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無限の檻  作者: 内藤晴夢
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15/20

15.次郎の大失敗


「父親を探すな。お前自身が、父親なのだから。」


スマートフォンの画面には、その一文だけが残っていた。


次郎は画面を見つめたまま、しばらく動かなかった。


「……どういう意味だ?」


隣にいた美鈴が、静かに答えた。


「文字どおりに受け取らない方がいいわ」


「そう言われてもな。父親が自分自身だなんて、普通に考えたらおかしいだろ」


「普通に考えたら、時計が五分間止まって、別の時代の人間と会うことだっておかしいわよ」


「それはそうだが」


「だからこそ、今は決めつけないこと。お父さんの記録を調べましょう」


そこへ、時守が近づいてきた。


「もう一つ、伝えておくことがあります」


「何です?」


「この研究所には、実験を再開するための装置が残っています。しかし、動かしてはいけません」


次郎の目が輝いた。


「装置が残っているんですか?」


「次郎さん!」


美鈴が嫌な予感を覚えたように声を上げた。


「まだ何も言ってないだろ」


「あなたの顔を見れば分かるわ」


時守は二人を見比べた。


「実験を再開すれば、お父さんに会えるかもしれない。しかし、会える保証はありません。それどころか、今ある記録まで失われる可能性があります」


「記録が失われる?」


「この研究所で起きたことを覚えている人間が、少なくとも一人はいる。その記憶まで消えるかもしれないということです」


次郎は考え込んだ。


そして、五秒後。


「分かりました」


美鈴は少し安心した。


「よかった。分かってくれたのね」


「つまり、記録を失わないように先にコピーしておけばいいんですね」


「そういう意味じゃない!」


しかし、次郎はすでに研究所の奥へ歩き出していた。


研究所の地下には、小さな実験室があった。


中央には古い机と椅子。その奥に、銀色の箱のような装置が置かれている。


壁には配線が残り、装置の正面には小さな画面があった。


「これが実験装置?」


美鈴が近づいて確認する。


「古いわね。現在の研究設備と比べたら、かなり単純な構造よ」


次郎は机の上に置かれたノートを開いた。


そこには、父の字でこう書かれていた。


『被験者21 琴葉正一』

『被験者22 琴葉次郎』


「やっぱり、父と僕が被験者だったんだ」


さらにページをめくると、赤い文字で注意書きがあった。


『二人を同時に呼び戻してはならない』


次郎は眉をひそめた。


「呼び戻す?」


美鈴がノートを取り上げた。


「待って。これは実験を始める前の注意書きじゃない。実験の後に書かれたものよ」


「どうして分かる?」


「筆圧が違う。最初の記録より、ずっと強く書かれている。急いで書いたみたい」


次郎は装置を見た。


「父を呼び戻す方法があるのかもしれない」


「だから、勝手に動かさないで」


「五分だけだ」


「何が?」


「五分だけ装置を動かす。時計が止まったら、父が現れるかもしれない」


美鈴は首を横に振った。


「あなたは、まだ何も分かっていない」


次郎は答えなかった。


彼は装置の電源スイッチを見つめていた。


そして、押した。


低い音が実験室に響いた。


画面に数字が表示される。


10:42


「次郎! 止めて!」


美鈴が叫ぶ。


しかし、次郎は操作盤を見つめたままだった。


画面の数字が変わる。


10:43。


10:44。


突然、実験室の照明が消えた。


暗闇の中で、次郎の声が聞こえた。


「父さん?」


返事はない。


代わりに、装置の奥から小さな音がした。


カチッ。


何かのスイッチが入ったような音だった。


次の瞬間、部屋の壁に古い映像が映し出された。


そこには、若い頃の琴葉正一が立っていた。


「父さん!」


次郎が駆け寄る。


映像の正一は、こちらを見ているようだった。


『次郎、聞こえるか』


「聞こえる! 父さん、どこにいるんだ!」


『装置を止めろ』


「待ってくれ! 聞きたいことがある!」


『止めるんだ。今すぐに』


「父さんは、僕の父親じゃないのか?」


映像の正一は、しばらく黙っていた。


そして、こう言った。


『お前は、まだ何も知らない』


映像が乱れた。


美鈴が操作盤に手を伸ばす。


「次郎、もう限界よ!」


その瞬間、画面に別の文字が表示された。


『被験者22 琴葉次郎』

『記録開始 1988年11月1日』


次郎は息をのんだ。


「1988年……?」


彼はまだ生まれていないはずだった。


そのとき、画面の下に新しい文字が現れた。


『被験者22 実験終了』

『記録者 琴葉正一』


「どういうことだ……」


次郎の足元が揺れた。


実験室の時計が、いっせいに止まった。


美鈴は次郎の腕をつかんだ。


「ここから出るわよ!」


「でも、父さんが!」


「あなたまでいなくなったら、誰がこの記録を調べるの!」


美鈴の声は震えていた。


次郎は初めて、彼女が本気で怖がっていることに気づいた。


二人は装置の電源を切った。


照明が戻る。


画面は真っ暗になっていた。


時守が駆け込んできた。


「何をしたのです!」


「すみません……」


次郎は素直に謝った。


時守は装置の前に立ち、しばらく画面を確認していた。


「記録が一部消えています」


「どの記録ですか?」


美鈴が尋ねた。


「1988年の実験記録です。特に、琴葉正一さんの最後の記録が」


次郎はうつむいた。


自分のせいだった。


父に会いたいという気持ちだけで、取り返しのつかないことをしてしまった。


「僕の失敗ですね」


「ええ」


美鈴は厳しい顔で答えた。


「大失敗よ」


「そこまで言わなくても……」


「言うわ。あなたは、自分が何を壊したのか分かっていない」


次郎は何も言えなかった。


すると時守が、机の上に一枚の紙を置いた。


「ただし、すべてが失われたわけではありません」


紙には、実験装置が最後に記録した文章が残っていた。


『被験者22は、被験者21の記憶を引き継ぐ』


その下には、さらに一行。


『父と息子の区別は、記録上の便宜にすぎない』


次郎はその文章を何度も読み返した。


「父と息子の区別が、記録上の便宜……?」


時守は答えなかった。


代わりに、美鈴が次郎の隣に立った。


「次郎。あなたのお父さんが何をしたのか、少し分かってきた気がする」


「何が?」


「お父さんは、あなたに何かを残したのよ。記憶か、記録か、それとも別のものかは分からない。でも、あなたが生まれる前の実験記録に、あなたの名前がある理由はそこにある」


次郎は、紙を握りしめた。


そのとき、研究所の入口から黒崎が入ってきた。


「大変なことになったぞ」


「今度は何です?」


次郎が疲れた顔で尋ねる。


黒崎は一冊の古い台帳を差し出した。


「1988年の被験者名簿だ。最後のページに、まだ見つかっていなかった記録があった」


そこには、見慣れない名前があった。


『被験者23 佑月美鈴』


美鈴の顔から血の気が引いた。


「……私?」


黒崎はうなずいた。


「君は去年だけでなく、1988年にも実験に参加していたことになっている」


次郎は美鈴を見た。


美鈴は台帳を手に取った。


そのページの隅には、赤い文字でこう記されていた。


『被験者23は、被験者22を連れ戻すために必要である』


そして、その下に小さく書かれた名前。


『琴葉正一』


次郎はようやく気づいた。


父が隠していたのは、自分の正体だけではなかった。


美鈴もまた、この事件の最初から深く関わっていたのだ。

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