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寄り道  作者: 春野 セイ
2/17

無様



「すまん…」


 何度謝っただろう。


「気にするな」


 英之助は許してくれたが、眠りこけた小三郎が目を覚ましたのは、一刻(二時間)ばかり経ってからであった。

 一瞬、自分がどこにいるのか分からなかった。

 英之助の膝の上で目を醒ました小三郎に、英之助が一言、


「夕餉を食べ損なったな」


 と、言った。


 英之助は怒ってはいなかったが、一緒に帰ろうと誘ってくれる顔を見ることが出来ず、少し酔いを醒ましてから帰る、と丁重に断った。

 先に帰ってもらい、あとから茶屋を出ると、空はすっかり暗くなっていた。

 門限は酉の刻(午後六時)である。小三郎は急ぎ足で江戸屋敷に向かった。

 走りながら小三郎は何度も自分に問いかけた。

 なぜ、眠ってしまったのか。あれだけの酒で寝てしまうような弱い体ではなかったはずだ。


「すまん…英之助」


 ひとりごちれば、空しさが身に沁みる。


 立ち止まって空を仰ぐと、英之助に抱き寄せられ唇を塞がれた事を思い出した。とたん、全身を震えが走った。


 思い出すだけで恥ずかしい。

 壁に頭突きしてしまいたい気持ちに駆られる。

 英之助の声や指先の触れると、妙に緊張して息をするのを忘れてしまう。

 こんなぶざまな姿を英之助が見ているのかと思うと、たまらない気持ちになった。


「俺はなんて、なんて情けない男なのか……」


 英之助が恋しくてたまらない。

 離れると切に感じるのだが、いざ目の前にすると体は別の行動をする。


 空の星が涙で滲んで見えなくなった。

 ぐいっとこぶしで涙をこすり、再び歩き出す。

 次こそ、本懐を遂げてみせる。この次こそは英之助を受け入れる、と小三郎は誓った。

 自分自身を奮い立たせたが、しばらくすると知らずうちにため息が漏れた。


「はあ……」


 何度目かのため息をついた時である。

 横丁から提灯を持った男が現れた。

 ちらと顔を見ると、英之助の守役、池上いけがみ籐七とうしちであった。

 小三郎より三つ上で、堅く引き締まった体と背筋の伸びた男である。顔は浅黒く岩のようにごつごつしていて、いつも怒ったような顔をしていた。

 距離が縮まると、籐七は立ち止まった。そして、


「柴山、少し話してもいいか」


 呼び止められた。


「うん、なんだ?」


 小三郎は足を止めて首を傾げると、籐七は辺りに人のいないことを確認して声をひそめた。


「若さまのことだ」

「英之助がどうかしたか」

「うん。近頃、若さまの出費が嵩んでいて、家人が大変心配しておる」

「そうか……」


 小三郎はひやりとした。

 支払いはいつも英之助がしていた。英之助は旗本の息子である。工面していたとは思いも寄らなかった。


「気をつけるよう言っておくよ」


 籐七はよほど心配していたのだろう、小三郎の言葉を聞いて安堵したように、肩の力を抜いた。


「よろしく頼む」

「うん」

「柴山」

「うん?」


 籐七はさっと右、左に目を走らせてから人のいないことを再び確認した。


「若さまはいずれ江戸家老になられるお方だ。あまり不謹慎な遊びばかりしておると、誰に吹聴されるか分からんぞ」



 不謹慎という言葉を聞いて、背筋が凍った。



 なにも言えないでいると、籐七はあごをきゅっと引いて、


「御免」


 と、言って去って行った。


 小三郎はのろのろと歩き出した。

 顔は白く蒼ざめたままである。そのとき、遠くの方で雷鳴が聞こえた。ぽつっと頬に雨の粒が落ちてきたかと思うと、小粒の雨が降りはじめた。


 小三郎は雨を避けるのも忘れて夜道を歩いた。





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