無様
柾木英之助は大身旗本の息子である。彼の父は留守居役と江戸家老を兼ねていた。
英之助も家督は継いでいないが、小姓組で藩主の近辺の世話していた。
小三郎と英之助の出会いは、昌平坂学問所であった。
小三郎が学問所に入ったばかりの頃、少女のような容姿のため、朋輩にいじめられていた時、二つ年上の英之助が助けてくれた。
それがきっかけで知り合い、今でも何かあれば英之助を頼ってしまう。
居間に戻った小三郎は机に置かれた筆をじっと見て、よし、縁談の話をしに行こう、と思った。当然、英之助にである。
夕餉にはまだ時間もあるし、書きものもひと段落ついたところだった。
「善兵衛、出かけるぞ」
庭にいた善兵衛に声をかけると、まだつむじを曲げているのか、うんともすんとも云わない。しかし、黙って庭から玄関にまわり、履物を差し出した。小三郎は呆れた顔で眺めていたが、まあ、よい、と肩をすくめて玄関を出た。
英之助が暮らす旗本屋敷は土地の広さ千坪ほどある。ぶらぶら歩いて、ようやく旗本屋敷にたどりつく。潜り戸の戸を叩くと、門番が顔を出した。
「すまぬ、小三郎が来たと伝えてもらえるか」
顔見知りの門番はすぐに小三郎を中へ招き入れ、客間へと通してくれた。女中がすかさず茶を出している間に、廊下から衣擦れの音がして英之助が現れた。
「よお」
顔を見るなり、英之助は目を細めて笑いかけた。
「うん」
小三郎は返事をしながら、改めて感心した。
評判の男だけあって、笑った顔はこちらがドキドキするほど男前である。すらりと伸びた背筋はみやびであった。
たくましい腕と長い足、凛々しい眉毛に二重の切れ長の目が鋭く相手を見つめる。しかし、その目はきつすぎず穏やかで、相手の話をじっくりと聞いてくれるようなやさしさも見えた。
笑うと幼い表情がこぼれ、ついつい気を許してしまいそうな雰囲気をかもし出す。
「夕餉を食べてゆくか?」
「いや、何も云わずに出て来たから夕餉には戻るよ」
「そうか」
英之助が座るや否や茶菓子が出てくる。甘いものが食べたかったので遠慮せずに頂いた。出された鹿の子餅を食べながら、自分の縁談の話に入った。
聞き終えた英之助は眉をしかめた。そして、思いのほか真剣に聞いてきた。
「縁談? 相手は誰だ」
「知らないな」
「聞かなかったのか……」
脱力したように云って、彼はふうと息を吐いた。
小三郎は、まさか英之助がここまで真剣に聞いてくれるとは思わず、かえって驚かせてしまい、申し訳ないと思った。
「すまぬ。聞かなかったのは、興味がなかったからだ」
「そうか……。もうそんな話が出ているのか」
「俺は結婚なんてしないよ」
英之助にそう云ったが、彼は怖い顔でなにか思っているようだった。
「英之助、聞いているのか?」
「え? ああ……」
「お前はどうなのだ、結婚したい相手がいるのか?」
なにげなく聞いてみると、英之助はぎくりとした顔をして目を逸らした。その反応を見て胸がざわりとした。
「誰か……いるのか」
自分の声が震えていた。
どうしたのだろう、心がざわつく。
いつもそばにいた友だちに、想い人がいたなんて気づきもしなかった。
「小三郎」
はっとするほど低い声で英之助が云った。
「あ、うん」
「ちょっと外に出ないか。散歩でもしよう」
「ああ……」
玄関へ向かう途中、英之助は静かだった。
先に履物を履いた英之助は上がり框に腰を掛けて、玄関の外を眺めていた。
「英之助、行こう」
声をかけると、英之助がこちらを向いた。
自分を見る目は鋭く、小三郎は息を呑んで見つめ返した。
「ああ、行くか」
英之助が立ち上がる。あとに従い外へ出ると、ひんやりとした風が吹きぬけ、傾いた日が山の向こうにゆっくりと沈んでいくのが見えた。英之助はなにか考えているようであったが、無言のまま歩き始めた。




