火照り
正直に云って小三郎は、酒はあまり強い方ではなかったが、布団が敷いていることを気にしている自分を浅ましく思われたくなかった。
「あ、ああ、飲もう」
大きく頷いて正面に座る。英之助が銚子を取って盃に注いでくれる。小三郎は一気に酒を呷った。
「おい、急に飲むと体に響くのではないか? 先に何か食べるか。腹は空いてないか?」
英之助の云った通り、腹の中が燃えるように熱い。
目の前にいる英之助の顔がぼんやりと見えはじめた。目をぱちぱちと瞬かせると、英之助が眉をしかめた。
「まさか……。お前、今ので酔ったのか?」
「酔ってなど……」
そうは云ったものの座っているのがせいいっぱいである。英之助がそばへ寄って来て云った。
「寄りかかれ」
「……すまん」
肩にもたれかかり目を閉じると唇に温かい息がかかった。気が付くと口づけされていた。
拒む力も出ず、おずおずと手を伸ばすと、英之助は承諾を得たと思ったのだろう、かすれた声で囁いた。
「このまま、構わないか?」
「……え?」
「夜具が敷いてあるが……」
困ったような声で英之助が云う。
「……構わない」
背中を抱きかかえられ、ゆっくりと仰向けに寝かされる。
「小三郎、好きだ」
「お、俺も……」
深く唇を塞がれ、舌をきゅっと吸われた。
顔がほてってきてうまく英之助の顔が見えない。帯がほどかれると胸のあたりが涼しくなる。
羞恥に頬を染める。気持ちがよくて頭がとろけそうになった。同時に目がとろりと閉じかける。
「小三郎……?」
英之助の呼びかけに答えたが、確かではなかった。
「おい、小三郎っ」
遠くで呼ばれている気がする。小三郎の意識はしだいに薄まっていった。
「すまん……。英之助……」
「気にするな」
英之助は許してくれたが、眠りこけた小三郎が目を覚ましたのは、一刻(二時間)ばかり経ってからであった。
一瞬、自分がどこにいるのか分からなかった。
気が付いたのは英之助の膝の上だった。英之助は、目が覚めた小三郎に一言、
「夕餉を食べ損なったな」
と云った。
英之助は怒ってはいなかったが、一緒に帰ろうと誘ってくれる顔を見ることが出来なかった。自分は少し酔いを醒ましてから帰るから、と丁重に断った。
先に帰ってもらい、あとから茶屋を出ると、空はすっかり暗くなっていた。
門限は酉の刻(午後六時)である。小三郎は急ぎ足で江戸屋敷に向かった。
走りながら小三郎は何度も自分に問いかけた。
なぜ、眠ってしまったのか。あれだけの酒で寝てしまうような弱い体ではなかったはずだ。
「すまん……英之助」
ひとりごちれば、空しさが身に沁みた。
暗い夜道、立ち止まり空を仰ぐと、英之助に抱き寄せられたぬくもりを思い出した。とたん、全身を震えが走った。
慌ててうつむくと早足に歩いた。
思い出すだけで恥ずかしい。
壁に頭突きしてしまいたい気持ちに駆られる。
英之助の声や指先を思い出すだけで、妙に緊張して息をするのを忘れた。
こんなぶざまな姿を見られているのかと思うと、たまらない気持ちになった。
「俺はなんて、なんて情けない男なのか……」
英之助が恋しくてたまらない。
離れると切に感じるのだが、いざ目の前にすると体は別の行動をとる。
くやしさに、空の星が涙で滲んで見えなくなった。
ぐいっとこぶしで涙をこすり、再び歩き出す。
次こそ、本懐を遂げてみせる。
この次こそは英之助を受け入れる、と小三郎は誓った。
自分自身を奮い立たせたが、しばらくすると知らずうちにため息が漏れた。
「はあ……」
何度目かのため息をついた時だった。
横丁から提灯を持った男が現れた。チラとその顔を見ると、英之助の守役、池上籐七であった。
小三郎より三つ年が上で、堅く引き締まった体と背筋の伸びた男である。顔は浅黒く岩のようにごつごつしていて、いつも怒ったような顔をしていた。
二人の距離が縮まると、籐七が立ち止まった。そして、
「柴山、少し話してもいいか」
と、呼び止められた。
「うん、なんだ?」
小三郎は足を止めて首を傾げると、籐七は辺りに人のいないことを確認して声をひそめた。
「若さまのことだ」
英之助の名前が出て、どきりと胸が騒いだ。
「……英之助がどうかしたか?」
「うん。近頃、若さまの出費が嵩んでいて、家人が大変心配しておる」
「そうか……」
小三郎はひやりとした。
支払いはいつも英之助がしていた。英之助は旗本の息子である。工面していたとは思いも寄らなかった。
「気をつけるよう云っておくよ」
小三郎がそう云うと、籐七はよほど心配していたのだろう、その言葉を聞いて安堵したように肩の力を抜いた。
「よろしく頼む」
「うん」
「柴山」
「うん?」
籐七はさっと右、左に目を走らせてから人のいないことを再び確認した。
「若さまはいずれ江戸家老になられるお方だ。あまり不謹慎な遊びばかりしておると、誰に吹聴されるか分からんぞ」
不謹慎という言葉を聞いて、背筋が凍った。
なにも云えないでいると、籐七はあごを引いて、
「御免」
と云って去った。
小三郎はのろのろと歩き出した。
顔は白く蒼ざめたままだ。そのとき、遠くの方で雷鳴が聞こえた。ぽつっと頬に雨の粒が落ちてきたかと思うと、小粒の雨が降りはじめた。
次第に大粒になった雨を避けるのも忘れて夜道を歩いた。




