返事
その日、どうやって自分の長屋へ戻ったのかおぼろげにしか覚えていない。
思い出すのは、英之助との抱擁だ。
縁談の話をしに行っただけだったのに、どうすればあんなことになってしまったのか。
文机にぼんやりと肘をついていると、若旦那さま、という善兵衛の声に我に返った。
「な、なんだ、どうした」
慌てて体を起こしてぶっきらぼうに答えると、一瞬間があって、善兵衛が襖を開けて中に入って来た。
「どこかお体の具合が悪いのですか?」
「は?」
どきりとしながらもとぼけて見せる。善兵衛は怪訝そうにじろじろと人の顔を眺めた。
「顔が赤いですぞ」
「えっ」
思わず頬を押さえた。
「夕餉もお代わりをなさらなかったそうで、うねが心配しておりました」
「なんともない、平気だ」
「そうでございますか?」
「いいからひとりにしてくれ」
いかがわしげな顔の善兵衛を追い出す。
善兵衛は言い足りない顔をしていたが、しぶしぶと出て行った。
そんなに自分は分かりやすい顔をしていたのだろうか。顔を撫でているうちに、また、英之助の腕の感触を思い出した。
息が止まりそうなほど強く抱きしめられた。英之助の腕は自分の力とは違って太く強かった。
「ああ……っ」
頭をかきむしって机にうつぶせになる。
「いかんいかん」
そう呟いては繰り返し、何度も英之助のことを思い出した。
当然、その夜は容易には眠れなかった。
それからお互い心を打ち明けてから、英之助は積極的になった。
「寄り道でもするか」
道場からの帰り道、英之助が言った。
「寄り道か。いいな、どこへゆく?」
小三郎が無邪気に答えると、英之助は苦笑して囁いた。
「よしの屋でいいか?」
料理茶屋の名前を出され、誘われていることに気づいた。
小三郎の頬が赤らむと、英之助は笑いながら肩を抱き寄せた。はたから見ると仲の良い二人に見えるだろう。英之助は人気がないとさりげなく手を握ったり、肩を抱き寄せたりした。英之助の熱い体に緊張を覚える。
「行こう」
促され歩きはじめる。前を歩く英之助が堂々としているので、恥ずかしくないのだろうかと疑問に思った。
「英之助」
「なんだ?」
「英之助は恥ずかしくないのか?」
「恥ずかしい?」
英之助が立ち止まって振り向いた。
「なにが恥ずかしいのだ」
「いや、その……」
「おかしな奴だな」
笑われて小三郎の胸は激しく波打っていた。隣を歩くのでさえ緊張しているのだ。息をするのも大変なのに、英之助は今までとちっとも変らなかった。
「店には伝えてある。芸妓は断ったから、二人きりだ」
「そ、そうなのか」
用意の周到さに舌を巻く。
「俺が断るとか、考えなかったのか?」
「お前は断ったりしないだろう」
英之助が当然のように答える。確かにそうなので言い返せなかった。
「早く二人きりになりたいよ、小三郎」
英之助の言葉に、小三郎はまっ赤になって立ち止まった。思わず、誰かに聞かれなかっただろうかとまわりを見まわした。誰もいないのを確認して、英之助に詰め寄った。
「お、お前、道のまん中でなんてことを言うのだっ」
小三郎が目を吊り上げると、英之助は楽しそうに笑った。
よしの屋は料理茶屋である。
以前、朋輩たちと来た時も思ったのだが、愛想のいい女中に案内されている英之助のさまを見ていると、よく来るのだろうか、と勘繰ってしまい、小三郎は顔をしかめた。
英之助を意識しだしてから見る目が変わってしまった。
自分より仲のいい男はいるのだろうかとか、女は嫌いだと言っているが、ほんとうに経験はないのだろうか、などと、みっともないことばかり考えてしまう。
座敷に案内され、酒肴が揃うと二人きりになった。
「静かだな」
小三郎は、自分の緊張を解こうと縁側に出て外を眺めていると、隣に立った英之助が指を絡めてきた。
「小三郎」
頬に息がかかる。小三郎は体が熱くなった。
「え、英之助……」
「いやか?」
「そ、そんなわけな……っ」
強がりのように聞こえたのだろうか。否定したが、英之助に笑われた。
「俺は早く二人きりになりたくて、一日、仕事が手に付かなかった」
英之助の口からそんな言葉が出るなんて驚きだった。
「お、俺だって、お前のことばかり考えていたよ」
「信じていいんだな」
「うん、信じてほし……」
言い終わらないうちに英之助が顔を寄せてくる。指で唇に触れてから、頬を寄せると口づけされた。
唇を吸われたまま右手が衿の中に入ってきて脇下を潜り背中をやさしく撫であげた。
初めてのことで息をするのも忘れてしまい、体が硬直した。
「きれいな肌だ」
「な、何を言って……」
こちらは息をするのもやっとなのに、英之助の大胆な行動に驚く。
強がって目線を上げると、英之助のひたむきな瞳が飛び込んできてくらりとした。再び唇を塞がれ、激しく吸われた。
恥ずかしさに声が出せなかった。ようやく息をしながら、英之助の手をつかんだ。
「ま……待ってくれ……」
それを聞いて英之助が笑った。
「それは難しいな。やはり、いやなのか?」
「い、いやというより……。おかしな気持ちになる。くすぐったいような、そんな感じがして……」
「覚えておくよ」
英之助はそう言ってあっさりと手を抜いた。
突然、自由になり小三郎はよろめいて縁側に手を突いた。からかわれているのだろうか、と睨めると、英之助の手が伸びてきて腕を引っ張られた。
「ここはまずいな。中へ入ろう」
「え? あ、そ、そうだな」
縁側にいたことを思いだす。
庭先に誰か入って来たらと思うとぞっとした。
入った時には気が付かなかったが、奥の座敷には衝立があり布団が敷かれてあった。
英之助はちらりとそちらを見たが、畳に座り、
「少し飲むか」
と聞いた。




