めまい
江戸屋敷の長屋が続く塀を南へ進んでいくと畑が見えてくる。その先に吸江寺という寺が見えてきた。境内に人のけはいはない。
「あそこへ行こう」
英之助が鐘楼の向こうを指した。そこは本堂の裏手であった。
空は薄墨色になっている。吸江寺の裏は畑ばかりで深閑としていた。
前を歩いていた英之助は立ち止まると、ゆっくりと振り向いた。
「小三郎、俺は結婚をしないつもりだ。これまでも縁談は断っている」
「そうなのか」
拍子抜けした。
縁談は断っているというからには、いくつか話があったのだ。結婚しないつもりだという心づもりも初めて知った。
「どうして結婚しないんだ? お前ならきっと……」
結婚相手の話をしようとして言葉が見つからなかった。あたり前のことなのに、なぜか今日まで想像したこともなかった。
「小三郎、驚かないで聞いて欲しい」
「うん」
「お前じゃなければ打ち明けたりしない」
英之助が大切なことを云おうとしている。小三郎は固く頷いた。
「約束する。驚いたりしない」
そう云うと、英之助が頬を緩ませて薄く笑った。
「そんなに肩を張る必要はない」
「うん、分かった」
小三郎は少しだけ笑顔を見せた。英之助が静かに話しだす。
「俺は子どもの頃から人と違っていた。昔から、女が好きになれない」
「女嫌いか、そうか、俺も男といる方が楽だ」
「そうじゃないんだ」
英之助は笑った。その笑顔は苦しそうだった。
「色恋のことだ」
「色恋?」
「そうだ。俺は女を好きになることはできない」
小三郎は、一瞬、息をするのを忘れた。
「つまり、俺が好意を寄せる相手は男だけなんだ」
「相手は……」
「え?」
英之助が怪訝な顔をして小三郎を見た。
小三郎はごくりとのどを鳴らした。
「相手がいるのか?」
「……いる」
「誰だ?」
自分の声が震えていた。
「小三郎…」
「お前の好きになった男とは誰だ? 俺の知っている男なのか」
一瞬、目の前が真っ白になった。
英之助に愛されている男に嫉妬した。
女であれば仕方がないとあきらめたかもしれない。
だが、同性であると云ったとたん、英之助の想う男を憎いと思った。
胸をかきむしりたくなるような、そんな苦しい気持ちが込み上げてくる。
「小三郎」
「俺の知っている男か」
「……知ってどうするのだ、その男を斬るのか」
小三郎は目を見開いて、英之助を見つめた。そして、知らずうちに頷いていた。
「場合によっては斬るかもしれない」
「なんのために?」
答えるのが難しい。小三郎はきゅっと目を閉じて首を振った。
「分からない、お前が俺の知らない男を愛しているのかと思うと、胸のあたりがざわざわして、どう答えたらいいのか分からない」
「小三郎……」
目を開けると、英之助が両肩を強くつかんでいた。
「お前の言葉を信じていいんだな」
「英之助、俺はお前の邪魔をしたいとかそんな気持ちはないんだ。俺は……」
「俺が好きなのはお前だ、小三郎」
最初、なにを云われたのかぴんとこなかった。またたきをすると、英之助がほほ笑んだ。
「だから、俺が好きな相手とは小三郎のことだ」
「俺……を?」
「ああ」
ぐいと引き寄せられる。
「俺は幼い頃からずっとお前だけを見てきた。一生独身で生き抜くと誓って、お前をずっと見てきた」
熱い息が耳にかかる。全身の震えが止まらなかった。
「小三郎、震えている」
「いや、あまりに驚いて……」
「ああ……。だろうな、これまでずっと隠し通してきたんだ。いきなりこんなことを云われて驚くのも無理はない。」
そう云って、英之助が顔を伏せる。小三郎は顔を横に振っていた。
「違う、違うんだ。うれしくて……」
小三郎がそう云うと、英之助が顔を上げてごくりとのどを鳴らした。
「うれしい……?」
「俺で……、俺なんかでよければ、英之助についてゆくと誓うよ」
「……小三郎」
信じられないという表情の英之助がじっと見つめている。小三郎は急に恥ずかしくなって顔をそむけた。
「顔を見せてくれ」
「見ないでくれ、俺は今みっともない顔をしている」
「好きだ。小三郎」
あっと思った時、抱きしめられていた。英之助の体が少し震えている。俺よりも年上の大きな男がこんなに震えるなんて。
自分の心臓が痛いくらいだった。
硬い背中におずおずと腕を回した。
英之助の体がびくっとして、さらに力が込められた。
「しあわせだ……。小三郎」
英之助の感極まった声が耳に届いて、心臓が大きな音を立てていた。
「うん……。俺も……」
小三郎は、英之助の肩口に額を押しあてた。そして、時間が過ぎてゆくのを忘れた。




