4.存在しない駅
昼食を終えた二人は、大学近くの小さな喫茶店にいた。
「それで、駅をどうやって探すんです?」
美鈴がスマートフォンをテーブルに置いた。
次郎はメニューを眺めながら答えた。
「まずは駅名を調べる」
「写真には駅名が写っていませんでしたよね」
「だから、駅の特徴から探す」
「特徴?」
「ホームの形、屋根、柱、線路の配置。古い駅なら、昔の鉄道資料に残っているかもしれない」
美鈴は写真を取り出した。
そこには、古びたホームが写っている。
片側に一本の線路。
木製のベンチ。
錆びた案内板。
そして、ホームの端に立つ古い時計。
「この時計、気になりませんか?」
美鈴が拡大した画像を見せた。
次郎は身を乗り出した。
「確かに。針が見えないね」
「壊れているのでしょうか」
「いや、文字盤そのものがないように見える」
「時計なのに、時間が分からない?」
「時間を示す必要がない時計なのかもしれない」
「また、そういう言い方をする」
次郎は笑った。
「冗談だよ」
「あなたの冗談は、いつも冗談に聞こえません」
二人は写真を拡大し、細部を確認した。
ホームの柱には、小さな番号が刻まれている。
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次郎はそれを指さした。
「これだ」
「何です?」
「駅の番号かもしれない」
美鈴は首を振った。
「鉄道会社によって番号の付け方は違います。これだけでは何とも言えません」
「じゃあ、別の手掛かりを探そう」
次郎は写真を裏返した。
黒崎が書いた日付。
2026年11月1日。
そして、
「まだ、ここに来てはいけない」
「先生は昨日撮影したと言っていましたね」
「そうだね」
「でも、日付は今日になっている」
「撮影した日ではない可能性がある」
美鈴は少し考えた。
「つまり、明日以降の何かを示している?」
「あるいは、今日という日付そのものが重要なのかもしれない」
「どうして?」
次郎は答えず、スマートフォンで日付を確認した。
2026年11月1日。
日曜日。
彼はカレンダーを開いた。
そして、画面を美鈴に見せた。
「これを見て」
「何です?」
「今日は日曜日だ。来週の日曜日は十一月八日」
「それが?」
「十一月八日には、僕たちは何をしている?」
「そんな予定はありません」
「そうかな」
次郎は笑った。
「この駅を探しているんじゃない?」
美鈴は呆れたように彼を見た。
「あなたと話していると、何でも意味があるように思えてきます」
「それはいい傾向だ」
「悪い傾向です」
そのとき、次郎のスマートフォンに通知が届いた。
黒崎からだった。
添付されていたのは、古い鉄道路線図の画像だった。
本文には一言だけ。
――昭和の廃線資料を調べなさい。
次郎は画面を見つめた。
「先生も同じことを考えたらしい」
「どこの路線でしょう?」
「それはこれから調べる」
次郎は地図を開いた。
「美鈴さん、鉄道には詳しい?」
「普通です」
「僕も普通だ」
「普通の人は、そんなことを聞きません」
「では、二人とも普通ではないということで」
美鈴は笑いそうになるのをこらえた。
次郎は路線図を拡大した。
そこには、現在の地図には存在しない駅がいくつも記されていた。
昭和初期に廃止された駅。
戦争中に閉鎖された駅。
一時的に設置された仮駅。
そして、線路そのものが消えてしまった場所。
しかし、写真の駅に一致するものはなかった。
「おかしいですね」
美鈴が言った。
「何が?」
「どの駅にも一致しません」
「まだ全部調べたわけじゃない」
「でも、ホームの構造が違います」
次郎は画面を見つめた。
確かに、どの駅も写真とは異なっていた。
「別の路線かもしれない」
「それも考えました。でも、線路が一本しかない駅で、これほど古い構造なら、何らかの記録が残っているはずです」
「記録から消された可能性は?」
「誰が、何のために?」
次郎は答えなかった。
美鈴は写真をもう一度見た。
「この駅、実在しないのではありませんか?」
次郎は彼女を見た。
「面白いことを言うね」
「私は真面目です」
「僕も真面目だよ」
次郎は写真をテーブルに置いた。
「ただ、実在しないという言葉には二つの意味がある」
「二つ?」
「最初から存在しなかったのか。それとも、存在していたのに、今の世界から消えてしまったのか」
美鈴はしばらく黙っていた。
やがて、彼女は言った。
「もう一つあります」
「何?」
「これから存在する駅なのかもしれません」
次郎は彼女を見つめた。
初めて、美鈴の方から奇妙な仮説が出てきた。
「それは面白い」
「あなたの影響ではありません」
「まだ何も言っていないよ」
「顔に書いてあります」
次郎は笑った。
その瞬間、スマートフォンが再び震えた。
今度は知らない番号からの電話だった。
次郎が出る。
「もしもし」
『琴葉次郎さんですね』
落ち着いた男性の声だった。
「そうですが」
『神代玲司です』
次郎は姿勢を正した。
「神代先生ですか」
美鈴が顔を上げた。
神代玲司。
世界的な数学者であり、黒崎の古くからの知人。
そして、美鈴とも以前から面識がある人物だった。
『黒崎先生から話を聞きました』
「もうご存じなんですか」
『ええ。喫茶店で起きたことも、例の写真のことも』
「それは早いですね」
『問題は、君たちが何を見たかではありません』
神代は少し間を置いた。
『何を見たと思っているかです』
次郎は眉を寄せた。
「どういう意味でしょう?」
『写真の駅を探すのはやめた方がいい』
「黒崎先生と同じ忠告ですね」
『黒崎先生とは違う理由です』
「理由を聞かせてください」
『その駅は、地図の中にはありません』
次郎は美鈴を見た。
『しかし、私の記憶の中にはあります』
電話の向こうで、神代が静かに息を吐いた。
『琴葉君。君は、まだ自分が何に巻き込まれたのか分かっていない』
「それを教えていただけませんか」
『会って話しましょう』
「いつです?」
『明日の午後二時。場所は、東京駅です』
「東京駅?」
『丸の内側の中央口に来てください』
神代は最後にこう付け加えた。
『ただし、時計は持ってこないこと』
電話が切れた。
美鈴は次郎を見た。
「神代先生からですか?」
「そう」
「何と言っていました?」
次郎は少し考えた。
「明日、東京駅で会うことになった」
「それだけ?」
「もう一つ」
「何です?」
「時計を持ってくるな、と」
美鈴は眉をひそめた。
「どうして?」
次郎は窓の外を見た。
日曜日の午後。
街はいつも通りだった。
「さあね」
彼は笑った。
「でも、少なくとも明日は遅刻しないで済みそうだ」
美鈴は呆れた顔をした。
「あなたといると、本当に疲れそうです」
「それは光栄だ」
「褒めていません」
「分かっているよ」
美鈴は写真を鞄にしまった。
そのとき、彼女のスマートフォンに一通のメールが届いた。
送信者は、神代玲司。
本文は短かった。
――琴葉君には、まだ話さないでください。
美鈴は画面を見つめた。
その下に、もう一行あった。
――あなたが去年見た夢のことも。
彼女はスマートフォンを伏せた。
次郎は気づかなかった。
ただ、写真に写っていた駅のことを考えていた。
存在しない駅。
あるいは、存在を忘れられた駅。
そして、そこへ行ってはいけない理由。
次郎はまだ知らない。
神代玲司が、あの駅のホームで一度だけ、誰かを待ち続けたことを。




