夢恋路 ~明治編~11
【桂小五郎】
好子の事で何となく、夜働く姉さんを見るのが辛くって、帰りづらく思っていたのは事実だから、仕事があるならやってから帰るさ。
・・・泊まり込んだって、構わないしね。
今は日々、近いうちに来るだろ連絡を怯えながら待っている事を、見破られそうで怖いんだ。
松子さんの実家になっている、姉さんの妹に当たるお信にできた男の子、お信は旦那さんが今で三人目、子供もたくさんいる。その中で今の旦那さんとの間に出来た子を僕が養子として貰い受ける約束になっていて、謝礼金を渡していて、三歳になったら引き受ける事になっている。
・・・でも実際は、とんでもない事をした結果にできた・・・僕の子・・・
僕の、血を分けた実子・・・
本当に、本当に、好子が存在しているって知っていたなら、あんな事しなかった・・・
よりによって、血縁がないとはいえ、戸籍上の姉さんの妹に自分の子供を産ませるなんて・・・僕は、本当にどうかしていた。
正二郎と暮らすようになって、僕もどんどん忙しくなって、昔ほど姉さんと夜を共にすることも叶わなくなって、どこかで、子供が出来ない事を姉さんのせいにし始めて、みんなの話を聞いているうちに・・・自分の子供が欲しくなった。
自分の血を分けた本当の子が、欲しくなっていた。
正二郎に不満があるわけじゃない。
ハルと来原さんに不満があるわけでもない。
でも・・・
でももし僕の身に何かあったら、僕の跡を継ぐのは、僕の血を分けた子がいいって、どこかで思っていた。
遺言書を書いておけば、僕の子だって証明される。
そうすれば、その子は、忠太郎は僕の家督を継げるって・・・
でも・・・
それは明らかに古い考えだ。
僕が創ろうとしている新しい世にはとっても不釣り合いで、僕が求めている物じゃない・・・僕が、こんな事じゃどうしようもないね。
世襲なんて、何の意味もないのに。能力こそがこの先の世に置いて優先されるべき事なんだ。
こんな裏切りが、許されるわけがないんだ。
僕は、愚かだ。
結果的に忠太郎の出生は明かせない、そうなれば、家督は継げない。
あの子は産まれてきた意味さえなくなってしまった・・・
最近の僕は忙しくて、幸か不幸か家に帰る事はほとんどできない状態だった。
外では西郷さん達が鹿児島で荒れ始め、中では国費の調達に話が及んでいる。
四民平等をうたっておきながらいまだに平等になりきれない民からは不満が上がり、華族や士族と言う身分を残したことで余計に反感を買った。しかも華族や士族に対する賞典禄が財政支出の半分ほどになっていると言う負担。
それはわかっている。
しかし、大久保さんが言う様に一気に廃止してしまえば反発を招くのは目に見えていた。
「僕は反対です、今急発進的にそこまで行うべきじゃない。今秩禄を廃止すれば絶対に反感を買い、強いては暴徒が起きる。他の方法を模索すべきだ。」
「木戸君は何でも反対という、地租の事もそうだ、君が言う通りにこの国を運営していてはこの国の財政は底を尽きるだろう。」
「大久保さんは過激です、そんなに急いで物事を進めれば必ず不満が形になることはわかっているでしょう。この国は未だ農業で財を成す国です、農民をこれ以上追いこむ様な税率には僕は反対だ。」
「ならば木戸君はどうしたら財政を立て直す事が出来ると思う、秩禄も排除せず地租の改正も行わずして財源をどこから得るつもりだ。」
「行わないとは言ってません、もっと議論していくべきだと言ってるんです。秩禄の廃止も地租の改正も行わなければならない事はわかっている、だがしかし、事を急ぎ過ぎだと言ってるんです。」
今の中央議会は大久保さんの独裁に近い、それは意見することができる人間が少ないからでもある。
伊藤君や岩倉さんも秩禄に関しては慎重派だ。
でも、反対ではないんだ。
「君たちが思う様な平和主義ではこの国はあっという間に潰れるであろう。」
「そうならないようにするのが我々です!」
「わからないな、だからこそ行うんだ。」
これは・・・一生平行線だ。
どちらかが断行されなければ終わりは来ない。
きっと、僕が負ける・・・
明治の世が始まってまだ6年余りじゃないか・・・そんなに急いで欧米列国に近づこうとする必要はないだろ。
そんなに急いでは民は付いて来れず、必ず不満が上がる。
その不満が暴徒と化し一揆がおきた場合、政府は完全につぶれる。
国民から信頼されない政府など存在する意味すらない、甚だおかしな話だ。
急ぐべきじゃないんだ。
【大久保利通】
木戸君は相変わらずゆるい事を言う・・・欧米列国外遊で何を見てきたと言うんだ。
ああならなければ日本は他国に外交で平等など得られない。
「僕は反対です、今急発進的にそこまで行うべきじゃない。今秩禄を廃止すれば絶対に反感を買い、強いては暴徒が起きる。他の方法を模索すべきだ。」
この男は何かとすべて反対だと言うが、一体何がしたいんだ・・・どうせまた辞めるなどと言うのだろう。
木戸君の辞め癖にも困ったものだ。
国内をのんびり治めてからではもはや間に合わないのだよ。
日本は出だしから遅れている、欧米列国の様な時間をかけて安定を図っては遅すぎる、それがわからんか?
昔からそうだ、この男は極端に争う事を避ける節がある、逃げの小五郎とはよく言ったものだ。
しかし、まぁ、長州に身を置き討幕を貫いておきながら抜刀せず今日まで生き残ったのはその甘さゆえだったかもしれないな。味方を作る能力には長けているのだから。
この男自信が作った敵などほとんどいないのだろう。
だからこそ必要ではあるんだが・・・
慎重すぎて私には少々耐えきれない時がある、今回もまたそうだ。
「君たちが思う様な平和主義ではこの国はあっという間に潰れるであろう。」
「そうならないようにするのが我々です!」
「わからないな、だからこそ行うんだ。」
今回も木戸君には悪いが断行させてもらう、この男と話を合わせていては寿命が先に尽きてしまいかねない。
その結果辞めると言った時は、また連れ帰ればいいだけだ。
いつもの事なのだからな・・・
【桂小五郎】
結果、地租改正と秩禄処分は断行された。
これで税収も安定し国費も潤うだろう。
でも、反発は必須だ・・・
今は皆、農民たちもよくわかっていないだろうから良い、でも農地に対する税と言うのはどんなに凶作であっても納めなければならないと言う事に気が付いた時、税率百分の三はとても重いはずだ。
秩禄もそうだ、気が付くのは数ヶ月先だろう・・・
僕は、大久保さんの、そんな政策の尻を拭う為に走り回るのはごめんだ。
辞職しよう。
でも、辞めてどうする・・・?
家に帰る・・・?
好子の事があってできた隙間を埋める努力もせず、忙しさを言い訳に家にも帰らず、ちゃんとした話もまともにせず逃げてきた僕が、今度はずっと家にいる・・・
染井の別邸に、籠る・・・?
じゃぁ、家は?
姉さんと、正二郎の事は・・・?
そんな事を思い悩んで、出ない結論を求めていた矢先、とどめの様な文が届いた。
それは、お信さんからの文で、三つになったので忠太郎を引き渡すとの事だった・・・
なんて、間が悪い事だ・・・
心労で吐きそうだよ。
でも・・・
姉さんは、忠太郎の出生を知らない訳で・・・
いくら、似てるからと言っても、お信さんと旦那さんの子だと言えば疑われることもないだろう・・・
・・・忠太郎を引き取って、家に帰ろう。
それに伴って辞職しよう。
忠太郎には悪いが、僕たち夫婦の鎹になってもらおう・・・
姉さんと、もう一度、やり直したいんだ・・・
こんなにも寂しくて、虚しくて、苦しい想いから早く抜け出したいんだ。
【おリョウ】
小五郎が手を引いて京から連れてきた男の子は、異様だった。
その子は、私が何十年も前に長州で面倒を見ていた男の子にそっくりだった。
間違いない、小五郎の子供だ・・・
「松本さんとお信さん夫婦の所の末の子で、名は忠太郎です、正二郎の弟としてうちに養子で迎える事になったのでお願いします。」
まだ三つになったばかりの忠太郎は、本当の幼子だ。
きっとお信ちゃんの事なんてすぐに忘れて、私の事を実母と勘違いするだろう。
この男は、なんて恐ろしい男だろうか・・・
実際に血縁はないとはいえ、私の妹に自分の子を産ませたと言うの・・・?
妻の妹を抱いたと言うの・・・?
いったいどのくらい前から通じていたの?
旦那さんの松本さんと言う方は、ご存じなの?
本当に、本当にお信ちゃん夫婦の子なの?
・・・心が、折れそうだよ・・・
忠太郎はニコニコと私を見ている。
人懐っこい笑顔はまるで太陽のようで。
ちゃんと躾られているのか小五郎の横でそわそわしながらじっと座っている。
好子ちゃんと一緒・・・この子は、何も悪くない。
「忠太郎、こっちに来て?」
私が手を伸ばすと忠太郎は待ってましたとばかりに私の胸に飛び込んできた。
無邪気な、いい子・・・
「初めまして、今日から私があなたのお母さんよ?よろしくね。」
「はい!」
意味は、解っていないでしょうね。
いきなりべったりと私に抱きついてくるこの子は、不思議な子だ・・・お信ちゃんと離れた寂しさはないのだろうか。
その様子はまるで、何年も前から私の事を知っている様で・・・
まるで、やっと会えたと言っている様で・・・
まるで、私が産んだかのようで・・・
「あの、松さん、少しお話があります。お時間をいただけませんか・・・?」
私の方が歳下だと言うのにこの男は私に敬語を使い下手に出ている。
「えぇ、良いわ。でも子供たちが寝た後でいいかしら。今日の私はこの子に付いていないといけないわ。」
「うん、そうだよね・・・よろしくお願いします。」
好子ちゃんの事があってから小五郎は何となく家を避けるようになって、忙しさも相まって滅多に家に帰っては来なくなっていた。
私もそんな小五郎に何も思わなくなってきていて、心が、離れてしまっていた。
いつも通りにしているつもりでもやはり何かが違うのだろう、会話も余り続かず、そんな姿を正二郎に見られるのも辛くて、小五郎がいる食事の席は、私は外していた。
忠太郎は、この幼い桂小五郎に瓜二つな子はまるで太陽の様に私をまっすぐ見ている。
この子の存在が私達に何かを与えてくれるかしら・・・
私達を、再び繋いでくれるのかしら・・・
夜、久々に全員で食事を囲んだ。
幼い忠太郎がいてくれたおかげで笑顔が耐えず、皆笑って食事をした。
でも、その笑顔は忠太郎に向けられていて、忠太郎がいなければ成立しない空間だった。
食事を終えて、正二郎は自室で、忠太郎は私の寝室で寝る事になった。
私と小五郎の寝室はもうずっと前から別々で、帰りが遅い小五郎が自然と自室で寝る様になっていた。
私は部屋に大布団を敷いて忠太郎に添い寝した。
懐かしい・・・正二郎と初めて眠った時、三人でどうしていいのかわからずに狼狽えったっけね。
でも、この子はすんなりと眠った。
今日初対面のはずなのに、私にべったりと張り付いて眠った。
妙な子・・・
忠太郎の甘え方はちょっと驚くものだった。
この子には、二人の男の面影がある。
一人は幼き日の小五郎、もう一人は・・・宗次郎だ。
なぜだろう、この子を見ていると悲しくなるぐらい宗次郎を思い出してしまう・・・
私のせいで世の中が、おかしくなっちゃってなきゃいいけれど・・・
完全に寝付いた忠太郎の手をそっと解いて、私は小五郎の部屋へと向かった。
何を、話のだろう・・・
不安は何もなかった、もうこれ以上驚く事なんてきっとないから。
本当の事を、言うのかな・・・
「遅くなりました、よろしいでしょうか。」
「あぁ、いいよ。」
「失礼します・・・」
私は、静かに戸を開けて、書斎の前で座っていた小五郎の正面に座った。
部屋を照らしている炎の灯はまっすぐに伸びていて、空気はとても静かだった。
「忠太郎は寝た?」
「えぇ、」
「そっか・・・」
会話は昔のようには続いてくれなくて、また、炎はまっすぐに伸びた。
「忠太郎は、うまくやっていけそうかな・・・」
「えぇ、大丈夫だと思うわ。」
「そっか・・・良かった。」
私達は再び黙った。私から言う事は何もないから、この男の言葉を待つしかない。
小五郎は、ゆっくり口を開いた。
「議会を、辞職してきました。」
これで何度目かしらね・・・もう聞き飽きたわ。
「でも、また戻るんでしょ?」
「いえ、今度は戻らないつもりです。」
これも、聞き飽きた言葉・・・
「もう、参朝はしません。議会にも顔は出しません・・・この家に、いようと思います。」
俄かには信じがたい言葉ね・・・
そんな冷めた私の想いを察してか、小五郎は罰が悪そうに言葉を続けた。
「お信さんには以前より養子の話をしていました。お信さんは多くの子供に恵まれていて、この度の旦那さんで三人目です。正二郎は体が弱いし、僕も体調を崩すことが多くなって、先の事が不安でした。この家の家督を守るためにももう一人、男の子の養子を受けた方が良いんじゃないかと、考えていたんです。」
で、自分で作ったの・・・?
「なので、お信さんに、次に男の子を授かったら養子として引き取らせてもらえないかと、旦那さんの松本さんにもお願いをしました・・・で、その、最初に授かった子が忠太郎で、最初の男の子だから、次でもいいと言ったのですが、約束だからと、二人は忠太郎を養子に出してくれました。」
・・・うそ、下手だよね、相変わらず。
どうせつけない嘘ならば、本当の事を言えばいいのに・・・まぁ、本当の事は口が裂けても言えないか。
好子の事があったばかりだからね・・・
しかも、ほぼ同時期に作った子だなんて・・・最低。
「松さんには、何も相談もなく、引き受けてしまって、申し訳なく思ってます・・・松さんがあの場で、忠太郎を目の前にして拒否が出来る様な人じゃない事は十分に理解してます。なので、もう一度改めてお伺いします・・・忠太郎を養子として、引き取っても構いませんか?」
はぁ・・・
ばっかじゃない。
「断れるわけないじゃない・・・」
私は思わず、ため息と共にぽそっと呟いた。
「泣きわめいて帰りたいと懇願しているならともかく、あんなに楽しそうに笑っている姿を見て、やっぱり帰ってなんて言えるわけないでしょ?あんな笑顔を見て、捨てる様な事なんてできないわよ・・・」
「そう、だよね・・・」
「正二郎に何かが起こるなんて考えたくはないけれど、二の手が必要な事はわかっています。うちの子として、引き受けましょう。」
何となくだけど、私もあの子を手放す気にはなれなかった。
本来なら、確証はないにしても、旦那が不貞を働いてできた子なのだから引き受けたくないと思うのが世の女の常でしょう。でも、私もなぜか、やっと出会えた我が子の様で、手放したくないと思っていた。
まだ出会えて数時間程度なのに、絶対に手放したくなかった。
養子に出してくれたハルちゃんもお信ちゃんも、こんな思いだったはずよね・・・手放したくないって、思ったはずよね。
母親って、強いな・・・
「好子の事があった後に、忙しさを言い訳に、家にも帰る事もなく、こうやって姉さんときちんと話す時間を持つ事もなく今日に至ってしまった事、話さなくとも、顔を合わさなくとも、相手を気に留めなくなってしまっていた事を、決して良しと思っていたわけじゃないんです。許されるのならば以前のように毎日松さんの顔を見て、笑って話して、子供たちと共に日々を過ごしたいと思っています。刀のない世は、きっと伊藤君達が創ってくれます。だから・・・もう一度、忠太郎を含めて四人で、過ごしませんか・・・?」
どこまでが本気なのだろうと疑っている自分がいた。
人を疑う事は良くない事だと、散々学習してきたはずなのに。
一度心が離れてしまうと、そんな事が普通にできてしまうんだね・・・互いに互いを信じて、疑った事なんてなかったはずなのにね。
小五郎が嘘を付いているのは明白だ、忠太郎は間違いなく小五郎の子・・・小五郎の、実子。
実子が欲しいという想い自体は、理解することができる。
私が子を産む事が出来たのなら、こんな事にはなっていなかった。
好子ちゃんの事もそう・・・
結局、全部私が悪いのかな・・・
もう一度だけ、小五郎の言葉の、全てを信じてみようかな・・・
もう一度だけ、この男に賭けてみようか・・・
あの子に、賭けてみようか・・・
【桂小五郎】
「断れるわけないじゃない・・・」
そう言った姉さんは、随分とあきれ顔だった。
わかってる・・・だから、先に忠太郎を見せたんだから。
姉さんは、一度目にした子を・・・いや、命ある物を手放すなんてそんな事、できないから。
「泣きわめいて帰りたいと懇願しているならともかく、あんなに楽しそうに笑っている姿を見て、やっぱり帰ってなんて言えるわけないでしょ?あんな笑顔を見て、捨てる様な事なんてできないわよ・・・」
忠太郎は、こんな言い方をするのはよくないと思うけれど、気味が悪いほどに姉さんを受け入れた。
それどころかまるで姉さんが産んだ子のようにさえ感じられた。
お信さんの事なんてまるで何とも思っちゃいない・・・
この子は、本当は、僕達二人の子なんじゃないかって、錯覚させた。
ここ数か月、姉さんとまともに会話をしていなかった。
好子の事があってから、僕は姉さんから逃げてきた。
その隙間は、どうやら思いのほか大きくって、姉さんはその隙間を埋める事は、考えていないようにさえ感じた。
揚句、忠太郎の事を僕は一生隠し続けなければならず、それを取り繕いながら、姉さんの許しが得られる日を待たなければならなかった。
姉さんが許してくれるその日を待つ事の許しを、乞わなければならなかった。
「好子の事があった後に、忙しさを言い訳に、家にも帰る事もなく、こうやって姉さんときちんと話す時間を持つ事もなく今日に至ってしまった事、話さなくとも、顔を合わさなくとも、相手を気に留めなくなってしまっていた事を、決して良しと思っていたわけじゃないんです。許されるのならば以前のように毎日松さんの顔を見て、笑って話して、子供たちと共に日々を過ごしたいと思っています。刀のない世は、きっと伊藤君達が創ってくれます。だから・・・もう一度、忠太郎を含めて四人で、過ごしませんか・・・?」
考えている様な姉さんの顔が、とても辛かった。
そう簡単に、一度失った信用を取り戻す事は出来ないんだって、思い知った。
いっそ切腹を願出た方が、罪は軽いのかな・・・
しばらく、姉さんは黙っていた。
目を伏せて、視線を落として、何かを想っている様だった。
「あなたをもう一度、信じる。だから、ちゃんとその想いに答えてね。」
姉さんはそう言って、微笑んでくれた。
その微笑はまだどこかぎこちないけれど、それでも僕には機会が与えられた。
その機会を、無駄にすることは許されない。
もし次、この機会を失えば、きっと僕達は永遠に元には戻れないだろう・・・
外で子を作るのは男の甲斐性だとか、昔は側室とか言ったりして、何となく日本の文化の様になってるけど、僕はそうは思わなくて、外子を認めてしまったら、それでは婚姻の意味はないわけで、鳥でさえ生涯相手を変えない種があると言うのに・・・
あんなに望んで、やっと夫婦になれたと言うのに・・・
信じると言ってくれている姉さんを、裏切り続けることは心が痛い・・・でも、僕の為にも、姉さんの為にも黙っていよう。言わない方がいい事もあるんだって、そう思おう。
この日から僕は、使者の接見こそ受けたが例えどんなに頭を下げられても議会には行くことはしなかった。
「お願いです木戸さん、辞意を撤回して下さい!」
「お断りします。」
絶対に行かない、そう、約束したんだから。
僕は家にいるって決めたんだから。
三つの忠太郎は驚くほど姉さんになついている、常に姉さんの着物を掴んで風呂はもちろん厠にもついていこうとする。でも聞き分けはよくて泣いたりぐずったりはしなくて、なんとなく、なんとなくだけど、誰かを思い起こさせる子だった・・・
生まれ変わってまでも、そこまでしても、そんなに姉さんの事が好きだったのかな・・・宗次郎は。
夜、
「起きてる?」
書を書いていたら姉さんの声がした。こんな長雨の日に、どうしたんだろう・・・
立ち上がって戸を開けると姉さんは盆を持って立っていた。
「雨を見ながら飲むってのも、良いんじゃないかと思ってね。どうかしら?」
あぁ、いいね・・・
久しぶりだね、そんな事も。
「もちろん。忠太郎はもう寝たの?」
「えぇ、なかなか放してもらえないんだけどね。」
苦笑する姉さん。
「来てまだ数日なのに、ずいぶんと懐いたもんだよね。」
昔の、僕みたいだ・・・
「本当ね、何がそんなにお気に召したのかしら・・・」
僕にはその理由が、何となくわかっている。
血は争えないと言う事だ・・・
それとも、宗次郎のせいなのかな・・・
僕達は縁側に座って、しとしとと振る長雨を見上げていた。
「最近、頭が痛いと言う事が多いけれどお医者様にかからなくても大丈夫なの?」
そう、僕は外遊から帰って来た辺りからまた頭痛を起こしていて、それは時に頭を締め付けられるほどの痛みとなる事があった。
「前ほどじゃないから大丈夫だと思うよ、胸も痛くないし。さすがにあのぐらい痛くなったら医者に行くよ。」
「そうなる前に、早めに言ってね。」
「わかった、約束する。」
なんとなく、何となくだけど、僕のこの頭痛はあまりいいものじゃない気がする。
もしかしたら早々に、姉さんを残して逝く事になるのかもしれない。
そうなったら、姉さんはまた独りぼっちになってしまう・・・そんな事はしたくない。
妻と子を残してこの世を去るなんて、考えたくもない。
でも、もしそうなってしまったのなら、僕には何ができるだろう・・・
今のうちにできる事はしておいた方が良いのかもしれない、残せるものは残して、書面にしておくべきなのかもしれない。姉さんがこれ以上苦労しなくていいように・・・
僕の事なんかで、泣かなくていいように・・・
「あなた、もうずっと家から出てないわね。」
本当だ、もうずっと家から出ていない。
この屋敷は広いから、庭に出てうろつくだけでもそれなりに満足できる。
姉さんが花が絶えない様にと決まりよく植えてくれた草木が美しい、梅の新緑に今時期は紫陽花が足元を飾っている。正二郎が持ち帰ったバラもつぼみを付けていた。
「ねぇ、次の晴れた日に出たい所があるの、一緒に来てくれないかしら。」
「もちろんいいよ、どこに?」
姉さんは、遠い目をした。
「お雪ちゃんと、宗次郎の所よ。」
何かが、ガンって落ちてきた気がした。
それは、結構重い物で、尖った物で、胸の中に・・・落ちてきた。
「本当は平助にも会いたいんだけど、平助は京だから・・・せめて二人には、会いたいの。」
僕が不在中の長い間、本当に家から出る事はなかったんだって、この言葉でわかった。
姉さんは僕の言いつけ通りこの家から出ず、誰とも交流を持たず、僕を待ち続けていたんだって。
そんな事つゆ知らずの僕は憂さ晴らしに外子まで作って、揚句姉さんに育てさせている。
僕に拒否権はない。
「僕を、二人の所に連れて行って?」
平助の所にも連れて行ってあげたい。
「時間が出来たら京の別邸にもみんなで行こうね、その時に平助にも会いに行こう。」
「えぇ、そうしたいわ・・・」
この三人の名前は、僕の運命を決めた名前。
この子達がいたからこそ、この子達の命があったからこそ、僕の今がある。
この子達の魂を救う為に僕は政治の世界に身を置いていたんだ・・・この子達の命に報いるために、明治の世を創っていたんだ。
「あの子達に会って、もう一度、始めからやり直しましょ。」
姉さんはそう言って、僕にもたれた。
鎮魂社に行けば晋作も坂本さんも中岡君もいるけれど、この三人はあの場には入る事は出来ない。三人とも、江戸と言う時代の中で命を落としたと言うのに、宗次郎と平助にいたっては国に反した者とされている。
あの二人にそんな思想はなかったはずなのに、時代の流れに流されただけなのに、謀反とされているなんて。
僕はやはり、今の政治の流れは嫌いだ。
「僕が、政治的思想を抱かなければ、討幕なんて思わなければ、今もあの子達は生きていたんだろうか・・・」
あのまま、出会った時のまま、暮らすことは不可能だったのだろうか・・・
あんなに楽しく暮らせていたじゃないか。
「時の流れには、逆らえないものよ・・・」
姉さんは相変わらず遠い目をしてつぶやいた。
「あなたが行わなくても誰かがやったわ、あなたがいなくったって、大久保さんや西郷さんは存在するのだから。」
そうだね、その通りだ。
僕がいなくともあの人たちが世を変えたはずだ。
「私は、あなたの功績はとても大きいと思うの。あなたはきっと、あなたが思うよりもはるかに多くの人間の命を救っている。あなたが平和的な解決を望んだがために失われずに済んだ命はたくさんあると思う、誰かが何かを言った時に、それに反対する人間は必ず必要よ、動こうとすれば止める人は必要だし、止まろうと言えば動かす人は必要。」
「それは、未来で僕はそう称えられているのかな?」
「さぁ、あなたの賞賛まではわからないわ。なんせ私、歴史の授業の評価はいつも最低だったもの。あなたよりも二百年分多く勉強しなきゃならないんだから。」
「でも、そのうちの何十年かは実際に経験しているんだから、僕と同じくらいだよ。」
「まったく、学生だったときに経験していたのなら、きっと満点だったでしょうね。」
お酒の力も手伝ってか久しぶりにケラケラと笑った。
「そういえばね、独国でビールて言うお酒を飲んだよ。」
「えー、いいなー!私も久しぶりにビール飲みたいよー。」
「今度買ってきてもらおうね!」
「ぜひそうしてよ!飲みたいわ!」
姉さんにビールを届けてもらおう、きっととっても喜ぶね。
「ねぇ、姉さん。」
「なぁに。」
「今日僕も、一緒に寝ても良いかな。」
忠太郎と、三人で。
「えっ、いいけど・・・夜中に何度か忠太郎を厠に連れるために起こすから、あなた眠れないんじゃない?」
そうか、姉さんは母親としてそんな事もしてるんだ・・・
偉いんだな、姉さんって・・・
「そしたらその時は僕も忠太郎と厠に行くよ。」
「あら、有難いわね。」
僕達はしばし長雨の風情を楽しんで、忠太郎と三人で眠った。




