夢恋路 ~青年編~29
【桂小五郎】
春が来た。
夕刻の茜色の空の下、藩邸内の桜もだいぶ咲いてきて趣深いね。こんな気分のときは姉さんのところにでも行きたい。
と、思っていたら・・・春の嵐参上!!!
ドタドタドタドタドタドタドタ!!!!
この足音・・・まさか!
「小五郎―さーん!!!!!」
「晋作!?」
なんで!?
えっ!!?
思っている最中に、晋作が飛び込んできて、いつも通り僕はひっくり返された。
「なんで!?何してんの晋作!!?」
この前帰ったばっかじゃん!
半年ぐらいしか経ってないけど!?
なんで江戸にいんの!?
「俺腹減ったよ!おリョウさんとこに夕飯食いに行こう!!」
「えっ!?はっ!?」
「さっ、行こう!!!」
「ちょっと待って!僕今帰って来たばかりだよ!?」
今さっき出先から帰って来たばかりなんだけど!?
「じゃ、腹減ってるでしょ!?」
うん、まぁ・・・じゃなくって!
「じゃ行こう!」
ちょっとぉぉぉぉぉ~!!!
晋作は僕の腕を引いて走った。
【おリョウ】
・・・あれ?
なんか、こっちに走ってくる・・・
夕刻の掃き掃除をしていたら、見慣れた、久しぶりの光景が・・・
「あれは、晋作!?」
あれ?
こんなに早く帰ってくるもんなの?
この前今生の別れみたいなことしなかった?
小五郎がだいぶ迷惑そうな顔して引きずられている・・・
もちろんいつも通り、晋作君は勢いを殺しきれずに私に飛び込んだ。
「お帰りぃ!!!早かったのね!」
そしてすぐさま小五郎が私の腕の中から晋作を引き離す。
「おリョウさん!俺腹減って!」
相変わらず元気だねぇ~。
「はいはい、何か用意できるか聞きましょう。」
「ごめんね姉さん、」
「女将も喜ぶと思うわよ、挨拶してきたら?」
「はい!行ってきます!!」
そう言って晋作はバタバタと中に入って行った。
「・・・ねぇ、小五郎君?」
「・・・はい。」
「こんなに早く、帰ってくるものですか?」
「たぶん、違います・・・」
「よ、ねぇ。」
片道一か月もかかるのに、半年で帰ってくるってことは最長でも賞味4カ月しか長州滞在期間はない訳で・・・そんなに緊急で大切な任務をあの子が仰せ使うとは思えない。
「・・・逃げて、来たかね?」
「たぶん。」
うそでしょ・・・
とりあえず、ご飯の時に聞かないと・・・
とんでもない事になってなきゃいいんだけど・・・嫌な予感が。
はぁ~・・・
私と小五郎は二人同時にため息をついた。
板前さんが早上りと言うことで、何故か私が夕飯を作る事になり、空いている間を借りて三人で食事をした。
やっぱり新作と平助は似ている・・・何でこうも何日も食べていない様な勢いで食べられるんだろう?
「さすがだね!おリョウさんの方が料理美味いや!」
・・・方、が?
「あら、それは誰と比べてるの?ご実家?」
ガツガツ食べる晋作を私と小五郎はちょっと遠目で見ながら同じものを食べていて。
私のこの何気ない一言が、晋作から暴言を引き出した。
「いや、雅に比べて。」
雅・・・?
はて、誰の事かな?
小五郎を見たけど、小五郎もわからないと首を振る。
「雅さんって誰?お母さん?」
「あぁ、俺、結婚したの。」
ぶっ!!!!
小五郎が味噌汁を吹いて、私は箸を落とした。
「・・・なん、ですって・・・?」
私と小五郎は呆然と、未だおいしそうに夕食を食べている晋作を見つめた。
「うん、帰ったらね、祝言が用意されてた。おかわり。」
「・・・ほんと、に?」
小五郎が完全に手を止めて、私は晋作から目を放さずにご飯をよそって渡した。
「うん、年始に。」
うそ・・・
「どこの娘さんなんだ・・・?」
「井上平右衛門さんちの次女。」
「・・・えっ、なんでそんな大縁談が・・・?」
井上さんって、どちらさま?
大縁談って・・・偉い人ん所の娘さん?
「俺はまだ結婚する気なんてなかったんだよ?三十過ぎてからでいいって言ってたんだけど・・・でももう決まっちゃってたんだもん、仕方ないからさぁ。」
「ねぇ、この時代結婚っそうやってするの?」
「場合によると思うけど・・・さすがにここまで強引には・・・」
小五郎は未だに信じられないという様な顔をしている。
私だって、信じらんないわよ・・・こんな、まだ子供が夫ですって!?
・・・ん?
ちょっとまって?
年明けに結婚して、今ここにいると言う事は・・・?
「ねぇ、晋作、あなた何でここにいるのよ?・・・雅ちゃんは?」
そうよ!
新婚生活ってのがあるでしょ!?
雅ちゃんは!?
「お前、まさか・・・・・・」
小五郎も気が付いたみたい・・・
そうよね、そうよ!
何で今、新婚の夫がここにいんの!?
「面白くないから、出てきちゃった。おかわり!」
もう、私達二人は、唖然としていて・・・言葉さえ出て来なくて・・・
強制結婚には落ち着かせようとする意図があったのかもしれないけれど、この男を結婚させた両親が間違いだったと、本気で思った。
残された雅ちゃんって・・・
「ねぇちょっと!雅ちゃんどうするの!?置き去りにしてきちゃったの!?」
新婚早々旦那に逃げられた女の気持ち、どんなもんだか!
私のイラついた言葉に相変わらず晋作はひょうひょうと答える。
「んー、大丈夫じゃん?雅んち俺んちよりも上だし、でっかい家だから帰ってんじゃん?」
呆れた・・・
「かわいい子だったけど初対面だし、そもそも結婚する気ないんだから一緒に暮らせっても無理でしょ!?だから出てきた。ごちそーさま!おリョウさん料理上手だね~!」
・・・・・・。
何てことを・・・
「小五郎さんとおリョウさんは結婚しないの?」
晋作のこの言葉に私達は顔を見合わせて、思わず二人一緒に
「まだ、いい・・・」
息ぴったりで、そう言った。
本当は、いつもならばきっと、結婚したいけど・・・晋作を見ていたら、そんな気が失せたわよ。
私と小五郎は、顔を見合わせて・・・今日何度目かの溜息をついた。
はぁ~・・・
何てことよ、本当に・・・
私は小五郎でよかったって、思うしかないわねこりゃ。
それから日を重ね、以前みたいに毎日誰かがって訳にはいかないけれど、週に一回ぐらいは四人のうち誰かの顔は見る事が出来た。
今はそれで満足しているし、それでもまだ賑やかな方だと思っている。
歴史が日々少しずつ動いていると思うと、日一日ごとに何かが変わる気がした。
いつ、戦乱の世になるのか
いつ、新撰組が発足するのか
いつ、坂本龍馬が現れるのか
そしていつ、私はこの世界を去るのか・・・
京には幾松さんがいる。
小五郎が幾松さんに出会ったのなら、私のこの時代での役目は完全に終わる。
その時点で、私はどうしたらいいんだろう・・・
常に懐に忍ばせているこのクシは、主を変えることになるのだろうか・・・
時代が急に動き出したのは、この翌年からだった。
ある朝
「姉さん!姉さん!!」
小五郎が慌てふためいて走り込んできた。
年が明けてから久しぶりに会って、この騒ぎは一体何!?
「ちょ!?どうしたの!!」
私にぶつかるように走り込んできた小五郎を受け止めて、一体どうした!?
「ヘンリー・ヒュースケンが!!!」
「ヒュースケンが、どうしたの・・・」
「昨日!!殺された!!!」
・・・えっ、なに!?
小五郎は息を切らして言葉を続ける。
「昨日、夜、善福寺に帰る途中、斬られて・・・」
めまいがした。
また刀ですって・・・?
私は思うより早く飛び出していた。
「ちょっと!姉さん待って!!」
右も左もわからないけれど、とりあえず宿を出て走った。もう会ってはいけないんでしょうけど、私の中ではそれどころじゃなくて、ハリスは!?ハリスは無事!?
走る私の右側から、小五郎が追い付いて手を取る。
「こっち!」
私達は必死に走った。
数年前に歩くだけでもやっとでボロボロになった道を必死で走った。
何度も転びそうになったけれどその都度小五郎が手を引いてくれて、必死で走って、善福寺に着いた。
善福寺は、以前の様な静けさはなく、騒がしくなっていた。
しかもそれらはすべて日本語ではなく・・・私も聞いたことのないような外国語。
フランス語の様にも、聞こえる。
「お前等何者だ!」
突っ込んで行った私を警備の男が止める。
「放して!中に入れて!!」
「姉さん落ち着いて!!」
「何者だ!斬るぞ!!」
「放して!!Harris!!Harris!!」
私の叫びに警護をしていた男が目を丸くした。
「姉さん!!!」
小五郎が私を止めている、でも、私の耳には入らない。
すると、奥から見た事ない外人が出てきた。
『何事だ!』
『ヒュースケンは!?ヒュースケンに会わせて!!』
「姉さん!!!」
英語で叫ぶ私に、門番が刀に手をかけたその時
『ハリス!!!』
ハリスが中から出てきた。
ハリスは近くの男に言葉をかけ、その男は私の方へとやって来て、門番の男に声をかける。
すると男は私の前から一歩放れて、私は中に走った。小五郎がそんな私を追いかけてやって来る。
『おリョウ・・・』
『ハリス!!!』
私はハリスに抱きついた。
ハリスも私を優しく抱きとめてくれる。
『ヒュースケンは!ヒュースケンは!?』
『落ち着くんだ、おリョウ・・・』
『ヒュースケンはっ!!!』
私は叫び続ける。
ハリスは困ったような悲しい顔をして、私を見た後に、小五郎を見た。
ハリスは小五郎に小さく頭を下げ、私の肩に手を回す。
『ここでそんなに叫んでは余計騒ぎが大きくなるだけだ、中に入りなさい。連れの男も中に。』
ハリスのその言葉に私はハッと我に返って小五郎を見た。
どうしよう・・・小五郎を、連れてきちゃった・・・
見られていたらきっと、まずい・・・
『さぁ、早く。』
そう言ってハリスは私の背を押して、私は思わず小五郎の手を取って中に入った。
中には見た事のない外国人がたくさんいて・・・改めてとんでもない所に来てしまったと思った。
小五郎が完全に固まっている。
私も、固まってしまいそう・・・
『ハリス!こいつらは何だ!』
『刀を持っているじゃないか!』
英語以外は何を言っているかわからないけれど、フランス語と、ドイツ語かな?あともう一つは、わからない・・・
『彼女達は私とヒュースケンの友人だ、心配ない。』
『友人だと!?日本人がなぜ英語が話せる!』
『お願い、ヒュースケンに会わせて・・・』
私はハリスに、そしてここにいるすべての外国人たちに懇願した。
ハリスはまるで、事を確認するかのように小五郎を見たけれど、小五郎は全くその意味がわかっていない。
『こっちだ。』
『ハリス!!』
男たちが叫ぶ声が聞こえたが、ハリスは私の背を押して小五郎にも来るように促した。
小五郎は叫ぶ外国人たちに深く頭を下げ私とハリスの後を追ってきた。
『ここだよ・・・』
そう言って、ハリスが開けてくれた部屋の中に、ヒュースケンは寝ていた。
「姉さん・・・」
小五郎が、呼んでいる・・・
私はとぼとぼと、ヒュースケンの元へと歩いて、枕元に座って、青白くなってしまった顔に触れた。
その顔は、とても冷たくて・・・涙があふれた。
「どうして・・・」
涙が止まらなくて、どうしていいのかわからなくて、泣く事しかできなかった。
こんな異国で、一人で、こんなに若いのにかわいそうで・・・かわいそうで・・・悔しくて・・・
小五郎が来てくれて、私を抱きしめてくれた。
「こんなの、ひどい・・・・・」
小五郎が私をより強く抱きしめる。
そんな私達の所に、ハリスがやって来て、屈んで私達に手を添えだ。
『どうして・・・、どうしてこんな事に・・・何があったの・・・』
『こっちの侍は、言葉がわかるのか?』
私は首を振った。
『そうか、彼は昨夜、プロイセンの使節宿舎からの帰りに侍達によって斬り殺されたんだ。』
『ひどい・・・』
『さっきの部屋にいた彼らはイギリス・フランス・プロイセン・オランダの大使だ、彼らは今日中に江戸を離れ幕府に正式な抗議を行うだろう。』
『また、誰かが死ぬの・・・?』
『大丈夫だおリョウ、そんな事はさせない。』
『なぜヒュースケンは、殺されなければならなかったの・・・』
『いいか、おリョウ・・・、これが今の日本なんだよ。』
私はその言葉に、小五郎に抱きついたまま顔を上げて、ハリスを見上げた。
涙は止まらないけれど、ハリスをじっと見つめた。
『君の時代ではどうかわからないが、今のこの国には大した法もなく、命を奪う事で大義を果たす様な国なのだ。相手の命を奪い、自分の命を捧げ、罪や責任は命を代償として良しとされている。この国は、人としての秩序だけでぎりぎり保たれてきた国だ。私はそんなこの国を美しいと思っている。それは美徳で、私が見てきたどんな国の中でも日本の人々は内側から豊かで誇るべき民族だ。しかし、他国から見れば何も知らないこの国の民は十分に利用価値がある。己の価値も、この国の価値も何も知らず、言いなりになってしまってはこの国はあっという間に滅んでしまう。すでに海外の国々は強力な軍隊を持っている。そんな軍隊に、この国の民は刀で挑もうとしているんだ。』
難しい言葉が多くて、半分ぐらいわからなかったけれど・・・ハリスは優しい顔で、私の頭を優しく撫でた。
『あの男たちの事は私に任せなさい。この国に悪いようには絶対にしない。約束をしよう。ヒュースケンの事も、決して悪い様にはしない。だから、安心しなさい。』
ハリスはそう言って、そして小五郎を見た。
『あなたが、おリョウのフィアンセですか?』
小五郎は突如自分に向けられたハリスの言葉に呆然としていた。
『おリョウ、通訳を。』
ハリスのその言葉に私は小五郎を見て、答える。
「私の婚約者かと、聞いているわ・・・」
小五郎が私を見て、数度瞬きをして、私はうなずいた。
「いえす・・・」
小五郎のこの言葉にハリスが笑う。
『おぉ!答えられるか!おリョウ教えたな?』
『えぇ・・・』
『喜べヒュースケン、またしても我々の言葉がわかる者が増えたぞ!』
その明るい口調に、止まっていた涙が再び溢れた。
「なんて?」
小五郎が私の背を擦りながら、問いかけた。
「英語がわかる人間な増えて嬉しいって・・・ヒュースケンに報告したの。」
「・・・そう、」
『フィアンセ、君の名は?』
「名前はって、聞いてる・・・」
その問いに小五郎は少し迷った顔をして、そしてしっかりと答えた。
「まいねいむいず、こごろう・かつら」
「ワタシハ、ダウンセント・ハリスデス」
その片言の言葉たちに、私は泣きながら吹き出すように笑ってしまった。
「上手よ、二人とも。VeryGood!」
ハリスも小五郎も笑った。
『小五郎に聞いてくれ、君はこの国を変える者か、と。』
その言葉に私は思わず固まった。
そんな私を見てハリスは言葉を続ける。
『彼は驚いてはいるが我々を見て引けを取らず、君と私の会話を聞いてもさも当然の様な顔をし、つたないながらも英語で答えた。この男は何らかの形で国家に関わっている、違うか?』
どうしよう・・・
どうしたらいい・・・?
これは、言っていい事なのか、言ってはいけない事なのか・・・
「姉さん、どうしたの・・・?」
小五郎が私の異変に気が付いて声をかけてきた。
どうしよう・・・どうしたらいい?小五郎・・・
私は思わず、怯えた幼子の様に小五郎にしがみ付いてしまった。
はっはっは!
そんな私の不安を払拭したのはハリスの笑い声で、私にはもはや意味がわからない。
『心配するなおリョウ!さっきも言ったが私はこの国が好きだ、悪い様には決してしない。ただ、聞きたいだけだ。返事をするかしないかは彼に任せる。ぜひ、聞いてくれるかな?』
これは、小五郎が試されているんだ・・・
「小五郎・・・?」
「なに?」
「ハリスが・・・、あなたはこの国を、変える者かと、聞いているわ・・・」
この言葉に小五郎は一瞬驚いた顔をした。しかしすぐに、小五郎はまっすぐにハリスを見つめ・・・
「いえす」
そう、はっきりと言い切った。
ハリスはにっこりと笑い、そして数歩私達から下がると再び膝を付き、その大きな体で正座をして・・・上手に土下座をした。
私と小五郎は驚きすぎて固まってしまう。
『この国とおリョウを、お願いします。』
「姉さん、なんて・・・」
「この国と、私の事を頼むって・・・」
私の言葉を聞いて、小五郎は私の体をそっと避けて、きちんとした態度で土下座をしてハリスに深々と頭を下げた。
「承知いたしました。ぜひともお任せ下さい。」
『任せて下さいと、言ってるわ。』
私はハリスに通訳した。
二人はほぼ同じタイミングで顔を上げて、しばらく間が開いてから、私達は大笑いをした。
「あなた達、何やってるの!?」
『ハリス、あなたまで何やってるの!?』
『小五郎はいい男だな、実に頼もしい。』
『えぇ、自慢の夫よ?』
「なんて?」
「教えなーい!」
「えっ!?どういう事!?」
私と小五郎のやり取りを見てハリスが笑う。
『教えてやらないのか?』
『まだ早いわ。』
「なに!?なに!!?」
『こりゃ完全に上下が付いているな。』
はっはっは!
ハリスが笑う。
『さぁ、二人とも、もう帰りなさい。長い事ここにいては不審に思われる。』
私は小五郎を見上げた。
そうだ、この男をここに長居させるべきではない。
『小五郎は武士だろう、ヒュースケンは薩摩の武士に斬られている。これ以上彼がここにいる事は他の者達に良い感情を与えない。』
「薩摩・・・?」
小五郎がその単語に反応した。
『以前の様に裏から出るんだ、できるだけ人目につかない様に。』
『わかったわ・・・』
私は立ち上がり、再びヒュースケンに向かい合った。
まるで蝋人形の様なヒュースケン、つい数年前に会った時は、インテリで固い男と思っていたけれど、それでもそれは生きているからこそ思える事で、死んでしまって、話もできなくなってしまってはそんな事を思う事も出来ない。
両手を頬に添えて、指の腹で頬をなでるも私の熱は吸い取られていくだけ。
『ごめんなさい、許してね・・・』
私はヒュースケンの額にそっと唇を付けた。
私の頬から落ちた涙が、ヒュースケンの頬を伝たい、さも彼が泣いている様だった。
私は小五郎に肩を抱かれた状態で立ち上がり、あの裏口に立った。
もう二度と会うことはないと思っていた男に、私は再び会っている。私の素性を知っているアメリカ人・・・
『今度こそ、お別れね。』
『そうだな。』
『ヒュースケンの事、日本の事・・・よろしくお願いします。』
私は深々と頭を下げた。
『元気で。』
私とハリスはハグをして別れを惜しんだ。
『小五郎、君とはどこかで再び会えると信じているよ。』
そう言ってハリスは右手を差し出した。
そしてその手を、小五郎が右手で強く握った。
「ご武運、お祈りいたします。」
二人は互いに言っている言葉はわかっていないはずなのに、確実に通じ合っていた。
善福寺からの帰り道、重い足取りの私を小五郎がずっと支えてくれていた。ほとんど何も話さずに、小五郎は私を江戸川屋に連れ帰ってくれた。
「姉さん、ハリス公は最後、何て言ったの?」
最後・・・
「あなたとは、小五郎とはどこかで再び会えると信じているよ・・・って。そう、言ったわ。」
国政の場で・・・きっとハリスはそう言いたかったんだと思う。
「そう・・・」
小五郎はとても神妙な面持ちだった。
「ハリス公は、姉さんの事、良く知っているの・・・?」
この問いは未来から来たことを知っているかと聞いているのよね・・・
「知っているみたい、私、十代の時に、二十代の彼に会っているみたいなの・・・私の方は記憶はないけれど、彼の目の前で消えたそうだから、私だと思うわ・・・」
「そうだったんだ・・・」
「彼は私をタイムトラベラーかと言ったの。」
「たいむとらべらー?」
「時間旅行者よ。」
「時間旅行・・・・」
「冗談じゃないって言ってやった、私は被害者よって・・・」
「そうだったんだ・・・」
ハリスはきっとヒュースケンにも話していないでしょう、知っているのはきっとハリスだけ。
「さっき、薩摩って、言ってたけど・・・」
これは、言ってもいいのかな・・・
「薩摩藩士がやったんだね?」
「・・・・・・・・・・」
私の口からは言えない。
「大丈夫だよ言って、もう、ほとんどわかっている事だから・・・」
小五郎の言葉に私はうな垂れる。
「そう・・・言っていたわ・・・」
「やっぱり・・・」
小五郎が頭を抱えた。
「ヒュースケン公の事は、僕からも謝る。斬った側は、僕達とは思想が違うけれど、過激な討幕派だ。姉さんの大切な人までこんな事になっちゃって・・・巻き込んでしまって申し訳ない。」
小五郎が謝る事じゃない・・・
「大丈夫よ、小五郎、あなたが謝る事じゃないわ・・・」
「でも、また刀で・・・」
「そうね・・・」
そう、また刀で・・・
でも、ハリスの言う通り、これが今の日本の現状なんだ。
今の日本人は、この現実以外の世界を知らないんだ。そして、この現実に皆それぞれなんだかの不満や思想を持っておかしいと思い始めている。きっとこれから先、もっと荒れる・・・
「小五郎、」
「なに、」
「この国を、変えて・・・」
「わかった。約束する。」
この日から小五郎は二週間ほど来なかった。
そして、久しぶりに会った小五郎は・・・
「・・・一体、どうしたの。」
疲れ切っていて、痩せていた。
「はははっ、」
乾いた笑を浮かべているけど・・・えっ、ちょっと、どうしたの!?
しかも、この一緒にいる人二人は・・・誰!?
「桂様、早く中へ。」
「えっ、ちょ!?どうしたの一体!?」
「では、夕刻にお迎えに上がります。」
「えっ!?何!?」
男二人は小五郎を私に押し付けて、出て行った・・・
その途端にがっくりと江戸川屋の玄関口に仰向けで倒れ込む小五郎、どうしちゃったの!!!!?
「ちょっと!小五郎!!何があったの!?」
「どうしたのおリョウちゃん・・・って桂様どうなさったんですか!?」
女将がやってきてボロボロで転がっている小五郎を見て叫ぶ、小五郎はへへっと笑った。
「おじゃましてます、女将・・・」
「お邪魔してますじゃないわよ!どうしちゃったのそんなに痩せて!おリョウちゃん、早くお部屋に連れて行ってあげなさい!」
「はい、」
私と女将は小五郎を担いで引きずって、私の部屋へと連れ込んだ。
部屋に着くなりごろんと転がる小五郎・・・ちょっと、本当にどうしたの!?
「ちょっとおリョウちゃん、どうしたのこれ!?」
「わからないですよ・・・」
「とりあえず、あなたは桂様の側にいて差し上げあげなさい。」
「はい・・・」
そう言って女将は出て行って・・・小五郎は電池が切れたようにひっくり返っている。
「どう、したの・・・マジで?」
「・・・マジぃ・・・?」
私の言葉に小五郎が薄目を開けて、笑う。
「本当にって言ってるのよ?」
「ちょっといろいろありまして・・・投獄、されちゃってました。」
「投獄!!!!?」
「ははは・・・」
めまいがしたよ・・・
小五郎が這って私の膝に頭を乗せてくる。
「あんまり寝てなくて・・・ちょっと寝かせてね。」
そう言うと小五郎は私の膝に抱きつくようにして、寝てしまった・・・ってちょっとぉ!こんなに中途半端な説明じゃ余計に気になるでしょ!
でも、この幸せそうな寝顔を見たら・・・後でもいいかって、思った。
ちゃんと、私の所へ帰って来てくれたんだから・・・
【桂小五郎】
はぁぁぁぁぁ、もう、あれは取り調べなんてもんじゃないよ、尋問と脅迫だよ・・・
疲れた・・・
死んじゃうよ・・・
何とか藩士たちにわがまま言って江戸川屋に連れて来てもらって、奉行所には僕は病気だってことになってるから、宿で療養って事にしてもらって・・・
でも、よっぽどボロボロなんだろうなぁ・・・姉さんと女将があんな顔で見るんだから。
そんなに痩せたのかな・・・?
水戸浪士の若者の件が最もだけど、ヒュースケン公の事件のせいで僕が目を付けられて投獄されたなんて知ったら、姉さん怒って奉行所に乗り込みそうだよ・・・で、僕を救う為に全部ぶちまけちゃいそう。
そうしたら姉さんは投獄どころじゃなくなっちゃうんだけどなぁ・・・
まさか、善福寺から出る所を見られてたなんて・・・
取り繕うの大変だったんだぞー・・・・
だから、姉さん、今はここで寝かせてね・・・膝ぐらい借りてもいいよね?
今日は絶対に帰らないんだから!!!
【晋作】
「あれ?小五郎さんは?」
帰ってきたら小五郎さんがいない。
まさか、また奉行所!?
「伊藤君、小五郎さんはまた奉行所?」
「いいえ、今江戸川屋でご療養と言うことになってますので、そろそろお迎えに上がろうかと。」
「ふ~ん、じゃぁ迎えに行かないでいいよ。」
「えっ、でも?」
「いぃいぃ、行かなくって。」
おリョウさんとこだったら置きっぱなしでいいや。
「でも、奉行所からお声がかかったら・・・」
「夜中に呼び出しなんてあるもんか、居場所がわかってりゃいいんだろ?なんも問題ない。」
「本当に、大丈夫ですかね・・・」
もう、伊藤君は心配性だなぁ!
「だーいじょうぶだって!名目は病気療養になってるんだ、おリョウさんところで預かってもらってることにしとけ!何かあったら俺が責任とるからさ!」
どうせ今頃、本当に病気療養状態だろ?
迎えに行くなんて野暮なことしなくていいよ。
「あっ、伊藤君。」
「はい。」
「誰かを江戸川屋に走らせて、明日の朝に迎えに行くから預かって置いといてって伝えて来てね、朝メシの後に迎えに行くって。」
「わかりました。」
伊藤君はそう言って僕の前を去って行った。
どーせ、今頃ひっくり返ってるよ。
さすがの小五郎さんも、あんなに苛酷じゃぁね。
おリョウさんに任せちゃおーっと!




