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夢恋路 ~明治編~12

【おリョウ】

梅雨の中休み、晴れた気持ちのいい日に人力車を呼んだ。

小五郎を昔のように長距離歩かせるのは体調の面から考えて良くはない。

私は、お雪の形見のあのピンク色の着物を立てかけた。

本当は袖を通して行きたいけれど、十代の娘さんが着る着物は今の私にはだいぶ若くってちょっと無理かな。

まぁ、本人が良くとも周囲の目があるこの男の嫁としてはアウトよね。

「松さん、車が来ましたよ。」

そう言って戸を開けた小五郎が驚いた顔をした。

「さすがにもう着るのは無理だからね・・・」

「懐かしいね、」

私はこの着物を着て幾松になったのよね・・・

いろんな思い出の詰まったお雪の着物、私たちはひとしきり眺めてから戸を閉めた。

「忠太郎、お父さんとお母さんが帰って来るまでお兄ちゃんとお利口にしていてね。」

「はい!」

いい子ね・・・

忠太郎は非常に聞き訳が良くてニコニコと正二郎の横に立ている。

私たちは人力車に乗ってまず先に、お雪の墓へと向かう事にした。

幾松になるために江戸を離れてから一度も訪れていないお雪の墓・・・女将が見てくれているだろうことはわかっているけれど、心のどこかで罪の意識があった。

お雪の事を他の誰かに任せている事・・・

私の為に命を落としてしまったかわいい妹、あの子がいなければ今日の私は存在しない。

あの子があんなにいい子じゃなければ、私はこの地に降り立ってすぐに命を失っていた。

そして、この男と出会う事もなかった・・・

もっと早くに会いに行きたかったよ・・・

車の上で私達はあまり会話をしなかった。

お互いに思う事が多すぎて、初心に帰らなきゃいけなくて、言葉なんて出なかった。

「お寺の前の通りに花屋があるの、そこに寄りたいわ。いいかしら。」

「そうだね、花を買って行こうか。」

小五郎は車夫の男にその旨を伝え、私達は花屋に立ち寄った。

あの時と同じ小菊を手にして、私は思わずその小菊を胸に抱えた。

懐かしい・・・以前、宗次郎と平助と来たよね。

「かわいい小菊だね、お雪に似合ってる。」

小五郎は一言、そう言ってくれた。

私たちは静かに寺を歩いて、踏みしめる砂利の音が物悲しさを煽る・・・

たくさん並んでいる墓、供え物があったり花があったり、何もなかったり、そんな墓の中に人影があった。

その人影は辿り着いたお雪の墓の前にあって、屈んで手を合わせている。

黒地のきれいな着物を着た中年の女性・・・すぐに分かった、女将だ。

女将は本当にお雪の面倒を見てくれていたんだ。

踏みつけた砂利の音に気が付いて女将がこちらを見て、私と横に立つ小五郎に気が付いて驚いた表情をした。

そしてすぐに、深く頭を下げた。

その行いは少しよそよそしくさえ感じた・・・

私と小五郎も頭を下げて墓に向かう、女将は一歩下がって私達に道を譲って

「ご無沙汰しております。」

女将はそう言って再び頭を下げた。

目の前にあるお雪の墓は雑草一つ生えてはおらず、墓石もとてもきれいに保たれていて、きっと頻繁に来てくれているんだね・・・

「お花、置いてあげて。きっと喜ぶわ。」

女将はそう言って笑ってくれた。

「こんなにきれいに保っていただきまして、ありがとうございます。」

小五郎はそう言って女将に頭を下げた。

「お礼なんて言わないで、おリョウちゃんから預かった大切なお雪ですもの、当然だわ。」

私はお雪の墓に小菊を置いて、屈んで手を合わせ目を閉じた・・・

何も言葉は出て来なくて、女将にまだ、お礼すら言えてなくて・・・

「木戸様も何度かいらしたことがおありで?」

「いいえ、お恥ずかしい事に今日に至るまで一度も参った事はありませんでした。」

「そうでしたか、お忙しいですものね。」

「忙しさを言い訳にする事は出来ませんよ、現に女将だってお忙しいのに。」

「私なんて木戸様に比べましたら足元にも及びませんよ・・・」

背後で二人が話しているのが聞こえた。

妙に距離感のある会話を聞きながら、私はひたすらお雪に謝っていた。

来ることが出来ずに本当にごめんなさい・・・

許されるのならば、今すぐ会って謝罪したい・・・

あの日の事は決して忘れない。

あなたの事は決して忘れない。

だからもうすこしだけ、時間を下さい。小五郎を先にそちらに送った後に、私もそっちに行くから・・・と。

涙はこぼすまい、今ここで泣けば、女将に申し訳ない。

私は立ち上がり、振り向いて女将に再び頭を下げた。女将は何も言わずに私を抱きしめてくれて、私は思わず女将の背を握った。



【桂小五郎】

お雪の墓の前にいた女将を見て、思い知った。

故人を想うと言う事はこう言う事なんだと・・・想うだけじゃいけないんだと。

きれいにされた墓、きちんと手入れされていて、草の芽一つ生えていない。隅々まで磨かれた墓石は苔すら探すのが難しいほどだ。

お雪に語りかけている姉さんの後ろで僕は女将と言葉を交わした。

あの事以来女将とは全く会っていなかったから、空気は少しばかりよそよそしくって、こんな所でも自分が壊したものの大きさを思い知らされた気がした。

あんなに良くしてもらったのに、あんなに楽しい思い出ばかりだったのに。

立ち上がり再び深く女将に礼をする姉さんを、女将は黙って抱きしめた。

女将はきっと、姉さんの心の内なんて全部わかっているんだ。

このふたりはきっと、話さなくったって、想いを口にしなくったって通じ合えるんだ。

僕は、姉さんの何をわかっているんだろう・・・

「さぁ、二人ともお忙しいでしょ、行って?これまで通りお雪の面倒はちゃんと見るから。」

姉さんの髪をひと撫でして体を離す女将。

女将はこの時代で唯一、姉さんが頼る事の出来る存在だ・・・そんな存在を奪う事がどれだけ罪深く孤独を与えるかさえ分からないなんて、僕は恥じるべきだ。

「ぜひ、我が家にいらして下さい。」

気が付いた時、僕は女将にそう言っていた。

「ぜひうちに遊びに来て下さい、幼い息子も増えましたし、ぜひ松の話を聞いてやってください。男親の僕じゃ相談に乗れない事もあるでしょうから。」

「・・・ありがとうございます、喜んでおうかがいします。」

女将はそう笑ってくれた。

僕達は再び花屋で小菊を買ってから車に乗った。

小菊を抱えている姉さん、哀愁を漂わせていてどこか美しい。

次は宗次郎の墓か・・・

宗次郎を最後に見たのは京の町を追われたあの日だ、まだ幼ささえ残っていてやっている事の意味も解らず、ただ楽しげに笑っていたあの姿は、僕には魔物が憑いている様にさえ見えていた。

僕も姉さんも魔物の入っている箱の蓋を決して開けない様に宗次郎と接してきたつもりだった。幼く危うく不安定な宗次郎の魔物が納められいた箱、平助さえも、それに気が付いていた。

それを開けてしまったのは時代の流れと・・・近藤さんだ。

近藤さんはわかっていたはずだ、ふたを開けた結果がどうなるか・・・いずれ扱いきれなくなることを。

扱いきれるのは、姉さんだけだったはずなんだ。

姉さんから聞いた、宗次郎を看取った屋敷で近藤さんに会ったと、宗次郎は共に行きたいと泣き喚いたのだと、近藤さんはそんな宗次郎を置いて行ったのだと。

近藤さんは宗次郎を姉さんに託したんだ。剣士として戦場で倒れるよりも、姉さんと静かに余生を送る事の方が宗次郎にとって良いと選んだ。

きっと、剣を握って魔物と成り果ててその生を終えるよりも、昔の、人間だった姿に戻してあげる事を選んだんだ。

きっと、自ら宗次郎を魔物としてしまった事に罪の意識を覚えたのだろう。

無邪気とはよく言ったものだ。

この言葉はまんま宗次郎を表現している。

そんな宗次郎が眠る墓は、とても懐かしい場所だった。

ここは僕達が初めてあの子を連れて歩いた旧白河藩邸の近くだった。

寝てしまった子をおぶって家路に歩いたあの日、あの日から僕達の全ては始まったんだ。

宗次郎が、始めてくれたんだ・・・

お雪の墓とは違って、宗次郎の眠る白河藩の墓地はお世辞にも管理されているとは言えなかった。供え物や花もなく寂しい墓で、そんな墓を見て姉さんは目を細めた。

「あらあら、少しきれいにしないといけないわね。」

そう言って姉さんは屈んで草を抜き始め、時折目を細め墓石を見上げては優しく話しかけていた。

ここに、宗次郎がいるんだ・・・

こんな小さな墓の下に、さぞ窮屈だろう・・・

ここには宗次郎の亡骸があるだけで、宗次郎がいない事はわかっているけれど、墓石をどけたら宗次郎が昼寝でもしている気がして、もう一度顔を合わせて話したいって思った。剣を置いて茶屋の長椅子にでも座って、団子でも食べながら日がな笑い話をしていたいって思った。

僕がそうやって思うんだから、姉さんはきっともっと・・・それこそ心が潰れてしまいそうなぐらい、そう、想っているはずだ。



【おリョウ】

小五郎が手桶の水に手ぬぐいを浸して絞って、墓石を拭きはじめた。

濃い藍のきれいな手ぬぐい、きっと良い物でしょうに・・・

「墓掃除なんて長州でやった以来だからもう何年振りだろうね。」

「本当ね、あの時は隙あらばサボってばっかでよく怒られていたわよね。」

「えぇ!?そんなに前の話からなの!?」

子供の時、草むしりも墓磨きもいっつも気が付いたらどっかに行っちゃって、その都度私に捕まってたね。

懐かしいな・・・

「良かったわね宗次郎、小五郎に会いたいって言ってたものね。」

「宗次郎がそう言ってくれたの?」

「えぇ、あなたに会いたいって・・・」

きっとこの子も、やり直したいって思っていたんだと思う。

「僕も、会いたかったんだよ?」

小五郎はそう言って宗次郎の墓石に笑った。

始めは数歩だけ逸れたはずの別れ道は、知らないうちに互いの姿さえ見えないほどに離れてしまって、そうなってしまってから振り向いて・・・もう戻れないんだってみんなが気付いた。

新選組・・・そこは男たちの夢が具現化された場所だったはずだ、希望に満ちていたはずだ。

しかし、皮肉なことに現実の形にしてしまったがために散り逝った命・・・今も夢のままであったのなら、命を落とす事も、なかったろうに。

一通り綺麗にして、花を飾って、私達は顔を見合わせて笑う。

「やっぱり宗次郎は花より団子よね。」

「そうだね。」

小五郎が団子の包みを開いて墓石に備えた。

「平助の所に行くときは握り飯だね、あいつはいっつも腹を空かしているから。」

「そうね、いくつあったらたりるかしらね。」

この子達の話をするといつの間にか笑っている、もちろん悲しい思い出もあるけれどやっぱり親と言うものは子の話をするときは自然と笑みがこぼれるものなのだろう・・・

墓石の前に立って、二人で遠き日々を懐かしんだ。

「同じ屋根の下で暮らす事が出来たのなら、どれだけ楽しかったでしょうね・・・」

「僕は平助に追われて、姉さんは宗次郎に追われていたんだろうね。」

「そうね、大変だったでしょうね。」

そう言ってふと、横に立つ小五郎を見て笑ってしまった。

「今のあなたを見たら、宗次郎も平助も何て言うかしら?」

もう立派な中年の小五郎は若い頃の俊敏さは見て取れなくって、貫録のある政治家で。

外遊から帰ってきてからは特にお腹も出ちゃってる。

運動もちゃんとできないものね。

「そうだねー、今の姿は見てほしくないねぇ。」

小五郎も自虐的に笑った。

「この子達がいてくれたのなら、正二郎と忠太郎は私たちの元になんて来ることもなかったでしょうにね・・・」

忠太郎は別として、正二郎はハルちゃんや彦太郎と暮らせていたのにね。

小五郎は私の手をそっと取って握ってくれた。

「だからこそ、あの二人を立派に育てないとね。」

「そうね・・・」

「平助も宗次郎も立派になった、それは姉さんの功績がとっても大きかったと僕は思います。特に宗次郎は、姉さんがいなければきっと道を誤っていたと僕は思っている。最後の最後にあの子を救ったのは近藤さんでも土方さんでももちろん僕でも平助でもない、やっぱり姉さんだったんだ。宗次郎を救ってくれて、ありがとう。」

会いたいよ・・・宗次郎・・・・・

家に帰ると忠太郎が待ってましたとばかりにやって来て私に抱きついて、後ろから歩いてきた正二郎がお帰りなさいと私達を迎えた。

そうね、今の私達にはこの二人がいる。

この二人を立派に育て上げてこの家を離れるまで、私達は見届けなければならない。

小五郎が先にこの世を去っても、私にはきっとまだやる事がある。

この幼い忠太郎を世間様に出すその時まで、何があっても生きなければ。

梅雨が明けて暑い暑い夏が来て、忠太郎と水遊びをして。

大人しい正二郎は縁側で私達を見ながら英語の勉強をしている。

「ごめんください!!」

「はい、ただいま!」

誰かの声に正二郎が立ち上がり玄関へと向かった。

そうね、私、ずぶ濡れだから・・・行けないわね。

やがてすぐに正二郎はやって来る。

「母様、父様は今お部屋ですか?」

・・・ん?

「えぇ、いるはずよ?」

私の言葉を聞いて正二郎は部屋へと歩いて行った。

お客さんかな?

   タッタッタッタッ・・・・

小五郎が玄関へと小走りで走って行って、その後ろを正二郎が追っている・・・

私と忠太郎は思わず手を止めて、立ち尽くしてその光景を見た。

なんかちょっと嬉しそうで、軽やかな足取りだったけど・・・なんかね、あれは。

   どしどしどしどし・・・

すると今度は行きとは違いだいぶ重量感のある足音が・・・

小五郎は正二郎と二人で大きな木の箱を持ってきた。

何、これ。

また誰かからの見舞品?

でも、すっごい嬉しそうですけど、小五郎君。

「松さん!届いたよ!!!」

何が・・・?

ポカンとしている私を見て、小五郎はおもむろに木箱にくぎ抜きを差し込んで・・・派手に開けた。

私と忠太郎と、正二郎が見たのは・・・大量の、木くず。

これはー・・・

これは、なんだろう????

そんな木屑の中に小五郎は手を突っ込んで、取り出したのはなんと!!!

「ビール!!!!!!!?」

瓶ビールだ!!!!

「どうしたのこれ!?」

嬉しさのあまり思わず発狂に近い声をあげて小五郎を見上げる。

満面の笑みでしてやったりという様な顔をしている小五郎、そしてさっぱり意味がわからないと言う顔の正二郎と忠太郎。

「これは独国からの舶来品です、取り寄せてもらいました。」

きゃー!!!

ビールですって!!!

もう何十年飲んでないと思ってるの!?

「飲みたい?」

「飲みたい飲みたい!飲みたい!!!」

たぶんだけど、きっと、私は今、この時代に来て一番喜んでいるんだと思う。

その証拠に小五郎が満面の笑みだ。

そんな小五郎君は誉められすぎてしっぽを千切れんばかりに振っている犬の様。

「じゃ!飲もうか!!」

そう言って小五郎は瓶を手に取って・・・

・・・・・・えっ?

小五郎は瓶の蓋を、開けようとしている。

「ちょっとまって!!!」

私の叫びに小五郎と子供たちが、固まった。

「えっ、飲まないの?」

「飲むけど!今これを開けるの!?」

「えっ、なんで!?」

「だってこれ!常温でしょ!?」

   ・・・・・・・えっ?

叫んで、小五郎の顔を見て、思い知った。

そうだった・・・

冷蔵庫があるわきゃねーんだ・・・

思わず、がっくりしてしまった。

「あの、松さん・・・?」

冷えたビールが、あるわけがないよ・・・

常温のビール・・・

ぬるい、ビール・・・

絶対にまずい。

考えろ、考えろ!

絶対に方法があるはず!

絶対にビールを冷やしておいしく飲む方法があるはずなんだ!!!



【桂小五郎】

「だってこれ!常温でしょ!?」

・・・・・・えっ?

姉さんの叫びに、頭の中が吹っ飛んだ。

常温?

まぁ、常温だよね。

だって、今届いたし。

「あの、松さん・・・?」

さっきまでのキラキラしたあの輝かしい瞳ががっくりうな垂れている。

両手を付いて、完全に頭を落としちゃった。

どういう事だろう・・・

余りに喜怒哀楽がいっぺんに起こって、僕はもちろんだけど、子供たちも付いて行けていない様子で。

僕も、ちょっと意味がわからない。

こんな姉さん、初めて見ました。

すると姉さんは何かを考えながらうろうろとし始める・・・

「父様、母様は、何かを考えているんですかね・・・?」

「たぶん・・・」

「なんでしょう・・・?」

「たぶん、お酒の事・・・・・」

お酒一つで、ビール一つでこんなになるんだ・・・姉さんって。

そんなに、おいしかったかな・・・?

僕はとりあえず、ずぶ濡れで取り残されている忠太郎を引き上げて縁側に座らせて、三人で姉さんの動向を見守る事にした。

ふらふらと何かを考えながら歩き回る姉さん。

しばらくすると、足を止めて、顔をあげて・・・走ったぁ!!!!

「ちょっと!松さん!?」

僕達も姉さんを追いかける!

姉さんは日頃あまり使われていない屋敷の裏の井戸を覗きこんでいた。

常に影場であるためにあまり使っていない井戸・・・

あのっ、姉さん・・・?

姉さんはつるべを落として、水を汲んで、僕達は黙ってそれを見て・・・

「いける!!!!!」

叫んだ姉さんに、僕達はちょっと引いた。

「あの、松さん・・・?」

「正二郎!できるだけ丈夫で深い丈のカゴをいくつか持ってきてくれる!?」

「はいっ!!!」

正二郎が走る。

「小五郎、ビールいくつか持ってきて!」

「はいっ!!!!」

で、僕はビールを取りに走らされた。

よくわからないけど、なんでかバタバタと男二人は走らされて、お代官様の姉さんのお気に召す様に品々をそろえた。

結局揃えさせられたのは・・・カゴ、手ぬぐい、縄、ビール。

まさかとは思うけれど・・・

姉さんはビールに手ぬぐいを巻いて、それを器用に背丈が高くてだいぶ丈夫な竹カゴに詰めて、縄で縛って・・・

「ちょっと!松さん!?」

井戸に、下ろしちゃった・・・

すっごい満足そうなんですけど・・・

「さっ、夜が楽しみね~!」

これは、夜までこのままって事は、冷やしてるって事だよね・・・?

「何でもっと早く気が付かなかったのかしら、こうすれば日本酒だって冷やせるじゃない!」

姉さんって、お酒が絡むとこんな感じになるんだ・・・

なんか、見た事の無い一面を見たと言うか、見ちゃいけない姿の様な気がするって思ったのは、なんでだろう・・・



【おリョウ】

グラスはないよなぁ・・・

じゃぁ、タンブラーは?

それならありそうじゃない?

でも、今の時代、上薬を使って綺麗に焼き上げた物が高価とされる時代、この家に素焼きのコップなんてあるかしら?一応、いいとこの家だし、ここ・・・

せめて、備前焼とかないかなぁ・・・?

せっせと湯呑をあさる私を一体どれだけの人が不可解な目で見ただろうか・・・?

足元で忠太郎が面白がってコップを摘んだり転がしたり並べたり、いろんなことをしているけれど、とりあえず今はビールの事しか頭にないのよ。

忠太郎、割らないでね。

「みつけた!!!」

備前焼の湯呑二つ!

うんうん、これならいいじゃない!

これも冷やしておこう!

同じようにして湯呑二つも井戸に放り込んで・・・

さて、夕飯の時間が待ち遠しいなぁ~

そんな事を想いながら忠太郎と再び水遊びを始めていたら小五郎が通りかかった。

「あなた、ちょっと、」

「はいっ!!?」

なんか、怯えてない・・・?

私何もしてないけど。

「今夜のお夕飯の時に頂いたビールでもと思うんだけど、夕ご飯の後にビールにする?それともつまみとビールで夕飯にしちゃう?」

「あー・・・どうしよう、松さんはどうする?」

「私?私はビールがあれば・・・」

この言葉に小五郎がちょっと引いてる。

「じゃ、軽く食べながらってのはどう?子供たちの手前、完全に飲みに入るってのはねぇ。」

まぁ、そうね。

他の家庭はわからないけど、我が家ではお酒飲んで食事ってまずしないから、そうするか。

「じゃ、味噌汁代わりにビールね。」

うん、そうしよう。

「・・・あの、ね、松さん。」

「なぁに?」

「ううん・・・なんでもない・・・」

何かを言いかけて苦笑しながら去って行くけど・・・私何か変な事言った?

さてさて、いろんな意味でお楽しみの夕食です・・・

子供たちは普通通りのお膳、私達はいつもより少なめのおかずに米は無し。で、やっぱり夏のビールと言えば枝豆よねぇ~、無理言って買ってきてもらっちゃった。

正二郎がそんな違いに気が付いた。

「父様と母様は今日は随分と少ないですが・・・」

「今日は頂いたビールがあるからね。」

相変わらず小五郎は苦笑しているけど、なんでよ。

「はい、あなた。」

私は一緒に冷やした備前焼のコップを渡す。

「これ、湯呑だよ・・・?」

「まぁまぁ、」

これ以上言う事なかれ、私はそう笑って、頂いた瓶ビールを開ける。

缶の蓋じゃなくって栓がされている瓶、ビールの為ですもの、なんでも開けます。

空いた瓶を見て、思わず香りをかいだけど・・・

あぁぁぁぁぁぁ、ビールだ・・・・

しかも、冷えてる・・・

全体的に疑問符だらけの小五郎の手を取ってコップを傾けさせて、ビールを注いでやると・・・あぁぁぁ!完璧だ!!

「わっ、すごい!」

小五郎が思わず声を上げた。

でしょ!でしょ!?

正二郎も目を丸々している。

私の分は手酌でそそいで・・・

「さっ、いただきましょう!」

   いただきます!

さてさて、この時代のビールとやらは・・・

飲んでみた感想は、うん!ビールだ!!

現代の物よりはやっぱりちょっと雑な感じではあるけれどビールよビール!

もうずっと飲んでなかったから味忘れちゃってるけど、ちょっと苦みが強いかな。

あと、アルコール度数がちょっと高い気がする。

あぁぁぁ・・・おいしい・・・

「松さん!おいしいね!!!!」

小五郎君が叫んだ。

贅沢を言わせてもらえるなら、もう少し冷えていて欲しいけどこの時代だもん十分すぎるよ。

「独国で飲んだ時よりおいしい!」

あら、そう?

ドイツで何飲んだのかしら・・・?

「それは、お酒ですよね・・・?」

正二郎が興味ありげに私達を見ている。

「えぇ、そうよ。イギリスでは見なかった?」

「たぶん、見たと思うんですが・・・」

だいぶ、興味があるみたいだけど・・・飲ませても平気なのかしら?

この時代の飲酒って、何歳から?

「飲んでみる?」

「ちょっと、松さん!?」

小五郎が焦ってるって事は、ダメなのかな?

まぁ、ビールなんて子供の口には合わないから、大丈夫よ。

正二郎は私から渡されたビールの入ったコップを覗いて匂いを嗅いで、複雑そうな顔をした。

そして口を付けて・・・

「苦っ!?」

私と小五郎は笑った。

そんな光景を見ていた忠太郎が、横から正二郎のビールを奪った!

そして、くんくんと匂いを嗅いで・・・

「忠太郎!?」

口、付けちゃった・・・

固まる一同・・・

   ・・・べぇ。

舌を出して、口に入れたビールをたたみに吐いた。

そりゃそうだ。

笑う一同。

忠太郎からコップを取って口を拭って畳を拭いて、子供二人に冷茶を渡す。

二人は勢いよくお茶を飲み干した。

「大人は、こんなに苦いお酒を飲むんですか・・・?」

「そうね、大人になったらおいしくなるかもよ?」

私だって小さい時は苦いって思ったもの。

きっとこの子達が大きくなる頃には庶民のお酒になるんでしょうね。

いいなぁ・・・



【桂小五郎】

姉さんに渡されたビールがおいしくて、驚いた。

独国や白国で飲んだものは正直美味しい物じゃなくて、苦くてぬるくて、これが食文化の違いなんだなって思い知ったけど、姉さんが出してくれたものはまるで違った。

冷たくて、この備前焼の湯呑に入ってるせいか泡もとっても細かくてまるで飲み物じゃないみたいだ。

冷やすだけでこんなにも口当たりや飲み口が違うなんて・・・

姉さんの時代はきっと冷やして飲むんだね!

だから昼間、すぐ開けようとした僕を見て驚いたんだ。

確かに、この冷えた物を飲んでしまうと常温では飲めないね。

「それは、お酒ですよね・・・?」

悪い姉さんはくすくす笑いながら正二郎にビールの入った湯呑を渡した。

正二郎は恐る恐る匂いを嗅いで、非常に複雑そうな顔をしてから口を付けて一言・・・

「苦っ!?」

だよね、僕もそう思う。

そんな兄の横から忠太郎が湯呑を奪って・・・飲んだ!!!

「忠太郎!!」

で、案の定・・・出したよ。

もー・・・・

忠太郎は舌を出して全力でまずいと言っている。

姉さんは笑いながら布巾で畳を拭いて、手ぬぐいで忠太郎の口を拭った。そして二人に冷茶を渡している。

二人はそれを一気に煽って、その光景がおかしくて笑ってしまった。

「大人は、こんなに苦いお酒を飲むんですか・・・?」

正二郎は完全にもういらないと言っている様だ。

「そうね、大人になったらおいしくなるかもよ?」

そんな二人を見ながら姉さんはビールを飲んだ。

夕飯の時に開けたのは二本、あと一本はまだ井戸の中。

その一本を持ってやっぱり姉さんは子供たちが寝た後に僕の部屋にやって来た。

「来ると思っていたよ。」

「やっぱり?」

姉さんは備前の湯呑と小さな酢橘を持ってやって来る。

僕達はいつも通り中庭に向いて縁側に腰を掛けた。

「本当はビールはビール専用のビアグラスって言うガラスの容器で飲むんだけどね、焼き物で作ったビールを飲む容器の事をタンブラーって言うの。さすがにグラスはないからタンブラーの代わりになるものはないかなって思ってね。できるだけ素焼きに近いザラザラした物がよくって、で、備前焼がないかなって忠太郎と探したのよ?」

「忠太郎も手伝ったんだね。」

「一応、手伝ったわよ?」

まぁ、邪魔しかしないよね。

「注ぎ方もちゃんとあるのよ?泡が二割になる様に仕上げるの。」

そう言って姉さんは器用に湯呑に注いでくれた。

「目上の人に目下の者が注ぐのが暗黙ね。」

「じゃ、僕がやらないと。」

だいぶ目下の者ですからね、僕は。

「でも驚いたよ、正直僕はビールと言うものは美味しいって思ってなかった。苦いし、何て言うの、このさわさわした感じが飲みにくくって。でも冷やすとこんなにおいしいんだね。」

ほんと、おいしい。

「もう少し後の時代になればビールは大衆のお酒になるわ、安くって。夏になれば仕事帰りにみんな屋外で飲むの、夏の季語になってるわ。」

そう言いながら姉さんは僕のビールに酢橘を少し絞って入れた。

「本当はレモンがいいんだけどね、どうぞ。」

そう言って笑う姉さんは本当に酒飲みなんだと思う。

んん~!!!

おいしい!

「苦みがだいぶ爽やかになるね!香りも良い!」

「こうやって何かを混ぜて作るお酒ををカクテルと言うのよ。」

こんな事ならもっとたくさん送ってもらえばよかった。

でもたしか、横浜で異国人たちが作ってるっていうからそこから買えたりするのかな?

買えるならたくさん買って来よう!

「まさかこの時代でビールが飲めるなんて思ってもなかったわ・・・時代が進んでいるのね。」

時代の動きは少し急すぎて、僕にはちょっと付いて行くのが大変で、付いて行くのに疲れたから辞めたんだけど。

「姉さんの時代を見る事が出来たら、僕は何を想うかな・・・」

「きっと、見なければよかったって、思うわよ。」

姉さんは時々、自分のいた時代を良く言わない時がある。

そんな時はどこか寂しそう。

今もまた、そうだ。

「私は、この時代に来て、この時代で生きる事が出来て良かったと思っている。もちろんそれはあなたの存在が大きいし、私が出会ってきた全ての子達の存在が大きい。私はこの時代が好きよ?」

「でも、ビールは手に入りにくいよ?」

「そーなのよね・・・行き来できないかしらねぇ。」

ほんと、酒飲みな女!

僕達は飲み慣れないビールのおいしさに気が付いたらだいぶ酔っていて、気が付いたら口付けしていて、いつの間にか二人で部屋で寝てしまっていた。

「父様母様、だいぶお酒の匂いかしますね・・・」

正二郎が朝から眉間にしわを寄せている。

・・・そう、かな。

「あら、そう?」

笑う姉さんの口元に忠太郎が鼻を近づける。

そしてまるで犬のようにくんくんと姉さんの口元を嗅いで・・・ぷいっと顔を背けた。

「あらやだ。」

なんか、僕は、忠太郎に昨夜の事を確認されたような気がして・・・非常に恥ずかしかった。

焼きもち、焼かれちゃったかな。

悪いけど、姉さんは誰にもあげないからね。

たとえ相手が僕の子であっても、宗次郎であったとしても、ね。

ある日の昼過ぎ、庭の隅に咲いている白いバラの花が美しくって僕は縁側に座っていた。

秋だねぇ。

バラってずっと咲いてるんだねぇ。

色変わりし落ち行く葉の中で何事もないかのように不自然なほど白く咲き誇るバラの花は風の向きによってはとてもいい香りを屋敷内に漂わせてくれる。イギリスにはあんなバラがたくさんあるんだよね・・・

もう一度、行きたいなぁ。

「あら、一人?」

姉さんがやって来て僕に声をかける。

「バラの花がきれいだなって思ってね。」

そう言って見上げた僕の横に姉さんは腰を下ろした。

「姉さんこそ、一人で?」

いっつも張り付いている忠太郎はどこに行ったのかな?

「えぇ、忠太郎は正二郎に字を教えてもらっている予定なんだけど・・・」

予定って、何・・・

「きっと落書き大会になっていると思うわよ?」

「あぁ、なるほどね。」

思わず笑っちゃった。

正二郎も字を覚えるのが苦手だったけど、忠太郎はそれを上回る勢いだ。

「彦ちゃん、どうなってる・・・?相変わらずなの?」

「・・・みたいなんだよね。」

彦太郎は日本に帰って来てからというものまるで人が変わってしまったかのようになってしまった。

日本語を完全に忘れてしまい、同年代の子達との人間関係が築けず・・・僕は何度もハルに怒られている。

「こういう言い方をしたら彦ちゃんに申し訳ないけれど、正二郎の留学先がイギリスでよかったわ・・・アメリカだったらきっと彦と同じようになっていたでしょう。」

姉さんはため息をついた。

そうかもしれない・・・

でも、アメリカとイギリス、何がそこまで違うのだろう?

同じ言葉を話して、同じように発展している国なのに・・・姉さんならうまく答えられるだろうか?

「ねぇ、姉さん。」

「なぁに。」

「アメリカとイギリスってどこがそんなに違うの?僕もいろいろ知っているつもりではあるけれど・・・人間性に作用するほどのそこまでの違いが判らない。」

姉さんは僕にクスッと笑って、独り言と前置きして答えてくれた。

「イギリスは国王制の国、民族は大きく4つ程度でその歴史は非常に古い。イギリスは昔っからイギリスであり、例え民族紛争があっても、結局は近しい民族の集まりだから考え方も習慣もある程度統一性があるわ。歴史的にも古くから男女は平等に扱われていて国王が女性だった時代もある。女性が国王となれば、男性はそんな女王を敬い使える、そんな歴史的背景があるからこそ女性をとても大切に扱う紳士の国と言われているの。それとは対照的にアメリカは元は原住民と言われる全く言葉も文化も違う民俗が暮らしていた土地だった。そこにイギリスをはじめとする多くの民族が新しい土地に自由を求めてどんどんと集まって来たの。言葉も習慣も肌の色も違うたくさんの人間が自分たちの力で土地を切り開き夢を求めた。強い物はどんどん強く、弱いものはどんどん弱く、そして強い物は弱い物を従える。要は力や能力こそが全ての評価。常に何かと争い勝つ事で自分が認められる国なのよ。」

すごいよね、今まで受けたどんな説明よりもわかりやすい。

みんながいろいろ教えてくれて、その都度理解してきたと思うんだけど、姉さんの説明だとその時の状況や人々の様子までが目に浮かぶし、まるで見てきたみたいだ。

「イギリスが伝統と秩序を重んじる国であるのなら、その伝統のないアメリカは自由と実力が先行される国。だからこそイギリスに行った正二郎は言葉は違えど礼儀や作法を忘れてはいない、でも彦太郎は実力のみの世界にいた、異質な自分が周囲から認められるためにはその環境に溶け込んで認めてもらえなければならない、逆に言えばたとえ人種が違えど努力こそが報われるのよ。アメリカはいろんな国の文化が混ざり合っていて刺激には事欠かなかったでしょう。見るものすべてが楽しかったでしょうし、全てを自分の責任で行うと言うのは自由を感じたでしょう。開放感があってとっても楽しかったと思うわ。」

そうか、そうだね、確かにアメリカの大統領とイギリスの国王じゃ雰囲気が全く違った。

「こんな風に話すとまるでアメリカが悪い様に聞こえるかもしれないけれど、逆を言えばアメリカでは頑張れば頑張るほど認めてもらえて評価してもらえて、家柄や血筋で理不尽な思いをする場所じゃない、彦ちゃんは溶け込むために多くの努力をしたでしょう、だからこそ、日本に帰って来て未だに残る世襲や家柄にがっかりしたでしょうね。」

「異国の文化を知ると言うことはいい事ではあるけれど、場合によっては悪くも働く事があると言う訳か。」

「悪くと言うと聞こえが悪いわ、彦の場合は日本よりもアメリカの方が合っていたと言う事よ。晋作なんかもきっとそうだったと思うわよ?」

晋作ね・・・

そうだね、晋作ならきっと、日本の事なんて捨てちゃうだろうね。

「晋作は、アメリカだね。」

「そうね、あの子は日本なんて古い!って言いきるでしょうね。」

きっとそうだ。

きっと晋作ならそう言う。

着物なんてきっともう着ないし、刀じゃなくてピストルを持つだろう。

坂本さんもきっとそうだ・・・

「見てみたかったわね、そんな姿も・・・」

きっと、どこかに晋作はいるんだ。

宗次郎がこんなに近くにいるんだから、晋作だって絶対にいる。

元気で楽しく暮らしているはずだ。

平助だってきっと、そうにきまってる・・・

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