『王子』
また、彼女の夢を見た。
俺の婚約者だった彼女の夢を。
最初はまやかしだと思った。
彼女に都合のいいように書き換えられた夢だと。
しかし、学園は以前より静かになっていく。
授業中、眠りに落ちまいと必死に目をこする者が増えた。
机に伏したまま震えている者もいる。
廊下ですれ違う生徒たちは、目の下に濃い隈を作っていた。
教師の中には、学園へ来なくなった者までいる。
皆、夜を恐れていた。
それでも、誰もその理由を語ろうとはしなかった。
誰もが後ろめたい顔をしていた。
夢が事実なのだと証明するように。
あの平民の少女も、日に日に憔悴していった。
下を向いたまま、俺と目を合わせようとしない。
そして数日後には、壊れたように同じ言葉を繰り返し始めた。
「嘘をついてごめんなさい」
「悪気はなかったの」
「ただ、守られるのが気持ちよかっただけなの」
そして、また夜が来た。
夢の中、目の前には俺がいる。
ひどく冷たい目を向けて怒鳴っている。
また、虐めるつもりか。
そんな言葉に騙されるものか。
そう言って去っていく。
その姿が消えるまで彼女は礼を崩さなかった。
場面が変わる。
俺とあの少女が学園の中庭にいる。
まるで恋人のように楽しげに話している。
俺は、彼女の身体でそれを遠くから見つめる。
そして、なにも言わず校舎に戻っていく。
また、場面が変わる。
夢の中の俺は、怯える少女を庇うように立っている。
そのまま、大勢の前で婚約破棄を告げる。
偉そうに正義ヅラして勝ち誇っている。
それでも、彼女の態度は崩れない。
淡々と必要な言葉だけを告げ、その場を離れていく。
その時の俺の顔はわからない。
彼女の身体は一度も振り返らず、扉へと進んでいくから。
だけど、見えなくとも覚えている。
俺はそんな彼女を憎しみを込めて睨んでいた。
最後の場面が来た。
彼女が椅子に立つ。
縄が首にかかる。
そこで、夢から覚める。
目を開ければ、自分の部屋にいる。
もう、何度目の夢だろうか。
これは彼女の呪いなのだろうか。
俺がどれほど愚かだったか、知らしめるための。
彼女に罪などなかった。
夢を見て、そのことがはっきりとわかった。
悪いのは全て俺だった。
俺は彼女に嫉妬していた。
俺は幼い頃から、厳しく王太子として教育されていた。
けれど、あいつはいつも澄ました顔で俺の上を行った。
どれだけ努力してもあいつを越えられなかった。
それなのに、あいつは俺のことなんて見ていなかった。
俺に向ける顔は、いつだって穏やかで、優しげだった。
一度だって、その表情は崩れなかった。
婚約破棄でさえ、あいつは……
いや、違う。
やめろ。
そんなの関係ないんだ。
あいつが悪いんじゃない。
完璧な彼女に劣等感を抱いて勝手に俺が敵視したんだ。
俺が全て悪い。
それがようやくわかった。
──まだだ。
──まだ、お前は理解していない。
突然、声が響いた気がした。
だが、部屋には誰もいない。
「気のせいか」
幻聴まで聞こえるなんて、もう笑うしかなかった。
やがて、夜が来て夢を見る。
だが、今日は何度も見た光景じゃなかった。
どこかの部屋で幼い少女が泣いている。
少女の前に立つ女性が厳しく叱責している。
少女は涙を拭いて、無理に微笑んだ。
見覚えがあった。
その表情を俺は知っていた。
そして、女性が言った。
「よろしい。それでこそ、王太子殿下の婚約者です」
疑いようもない。
その少女は、彼女だった。
場面が変わった。
大きな机に向かって、男が書類を読んでいる。
「王太子の婚約者という立場に恥じない行動をしろ」
幼い彼女へ、冷たく言い放つ。
「決して我が家に泥を塗る真似はするな。公爵家の繁栄のために尽力しろ」
男は、彼女を一度も見ない。
次々と、場面が変わっていく。
けれど、彼女は常に一人だ。
弱音を吐くことさえ許されず、両親の望む姿であり続けている。
何日も、何ヵ月も、何年も。
俺は彼女を見続けた。
やがて、夢から覚めた。
目を開けても、頭が回らない。
それから何をしたのかも覚えていない。
いつの間にか夜になり、また眠った。
幼い彼女の夢は、一度きりだった。
また、これまで何度も見た夢が始まった。
目の前の俺が、彼女を怒鳴る。
少女を背に庇い、虐めを責め立てる。
また、婚約破棄を告げる。
そして、彼女は縄を手に取った。
目が覚めた。
今までで一番の悪夢だった。
彼女の完璧さは、余裕の証なんかじゃなかった。
自分だけが苦しいのだと思っていた。
王太子として重圧を背負う俺の隣で、何もかも難なくこなす彼女が憎かった。
けれど、彼女も、俺と同じように逃げることを許されていなかった。
それなのに俺は、最も近くにいるはずの婚約者を支えるどころか、さらに追い詰めた。
俺だけが逃げた。
俺を頼り、俺の言葉に喜び、甘い言葉を返してくれる少女のもとへ。
信じたいものだけを信じた。
「ぁ……」
彼女の言葉を無視した。
睨んだ。
怒鳴った。
微笑んでいるから、気にしていないと決めつけた。
傷ついていたはずだ。
俺が、傷つけたんだ。
「うあああああああああああああああっ!!」
あの時も、あの時も、あの時も!
「俺は!!」
「俺はなんてことを!!!」
謝りたい。
彼女にしてきた、何もかもを。
今までの全てを。
けれど、謝るべき彼女は、もうどこにもいなかった。
もう、夜が来ようとどうでもいい。
朝になっても、彼女は戻ってこない。




