夢恋路 ~青年編~16
【桂小五郎】
翌朝
明けない夜はないんだと、思い知らされた。
晋作が姉さんを見ている間に風呂に入って顔を洗って、昨日の痕跡を全て落とした。
食べたくはなかったけれど食事も済ませ部屋に戻ると、晋作は部屋の隅に腰を下ろして姉さんを見ていてくれた。
「・・・何が、あったんだよ。」
晋作の言葉は静かで、まるで水面の様だった。
「僕が、姉さんを信じなかったばっかりに・・・僕が悪いんだ・・・」
「そんな事は聞いてない、何があったのかって聞いてるんだよ。」
晋作の言葉は平坦だった。
「お雪から恋文をもらって、姉さんが僕を、お雪に売ったと思って、言い合いになって・・・それで、それをお雪に聞かれて・・・」
晋作が無言で僕の前にやって来て、おもむろに僕の襟を掴んで・・・
ばきっ!!!
僕の顔を殴った。
「だからぁ!おリョウさんを信じてやれって言ったろ!?なんで信じてやんないんだよ!?あんたが信じてやらなきゃ誰がおリョウさんを信じるんだよ!お前はそんなに頭が悪い奴じゃなかっただろ!!?」
よろめいた僕の襟を掴みあげて叫ぶ晋作、最もだ・・・
今の僕は、殊の外姉さんが絡むと、とても頭が悪い・・・
「どうすんの、おリョウさんの事・・・きっとしばらく、いや、ずっとかもしれない、まともじゃいられないと思うよ・・・?」
そう、思う。
少なからず、もうここにはいられないだろう・・・
「なぁ、晋作・・・」
「ぁんだよ、」
「長州に、帰ろうと思う・・・姉さんを、長州に連れて行こうと思うんだ。」
長州に行けばハルもいる。
ハルの子供もいるし、父も、姉さんが仲の良かった親戚や周囲の人たちがいる。江戸の様に慌ただしい日常じゃなくてもっと静かな生活がある。
何より、姉さんが長州での日々を望んでいた。
「・・・そうだね・・・それがいいと思う。」
晋作がどかっと座った。
「・・・おリョウさん、この前とは全然違う顔をしてるね・・・。」
この前、ハリスたちと会った後に倒れた時は安らかで、まるで寝ているようだったけれど、今の姉さんの顔はまるで違う。血の気もなくって、まるで死んでしまっている様だった。
あの真っ赤な血は姉さんの物で、本当は斬られたのは姉さんなんじゃないかと思える様なその姿・・・
僕は、姉さんまで殺してしまったのだろうか・・・
「おリョウさん、どうして気を失ってるの?」
「江戸川屋で首に刀を突き立てて自害しようとして、僕が懐に入って剣を払って、柄で・・・」
「さすが、小五郎先生。お見事だよ。」
そんな事はない・・・
現に姉さんは首を斬ってしまったのだから・・・首に巻かれた包帯が、痛々しくて・・・胸が潰れそうだ。
晋作は立ち上がり、僕の肩に手を置いた。
「好きなだけいろよ、今のあんたに誰も何も言わないさ・・・」
そう言って晋作は部屋を出て行った。
ただただ、姉さんを見ていた。
そして願った。
ただ、目覚めてくれさえすればいい・・・
例え、もう笑ってくれなくても・・・
例え、僕の事を忘れていても・・・
僕は、姉さんの側にいるから。
姉さんを手放したりしないから。
だからお願い・・・
お願いだから、その目を開けて・・・
お願いします・・・・・
昼過ぎ
晋作からお雪の遺体が奉行所から返されたと言う知らせを受けた。
姉さんを置いて行くのは心苦しいが、僕は砂川屋に行かなければならない。
僕は、姉さんの事を晋作に頼んで藩邸を出た。
おばあさんに何て言えばいいんだろう・・・
おばあさんは憔悴してはいないだろうか・・・
床に伏してはいないだろうか・・・
突然唯一の身内である孫のお雪を失って、正常である訳がない。そんなこと、わかりきっている・・・どんな罵声を浴びせられても、例え斬りつけられたとしても僕に抵抗は許されない。
でももし許されるのであれば・・・生きていたい・・・姉さんと、生きていたい・・・
生きていたい?
何てわがままだ・・・
お雪だってそう思ったはずだ・・・
お雪だって、生きていたかったはずなんだ・・・
夢が、あったはずなんだ・・・
辿り着いた砂川屋は、静かだった。戸は閉まっていて物音すら聞こえない。入る事がためらわれて店の入り口でたたずんでいたら江戸川屋の女将がたまたま表に出て来て僕に気が付いた。
「桂様!」
僕は深く頭を下げた。
「おリョウちゃんは・・・?」
僕は口を結んで、少しだけ左右に首を振った。
「そう・・・」
女将は察してくれてそれ以上は聞かなかった。
「おばあさんは・・・」
「憔悴してはいるけれど気丈なものよね・・・それが余計に不憫だけれど。」
僕は、どんな言葉をかけるのだろう・・・?
「私も知らなかったんだけどね、ここ、たたむ予定だったそうなの。おばあさんのお国にある呉服屋さんでお雪ちゃんは奉公が決まっていたそうでね、」
そう言えば姉さんが、お雪が奉公に出るって言ってたっけ・・・
「だからお雪ちゃんは火葬にして、おばあさんが連れて行くそうよ・・・」
火葬・・・火葬とはこの時代では珍しい、きっとそのお代は女将が手配するんだろう。
僕も援助させてもらいたいけれど、それ自体が無粋で、自己満足のためだと言う事は十分に心得ている・・・とりあえず一言、おばあさんに謝らなければいけない・・・
「さぁ、中に入って。」
女将に促されて中に入る。
中はとても静かで暗くて、耳が痛くなるほどだった・・・ここには茶屋特有の甘いの香りはなく、香っているのは線香の香りだけだった。
お雪は、布団に寝かされていた。
その顔は・・・なぜか安らかだった。
姉さんの方がよっぽど死んでいるみたいだ・・・
僕は、お雪の前で座わっているおばあさんに向けて膝を付き、深く、深く頭を下げた。僕には敷居をまたぐ権利はなくて、部屋に入る権利はなくて、土間の足元で頭を下げた。
おばあさんはしばらく黙っていて、線香の煙はまっすぐに上に上っていた。
「・・・おリョウさんは、」
おばあさんの細い声が聞こえた。
「桂様、おリョウさんは、ご無事ですか・・・?」
僕は少しだけ頭を上げて、でも頭は下げたまま答える。
「姉さんは・・・その、」
「お雪を抱えて下さっていたと聞きました、おリョウさんはご無事ですか・・・?」
おばあさんは僕の方を見る事はなく、そうつぶやいている。
「姉さんは、まだ、目を覚ましてはおりません・・・この度の事、自分の責任です。どんな仇を討たれましても文句は申しません・・・大変、申し訳ありませんでした・・・」
僕は再び頭を床に付けた。
「桂様、刀という物はなくならないのでしょうか・・・」
「・・・・・」
「なぜ、見ず知らずの者が見ず知らずの者を殺めるなどと言う事が起こり得るのでしょう。」
刀を持つ身分として、剣を教える者として、心の痛い言葉だった。
「平和な世とは、どのような世を申すのでしょうね。」
平和な世・・・それは、姉さんの生まれた世界・・・僕は、その世界を創らなくてはならない。
「桂様・・・」
「はい・・・」
「ぜひ、平和な世を、訳もなく刀などで傷つく者がありませぬ世を・・・お創り下さいませ・・・」
そう言うとおばあさんは、僕に向き深く頭を下げた。
僕はもう二度と、こんな辛い思いをしたくないと思った。
そして、もう二度と、誰にもこんなに辛い思いをさせたくないと思った。
人が人を傷つけ合って許されるはずがない、傷つくのは必ず弱い立場の人間・・・なぜ同じ人間なのに立場や身分があるのだろう?皆等しく同じ権利はあるはずだ。家柄や貧富、男女と言う別がなぜあるのだろう。女だって、姉さんの様に賢い人間はたくさんいる。皆が平等で、自由で、そして規律がある世・・・それこそが僕が創らなければならない世なんだ!
「お約束します!」
そんな事、言い切っていいのかわからないけれど、僕は言い切っていた。
「必ず、この世を変えて見せます!必ず・・・お約束します!!!」
そうだ・・・僕にはその責務がある・・・
「どうかお見届け下さい!必ずや刀のない世を創り上げて見せます!お約束します!」
葬儀はやらないと女将は言っていた。人には告げずに静かに火葬に出し、半分は両親がいる寺に、半分はおばあさんが持ち帰るのだと。
僕は女将に再び江戸川屋に顔を出すことを約束してその場を去った。
そして、帰りに昨日の医師を訪ねるために足を向けていた。
そのためにはあの現場を通らなければならなくて、胸か痛かった。
でも、あの高松と言う医師にはお礼を言わないといけない。彼が来てくれなければ、あの場は混乱をきたしていただろう・・・
もうじき、あの場所だ・・・息が、苦しくなる・・・
地面の一部には蓆が掛けられていて、お雪の現場が直接見えないようになっている・・・
僕は、その前にしゃがんで、蓆をめくった。
こんなに、血が出ていたんだ。
あの暗闇で、お雪の状態はわからなかったけれど、これだけの血が流れていたら即死でもおかしくないのに。それでもお雪は、最後の力で姉さんに言葉をかけた。
こんなに血が出るほど斬られて、それでもお雪は意識を繋いでいたんだ。
どれほどの苦痛だったことか・・・
なんて、健気なんだろう・・・切腹の方がずっとましだ。
「お侍さん、知り合いかい?」
通行人の商人の男が声をかけてきた。
「えぇ、よく知った・・・娘さんです。」
僕はしゃがんだまま、その男を見る事もなく答える。
「そうかい、かわいそうだったねぇ・・・」
男はそう言って立ち去った。
僕はお雪の現場に手を合わせ、高松と言う医師を探した。
お雪の現場から筋に入ってすぐのところに診療所があった。小さな診療所で、老女がそこから出てきた。ここ以外他に診療所はなく、僕は中へと入って見た。
高松さんは玄関先で別の老女と話していた。
「あっ、あなたは・・・」
僕に気が付いて声を出す高松と言う若い青年に、僕は頭を下げる。
「ばあちゃんすまない、お客だ。」
「あぁはいはい、じゃまた来ますね。」
老女はそう言うと僕に軽く頭を下げてその場を去った。僕の目の前に立つ高松さんは、ちょっと不思議な格好をしていた。白い長い、何て言うか、羽織の様なものを着ている。
医師と言っていたが、僕より若いように見える。
「昨日は、大変お世話になりました。」
僕は深く頭を下げた。
「昨夜はご不運でした。お連れの方は、大丈夫でしたか・・・?」
「あの後、意識を失って、今もまだ・・・」
「そうですか・・・」
「昨夜は先生のおかげで助かりました、ありがとうございました。」
僕は再び頭を下げる。
「桂様、でしたっけ・・・、僕はあなたに一つ、嘘を付きました。」
「嘘?」
嘘?
あの場で、あの状況で嘘なんてつけるのだろうか・・・?
「実は僕、医者じゃないんです。」
・・・えっ、何て!?
高松という男は僕ににっこりと笑っている。
どういう事だろう・・・?
「僕は医師になるために江戸に勉強に来たばかりで、医師を志していると言った方がいいですね。」
「でも、ここは・・・?」
「僕は明日までの留守番で、頼まれた患者へ頼まれた薬を渡しているだけです。手伝いをする代わりに下宿してると言う身分なんです。」
そうなのか・・・
「昨夜のことは本当にお悔やみ申し上げます、何と言いましょうか・・・助けて差し上げられず・・・」
いや、お雪は彼が来た時にはもう絶命していたはずだ、彼は悪くない・・・
「いいえ、あなたは悪くありません。どうかご立派な医師におなりください。」
僕は再び礼を言い、藩を目指した。
街並みの木々はもうだいぶ色付いていて江戸の秋も終わりが近い事がわかる。
姉さんと激的な再会をしたのは夏前で、まだ数か月も共にいないのに・・・どうしてこんなにもたくさんの事が起こっているんだろう。
もう何十年も共にいて、ずっと一緒にいた様にさえ思えて、離れる事なんて考えた事もないほどに近くにいて・・・
やっぱり、長州に帰ろう。
その方が姉さんの為だ。
姉さんが目覚めたらすぐにでも準備しよう、旅慣れない姉さんとだからきっと通常より時間がかかる・・・
馬も手配した方がいいかな・・・姉さんを乗せて僕が引けばいい。
馬の扱いは長州でも慣れているしね・・・って言っても、怒らせることばかりだったけど。
藩邸に帰り、焦る心とは裏腹な足取りで姉さんの部屋に向かう。
戸を開けて見る部屋で、姉さんは寝たままだった。晋作は部屋のすみに座って僕を見上げた。
「おかえり、見たままだよ。」
「そうか・・・」
僕は姉さんの横に座る。姉さんは相変わらず、血の気の引いた顔色をしていた。
「砂川屋の、おばあさんは・・・?」
「江戸川屋の女将が付いてくれている、お雪のお骨をもって国に帰るそうだ。」
「って事は、火葬に出すの?」
「あぁ、女将が手配してくれている。」
「そっか、ここには、いられないよね・・・」
「あぁ・・・」
僕達はしばし黙って姉さんを見つめた。
「ねぇ、おリョウさんは、おばあさんに会いたいって、思うかな・・・」
「会いたいと思う、でも、会ったらきっと、また同じことをすると思う・・・」
会わせてやりたい。
会わせて、抱き合わせてやりたいと思う・・・でも、そうしたらきっと、次はないと思うから。
姉さんの首に刀が当てられる光景はこれで二度目で、次こそはもう、その首は繋がってないと思った。
だから、会わせない方がいいと思う・・・
おばあさんは、会いたいのかな。
「俺も、会わせない方がいいと思うんだよね・・・」
かわいそうだけどそれがいい・・・
本人が強く希望したのなら、その時に考えよう・・・
「目が覚めたらすぐ、長州に行く?」
「あぁ・・・そうしようと思う。」
「そっか・・・」
晋作が寂しそうな顔をした。
この数か月を想えばそんな顔にもなる。
この数か月はとても変化のある、本当に楽しい日々だった。旅に出ると言う事は今生の別れになる事を覚悟しなければならない。もう二度と、会えないかもしれない可能性を秘めているんだ。
「晋作、馬の手配をしたいのだが・・・」
「馬?馬子を付けるの?」
「いや、僕が引くよ。」
「小五郎さんが!?」
晋作が驚きのあまり声を上げる。そんなに驚く事ではないのだけれど、武士と言う身分が晋作にそう言う顔をさせるのだろう。長州にいた時は馬だって牛だって引いたと言うのに。
「見ず知らずの人間を付けたくはないんだ、姉さんが混乱するかもしれないからね。それに、草履で数刻歩いただけで姉さんの足はあの様子だ、あまり歩かせるのも酷だろう。」
「おリョウさんの時代は草履で歩かないって事なんだろうね。」
「そうだろうね。」
そう、晋作も姉さんの素性を知っている。
だからこそ、姉さんの事をこんなに気にかけてくれている。
「小五郎さん一人で大丈夫?道中長いよ?俺も、行こうか?」
「お前はダメだろ、藩命で来たばかりじゃないか。怒られるぞ?」
晋作はちょうど姉さんと同じ時期に江戸に来たばかり、今帰って見ろ・・・怒られるじゃすまない。
それは本人が一番よくわかっているんだろうけれど、心配してくれているのもよくわかる。
「あーあぁ、小五郎さんもおリョウさんもいなくなっちゃうのかぁ~・・・つまんなくなっちゃうなぁ~。俺も長州行きたいな~。」
・・・・・まぁ、晋作の性格からしたら、そうだよね。
「宗次郎も、寂しがるんだろうね。」
そうだ、ここにもまた、心を痛める子がいた・・・
あの子もきっと、姉さんを探すだろう。
「あの子には文を書くよ、女将に持たせる。」
寂しがるだろうな・・・宗次郎君・・・後見人の話までしていたのに。
「・・・まぁ、何にせよ、おリョウさんが目を開けてくれなければ始まらない話だけどね・・・」
そう言って晋作は立ち上がる。
「馬の事は聞いておくよ、とりあえず何かあったら呼んで。」
晋作は部屋を出て行く。
日中の藩邸は静かだ、皆藩内業務だったり道場に行っていたり、勉学に勤しんでいたり、歩いている足音さえ聞こえない。たまに上がる晋作の叫び声以外は・・・
僕は戸を開けて部屋を開け放った。
こもった空気は重苦しくって、こんな中じゃ姉さんは目を開けない気がした。
姉さんは明るい陽の光の下が似合うんだ・・・
冷えて澄んだ空気にまっすぐ橙色の夕陽が射している、僕は空を見上げて一息ついた。振り返っても姉さんは目を開けてくれなくて・・・
そんな姉さんが目を開けてくれたのは、夜だった。
姉さんはまるで、からくり人形の様に突然瞳を開けた。そして、瞬きもせず、じっと天井を見つめていた。
「姉さん・・・?」
僕は姉さんを覗き込む。
しかし、姉さんはじっと上を見たまま、こちらに向いてはくれない
・・・やはり、壊れてしまっているのかな・・・
「姉さん、僕だよ。小五郎だよ・・・わかる?」
「・・・こごろう・・・?」
姉さんの瞳がやっとこちらを向いた。
「そうだよ、ここは長州藩邸なんだ。」
「・・・ちょうしゅう・・・」
「そうだよ、僕や晋作が暮らしている場所だよ。」
「・・・・・・・」
姉さんは再び視線を上に向け、目を細めた。
その美しい顔には表情がない、僕が、奪ってしまったんだ・・・
人間と言うのは勝手なものだ。
さっきまでは目さえ開けてくれればいいと思っていたのに、いざその目が開くと今度は声が聞きたいと望む。声を聞けば今度は会話をしたくなり、元の様になってほしいと望む・・・
僕は姉さんに、どうしても元の様になってほしいと思っていた。
「姉さん、ずっと寝ていたんだよ?」
「・・・・・・・」
「外に、出てみようか。」
僕は姉さんの体をそっと起こす、姉さんには全く意思が感じられず、僕にされるままに体を起こした。
僕は手を引いて姉さんを立たせ体を支えながら戸口までゆっくり歩き、そして中庭に連れだした。
ふと横に立つ姉さんに目をやる。
女である姉さんに僕の浴衣は大きくて、裾を引いて歩く姿はまるで打掛を着ているようで・・・こんな事を今この場で思うのは不謹慎なんだろうけれど、美しい・・・
白地に黒い格子柄の男物なのに、姉さんが着ているとどうしてこうも色っぽく見えるんだろう。頭がおかしくなったのは僕なのかもしれない・・・
「姉さん、一緒に長州に帰ろう。ハルに会いに帰ろうか、」
「・・・はるちゃん・・・」
「そうだよ、ハルに会いに帰ろう、ハルの子もいるし・・・きっと、今の姉さんにはその方が良いと思うから・・・」
「長州に、帰る・・・?」
姉さんが、僕を見上げた。
「そうだよ、時間はかかるけど、一緒に帰ろう。向こうで少しゆっくり過ごそう・・・」
じっと僕を見上げている姉さんは、まるで本当に記憶自体がないような瞳で僕を見つめている。
「ねぇ、小五郎・・・」
「うん、なぁに。」
「あなたも、人を殺すの?」
驚くと言うよりも衝撃の方が強かった、きっと一時的に僕の心臓は止まったと思う。
その言葉に僕は、心底ゾッとした・・・
「あなたも・・・人を殺すの・・・?」
腰に剣を付けている事を後悔した。こんなものを付けて、殺さないと言ってもなんの信憑性もない。
それ以前に、今の姉さんには信じてはもらえない・・・
僕のわがままで、剣によって、姉さんの大切な妹の命が消えたのだから・・・
「ねぇ・・・あなたも、誰かを殺すの?」
姉さんは僕の袖をつかんで縋ってくる。
「姉さん、落ち着いて。」
「ねぇ、小五郎も人を殺すの!?」
「姉さん、」
「ねぇ!!!」
涙を流して僕を強くゆする、僕は今にも暴れ出しそうな姉さんを抱きかかえて抑える。
斬りたくない・・・でも、それを誓えるのか?
例え姉さんを守るためであっても、決して剣を抜かないと約束できるのか?
この剣は護身のため、それを、今後永遠に抜かないと、誓えるのか・・・?
姉さんは泣きながら僕に答えを求めている。
もしここで誓えなかったらきっと、僕は姉さんを一生失うことになる・・・だったら、誓おう。
僕は泣きわめく姉さんを強く抱きしめる。
その腕の中でもさらに喚いている姉さん、姉さんを救えるなら僕は何だってする。
それが、償いだから・・・
「誓う、約束する!絶対にこの刀は抜かない!絶対に人には向けない!約束するから・・・安心してほしい。」
姉さんは暴れるのをやめて、じっと僕を見上げている。
僕は、笑った。
「僕を信じて?絶対に人を斬らない。でも姉さんの事はちゃんと守るよ?それも約束。」
姉さんはひとしきり僕の胸で声を上げて泣き続けた。
抱き上げて部屋へ戻して、膝の上に姉さんを置いて泣き疲れるまでずっと抱えて・・・時折呼ぶお雪の名に、僕の心は締め付けられた。
この世界では辻斬りなんて珍しい事じゃないかもしれない、人間が死ぬことも、珍しい事じゃないかもしれない。戦や病で多くの人間が命を落とす、それもまたこの世界では日常だ。
でも、姉さんの時代ではどうなんだろう。
姉さんの時代では人が争いで命を落とすことも病で落とすこともないのかもしれない・・・
いや、あったとしてもお雪の件は別だ・・・
姉さんは、自分のせいでお雪が命を落としたのだと思っているのだから・・・まともでいられるわけがない。
僕が謝って、済むような事じゃないんだ・・・
「例え歴史が変わったとしても、僕は姉さんを守ります。それが償いになるとは思っていないけれど、僕がこの世界を変えて見せます。姉さんが明日、僕の前から消えてしまったとしても、僕は風になって、陽になってあなたの側にいると誓います。あなたの命は決して、消さないと、誓います・・・」
姉さんは再び、泣き疲れて眠ってしまった。
早く長州に向かおう。
明日、皆に話をしよう。
僕は遅くまで、宗次郎に文を書き、今日もまたそのまま姉さんの横で寝てしまった。
【晋作】
「ふぁぁぁぁぁ~・・・・えぇっ!?」
俺の目覚めの悪さは有名だけど、今朝は一発で目が覚めた。
理由はおリョウさんが、中庭に向いて廊下に座っていたからで・・・えーっと、小五郎さんは?
ふすまが開いていて、その奥で小五郎さんが床に転がっていて、おリョウさんは僕の方を見る事もなくただ座っていた。いつもならきっと僕を見上げて笑って声をかけてくれるのに・・・なんだか、寂しい。
「おリョ~ぅさん?」
僕はできるだけ明るい声で声をかけて、その横に座った。
おリョウさんは黙って僕を見つめる、記憶まで、なくなっちゃったかな・・・
「俺、晋作だよ?わかる?」
「しんさく・・・」
「そうそう、晋作。忘れちゃった?」
おリョウさんは再び遠くを見てしまった。
だめだこりゃ、完全に壊れちゃった・・・っとにもう!小五郎さんのせいだからね!!!
「晋作君、わかるよ・・・・」
「良かった、記憶がなくなっちゃったかと思ったよ。」
この場合記憶がある方が、残酷なのかな。
「思い出したくない事が、多すぎるの・・・」
そうだよね。
思い出させちゃったかな・・・
「おリョウさん、長州に帰るんでしょ?」
「・・・うん・・・」
「そっか、それがいいね。小五郎さんが一緒なら心配ないね。」
「・・・うん・・・」
「そっか、じゃぁしばらく会えなくなっちゃうね、」
「・・・うん・・・」
おリョウさんは遠くを見たまま相槌の様な返事だけを僕に返してくれる。
素直に、本当に寂しいと思った。
こんなおリョウさん、見たくない・・・いつもの様な余裕めいた笑顔で僕を嗜めてほしい。
「・・・そっか・・・行っちゃうんだね・・・」
「・・・うん・・・」
そっか・・・
「早く元気になって帰って来てね、じゃないと道場からの帰り道がつまらないからさっ。」
「・・・うん・・・」
その返事に意味が全くない事ぐらい、俺だってわかる。
「行く前にもう一度、おリョウさんの笑顔が見たかったな!」
「・・・・・・」
俺は努めて明るく、そう言って笑った。




