第二章『愛希』
1
電車に乗り込んだ伊佐愛希は一瞬にして乗客たちの注目を浴びた。だが愛希は全く気にしない。このような事は日常茶飯事のためもう慣れている。
老若男女の視線を感じる。若い女性の視線は強くないが、高齢の男女、そして年齢を問わず男性からの視線がとても強い。
――見たけりゃ勝手に見ればいい。
適度に筋肉のついた細くくびれた腹部が丸出しのショート丈のノースリーブTシャツにタイトなブラックデニムという格好と、胸まで伸ばした金髪のウェーブヘアが愛希の見た目を日本人離れさせている。
吊革につかまると男性陣の視線は一気に愛希の脇の下へと集まった。ただでさえ暑くてイライラするのに、ばれないようにちらちら泳がす男性たちの視線に愛希は更に苛立ちを覚えた。
そんなイライラとは違い、まだまだ垢抜けないような中学生くらいの女の子と目が合うと愛希はわざと妖艶な表情を見せウインクを返したりした。驚いて顔を背ける女の子を見るのが楽しい。そして何より可愛いと思う。
目的のⅯ田駅を降りると五人の男性が愛希を待っていた。それぞれが楽器のケースを抱えている。ギター、ベース、キーボード、スネアドラム。
「今日も良いね」
アルトサックスの入ったケースを持つセイヤが愛希の服装を見て言った。長身のセイヤは至近距離で見下ろすように愛希の胸元に視線を向けている。
「それはどうも」
と愛希はそっけなく答えて前に進み出した。
彼らは愛希が活動しているバンドのメンバーである。
彼らとはずっと一緒に活動をしてきたわけではなく愛希は途中参加のメンバーだった。楽器演奏にセイヤのラップボーカルが入るバンドスタイルに、学生時代より交流のあった愛希が一年半ほど前にゲストボーカルとして参加した曲をライブで披露した際の反響がものすごく大きかったので、ちょうど一年前に正式メンバーとして活動を始めたのだ。
当時大きな反響を呼んだ理由は愛希のライブパフォーマンスによるものである。
アマチュアバンドは星の数ほどいる。拠点として活動するライブハウスでは常連のバンドを支持するファンも多い。愛希の所属するバンド『ロカロカ』も常連の一つであり、少なからずファンも付いていた。
愛希が初めて参加したのはライブハウスの創立記念イベントで、常連で人気のあるバンドを集めたフェスのようなものを開催していた時だった。ラテン調の曲を主に演奏するセイヤのバンドに特別ゲストとして愛希が呼ばれステージに立ち、ホットパンツに上は水着姿で大胆に体をくねらせるダンスをしながら歌を披露し、会場にいたファンとそうでない人たちの注目を一気に浴びたのだ。
愛希は物心がついた頃から歌と踊りが大好きで、家の中や保育園でとにかく明るく、当時好きだった歌を歌いながら体を動かしていたということを両親から聞かされていた。
小学校ではバレエを習っていたが、中学に上がるとバレエに対しての熱が冷め鑑賞する音楽もクラシックからポップ、そして当時大流行したヒップホップへと変わっていった。同時にダンサーとしての夢が芽生えた。男性たちの中で踊る女性に魅力を感じたのだ。ヒップホップ、ラテン、レゲエと様々なダンスを勉強したが、最終的に愛希が選んだのはベリーダンスの世界だった。女性が女性として一番美しく見えるダンスだと思った。現在もバンド活動の傍ら教室に通いレッスンを受けている。
愛希は初めてステージで得意のベリーダンスを披露しながら歌った時に受けた歓声が忘れられなかった。プロの歌手になりたいと思う気持ちはメンバーの中でも一番強い。ゴールを決めるのは良くないが、プロになるまでは死ねないと愛希は思っていた。
ステージの袖でメンバーが演奏する一曲目の歌を眺める。拍手と共に曲が終わり、二曲目のイントロが始まると客席の歓声が一気に強くなった。セイヤのラップが会場を煽り陰に隠れる愛希に視線を向ける。
リズムを聞きながら愛希はタイミングを見て勢いよくステージの中央に向かって歩き出す。愛希がステージに現れると再び大きな歓声が響いた。
曲の間奏ではセイヤのサックスソロと愛希のベリーダンスに会場の熱が上がる。大サビにいくところで愛希は着ていた白のノースリーブTシャツを脱ぎ捨てた。下には赤い水着を着けている。セイヤと見つめ合い愛希は感情の赴くまま身体をくねらせた。MCを含めてその後三曲を披露してバンドはステージを後にした。
ステージを降り控室に戻るとライブハウスのオーナーである小田切が愛希たちの元に近づいてきた。
「おつかれー。今日も会場沸いてたな」
髪をあごまで伸ばしパーマをかけている無精ひげの生えた四十男、小田切は手に持ったビニール袋からバンド人数分の缶チューハイを取り出しそれぞれに渡した。
「あざす」
とセイヤが礼を言い、メンバーも続いてそれぞれに礼を口にした。愛希は髪をかき上げ缶を開けると勢いよく口をつけた。勢い余って口の端からチューハイが零れる。
「おい乾杯もしないのかよ」
セイヤが突っ込みを入れるとドッと笑いが起きた。
「お前らさ、この間の雑誌けっこう反響あるぞ」
小田切は言うとシャツの胸ポケットから煙草の箱を取り出し一本引き抜くとライターで火を点けた。
「ちょ、小田切さんここ禁煙になったんじゃ」とセイヤ。
「良いんだよ俺がオーナーなんだから。お前らは吸うなよ」
そう言って小田切はズボンのポケットから携帯灰皿を取り出して灰をその中に入れた。
小田切の言う雑誌とは、このライブハウスが音楽雑誌の特集で選ばれた際に常連のバンドもいくつか紹介された時のものである。『ロカロカ』も常連バンドに含まれるため写真撮影と簡単なインタビュー記事が載ったのだった。写真は一枚。スーツ姿の男性メンバー五人の中に真っ赤なブラとスカートに身を包んだ愛希が立っている写真だ。この衣装はベリーダンスを習い始めた時に初めて買ったドレスである。まだライブで着用したことはない。愛希にとって特別なライブの時が来るまで取っておこうと決めているのだ。
「反響って、具体的にはどんななんですか?」
セイヤが小田切に聞いた。
「まあだいたいは既存ファンからの応援メッセージだな」
「なんだ、てっきりレコード会社からのオファーかと思いましたよ」
「バーロー。そんな簡単にデビューできりゃ苦労しないわ」
小田切も二十代の頃はバンドを組んでいたと以前聞いたことがある。プロを目指してライブ開催や音源テープをレコード会社に持ち込むなど積極的に活動していたようだが、音楽業界の厳しさに敵わずメンバーは脱退し一般企業へ就職。残った小田切は新しいバンドを組んだりもしたが続かず、どうしても音楽からは離れたくなかったのでライブハウスの店員として一から再スタートをしたのだという。
「まあお前らには魅力があるからよ。応援してるぜ」
「そんなに言われると期待しちゃうじゃないっすか」とセイヤ。
「良いんだよ。俺にはわかるんだ。つーか見える。お前らが大観衆の前で盛大にライブをしている姿が。俺のシックスセンスを馬鹿にするんじゃねえ」
小田切は以前から、『俺には見えないものが見える』といった霊感が強いことを会話の端々に見せてきていた。だが実際それを信用できるような出来事は起きていないため、信じたくても信じ難いのが現状である。
「その缶チューハイ、お前らが売れたら俺に返してくれ」
そう言うと小田切は控室を出ていき、後ろ姿に向かってメンバーがそれぞれ「ありがとうございます」と声を投げかけた。
愛希は手に持っている缶チューハイを一気に飲み干した。
その横で、威勢よく飲む愛希の汗ばんだ首筋をセイヤは見つめていた。
2
「乾杯!」
ライブハウスを出た愛希はバンドのメンバーと会場近くの居酒屋でライブの打ち上げをすることになった。
六人掛けのテーブル席で座る位置はいつものように愛希とセイヤともう一人が並び、その向かいに三人が座るという構図だった。通路側に腰かけた愛希はロカロカの紹介記事が載っている雑誌をバッグから取り出して開いた。バンドが紹介されていると言っても複数のバンド写真と並び小さく写真付きでコメントが書かれているだけなのだが、このような公の場に自分の姿が載っていることだけでも愛希にとっては嬉しく、宝物として常にバッグに入れて持ち運んでいるのだった。
「綺麗だよ、愛希」
横からセイヤに言われ、愛希は横目で「どうもありがと」と短く応えた。
「今度ライブでその衣装着てくれよ」
撮影の時に愛希が身に着けていた衣装のことを言っているのだろう。「考えとく」と愛希は冷たく返した。
トイレから出た愛希はそれを待ち構えていたセイヤと目が合った。通り過ぎようとした愛希をセイヤが呼び止める。
「愛希、この後二人で飲み直さないか?」
「なんで?」
セイヤを見上げて愛希は聞き返した。
「なんでじゃねえだろ。どうしていつもそうつれないんだよ」
言いながらセイヤは愛希との距離を縮めてくる。向かい合わないように愛希は身体を反らした。
「二人きりは、嫌」
このようにセイヤから誘われたことは今まで何度もあった。毎回愛希は断っている。純粋に二人で飲みたいという気持ちだけではないことがセイヤの目が語っている。要するに愛希の身体を欲しているという下心が丸出しなのだ。
「なんで。彼氏がいるわけじゃねえだろ」
「いないけど、嫌。それにバンド内でそういう変な関係になったら気まずくなるでしょ」
愛希が返すと、下心を読まれたセイヤは何も言い返せなくなってしまった。
愛希はそのまま席に戻るのも気が引けたので入り口外に設置された喫煙スペースへ向かった。ポーチから煙草を取り出し一本を口にくわえて火を点ける。煙を吸い込み、上空に向けて吐き出した。
喫煙スペースは地下にあるこの居酒屋の入り口外のここにしかない。地上から入口へ向かって階段を下りてくると店に入る前に喫煙所があるというわけだ。もう一度煙を吐き出して愛希は小さな夜空を眺めた。
愛希は男性からよく声をかけられる。大胆に肌を露出しながらいつも街を歩いているのだから仕方がない。見た目は派手だが、誘われてどこにでもついて行ってしまうほど愛希は軽くない。
しばらく恋人も作っていない。バンド活動とダンス教室、そしてバイトという生活なので余裕がないわけではないが、恋人がいなくても別に愛希は寂しいとは思わなかった。
「良いよ。私が立て替えとくよ」
入り口付近のレジで賑やかな声がしたので愛希は顔を向けた。レジ前には女性二人の姿があった。女性の一人は酔っているのかもう一人の女性にもたれかかっている。酔っている女性はタイトなTシャツにジーンズとショートヘアで活発な印象。支える女性は流行りのビッグサイズのTシャツに下はゆるめのロングスカートとスニーカーで頭にはベージュのキャップを被っている。
酔った女性を支える彼女を見つめていると、彼女も愛希の方を向き目が合った。
彼女の――大人なのに真面目すぎるのかどこか幼い顔を見ながら、愛希は衝動的にウインクを投げ微笑んで見せた。すると彼女は驚いたように愛希の顔を凝視した。その反応がとても可愛かった。
セイヤのことが嫌いなわけではない。
背も高いし、顔も今時人気のある所謂イケメンである。
だけどどうしてもセイヤ―いや男に魅力を感じない。
レジで酔った女性を支える彼女を見つめながら、
――私はああいう子がタイプなのよ。
と心の中で愛希は呟いた。
セイヤたちと別れた愛希は駅前の喫煙所で煙草を一本吸ってからその近くのベンチに座りアルコールで火照った体を冷やすことにした。終電が近いということもあり駅前には人影も少ない。夏とはいえ、さすがに夜はノースリーブでは寒いなと愛希は露出した腕をさすった。
「ねえねえ、何してんの?」
若い男性二人が愛希に寄ってきて一人が声をかけた。もう一人は愛希の隣に座り「そんな恰好じゃ寒いだろ」と馴れ馴れしく話しかけてくる。
「どっか店行って朝まで飲もうよ」
隣に座る男性が言った。愛希は無言でその男性を睨みつけた。
「おいおい睨むことないだろう」
言いながら男性は愛希との距離を縮めた。
ナンパにはもう慣れっこである。露出の多い服装は男性から隙があると見られるのかもしれない。別に誘っているわけじゃない。愛希は自分自身をセクシーに見せたいと思っているだけだ。
「無視? ねえ名前何て言うの?」
しつこい男性を再び睨みつけベンチから立ち上がった時だった。
「おい何してんだ!」
聞き慣れた声に顔を向けると案の定声の主はセイヤだった。他のメンバーと二次会に行ったのではなかったのか。
「あ? お前こいつの男か?」
愛希の前に先ほどから立っていた男性がセイヤに向かって言う。
違う―と愛希が否定する前にセイヤが「ああそうだよ」と男性たちに向かって返事をした。すると男性たち二人はどちらからともなく舌打ちをしてその場を去っていった。
「愛希、大丈夫か?」セイヤが聞く。
「別に大丈夫。よくあることだから」
「ライブ以外では肌の露出控えた方がいいんじゃないか?」
「関係ないでしょ。でも―追っ払ってくれてありがと」
言って愛希が歩き始めるとセイヤは愛希の肩を両手で強く押さえ、身体を向かい合わせにさせた。
「何?」
と言った愛希にセイヤは素早く唇を重ねた。
突然の出来事に愛希はすぐには反応できなかった。
「やめろよ!」
我に返った愛希はセイヤを思いきり突き放した。セイヤの唾液で濡れた唇を腕で拭った愛希は思いきりセイヤを睨みつけた。
「好きなんだよ、愛希」
「私は――」
「なんだよ。好きな男でもいるのか?」
「違う――」
「私――」
――レズビアンなの。
と思い切ってカミングアウトしようかと喉まで言葉が出かかったが、
「――ごめん」
それだけ言って愛希はセイヤを追い越し歩き出した。
3
最悪のキス。
男とのキスは久しぶりだ。
相手が誰だろうと関係ない。
男とのキスは―。
やはり受け入れられない。
その反動もあったのかもしれない。
衝動的と言った方が合っている気もする。
あの日。
あの夜――。
彼女と――。
セイヤに唇を奪われた衝撃とそれに対する嫌悪と陰鬱な気持ちはしばらく続き、その後のライブは散々だった。歌詞は間違えるし、お決まりの脱衣パフォーマンスもタイミングを逃し、遂にほとんど肌を露出せずにステージを後にしてしまった。案の定ファンからは若干のブーイングを受け、セイヤからは「大丈夫? 生理か?」と史上最低な言葉を投げかけられた。
――誰のせいだと思ってるんだ。
「何度見ても同じだろ」
自身のバンドが取材を受けた際の記事が載っている雑誌を控室の椅子で愛希が読んでいるとセイヤが上から眺めて言った。愛希が顔を上げるとセイヤの視線が胸元に注がれていることに気付いた。愛希は胸元が大きく開いたTシャツを着ていた。その下にはパフォーマンス用の水着を身に着けている。どうせステージで脱ぐのだから見るなと言う方が悪い気もするが、セイヤの視線はどうも好きになれない。同時に、心なしかセイヤの態度が今までと違い少し冷たくなったような気もした。
「そろそろ出番だ。愛希、今日は頼むぞ」
そう言うとセイヤは、愛希たちの前にライブを行っていたバンドの面々と入れ違いにステージへ出て行った。セイヤと他のメンバーがステージに出るとすぐに会場から歓声が上がるのが聞こえた。愛希は演奏が始まるのを聞いてステージに出るタイミングを待った。
愛希がステージに姿を現すといつものように歓声が上がる。目を閉じて愛希はたっぷりと歓声を身体に吸収し、音楽に合わせて身体を踊らせた。この歓声を裏切らないようにしようと愛希は誓い会場を見渡す。
――!!――。
会場の隅に見覚えのある女性がいた。
知り合いではないと思う。
どこで会ったのだろう。
思い出せない。
思い出せないが愛希はステージで曲を披露しながら、その女性を逃がしてはいけないという身体の欲求が頭の中を支配し始めていた。
全ての曲が終わり、ステージの袖を抜け会場に出ると愛希は先ほどステージ上から見つけた女性を探した。
――見つからない。
会場を歩き回る。
群衆をかき分け女性を探す。
愛希に近寄り話しかける者もいたがそれらの言葉は耳に一切入らなかった。
そしてようやく、愛希は会場のトイレから出てきた女性を見つけた。
女性と目が合う。
愛希は、高まる気持ちを悟られないよう平静を装い、軽く唇を舐めてから微笑んだ。
「探してた」
それだけ言うと愛希は迷わず目の前の女性にキスをする。
拒絶されても良いと覚悟していた。
同性からのスキンシップを嫌がる人は多い。
何度もそれでひどい仕打ちを受けたことがある。
それでも愛希は、
今この女性とキスをしたかった。
やはり女性の唇は良い。
上手く言い表すことができないが、男とは全然違う。
気が付くと目の前の女性は愛希の舌を自らの舌で受け入れていた。
一気に興奮が高まる。
「二人でどこか行かない?」
愛希はゆっくり女性から唇を離し、目を見つめて言った。
女性も愛希を見つめ返し、無言で頷いた。
静かに寝息を立てて横で眠る梗子―女性は吉岡梗子と名乗った―の髪を添い寝しながら愛希はなでた。長いまつげときめの細かい肌を見ているとまるで年上とは思えない。天然パーマなのか緩やかにかかった髪のウェーブも愛おしい。
ライブハウスで感じた衝動のまま愛希は梗子にキスをした。そして梗子をホテルへ誘い、ベッドで梗子の全身の匂いと恥部の味を熱く抱きしめた。
気持ち良さそうに眠っている梗子を起こさないようにベッドから出た愛希は裸のままソファに座り煙草に火を点ける。
男性はセックスの後に言葉ではうまく言い表せない虚無を感じると聞いたことがある。
愛希も時々、男性のそれとは違うかもしれないが虚しさに襲われる時がある。同性愛者には生産性がないと言った国会議員がネットで叩かれているというニュースを知った時、愛希も最低な発言だと感じたが、これが世間の気持ちなのかもしれないとも思った。
これは恥なのか?
普通ではないことなのか?
――冗談じゃない。
誰を好きになろうが個人の自由だし、性別なんて関係ない。だが、愛希は自分の性的思考を一番身近なバンドメンバーにさえ隠しているのも事実である。
梗子が同じ思いなのかはわからない。ちょっとした冒険のつもりだったのか、同じように衝動に動かされてのことだったのか。理由は様々だろうが、二人がベッドで互いを求め合ったのもまた事実である。
梗子とのセックスはとても良かった。梗子が愛希に対して行った愛撫から、おそらくこれまでに経験がないだろうということが伝わってきた。その分愛希が見本を見せるように梗子の身体を愛撫した。今までこんなにも熱くなったセックスがあっただろうか。
それよりも――。
これまで、本当に恋人と呼べるような相手がいただろうか。
今夜のように衝動的に求め合うことはあったが、それが恋愛関係になることはなかった。所謂、一夜限りの関係と言うやつである。好きになり、告白をして付き合うことになり、デートをして――なんていう経験が愛希にはほとんど無い。
今ベッドで静かに眠っている梗子も、これまで関係を持ってきた女性たちと同じ一夜限りの関係になってしまうのだろうか。そう思うと愛希はまた、とてつもない虚しさを感じてしまった。
「んん―」
梗子が声を出し片目を閉じた状態で身体を起こした。愛希はすばやく煙草を灰皿でもみ消し、空中に漂う煙を手で払う。
「いま何時?」
梗子に聞かれ愛希は目の前のテーブルに投げ出してあったスマホで時刻を確認する。
「もう十一時過ぎ。このまま泊まる?」
「明日も仕事だから、帰ろうかな」
言いながらベッドのわきに落ちた下着を探す梗子を見ながら、「そっか」と愛希は呟いた。
「どうしたの?」
「いや。私も帰る。駅まで一緒に行こ」
愛希もベッドの下に落ちた下着と服を身に着けると着替えた梗子と並んでベッドに腰を下ろした。
「なんだかまだ信じられないな」と梗子。
「何が?」
「こんな経験初めて。その―女の人とこういうことするなんて」
「嫌じゃなかった?」
「戸惑ったけど、不思議と受け入れちゃった」
「どんどん溢れてくるから、舐めてるこっちは大変だったよ」
「もう」
梗子は顔を赤くして笑った。
「またライブ観に行くね」
「ありがと」
近いから歩いて帰ると言った梗子と駅前で別れ、自身は屋外の喫煙所で煙草を一本吸ってからタクシー乗り場へ向かった。一台もタクシーは停まっていなかった。
髪をかき上げた時、梗子とベッドで共にした時間の記憶が蘇った。
梗子の顔。
梗子の首筋。
梗子の乳首。
梗子のおへそ。
梗子の匂い―。
タクシーが目の前に停車し扉が開いた。愛希は車内に入ると運転手に自宅周辺の住所を告げた。愛希は派手な見た目に似合わず奥手なところもあり、ラブホテルで帰ることを希望した梗子に対し無理矢理引き止めることができなかった。タクシーのバックミラー越しに男性運転手が胸元をちらりと見ている様子がわかると、愛希は反射的に隠すことはしないが急激な寂しさに襲われ目には自然と涙が溢れた。




