勇者のハーレムエンド
「……っ」
その言葉が耳に届いた瞬間、ユーノの世界から「音」が消えた。
アルフレドの剣波も、四天王たちの喧騒も、降り注ぐ雨の冷たさも。
すべてが遠のき、ただ目の前の、ボロボロになりながら自分を呼ぶ男のココロだけが、鋭く彼女を貫いた。
顎下まで閉ざしていた重いコートの襟を、白く細い指が、ちぎれんばかりに強く握りしめる。
「おそ…い…よ」
掠れた声が、震える唇から漏れ出る。
透き通るような白い肌は、もはや隠しようもないほど、耳の付け根まで真っ赤に染まる。
俯いたままの彼女の視界に、ぽたぽたと大きな雫が落ち
プラチナ色の長い髪を伝って床に流れる。
長い髪も揺れるから、涙は塗り広がり少女の足下を鈍色に輝かせる。
「わたし…、ずっと…今さら……。遅いよ……」
鈍色の瞳が、溢れ出した涙で潤み、熱を帯びて煌めく。
それは世界の理を司る神の光ではなく、大好きな幼馴染に放置され、孤独を噛み締め続けてきた少女の、恨み言という名の情愛だった。
「でも…、間に…合った…ね。……ずっと、ずっと、レイがその言葉を思い出すのを、待ってたんだよ……」
女神の化身としての完璧な均衡が、完全に瓦解する。
大きなコートの中で、華奢な肩が激しく上下し、嗚咽を堪えるように丸まった。
「えと…。そんなこと…言われても。さっきのがないと思い出せなかったわけで…」
「ずっと、ずっと、レイがその言葉を思い出すのを、待ってたんだよ……」
「俺としても俺の感情なのか、レイの感情なのか分からなかったわけで…」
「ずっと、ずっと、レイがその言葉を思い出すのを、待ってたんだよ……」
「うわ…。ゲームならではの繰り返し…。ゴメン‼本当にごめんなさい!大好きなユーノを、ずっと忘れっぱなしで‼」
視線はレイとぶつかりっぱなし。
それから、嘘みたいに周りは静かなまま。
「…そ。なら、よし」
ユーノは熱に浮かされたように目を泳がせ、再びコートの襟に顔を深く埋めた。
女神の化身にしては緩みすぎた顔を隠すように。
◇
「……そ。なら、よし」
その、あまりにもあっけない「許し」の言葉が、アルフレドの精神の最深部で、決定的に破断する音を立てた。
こうなる可能性に、彼はかなり前から気付いていた。
これ以前に彼は二度死に、女神の像に戻されたことがある。
復活で敗北はなかったことにされるが、無敵にはしてくれない。
光女神の加護は、完璧な加護ではないと肌で感じ取っていた。
そして今回の戦い、『ノーサイド』はそんなシステムを見抜いたアルフレドの作戦だった。
彼は戦いが不利になることよりも、あの事実が明るみになることを恐れた。
明るみにならないように、それを防ぐように、世界を雑音で満たした。
互いに会話できないようにする。その結果、魔神を倒せたら万々歳。
「……はは……あははははっ!!」
レイとユーノ、二人だけの空間を切り裂いたのは、アルフレドの乾いた笑いだった。
光の加護を受けている金髪は輝かしく光り続けるのに、どす黒い情念に煽られて世界の摂理に反して逆立つ。
「なら、よしだって?おっかしいなぁ。僕の聞き間違いかな、ユーノ。僕がどれだけ君に尽くしたと思っているんだ。世界のシナリオをどれだけ研究したと思ってるんだ。ユーノを邪神にしたのはレイ。そう言ったのは君だったよね?だのに、待ってたって……?」
彼が握る聖剣から、暖かな光が消える。
代わりに溢れ出したのは、網膜を焼くような、どろりとした「執着」の色。
「あんな情けない男の、たった一言の謝罪で……。僕のこれまでのすべてを、無意味だと断じるのかい?」
「アル…、駄目よ」
「ユーノをユーリの元に向かわせる。それで終わりなんだよ?」
ヒロインたちの目に映るノーサイド作戦は、ユーノがユーリのところに行って完成する。
ユーノに切っ先を向けるのは間違っている。
だけど、アルフレドの瞳からハイライトが完全に消失する。
彼はゆっくりと、愛おしそうに、だが明確な殺意を込めて、剣先をユーノ……ではなく、彼女を包む空気そのものへと向けた。
「フィーネ、エミリ。皆、何を言ってるの?世界が終わりかけているのは、闇女神であるユーノと人間の象徴である勇者の僕が一緒にいるから。そして今、ユーノは僕の愛した完璧な女神じゃないって分かったじゃないか」
ノーサイド作戦はただの演技だ。
だから、最後に使うべき策も用意していた。
ユーノは世界の意志で、自分とアルフレドが一緒にいると世界が闇に染まると言った。
そのゲームが勝手に押し付ける設定さえも、勇者は次の作戦に埋め込んでいた。
埋め込んだ理由が——
手に入らないのなら、それはアルフレドを愛せない女の方が悪い。
希望の光である勇者に相応しくない理由だとしても、勇者らしい理由はいくらでもつけ足せる。
「アル、聞いて。ユーノはレイのことを」
「ユーノは闇女神。ユーノが消えたら、闇も消える。世界には希望の光だけが残り、魔物たちは全滅。光女神に愛された僕たちの楽園が残る。…そうだよね、ユーノ」
一歩踏み出したアルフレドの足元から、黒い亀裂が走り、魔神の間が悲鳴を上げる。
それは勇者でも魔神でもない、ただ一人の男が抱えた、底なしの愛憎の奔流だった。
「僕は間違ってない。僕は間違ってない。間違ってない間違ってない‼」
アルフレドがユーノに襲い掛かろうとした、その刹那。
レイは、凶行を止めるべく地を蹴ろうとし、
——不意に、左腕が背後から力強く引っ張られる感覚に襲われた。
「……えっ!?雑木林の臭い…?」
ここは魔王の間だ。そんなことはありえない。
背後には誰もいないのだし。
だけど、この手を引く力を、震える力を知っている。
視線の端、虚空に見えたのは——
それは、夕闇に沈む雑木林。
あまりにも大きすぎるコートを羽織った、あの日の幼いユーノだった。
彼女は、レイの左腕の袖を小さな手で握りしめ、震えていた。
前方に広がる村の影――、いつの日か自分を拒絶し、自分を消し去ろうとする大人たちが待つ「現実」と「未来」
怯えて、その場に縫い付けられたように立ち止まっている。
当時はまだ、薄い桃色の瞳、その瞳が絶望に潤んで、レイを見上げていた。
「…………」
あの日。
村に戻るのを拒んだ彼女を、無理やり連れて行ったのは自分だった。
「忘れて」と言った彼女を、本当に忘れて放置してしまったのは自分だった。
アルフレドが放つ愛憎の黒光りが、レイの網膜で夕焼けの色と重なり、そして反転する。
左腕に残る、幻にしてはあまりに熱く、そして危うい拒絶の震え。
一秒にも満たない白昼夢だったが、勇者とユーノの距離を考えるとその時間さえ惜しい。
だが、その一瞬はノーヒントとも言えた、もう一つのクリア条件を露わに…
いや、こんな表現は無粋でしかない。
「だって、やくそく…だもんな」
レイは、幻の少女が掴んでいるはずの自分の左腕を、右手で強く握りしめた。
自分を見つめる「向こう側」のユーノを、真っ向から見据える。
そこにはもう、迷いも動揺もない。
「俺が守ってやるから大丈夫だって。……アルフレド。お前が何と言おうと、世界をどう定義しなおそうと…。関係ねぇんだ。ゲーム内キャラという限られたリソースで懸命に考えたんだろ?」
勇者は仲間だったキャラたちを振りほどく。
あと一歩で闇女神の化身であるユーノを、光女神の加護を受けた剣で斬りさける。
「僕は間違ってない。ユーノがいなくなれば、お前達魔物もいなくなる。そして、お前とユーノは二度と」
アルフレドは目を剥いた。
どんなに距離が離れていても、魔王軍幹部にはアレがある。
「——|魔王軍幹部専用転移魔法」
「く…。でも関係ない‼このままお前ごと、聖なる光で——」
もうHPだのMPだのを語るのは止そう。
勇者の剣を魔神が弾いた、それだけでいい。
「アル、最後まで聞けって」
「何を…だよ。僕は間違ってない。間違って…」
「——大正解だ」
「え…?大…正…解……って……」
アルフレドは膝から崩れ落ちた。
「アルの言う通り。俺が消えればいい。ユーノが消えればいい」
他のどのヒロインも首を傾げるし、復活四天王たちもたじろぐ。
「プレイヤーの俺でも気付けなかったんだ。お前の言う通りに、俺とユーノが消える。俺がユーノを連れて亜空で待つユーリのところにいく。そうすれば、お前達の世界は助かり、お前達が大嫌いな俺も一緒に消える。ピッタリの一石二鳥。アル、ゲーム内キャラという限られたリソースでよくぞそこまで辿り着いたな。流石は人類の希望、勇者様だ」
ここまで説明すれば、ヒロインたちも理解出来る。
——これで世界は救われるのだ。
ユーノ以外、八人のヒロインは相変わらず、勇者に対して好感度MAXのまま。
勇者の元に駆け寄って、何やら甘い言葉なんかを囁く。
その様子にレイは肩を竦めて、愛しのユーノの首根っこを掴んだ。
「ユーノ。前から思ってんだが、そのコートはお前の丈に合ってないぞ」
「むー。これはわたしの鎧だし」
2mを越える巨人に掴まれて、闇女神は足をバタバタとさせる。
ジト目で歯向かう少女には、レイはジト目で睨み返し、おそらく転生前から溜まっていた安堵の息を漏らした。
「そうだった…か?ま、いいや。その前に言うべきことがあるだろ。じゃないと、物語を締めくくれない」
大正解という言葉を正しく理解できたのは、レイとユーノ以外にただ一人。
そうならないように奮闘してきた勇者だけだった。
だから大正解したのに、大勝利したのに、
覆せない死刑宣告を待つように、勇者は項垂れた。
「アル…。ゴメン…なさい。わたしはアルの気持ちには答えられない」
その声が勇者に届いたかどうか。
見事なハーレムを咲かせる勇者が何を思ったか。
この世界からいなくなるレイには関係なかった。
だって物語は既にエピローグ。
「えっと…レイ?結局、アタシたちは人間に戻るってこと?」
「ボクとしてはもう少し、この姿のままがいいんだけど」
「だー‼そしたら俺はまだ龍の鱗が剥けねぇじゃねぇか‼」
「それは大人になってないからでしょ」
「某は…。ん?何がどうなったで御座るか…?」
ここからどうやってユーリのところに行くのか、なんて説明は必要ない。
「ま。悪いようにはならねぇよ。だって、ユーリとユーノは元々同じ女神。ってことで、ユーノ。後はよろしく」
小難しい儀式も、秘密の鍵もいらない。
ユーノがただ、こう言えばいい。
それだけでドラステDLC編は勇者のハーレムエンドで結びがつく。
——闇女神専用転移魔法




