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夢恋路 ~青年編~17

【桂小五郎】

目が覚めてそこに姉さんがいないのを見て跳ね起きた。ふと見れば戸が開いている。慌てて立ち上がれば姉さんは縁側に座っていて、その横には晋作が座っていた。

寝起きの悪い晋作がきちんと着替えているところからすると、僕を起こしに来て姉さんを見つけたのかな。

晋作が一生懸命笑顔で話しかけているのがわかる、姉さんは・・・相変わらず表情がない。

「おはよう、姉さん、晋作。」

「あっ、おはよう小五郎さん。」

姉さんは、一度僕を見上げて、そしてまた黙って外を見つめた。

「小五郎さんを起こしに来たらおリョウさんが外に出てたから、驚いたよ。」

晋作が笑ってくれる。

晋作は立ち上がり僕のすぐ近くに来た、そして姉さんには聞こえない様に小さな声で僕に声をかける。

「早く朝の支度済ませてきちゃいな、食事は部屋に持って行けばいいでしょ?」

「あぁ。晋作、今日も少し、姉さんを見てもらえないかな、女将に挨拶に行ってくるよ・・・」

「あぁ、俺は構わないよ。」

そう言って晋作は姉さんをちらりと見た。

僕は姉さんの横にしゃがんで顔をのぞき込む、姉さんはずっとどこかを見ている。

「姉さん、ちょっと晋作といてね、すぐ戻って来るから。」

「・・・・・・・・」

僕はその場を晋作に任せて支度を急いだ。

姉さんは食事を口にはしないけれど、それでも何とか三人で食事の時間を済ませた。そして僕は昼前には晋作に姉さんを託して江戸川屋に向かった。

僕の登場に江戸川屋は大騒ぎになってしまった・・・そりゃそうだ、みんな、姉さんの事を聞きたいだろう。

僕はあの松の間に通される。

床の間に飾ってあった刀は兜に変わっていて、当然ながら血痕などどこにもなかった。畳も全部張り替えられて、梁は多分薄く削られている。これだけ大きな旅館だ、あの痕跡を残す事は出来ないだろう・・・お雪の事、おばあさんの事、旅館の事、きっととんでもない支払いをさせてしまったに違いない。

僕には到底払いきる事は出来ない様な金額なのだろう。

僕を待たせることなく女将は駆け込んで来て、これだけ大きな旅館の女将たるものがこれだけバタバタとやって来るのだ、どれだけの事か・・・

「桂様!おリョウちゃんは!?」

戸を開けての開口一番はそれだった。

僕は女将に頭を下げ、女将を中へと促す。

女将は部屋にやって来て戸を閉め、やっと腰を下ろした。

「この度はご迷惑をおかけしました。」

僕は改めて深く頭を下げる。

「お雪は、荼毘に付されたのでありましょうか・・・?」

「えぇ、昨夜のうちに・・・」

「そうですか・・・」

「初七日が終わったらお国に帰るそうよ、」

まだ、七日も経っていないんだ・・・

「あの、おばあさんは・・・」

「おばあさんの身元はしばらくこちらで預かるわ、本当はそのままこちらで預かっても構わないんだけど・・・やっぱり、いられないわよね。」

申し訳なくて、言葉すら出なかった。

姉さんや女将やおばあさんの事を思えば、僕は何て幼なく未熟なのだろう・・・

「おばあさん、桂様の事も心配されていたわ。気に病む事はないとくれぐれも伝えてほしいと・・・」

優しさという物がこんなに辛いと言う事を初めて知った。叱責された方が楽なのかもしれない。

「気に、病むわよね・・・」

女将の言葉に僕は小さくうなずいた。

女将はふっと息を吐く。

「気に病むなと言うのは無理よね、少なからず関わってしまったのだから・・・今回の事は事故よ、運が悪かったんだわ。お雪ちゃんがあんな時間に一人で出歩くなんて・・・私でも思わない事だもの。」

「・・・・・・・」

「桂様、これは私の主観だけどね、お雪はあなたやおリョウちゃんの事を悪くは思ってないと思うわ。私はお雪が小さなころから見て来ているけれど、もしあの子が何か思うとすれば自分の行いを悔いる事ぐらいだと思うの。自分のせいでお二人が言い合いをしてしまったと、思うぐらいだと思うわ・・・。」

僕は女将の言葉を黙って聞いた。

「昨日、文をもらったと言ってけど、大方恋文なのでしょ?お雪は字が書けるような教育を受けていないから、おリョウちゃんが代筆したんじゃない?それであなた達は言い合いになり、お雪はそれを聞いてしまった・・・違う?」

「・・・・・・」

「当たりって所ね、」

女将はため息をついた。

「ならばお雪はきっと・・・おリョウちゃんに代筆をさせた自分を悔いたでしょうね。もちろん桂様の事を慕っていたからこその恋文でしょうけれど、お雪にとってはあなたよりも、おリョウちゃんの方が大切だったはずだから・・・きっと、おリョウちゃんとあなたが口論になるきっかけを作った自分を責めたでしょうね。」

悪いのは、僕の幼さだ・・・お雪じゃない。

「昨日も言ったけどお雪は時機に奉公に出る予定だったのよ、おばあさんの国の呉服屋さんで決まっていた話なの。あなたへの文は身辺整理に近いものよ。きっと、伝えるだけでその役目は果たしたんだわ・・・結果なんて初めから、期待していなかったと思うわ。」

何て僕は愚かなんだ・・・高い教育を受けてきたと自負していたが、お雪よりもよっぽど考えなしだ。

「おリョウちゃんは、どうしてるの?無事・・・?」

「姉さんは、昨夜目を覚ましましたが・・・まだ・・・」

「そう・・・仕方ない事よ。」

しばらく僕たちは黙った。

そして、女将は茶を口にして再びふっと息を吐いて、言葉を続けた。

「あなた達は、どうするの?」

僕はしばし唇を噛んで、目を閉じて、その事を伝えに来たのだと自分を鼓舞した。

「長州に、連れ帰ろうと思います。」

僕の一言に、女将は本日何度目かの溜息をついた。

「そうね、それがいいかもね・・・」

女将はとても寂しそうだった。

「一度、故郷に連れ帰ろうと思います。砂川屋さんの事、姉さんの事、女将には多大なご迷惑をおかけしたままにこちらを去らねばならないお許しを、頂きに参りました。」

僕は深く頭を下げた。

「そうね、おリョウちゃんがいなくなってしまうのはこちらとしても手薄になるし、寂しい事ね。あなたたちや宗次郎君ももう来なくなってしまうかと思うと、毎日の騒がしさがなくなってしまって本当に寂しいわ。・・・待っていてあげるから、必ず帰って来て頂戴ね。」

「はい・・・お約束いたします・・・」

僕はこの一日二日でいったいどれだけたくさんの約束をしただろう。

どれも絶対に守らないといけない大切な約束・・・どれも僕にとって忘れられない約束。

「長州までとなるとだいぶ長い道のりになるわね、おリョウちゃんの足じゃ一体どのくらいかかるやら・・・」

「馬を手配しようと思っています、」

「馬?まさか、桂様が引くの!?」

「はい、僕ももとはといえば田舎の出ですから、馬ぐらいは引けますよ。」

「変わったお侍さんだわね。」

女将は、笑った。

「馬の手配は済んでるの?」

「いいえ、晋作に頼んではありますが・・・」

「晋作君かぁ、ちょっと信用ないわね。」

「・・・まったく。」

女将の笑顔に僕も思わず口元を緩めた。

「急いで立つの?」

「はい、できれば明日明後日のうちにでも。」

「なら紹介してあげるわ。」

そう言うと女将はさっと地図を書いてくれた。

「ここは献上品の馬を出すような良い馬場よ、馬の大きさも比較的しっかりしているし何より良い馬が多いって有名らしいの。家主は藤吉と言う男よ、私の名前を出したらすぐに通してくれると思うわ。早めに選んで置く事ね。」

さすが大きな旅館の女将だけある、顔が広いし情報が早い。

「ありがとうございます、助かりました。」

「急ぐ道じゃないでしょから、ゆっくり帰ったらいいわ。どうか、お気をつけて。おリョウちゃんをよろしくお願いします。」

女将が丁寧に頭を下げた。

「女将、一つだけ頼まれごとをお願いできませんか?」

「なんなりと。」

女将はにこりと頭を上げる。

「この文を、宗次郎に渡してはもらえないでしょうか。」

僕は懐から文を出し、女将の前に出した。

「姉さんを長州に連れて行く旨を書いています、病の療養と言う事にしてありますのでお願いできませんか?」

「お安いご用よ。」

「それと、宗次郎には僕の事は小五郎と言って下さい、桂と言う名は伏せていたいんです。」

「訳があるのね、わかったわ。」

女将は文をきちんと引き戸へとしまった。

「宗次郎君、寂しがるでしょうね。」

「はい・・・そう思います。」

「宗次郎君にも、すぐ帰って来ると伝えるから、ちゃんと帰って来るのよ?所帯を持つのはその後にして頂戴ね。」

「・・・・・・はい。」

女将はやはり女将だ。

例えこんなときであっても逞しく、粋だ。

人の上に立つ者とはきっと、こうでなければならないのだろう。

そう、教わった気がした・・・

僕は姉さんの荷物を全て受け取り、再び礼を言い、深く頭を下げて江戸川屋を後にした。

藩邸に戻ってみると人集りができていた。それは姉さんの部屋を覗くようにできた人だかりで・・・何があったんだろう?

「どうした?」

   シィィィィィー!!!!

「・・・・・・。」

がたいの良い男たち数人にそう言われて、複雑な気分だ。

ふと見ると、姉さんは縁側に座っていて、横には晋作・・・そして、小鳥のさえずる様なきれいな声が聞こえてきた・・・

これは・・・姉さんの歌声・・・

雨上がりの空を見ていた 通り過ぎてゆく人の中で

哀しみは絶えないから 小さな幸せに 気づかないんだろ

時を越えて君を愛せるか ほんとうに君を守れるか

空を見て考えてた 君のために 今何ができるか

忘れないで どんな時も きっとそばにいるから

そのために僕らは この場所で

同じ風に吹かれて 同じ時を生きてるんだ

自分のこと大切にして 誰かのこと そっと想うみたいに

切ないとき ひとりでいないで 遠く 遠く離れていかないで

疑うより信じていたい たとえ心の傷は消えなくても

なくしたもの探しにいこう いつか いつの日か見つかるはず

いちばん大切なことは 特別なことではなく

ありふれた日々の中で 君を

今の気持ちのまゝで 見つめていること

君にまだ 言葉にして 伝えてないことがあるんだ

それは ずっと出会った日から 君を愛しているということ

君は空を見てるか 風の音を聞いてるか

もう二度とこゝへは戻れない

でもそれを哀しいと 決して思わないで

いちばん大切なことは 特別なことではなく

ありふれた日々の中で 君を

今の気持ちのまゝで 見つめていること

忘れないで どんな時も きっとそばにいるから

そのために僕らは この場所で

同じ風に吹かれて 同じ時を生きてるんだ

どんな時も きっとそばにいるから


ふと気が付けば涙をこぼしている者もいた。

どうしてこんなに素直な言葉がこんなにも美しい声で流れるんだろう。

僕はそっと、姉さんの横に座った。

姉さんの向こうに座っていた晋作が僕を見て、優しく笑う。

「姉さん。」

僕の呼びかけに、姉さんがゆっくりこっちを向いた。

「今日はずっと歌っていたの?」

「・・・うん・・・」

「そうか、良い歌だったね。」

「・・・うん・・・」

晋作は黙って立ち上がり、立ち聞きしていた男たちの元へ行くと男たちを追い払う。

そして再び帰って来て座った。

「ねぇ、姉さん?」

「・・・・・」

「姉さんは、馬は好き?」

僕のこの言葉に、姉さんはゆっくりと小さく首をかしげた。

「晋作、馬の手配ってどうなってる?」

僕の言葉に晋作があっと口を開けた。

「あぁ、だったね。」

晋作が苦笑した。

・・・やっぱり。

女将に聞いておいて良かった・・・

「お昼を済ませたら馬を見に行かない?長州に帰るお伴だよ。」

僕が笑うと、姉さんの表情が少しだけ、動いた気がした。

「ねっ。馬を見に行こうよ。晋作も一緒に行くよ。なぁ、晋作?」

「えっ、あぁ、もちろん行くよ。」

「ねっ、だから湯に入って着替えちゃおうよ。」

「・・・わかった・・・」

「じゃ俺、湯の準備してくるね。」

そう言って晋作は走って行った。

僕は姉さんを部屋に通して、晋作が呼びに来るまで話しかけ続けた。

でも、おばあさんの事や江戸川屋の事、宗次郎への文の事は口にしないように心掛ける。追い詰める様な事は言わない方がいいと女将が教えてくれた。

姉さんの着物も全部引き取って来た。

晋作と少し話をしたけれど、姉さんは完全に壊れてしまっているのではなく、心を閉ざしてしまっているだけの様だ。だったら、姉さんの心が再び開くまで待とう。

僕にはそのきっかけを与え続けるしかできない。

昨日の今日でいつも通りになんて思っていない、長州について、少しでも時間が過ごせればまた笑ってくれるだろう・・・そう、思っていた。

姉さんを風呂に連れて行き、着物を渡して僕は浴室の前で待っていた。女の湯が長い事は心得ているけれど、今の姉さんの状況からしてあまり遅いと心配になる。

かと言って、いくらなんでも入っていいのだろうか・・・?

そんな事をあれやこれやめぐらせていると姉さんが出てきた。

・・・良かった、ちゃんと着物を着ている。

ちょっと、ほっとした・・・

いくらなんでも、女の人の着付けなんてできないよ・・・

ちょっと、細くなっちゃったかな、姉さん。

昼食は部屋で晋作を交えて、相変わらず何も口にしようとはしないけれど、お茶だけは口にしてくれた。

馬場の場所はちょっと歩くんだけどどうしようか。

「姉さん、馬場まで少し歩くんだけど、大丈夫?」

僕達だけだったらそう時間はかからないんだけど・・・馬場に行くための馬を用意しておけばよかったかな。

「まだ陽が高いし、帰りにおリョウさんを馬に乗せてくれば陽が落ちるまでには帰って来れるよ。急ぐ道じゃないしね。」

晋作がそう言ってくれるのがありがたかった。

季節がら歩くのもちょうどいい、僕たちは先を急がずにゆっくり歩いた。

町はもう冬の準備をしている、それは秋を感じさせる食べ物や彩であり、店先にはホウズキが並んでいた。

姉さんは周囲に目をはせる事もなく淡々と歩く。そのせいか思っていたよりも早く着いた気がした。

「・・・こんな近くに、こんなに馬っていんだ・・・」

「確かに、海側ってあまり来ないよね・・・」

そこは、海に向かう川沿いで、馬たちが自由に放牧されていて・・・江戸にこんなに馬がいたのかと思うほど、馬がいた。

「お侍さんたち、馬かい?」

僕達に声をかけてきたのは中年の男、僕たちは会釈した。

「藤吉さんでしょうか、江戸川屋の女将から紹介されました、馬を売っていただきたいのですが・・・」

「あぁ!江戸川屋さんか!それなら話が早い、良い馬を紹介するよ。」

そう言って藤吉さんは僕達を馬小屋に案内してくれた。

女将っていったい・・・何者?

「ここはうちで扱っている馬の中でも上等なものを置いている場所です。好きな馬を選んんでもらっていいですよ、女将さんのお連れならお安くしますから。」

馬たちは比較的温和そうだった、久しぶりに見た馬に僕達は気分が上がってしまい、晋作と藤吉さんと三人で話していて・・・姉さんを見るのを忘れていた。

ふと気が付けば・・・姉さんがいない。

「晋作・・・姉さんは!?」

「えっ!?」

藤吉さんも含めて周囲を見渡すと・・・姉さんは馬舎の一番奥の、何やら隔離された様な馬を見ていた。

「おい!危ないぞ!」

「えっ!?危ないって!?」

晋作が叫ぶ。

「あそこにいる馬は暴れ馬で、わしらでも触れないんだ!」

えぇ!?

僕達三人はあわてて姉さんの所に走った。

「姉さん!その馬には触らないで・・・・って、えっ。」

・・・・・。

姉さんは、その馬の鼻筋を撫でていた。

「なんだよも~、藤吉さん。脅かさないでよ!」

晋作が笑って姉さんの所に行く、すると馬は突然顔を晋作に向け噛みつこうとした。

「えぇっ!?」

そして馬は後ろ足で立ち上がり、威嚇を始める。

「だから、言ったろ!」

でも、姉さんは触っている・・・

綺麗な馬だ、尾花栗毛だけれど体の色は栗と言うよりもっと濃く栃栗毛、たてがみはほぼ白に近い。額の中央に白い星のある体の大きな牝馬。

「姉さん、危ないよ・・・こっちに来て、」

僕の声に姉さんはこっちを向いた、しかし姉さんは、馬から離れない。

「あの馬はあの通りの見た目だから、献上しようと思っていたんだが・・・なんせ性格が悪い。種馬にしようにも雄を負かしてしまって繁殖にも使えない。わしらも触れないからあそこにずっと置いているんだ。」

「でも、おリョウさんは触ってるよ・・・?」

そう、姉さんはまるで昔からこの馬を飼っていたかのように両手を馬の頬に寄せている。

「あの女は馬に慣れているのか・・・?」

「いいえ、そんな事は・・・」

「じゃぁ、何で?」

僕達がその光景に見入ってしまっていたその時、姉さんは馬舎の添え木を外して・・・中に入った!!!

「おい!本当に危ないぞ!!」

「姉さん!!!」

僕と晋作が馬舎の前に駆け寄った時・・・姉さんは馬の鼻筋をなてで、そして首に抱きついていた。

そして・・・

「この子がいい。」

そう言って、姉さんは静かに・・・笑った。

姉さんが笑ってくれた事は、嬉しいんだけど・・・・・いや、ね、この馬は・・・

「この子・・・出たいって言ってる。」

「おリョウさんは、馬とまで話すの・・・?」

晋作が僕を見上げるが、僕もそんなことわからないよ・・・

「姉さんあのね、その子は僕達じゃ触れないんだよ・・・他の子にしよう、ね?」

「この子がいい。」

「こ~りゃ困ったねぇ・・・」

晋作が苦笑した。

「あのね、姉さん、その子はとっても暴れ馬なんだ。だから旅には向かないよ、」

言っても、姉さんは聞く様子がない。

これは・・・姉さんに賭けるしかないのかな?

「・・・姉さん、その子を説得できる?」

「小五郎さん、何言ってるの・・・?」

僕だって、何言ってるのか自分でもわからないよ・・・でも、姉さんなら、なんとかするんじゃないかって、どこかで思ってるんだ。

僕は姉さんを信じてる・・・

「僕達がその子を触っても平気だっていうなら、その子にしよう。」

姉さんは僕を見て、小首を傾げ、馬に何かを言っている。

額を撫でながら優しく、何かを語りかけている。馬は姉さんの言葉に耳を向けているけれど・・・これは、馬の耳に念仏とは言わないのだろうか?

姉さんは馬の体を撫でながら・・・杭を外して出しちゃった!!!

一番狼狽えているのは藤吉さん、そして僕の後ろに隠れる晋作。

姉さんは・・・たてがみを握っただけの状態で馬を出してしまった・・・

「こ、この馬は何人もの人間を襲ってるんだぞ!?」

「ちょっとぉ!小五郎さん!!!?」

「・・・・・・・・。」

ど、どうしよう・・・

姉さんは、僕達の前で馬を止めた。

黒い目縁の、賢そうな馬・・・しかし体は汚れていてたてがみは伸び放題、本当に何も手入れをされていなかったのだろう。

馬は僕達に首を伸ばして匂いを嗅ぎだした。

固まる男達・・・それを見る女と牝馬、何て情けない光景だろう。笑いが込み上げてきた。

この時代、女が男を選ぶなんて聞いたこともない。

姉さんが、楽しそうに笑っていた。

僕と晋作は、顔を見合わせる。

そして僕達は馬に、触らせてもらう事が出来ました・・・

「なんだ!触れるんだったらこのまま献上品として出せるじゃないか!」

藤吉さんがそう言って馬に手を伸ばそうとしたその時!

   ガッ!ガッ!

馬は突然地面をかき始め藤吉さんに威嚇を始めた。

「あなたの事が嫌みたい。」

姉さんが藤吉さんに冷たい視線を送っている・・・

「小五郎さん、本当にこに馬にするの・・・?」

晋作はまだ信じられないと言う顔をしている。

・・・だって、仕方ないよね、約束しちゃったし・・・

「と、言うわけで藤吉さん、この馬をもらいうける事になりそうなんだけど・・・いくらかな?」

「そんな馬持って行け!!」

「えぇ!?くれるの!?」

晋作が声を上げた。

「あぁやるやる!持って行け!その代り絶対に返しに来るなよ!?」

「やったぁ!」

なぜか喜んでいる晋作だが・・・大丈夫だろうか?

しかし・・・目立つなぁこの馬は。こりゃ道中が思いやられる。

でも、姉さんの嬉しそうな顔を見て、そんな事はもはやどうでも良い事に変わっていた。姉さんが生き返ってくれるんだったら何だってするって、誓ったんだ。

帰り道、やはり人目を引くこの馬、ましてや装備も何もない裸馬を繋一本で持っているのだから・・・危険物所持で奉行所に訴えられそう。

ってか、この馬は本当に暴れ馬だろうか?

こんなに姉さんに懐いてぴったりと横を歩いているのに・・・?

そんなこの馬がその本領を発揮したのは藩に着いてからだった・・・

藩邸裏の馬舎に入れた途端・・・

   バキッ!!

・・・・・。

あっさり前足で、戸口を壊した。

鼻を鳴らして頭を振る馬、前足は地面をかいていて・・・明らかにやる気だ。

「ねぇ、本当に大丈夫?」

「・・・・・・。」

晋作の言葉に返事ができない。

「この馬、蔵とかつけられんの?」

「・・・・・・・。」

出発は少し先に延びるかもしれない・・・それを覚悟せざるを得なかった。

調教師が無口をはめようとした途端に飛び回る馬・・・これは困ったぞ。

馬は明らかにこちらを威嚇している、このままじゃ怪我人どころじゃすまないかもしれない・・・

死人が出ちゃうよ・・・

「それを付ければいいの・・・?」

突然背後からかかった姉さんの声に僕達は息を合わせたようにうなずいた。

姉さんは調教師から無口を受け取り・・・何事もなく、つけて見せる。

これは・・・余計に大変そうだ。

「この馬は手を焼きそうですね。」

調教師、苦笑・・・

「ねぇ、姉さん。この子に僕達が触っても大丈夫だって教えてあげてほしいんだけど・・・、じゃないとこの子を連れて行けないよ?」

「この子、洗いたい・・・」

これは、会話は成立したのかな・・・?

僕達三人は顔を見合わせる。

とりあえず、ここは姉さんに従った方がいいのかな・・・?

「じゃぁ、井戸端にでも行く?」

晋作が馬に近づいた。

「お嬢さん、触っても良いですか?」

そう言って晋作は、無口を掴む。

「おっ、いい子じゃん。」

馬は不服そうに耳を後ろに倒してはいるが、晋作に従っている。

「桂様、この馬はこちらが思っているよりもずっと賢いかもしれませんよ?」

調教師はそう言った。

そうかもしれない。

自分に対して害があるかないかを、誰が教えるわけじゃなく馬が判断している。

なんて気位の高い女だ・・・

「どうしてこうも、僕の周りの女たちは気が強くって賢いのか・・・」

本当に道中が思いやられる。

思わず笑ってしまった。

「僕も、触らせてもらおうかな。」

僕は調教師に頭を下げて二人と馬の後を追った。

ぎゃははははははははは~

晋作が大笑いしている。

僕達は上から下までずぶ濡れで、裾はぐちゃぐちゃ。一番ひどいのは晋作で、晋作は馬にちょっかいをかけるたびに首で押し払われてびしゃびしゃの地面に転がされていた。

馬は明らかに晋作をからかって、遊んでいる。

晋作もまた馬をからかって遊んでいる。

そして何より、僕たちにとって一番うれしかったのは、姉さんがずっと笑っていた事だ。その笑顔はまだ微笑程度で感情の大きな起伏は感じ取る事は出来ないけれど、表情が出てくれた事はすごくうれしい事だ。

洗い上がった馬は見違えるほどきれいになった。身体の土埃が落ち爪も手入れされて光沢が出た。そして何よりたてがみが一層白く見える。

僕達はずぶ濡れのまま縁側に座って仕上がった馬を見ていた。

「ねぇ、この馬名前付けないと。」

晋作が言う。確かに、ずっと馬って呼ぶのもどうだろう。

「・・・白糸(しらいと)・・・」

姉さんがすぐに一言、そう言った。

「いいじゃん!白糸!」

「良い名前だね。」

真っ白いたてがみはまるで絹糸のように輝いていて、まさにそのまま白い糸の様。

美しい名前だ。

「おーい、白糸!こっち!」

晋作の声に耳を立て、こちらに向かって歩いてくる白糸。この調子なら旅も問題なさそうだ。

   ・・・ドン。

「おぉっとぉ!?」

白糸は晋作を頭で押して転がして、それから僕と姉さんの間に顔を突っ込んだ。

姉さんはそんな白糸を実に愛しそうに優しく撫でている。

「なんか二人、ずいぶん好かれてるね。まるで二人の娘みたい。」

晋作なりの冗談だと思うが・・・なんだか悪い気はしない。

僕と姉さんの娘・・・叶わないとわかっていても、望んでしまうのはいけない事だろうか。

「姉さんは馬が好き?」

「好きよ・・・」

姉さんは、まだ平坦で感情が薄いながらも会話もしてくれるようになった。

今はまだ多くを望んじゃいけない、それでも十分な変化だ。

だって、もう二度と元には戻ってくれないんじゃないかって、思ったから。

「白糸に荷積みができて、鞍を乗せられるならすぐにでも出発しよう。」

そうだ、早く向かわなきゃ。

「鞍はいらない、私は乗らないから・・・」

姉さんの突然の言葉に僕たちは驚いた。だって、姉さんを乗せるための馬だよ!?

「おリョウさん、長州までってとんでもない距離だよ!?」

「そうだよ、道中は草履だし、また足痛めたら大変だよ?」

「鞍、いらない・・・」

「鞍がないと馬には乗れないよ!?」

姉さんはしばらく白糸を見つめ、何かを確認している様だった。そして立ち上がって、白糸の白いたてがみを握ると、ひょいと・・・・・・・乗ってしまった。

   ・・・・・・。

「えーっと、どうして?」

晋作と二人呆然とした。

だって、裸馬に乗るなんて、しかも何の訓練もうけていない馬に・・・?

姉さんは横向きに背に座り、白糸の首を軽く叩く。すると白糸はゆっくり歩き出し、姉さんは楽しそうにその背で平行を取り始めた。

「白糸、上手。」

よく見ると、姉さんは左手一本でたてがみをしっかりと握り、右手で白糸の右側を、足で左側を軽く打って方向を指示している。そして細かい指示はたてがみを引いて行っているようで、明らかに馬の扱いを熟知している。

白糸はぐるっと庭を回り再び僕たちの前にやって来て止まる。止まるときはたてがみを引いて止める姉さん。

「姉さん、どこで、馬の扱いを覚えたの?」

「長州・・・」

「えっ?」

長州でって、言ったよね?

「畑仕事や荷運びの帰りに乗った・・・」

姉さんは白糸の首に優しく抱きついて、愛しそうに頬を寄せながらつぶやいた。

・・・知らなかった。

「農耕馬って乗用馬じゃないから荒いんじゃない!?」

「そうね、何度も落とされたわ・・・」

「小五郎さん、知らなかったの?」

「知らなかった、」

「すげぇや、おリョウさん!」

晋作が大喜びしている。晋作はこういう遊びが大好きだ、きっと、姉さんと同じ歳で同じ時代に出会っていたら仲がいい遊び相手だっただろう。

二人が組んで遊びまわってしまったら・・・きっと僕一人じゃ手に負えない。

「ただの遊びよ・・・」

姉さんは降りて、白糸の鼻筋を撫でながら静かに言った。

「遊びでもすごいね。僕は裸馬には乗れないなぁ。これなら確かに蔵はいらないね。」

「俺もやる!」

そう言って晋作は白糸に飛び乗ろうとするが、さすがは白糸、見事に晋作を振り落とす。しかしその落とし方も怪我をさせる様な荒々しい嫌がり方ではなく、気位の高い女が求婚してくる男を身の振り一つでかわす様な、そんな仕草。

するりと腕から抜けては数歩離れた場所で晋作を見ている白糸、不満そうに尾を振っているが決して逃げたりしない。

「がんばれ晋作!」

僕はそんな二人のやり取りを見て笑う。

・・・すると姉さんが、僕の肩にもたれて来て顔を肩に寄せてきた。

僕はそっと片手を姉さんの背に回して、晋作と白糸の遊びを見ていた。

僕達三人はまるで兄弟の様で、この時間は一生続くんだと思っていた。いつか晋作が伴侶を得て、その妻やその子供と一緒に、今みたいに遊んでいるんだって、本気で思っていた。

今回長州に帰ったって、どうせすぐ会える。

また、こうやって笑って過ごすんだ・・・

翌日、僕たちは荷物をまとめてみたけれど、思いの外少ない事に驚いた。

姉さんの荷物が少なすぎる。

そうか、輿入れしてきた訳じゃないから、何もないのか。

あるものと言えば未来から持ってきた荷物と着ていた着物、そして、江戸川屋にいた期間中に買った着物が2着程度。僕の方が荷物は多いかな。

それより何より、みんながついでだからと持たせるものが多すぎる!

飛脚じゃないっての!

全てを籠に入れて白糸にくくってみたけれど、白糸はまるで気にする様子を見せない。気分良さげに足元の草を食んでいる。よくよく見れば体つきも思いの外しっかりしているし、もしかしたら白糸は思っている以上に良い馬かもしれない。

・・・この様子なら明日の早朝には出られそうだ。

姉さんは相変わらず、空を眺めている時間が多い。働き者で賢くて喜怒哀楽の豊かだった姉さん、こうしてしまった責任の重さを僕は日に何度も何度も思い知らされる。人が天寿を全うせずに死ぬと言うことは決して普通の事ではないのだと、だからこそ、この国を変えなければと思う。

お雪やおばあさんのためにも、姉さんのためにも・・・

姉さんは僕が国を変える人間の一人だと言った。

ならばもし、姉さんに会わなかった僕は、何を志に国を変えようとしたんだろう?

姉さんに会うこともなく、こんな事も起きなければ僕はどうして今の国を変えたいなんて大それた事を思ったんだろう。

・・・僕は、何者なんだろう・・・

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