夢恋路 ~動乱編~20
【おリョウ】
日が沈んで、ちょいちょい人が来はじめるともう私とハルちゃんはパニックで、小五郎は客人につかまりしたたか飲まされ、私もその都度あいさつに行き頭を下げた。
男たちは酒があればそれでいい、近い人間だけだからもはや無礼講。
ハルちゃんは岡部さん見つけて捕まえてるし・・・手伝わせてるし。
「ねぇ、小五郎君、結構声かけしたのかな?」
「いや、そんなつもりはなかったんだけど、藩で話がもりあがっちゃったみたいで・・・」
「まぁ、いいか!楽しければ何でもね。明日は休みなんだし!」
私は会場となっている間から外に出て、縁側に小さな桐の桶と十個程度の枡を置き小さな皿に乗せた料理と握り飯とまんじゅうを置いた。そして桐の桶に一番いいお酒をたっぷりと注いで、横に座った。桶に映る月は満月で、ゆらりゆらりと揺れている。こんなCMあったよね。
私は月を見上げて『童神』を歌って、ふっと笑えてきた。
「さっ、ここに置いておくから好きな様にしてね。足りなければまた持って来るから言うのよ?」
立ち上がって両手を伸ばして背を正し、再び月を見上げた。
「賑やかなのが大好きなの、みんな、ちゃんと来てね!」
【桂小五郎】
姉さんはきちんとした京言葉で来てくれた人たちに挨拶をして、姉さんを見たみんなが口々に美しいと言って、その度に僕は嬉しくって誇らしかった。
美しいだけじゃないんだって、言ってやりたかった。
厠に立ってその帰り、縁側にいろいろ置かれているのを見て自然と笑みが漏れた。
桐の桶に入っているのは酒だね、きっとこんな量じゃ足りないんだろうな。ちゃんと饅頭に握り飯も置かれていて子供たちに対する配慮も忘れてはいないんだ。
桶に映る満月はとても明るくて、今日のこの月はこの家だけを照らしているようにさえ感じた。
「晋作、案内は頼んだからな?」
僕は月に笑って、部屋に戻った。
深夜、みんなが帰路について僕達はがらんとした酒臭い部屋で笑った。
祝言は、終わった。
今日をもって僕と姉さんは夫婦になったんだ。
ちゃんとした仲人はいないけど今日ここに来たみんながその証人で、姉さんはそれを人前式と言うんだって、教えてくれた。神仏に誓うんじゃなく、来てくれた人たちにこの先永遠に夫婦であることを誓うんだって。
それって、いいよね。
とっても僕達らしい。
「ハルちゃん、子供たちは?」
「別室で寝かしてるわ。」
「そりゃそうだよね。」
僕達は笑った。
「片付けは全部明日やりましょ?今日はもう何もやんないんだから!」
姉さんが笑う。
「そうね!今日はもう寝ちゃいましょ!明日やればいいわよ!」
ハルも足を投げだして座っている。
「お兄ちゃんお姉ちゃん、本当におめでとう。本当に良かったわ。」
「ありがとう。」
僕達は顔を見合わせて笑った。
「明日は起きて来なくったっていいわよ?片付けは女中の子達とやるから、二人はどうぞごゆっくり~」
「あら、いいの?」
姉さんが悪い顔してる・・・
「ほらほら、一応新婚初夜なんだから早く行った行った!」
一応って・・・もぉ、顔から火が出そうだよ・・・
それよりも僕・・・
だいぶ飲んだから・・・
新婚初夜だってのにすぐ、寝ちゃうかも・・・・・
でも不思議と足元はしっかりしていて、案外と意識もはっきりしていて・・・もしかして結構、緊張、してるのかな。
姉さんは歩く僕の腰に手を添えてくれていて、僕を支えてくれていて、心強いね。
これからもずっと、支えてくれるんだ。
僕が支えなきゃいけないのにね、情けないやらなんとやら。
「ねぇ、姉さん?」
「なぁに?」
「ちょっと、目を閉じてくれない?」
僕は部屋の前で姉さんを引きとめた。
「目、を?」
「そうそう、ちょっと目を閉じてよ。」
くすくす笑う僕に姉さんは微笑む。
「あら、何をしてくれるのかしら。」
「いいから、ね。」
姉さんは笑いながら目を閉じる。
僕はそっと戸を開けて、灯をともして、姉さんの手をゆっくりと引いた。
姉さんが部屋の中に入ったのを確認してから静かに戸を閉めて・・・
「目、開けていいよ。」
姉さんはゆっくりと目を開けて、数度瞬きをして、明らかに驚いた顔をしていた。
結構ね、準備するの大変だったんだよ?
ハルにもね、手伝ってもらってね。
この驚いた顔が見たかったんだ。
【おリョウ】
驚いた。
こんなサプライズがあったなんて・・・
「姉さんの時代の式みたいにはいかないけど、これがこの時代での新婚初夜の寝間の様子なんだ、見たことあった?」
「いいえ・・・ないわ・・・結構豪華なのね。」
真っ白い光沢のある寝具一式、そして何より布団が二つじゃなくって一つの大きなものになってる。
「本当は布団に入る前にここで杯を交わすんだけど、もう飲めないでしょ?」
「あら、私は平気よ?」
まだまだいけますけど、駄目?
「僕、無理。」
苦笑する小五郎。
もぉ情けないなぁ・・・笑っちゃうじゃない。
「綺麗ね、真っ白で・・・」
何て言うんだろう、綿じゃない。ナイロンやアクリルがこの時代にあるわけがない。
すっごく光沢があって、純白と言うより若干のアイボリーで、まるで真珠の様な色と輝きがある。炎の灯が寝具に反射していて・・・キラキラしている。
「これね、全部生糸なんだって。」
「えぇ!?全部!?」
「そう、全部。」
うそでしょ!?
すっごい高価なんじゃないの!?
「さすがに敷布団の覆布は新調したけど、その下に敷いてあるものと上掛けの上にかけてあるのはハルからもらった。」
シーツ以外はハルちゃんのって・・・さすがハルちゃん、すっごい状態がいいわ。
「これ、使ってもいいのよね・・・?」
いいの?
大丈夫?
私、なんなら床で寝ますよ?
「もちろん、そのために用意したんだよ?」
汚したら・・・どうしよう・・・
よだれ垂らして寝てる場合じゃないでしょ・・・なーんて考えていたら横でかわいい夫がもじもじしている。
「あのね、祝言を上げたら、三日はどこにも出ないで・・・そのぉ、何て言うか・・・ずっと寝間に居るのがこの時代では普通なんだ、だからね、その、僕も三日は休みがあって、その、子作りしたりとかね・・・その、」
もぉ、要は三日間やってろって事なんでしょ!?
男なんだからはっきり言いなさいよね・・・
でも、さすがに三日間通しってのは・・・しんどいなぁ・・・
「じゃ、のんびりさせてもらっていいのよね?」
「うん、まぁ、そうだね。」
「じゃ、お言葉に甘えちゃおっか!」
私は小五郎の手を取って布団に飛び込んだ。
もちろん小五郎も引っ張られて私と一緒に布団に転がる。
「気持ちぃー!冷たーい!」
思わずそう叫んで、子供みたいなことをしてみた。
これは現代でも滅多にお会いできない超高級品!いっぱい触っちゃおっと!
「どう?この時代の祝言も、なかなかいいんじゃない?」
「ありがと!大好きよ!」
私はそう言って小五郎に抱きついて口付けをした。
日本酒の甘い香り、それは口からなのか身体からなのかわからなくって、私達は夜が明けるまでずとその香りを探し合った。
朝、私はいつもより少し遅めに目が覚めた。
ぱっと浴衣を羽織って外に出ると朝陽が登っていて思いのほか明るくなっている。
廊下に出してあったみんなへのお誘いはお酒だけが無くなっていると言う珍事が起きていて、思わず笑ってしまった。
「誰ぇ、飲みきっちゃった人?晋作?」
よく見るとまんじゅうも一つない、これは宗次郎かはたまたハルちゃんの子供たちのどちらかね。
縁側や中庭に私達の大好きだった人たちが転がって寝ている気がした。私はそんな酔っ払いたちを叩き起こすように手を叩く。
「さぁ、みんなちゃんと帰ってね。またいつでも遊びに来たらいいわ。」
そう言って私は静かに片付けをした。
「あら、おはようお姉ちゃん。早いんじゃない?」
ハルちゃんはすでに朝の支度を終えている。
「片付けなんて子供たちにさせたらいいのに~。」
いつもと変わらずにハルちゃんはケラケラ笑った。
「そうもいかないわ、これは私達の大切なお客様のものだから。」
愛しささえ、涌いてくる。
そんな私を見てハルちゃんは優しく微笑んだ。
「その中には高杉様もいるのよね?」
「もちろん、来原さんもいるわよ?」
「あら、そうだったの?だからあんなに騒がしかったのね。」
ハルちゃんが笑って、私も笑う。
「やっと、落ち着いたわね・・・全部。」
ハルちゃんはそう言って、朝陽に目を細める。
「そうね・・・長かったわね・・・・・」
長かった。
怒涛の10年だった。
たくさんの愛する人たちが目の前から去って、そしてこの先また同じだけの愛する人達が増えるんだろう。
時代の為にこの世を去った多くの命の為に、私と小五郎はこの先の未来を創らなければならない。
誰もが平等で、刀で命を落とす事のない世。
でもそれは、今の世よりも、幸せなんだろうか・・・
「お姉ちゃん、落ち着いたら少し話がしたいと思ってるの、男のいぬ間に・・・ね。」
ハルちゃんはきっと何か気が付いている。
そんな事、表情を見ればわかる。
「えぇ、私もそう思っていたわ。小五郎を藩に出した後にでもゆっくり話しましょ。」
ハルちゃんには、ちゃんと話そう・・・だって、ハルちゃんの大切な子を貰い受けるんだから。
「さっ、新妻は部屋に戻って?朝は必要?」
そう言うとハルちゃんは私の手から桶や斗を取り上げる。
う~ん・・・朝は、いらないかなぁ・・・
「朝はいいわ、お茶だけもらえたら。」
どうせ小五郎は起きないでしょうし、明け方まで飲み食いしてたからお腹もすいてないしね。
「じゃ、昼過ぎぐらいに膳を持って声をかけるから、一人分か二人分かだけ言ってちょうだい。」
「まぁ、一人分よね。」
「でしょうね。」
私はハルちゃんに頭を下げて、笑って、部屋に戻った。
小五郎はあられもない姿で寝ているけれど・・・これはちょっと、特に子供には見せられたもんじゃない。
飲んで暴れたから、ぐったりよね。
ゲストたちに気も使っただろうしね。
この真っ白い寝室、少しでも祝言っぽい事をしようって考えてくれた小五郎の思いやりだ。
私は、あなたと夫婦になれるってだけで十分なのに・・・
私からも、何か返してあげられたら・・・
そんな事を思って、真っ白い部屋を見ていて、思いついた。
私が出来るサプライズ!
でも、うまくできるかしらねぇ・・・
布団の上にかかっているシルクの大きな一枚布を取り払い形を見ると・・・正方形かな?
浴衣を脱いでシルクの生地を折りたたんで体に巻いて帯を締めて・・・ギャザーを付けて胸元は大きな花が咲く様によせて・・・ちょっと!
これ、結構うまくいったんじゃない!?
ウエディングドレスだ!
髪は洋装様に横に流して軽く束ねて・・・完璧!裾も床を引く位に長いし、前側は足が覗く位、なかなかいいじゃん!
「これ、仕事にできるんじゃない!?」
姿見がないのが残念だわ。
自分の姿を確認する様に部屋を歩いてみて、ちょっと嬉しくって、テンションが上がってしまっていた。
【桂小五郎】
瞼の外側が明るくって僕は目が覚めた。
視界は白くぼやけていてとってもまぶしくって、なんだかよく見えない・・・
徐々に見えてきた視界の中に、誰かがいて、でも、誰かわからなくって・・・白い何かをまとった・・・女の人?
裾の長い何かを体に巻いていて・・・天女みたいだ。
その天女は僕に気が付いて、僕の方を向いて、とっても優しく微笑んで、歩いてきた・・・
きれいだなぁ・・・
僕、飲み過ぎで死んじゃったかなぁ・・・
姉さん以外にも、きれいな人っているんだなぁ・・・
そっか、天女だからか・・・
じゃぁ、やっぱり姉さんは天女だったんだ・・・だって・・・僕の事を、のぞき込んでるんだから・・・
「おはよう、小五郎。」
「姉さんですか・・・?それとも、天女さん・・・」
「ちょっと、まだお酒残ってるの?」
天女さんの姉さんが笑ってる・・・
「どう?ウエディングドレス、似合うかしら?」
うえでぃんぐどれす・・・?
あれ、聞いたことある・・・あぁ、そうだ、姉さんの時代の祝言の装いだっけ。
そっか、姉さんと祝言したんだ・・・
・・・・・ん・・・・・?
でも、姉さん、あんな格好だった・・・?
着物は?
ってか、ここ、どこ?
姉さん・・・どこか、行くの・・・?
まさか・・・姉さん・・・・・・・・!!!!
「待って姉さん!!!!!!」
僕は思わず大声を上げて飛び起きた。
心臓がすごい強く打っていて、一瞬にして目が覚めた。
変な汗が出て・・・息が、乱れてる。
「・・・どう、したの・・・?」
そこには、きょとんとした、見たことのない姿の姉さんがいて・・・あれ・・・?
姉さんだ・・・
ここは・・・和田の家、だよね?
「いや、姉さん・・・その、格好・・・・・」
僕は呆然と、姉さんを見上げた。
姉さんは僕のそんな顔を見て笑って、その姿を改めて見せた。
「あなたがね、この時代の祝言の準備をしてくれたじゃない?だから、私も何かできないかなーって思ってね、でね、私の時代の祝言の服装が出来ないかなって思ってやってみたんだけど・・・どう?私的には大分完成度高いんだけど。」
正直、着物よりも白無垢よりもこっちの方が姉さんには似合っているって思った。身体の線もきれいだし、姉さんの長い足も小さな顔も細い体も全部に似合ってる。大きな瞳はまるで異国人みたいで、ううん、異国人よりよっぽど姉さんの方がきれいだ。
長い裾、ちらちら見える足、大きく開いた胸元、僕は・・・夢でも見ているのかな・・・
昔晋作が言ってた、未来の人達はみんな助平だねって、まんざら、間違いでもなさそうだ。
「姉さん、こっちに来て?」
僕は姉さんを呼んで、姉さんは僕の横に座った。そしてそんな姉さんを抱えて子供の様に膝の上に乗せる。
「ねぇ、姉さん?」
「なぁに?」
あぁぁぁ、そんな姿でそんな風に見上げないで・・・
「僕としては、目を疑うほど美しいし、願ってもない事なんですが・・・この格好は刺激が強すぎるので、僕以外の人の前ではしないで下さいね。」
こんな姿、他の人に見せられないよ・・・事件が起きる。
「もちろんよ、絶対にしないわ。今日限りよ。」
僕の悪い猫。
すり寄って来て、大きな瞳で僕を見上げている。
「こんな姉さんを見る事が出来るのは、僕の特権です。」
異国の姫はこんな姿なのか・・・日本とは全く違うんだなぁ。
「和魂洋才、良いものはどんどん受け入れて行くべきね。」
和魂洋才・・・
良い言葉だ・・・
でも、それよりもとっても気になる事があって・・・
「ねぇ、姉さん?」
「なぁに?」
「あの、その、この布の下って・・・もしかして、」
「何も着てないわよ?」
・・・やっぱり・・・
寝起きの僕には刺激が強すぎます。
「もう十年ぐらい前だったら良かったのにねー、さすがに三十過ぎてるといろいろと位置が下がって来るから格好がつかないわねぇ。」
相変わらず僕を見上げて笑う姉さんは、無邪気な幼子みたいなかわいい笑顔で、でもその姿は大人の女で・・・三日後、僕は力尽きて立つ事さえできないんじゃないかって、真剣に思った。
みなさん、四日目って、どうなさってたんですか・・・?
かわいくって悪い僕の猫、大好きで大好きで、手の中から出してしまいたくないほど大好きな僕だけの猫。
ずっと昔に見せてもらった姉さんが飼っていた異国の猫、毛が長くってふわふわで見たことのない色をした・・・
今ここに居るこの悪い猫はきっとそんな猫で、ひとたび外を歩けば周囲が見返すほどに美しいんだ。
でもそんなみんなが羨む人気者の猫も、今日からは僕だけのもの。
僕だけが飼う事の許される、僕だけの猫・・・
【おリョウ】
新婚三日目の昼過ぎ、私と小五郎は白糸を連れて河原に歩きに出かけた。
さすがにずっと寝間でってのは・・・ねぇ、そろそろ社会復帰しないとあのままじゃ危ないわよ。
様はこの三日で妊娠しろって意味なんでしょうけど、いろんな意味でもたないわね。この時代、子を産むって事はとっても大切なのね・・・だからこそ、養子って言う文化が普通なんだ。
人通りが少ない道とは言え馬を形式程度の藁の綱で引いて歩いている私達はきっと妙な光景だ。しかも馬には荷も何も載せておらず、引いているのは刀を下げた武士。白糸は白糸で目立つ容姿だし、二度見した人も何人かいたわね。
「相変わらず目立つ容姿ねぇ、白糸は。」
そう言う私に小五郎が一言。
「たぶんね、白糸だけじゃないよ?」
笑っているけど、どういう事?
「あなたが引いているから?」
「いや、違うと思う。」
どういう事よ・・・?
きょとんとして見上げる私に小五郎が笑う。
「姉さんも結構目を引くんだよ。」
そう言って小五郎は笑った。
あら、なんで?
そんなに目立った容姿かしらねぇ・・・
「今の姉さんは都の女って気配があるんだよ、この辺の女の人とはちょっと違う高貴さがあるんだ。だから、目を引くんだよ。」
まぁ、畑仕事してないしね。
手なんて見たら全く違うでしょうねぇ・・・
「美しい娘も一緒だし、今僕、結構誇らしいんだよ?」
胸を張って見せる小五郎に思わず笑ってしまった。
「私があなたの子を授かる事が出来たら、どんなにいいでしょうにね。」
そんな私のつぶやきに、小五郎は私の手を握った。
「祝言の時、姉さんは僕と夫婦になれるだけでそれ以上は何も望んでいないって言った。それは僕も同じだよ、姉さんと夫婦になれるだけで、僕はそれ以上は望んでない。それこそ姉さんが言う様に神に反感を買う。僕は姉さんだけがいてくれればいい。姉さんが僕の最期を看取ってくれるなら、僕は志半ばで倒れたとしても何も思い残すことはない。それ以上に必要な事も大切な事も何もない。」
小五郎の横顔は、幸せそうだった。
「それに、僕達にはかわいい息子が二人もいた。親よりも先に世を去ってしまった親不孝者だけど、手のかかる子の方がかわいいって言うじゃない?ねっ。」
そうね、順を考えるのならば、本当なら宗次郎と平助が私達を見送るべき年齢だった。
「ほんと、親不孝者だわ。」
私は、笑った。
「正次郎にはそんなこと、させられないね・・・」
「・・・そうね・・・」
思わず、黙ってしまった。
正次郎を本当に貰い受けるんだ・・・本当に、私達の子供になるんだ。
「ねぇ、小五郎・・・」
「なに?」
「ハルちゃんには、本当の事を話そうと思うの。」
ハルちゃんに、これ以上隠し事はしたくない。
「ハルちゃんは私の事に何らかの形で疑問を抱いている。それでも私の事を信じて黙ったまま、大切な正次郎を私達に託してくれようとしている、それなのに、私は本当の事を言わないなんて、騙すなんて事、したくないの。秘密を保持する人間が増えれば増えるほど危険が増すことはわかっている。でも、私もハルちゃんの事は信じているの。」
河原に着いて、小五郎は白糸の綱を離した。
白糸は自由に河原を歩いて草を食んで水を飲んでいる。
私達は立ち止まって、そんな白糸を見つめて、小五郎は握っていた私の手を、ぎゅっと握り直した。
「ハルを信じてくれてありがとう。」
小五郎は白糸を見つめたまま、優しい笑みを浮かべて答えた。
「姉さんがハルを信じてくれてうれしいよ。僕は姉さんが決めたことに同意する、僕も姉さんを信じているし、疑った事はない。姉さんの意はそのまま僕の意でもある。だから、そうすべきだと思うよ。」
「あなたが夫で本当に良かったわ。」
「僕も、姉さんが僕の妻で本当に良かった。」
「正次郎は、私をお母さんって呼んでくれるのかしら・・・」
「きっとすぐに呼んでくれるよ。僕の事もお父さんって呼んでくれるのかな。」
「小五郎がお父さんねぇ・・・どうかしら。」
「えぇ!?何で!」
それだよって言ってあげたかったけど、笑い過ぎて言えなかった。
「あなたが藩に行ってる間にでも二人で話すわ、女同士、酒でも飲みながらね。」
「怖いからやめてよ~」
日が沈む前に私達は帰路についた。
帰りの白糸はノーリード、時折道草を食っては呼ばれてそそくさと付いてくる。
「白糸も子供には恵まれそうにないわねぇ、」
「白糸の場合は拒否だからね、女が強すぎるってのも考えもんだ。」
「全くよねぇ。」
さてねぇ、誰の事やら。
「そもそも白糸は、自分の事を馬だって思ってるかなぁ?」
「思ってないんじゃない?私達の娘だって疑ってないはずよ?」
白糸は本当に、この地に来て良かった。
「この子を嫁がせて本当に良かった、ハルちゃんにも、そう思ってもらいたいな・・・」
「そうだね、がんばろうね。」
私達は手を取り合った。
翌日の昼、小五郎が藩に行っている間に私とハルちゃんは縁側に座った。
中庭では白糸と子供二人、彦太郎と正次郎が竹刀をぶつけ合って遊んでいる。武士の子供ね。
私達二人はしばらく、そんな光景を黙って見ていて、そして、何から話していいか考えていた私を察してか、ハルちゃんが口を開いた。
「ねぇ、お姉ちゃん。」
「なぁに・・・」
「私、お姉ちゃんの事を信じているわ、例えお姉ちゃんが私の知り得る存在じゃなかったとしても、私は正次郎を預けるし、引き受けてもらいたいって思ってる。」
さすがは女ね・・・やはり、ハルちゃん何かを感じていたんだ。
「私もハルちゃんの事を信じてる、だから、ハルちゃんに全部話すわ。私が一体何者で、どうしてここにいるのか、全部・・・それは到底理解できない事かもしれない、でも、決して嘘偽りがない事だけは信じて?」
「大丈夫よ、信じるから。私でよければ話して・・・?」
江戸川屋の女将もそうだったけど、この時代男より女の方が寛大で度胸があって、好奇心があって・・・歴史の表に出て来られないなんてもったいない。
人の才は平等に存在するのに。
ハルちゃんにこれまでの全てを話した。
幼い頃からの事、以前長州にいた時の事、江戸に再び来てしまった事、その間どこにいたのか、なぜ自分の時間の流れが違うのか、なぜ、子が出来ないのか・・・知り得ていて過ぎてしまった歴史の一部と共に、なぜ自分が幾松になったかも含めてすべて話した。
私は何度も泣きそうになりながら、自分の全てを話した。
「大切な人たちの命の終わりを知っていても救う事が出来ないなんて・・・残酷な話ね。」
「私の知り得ている事なんて歴史の一部にすぎないの、でも、例えそんな一部であったとしても、私にはどうする事も出来ない。変える事も、歪める事も、守る事さえもできないの。正直に言うわ、私は、小五郎の最期を知っている。いつ、どのようにして彼を失うかを知っている・・・最後の言葉も、知っている。でも、それは口にしてはいけない。縋ってもいけない、止める事は許されないの。私が本当に幾松になっているのならば、私達は生涯実子には恵まれない。私は彼の最期を看取って、その数年後に死ぬことになっている。でも、実際に死ぬのかはわからない。現世に戻るのかもしれないし、本当に死ぬのかもしれない。未来にいるもう一人の私が死ぬのかもしれない。私は、私が何者なのかもわからない・・・今までずっと流れを変えない様にひっそりと陰で時間が過ぎるのを待ってきた。あなた達と出会って一緒に暮らしたあの一年だけが、私の時間移動の中で唯一誰かと生きた時間だった。」
「かわいそうなお姉ちゃん・・・」
ハルちゃんは、切なそうに目を細めてつぶやいた。
「何も知らずに、お兄ちゃんの側にいてほしいなんて言った私は、すごく残酷だったわ・・・お兄ちゃんを愛すれば愛するほど、変えられない運命の流れに苦しむだけだと言うのに、すごく、勝手な事を言った。」
「ハルちゃんは悪くないわ、私が自ら幾松になる事を選んだのよ。小五郎と共にいたいから。」
「誰が何の意図をもって私達とお姉ちゃんを巡り合せたのか・・・もし、お姉ちゃんじゃない人が幾松だったら、お兄ちゃんはその人のどんなところに引かれたのか、お姉ちゃんじゃなかったら私達は数日前の祝言を、あんなにも祝福できていたのか、わからない。お兄ちゃんがお姉ちゃん以外の人を連れているなんて想像もできない。私のつたない頭じゃその意味を計り知る事も出来ないのだけれど・・・お姉ちゃん、話してくれて、ありがとう。」
ハルちゃんの言葉に、涙がこぼれた。
「お姉ちゃんほど人の痛みがわかる人はいないわ、お姉ちゃんほどたくさんの苦しみを知っていて、強くて賢くって思いやりと愛情にあふれる人はいない。お姉ちゃんならきっといい母親になってくれる、正次郎を立派にしてくれる・・・正次郎は立派になるわ。」
女同士ってだけでどうしてこんなにも言葉が素直にあふれて来るんだろう・・・
きっと小五郎にも言えてない事もたくさん言っている。
「正次郎はきっと今日の日を持ってお兄ちゃんの戸籍に入るわ、そうなればあの子は私の子ではなくなる。お姉ちゃん達が両親になる。不思議ね、寂しいとか、そんな思いはそれほどないの。手元を離れた後はしばらく喪失感に襲われるかもしれないけれど、それでもきっと、二人に渡したことを後悔することはないわ。」
「ごめんなさい・・・ハルちゃん・・・」
私は思わず謝っていた。
どの様にしても小五郎とその妻には子供は出来ない運命だから、どこかで養子を得る事は必然的な流れだしそうだったんだろう。だとしても、ハルちゃんから奪う事はなかったのかもしれない。これは、本当に歴史の一部なのだろうか。
「やだ、謝ったりしないでよ、人攫いじゃあるまいし。」
ハルちゃんは笑ってくれる。
「それに、あなた達夫婦はこの家に白糸を養子として出している。物々交換みたいなもんよ!」
ちょっとちょっと・・・馬と一緒にしないで上げてよ。
この時代の女たちは本当に強いわね。
「白糸はいい子よ、本当に賢くって良い馬だわ。近所の子供たちがね、白糸目当てで遊びに来るの。最初はどの親たちも怖がってやめさせようとしてたけど、最近は誰も来やしないわ。白糸は絶対に子供に傷をつける様な事はしないし、むしろ白糸が見ていてくれた方が安全だって思えるの。面白いのよ?井戸や私達が危ないって思う様な場所には絶対に子供を近づけたりしないの。木に登ろうとする子供を引っ張って下ろしたりもしてくれるのよ?それでも手におえないと私や大人を呼びに来る。まるで馬の姿の中に人間が入っているみたいなの。」
「小五郎とも話をしていたのよ、白糸は自分の事を馬だとは思ってないんじゃないかって。」
「思ってないでしょうねぇ、明らかに二人が娘としてかわいがり過ぎたのよ。」
「そうかもね。」
そんな事も、もう何年前だろう・・・
一日一日が濃くて、同じ一日なんてなくって、毎日が思い出で、東京で暮らしていた時間とは全く違う。毎日同じことを繰り返していて、気が付いたら年が変わっていて、そんな毎日とは全く違うの。
そんな日々を忘れない為に日記をつけておくべきだったかもしれない。
そうか、だから昔の人達は日記を付ける習慣があったんだ。何とか日記なんて書物がいっぱいあった気がするわ。今日今目の前にいる人間に明日会える保証はないから、現世の私達の様に十年後二十年後を誓い合って別れるなんてことはありえないんだ。
明日、ハルちゃんが死んでしまうことも、あり得るんだ。
「正次郎にはお父さんとお母さんは二人づついるって言うつもりよ。良蔵さんもハルちゃんもあの子にとっては両親、もちろん私達もそう思ってもらえるように努力するわ。彦太郎も兄のまま、兄弟は兄弟のままよ。」
「ありがとう、お姉ちゃん。」




