を見たとおっしゃっていました。迷路みたいな神社で迷子になっていた男の子を手招きして呼んで、家に帰してあげた夢だそうです。そこで彼女はメモ帳に棒人間のらくがきで、階段の下り方まで説明してあげたのだとか」
「……」
「『この神社には妙な決まり事があって、鳥居を潜るには前向きで。出る時には後ろ向きで階段を下りないといけないんだよ』と教えてあげたのだそうです。
なぜ自分がそんなコトを知っていたのかは分からない。夢は所詮夢、でも妙に気になってしまってと彼女は笑ってました」
言われてみれば確かに、階段の一段目には鳥居のらくがきが在った。アレがそうだったのか。
エレベータが伊勢さんの部屋が在る五階に着いてドアが開いた。だが彼は直ぐに下りようとはしない。扉の開のボタンを押してエレベータを止め、俺に向き直ると「申し訳ありません」と頭を下げた。
「あなたにお話しするのが少し遅れてしまったようです」
「いや、止めて下さいよ。伊勢さんが謝る必要ないでしょう。悪いのは間違いなくコレをやらかした連中の方です」
そして手にしているあのオッサンの手荷物を見た。前足一本じゃあこのツケは払い切れて居ない。次に出逢ったらただで済ますつもりはなかった。モチロン、相手が今日のソレだと分かればの話だが。
「このマンションはよく因果が逆転します。結果が先に出た後に原因が始まるのです。今回の一件、天草さんとご相談した方が良いかも知れません。あの方は何というか、特別でいらっしゃるようで」
「特別、ですか」
「深山さんも当に気付いていらっしゃるのでしょう?」
それには直ぐさま返答することが出来なくて、ただ口籠もるハメに為った。
「それと狐や狸というのは昔からヒトを化かすといいます。或いは猫もですね。ヒトに変化した動物がヒトを喰うというのは良くある昔話ではありませんか」
「……」
ヒトに化けヒトを化かすヒト喰いの獣、か。
世間さまじゃあ笑い話で済むけれど、生憎このマンションでは洒落にならない。もっとも最近じゃあ、狐や狸なんて殆ど見ることは無いけれど。
それとも俺が気付いていないダケなのか。
そして目の前の御仁は「それと同時に、神格化されて神社に祀られたりもします」などと肩を竦めても見せるのだ。
恐れる気持ちや敬う気持ちは、どちらも同じモノでしょう。ただ表現の仕方が違うだけで。ヒトの力や理屈の及ばないモノへ、どう対処して良いのか分からないので取敢えずお祀りしてみよう、そんな感じではないでしょうか。
でも自分やその周囲に害を為すとなれば、黙って居る訳にはいきませんよね。なので武勇に秀でた者が様々な理外のモノを退治する。そんな英雄譚はそれこそ枚挙に暇がありません。
「このマンションではさしずめ、深山さんが武者の役割でしょうか。灘さんは介添え役の陰陽師といった風情ですね。
お二方のお陰で此処に住む者は随分と助かっています。あわやという所を助けられた、という話は何人もの方々からうかがっております。皆感謝して居るのですよ」
「……」
随分と買いかぶられたものだ。
俺はいつも自分の事だけで精一杯、ただ必死なだけ。だがそう突っぱねるのも憚られた。どう返答しようかと迷う内に、「天草さんにはわたしからも一言入れて置きます」という言葉が在った。
「深山さんばかりにご苦労をかける訳には参りません。わたしはわたしの役目を果たすとしましょう」
そして「では、これで」と軽く会釈をし、隙の無いスーツ姿の御仁は自分の部屋へと戻って行ったのである。
自分の部屋に戻って、バックパックからオッサンからもらったオレンジジュースとコンビニのおにぎりを取り出した。どちらも消費期限が一ヶ月前の日付だった。特に悪くなっている様子は無い。実際オッサンは普通に食って何ともなかったし。
ひょっとしてあそこは、迷い込んだその日をずっと足踏みし続ける場所なのだろうか。そして、あのオッサンが最初の犠牲者とは限らないんじゃないのか。
果たしてヤツラは何時からアレをやらかしていたのだろう。まったく、ぞっとしない話である。
理屈に合わない相手は恐れられ敬われる。そして一線を越えたら退治される訳だ。モチロン、倒せる相手限定だけど。
もらったジュースとおにぎりは、当然そのままゴミ箱行きとなった。
しゃれこうべを近くのお寺に無縁仏として納めた帰りのこと。若狭さんが地下冷凍庫脇に在るペンギン墓地に、新たな塚を造って柏手を打っている姿を見かけた。
何を弔ったのですか、と聞いてみたら、駐車場脇にまとめて死んでいた狸数匹を埋葬したのだという。
「他の獣に襲われたんだが何だか知らないが、無体なもんだ。全部喉を噛み破られて惨死してたよ。ただ、血が一滴も流れていなかったのが不思議だったがね」
「血、ですか」
若狭さんはしみじみとした声音で、案外マンションに出没した血を吸うナニかにヤられたのかもね、などと呟く。
「一匹は前足が一本無かったよ。近所の家族でやってる馴染みの精肉店の女将もまた、機械で右手を落としたって言ってたな」
俺は思わず言葉に詰った。
なんなんですか、そのあからさまな話の持って行き方は。
「偶然性の一致ってのは奇妙なもんだ」
まるでそのまま口笛でも吹きそうな風情である。
若狭さん、不思議だねって体で語ってますが、違いますよねゼッタイ。そんなコト思ってもないでしょ!
なんか、ナンかもやもやする。相変わらずだ、その一物含んだその物言い。どうにもこうにも居心地が悪くなる。血が吸われて云々って話もだ。
「そういや、その精肉店は少し前から店を閉めっぱなしなんだよ。みな噂してんだ。あの店の肉はひと味違う、また買いたいって。早く店開けてくれないかなって。
そういや饗応として出されたモノに手を着けると、願いや頼み事を断れなくなる、相手から逃げ出せなくなるって話を聞いたことがあるね。
あるいは逃げ出せないんじゃなくて、逃げだそうという気持ちすら失せてしまうのかも知れない。
餌付けみたいなもんかね」
「……」
精肉店の材料って……
俺はその肉、食ってはいない……よな?
饗応に手を着けていないよね?あのオッサンからもらったモノは全部捨てたし。
ジワリと額の辺りにイヤな汗が滲んできた。
「女将はどうしたんだろうね。傷が悪化したのかね。でも家族全員でってのも解せないよね。そうは思わないかい」
そんなコトを宣い片頬で笑いながら、俺にチラリと目配せするのである。
止めて下さい。
全部気付いて仰って居るんですか。何もかも全て察しが付いた上で俺に問いかけて居るんですか。ソコまであからさまに振っておきながら、「解せないね」もないでしょう。俺の反応見て楽しんでませんか。
ひょっとして直接の関係者に向けた事後経過報告と、俺いじりを兼ねて居る?
それとも無自覚なタダの世間話?
でもソレを訊いたら負けのような気がする。色々な意味で。
お陰で俺は、ただ頬を引きつらせて、苦笑いすることしか出来なかった。




