第36話 もっと遠くへ
グリフォン。
その名前は王都中で話題になっていた。冒険者ギルドでも同じだった。昼間だというのに酒場スペースは混雑している。
冒険者達が集まり。森の地図を囲み。真剣な表情で話し合っていた。
「北の森だ」
「目撃者は複数」
「見間違いじゃねぇ」
「おかしいぞ……」
重い空気だった。王都近郊でグリフォン。普通ではあり得ない。
だからこそ。誰もが不安を感じていた。
そんな中。
カナタは。
「グリフォンって飛ぶんだよね?」
全然違うところが気になっていた。
ルークが呆れた顔をする。
「そこかよ」
「だって飛ぶんでしょ?」
「飛ぶな」
「いいなぁ」
「良くねぇよ」
即答だった。危険な魔物である。憧れる対象ではない。
だが。
カナタは空を見上げた。青空。白い雲。風。
そして。
ふと思う。飛べたら気持ち良さそうだなぁ。
「飛びたいのか?」
エマが聞く。
「ちょっと!」
ちょっとではない顔だった。かなり飛びたそうだった。ルークがため息を吐く。
「お前なぁ……」
その時だった。
受付のミリアが小さく笑った。
「風魔法なら可能ですよ」
カナタが振り向く。目が輝いていた。
「飛べるの!?」
「上級者なら」
「ほんと!?」
「はい」
その瞬間。カナタの中で何かが決まった。
◇◇◇
しばらく後。ギルドの受付。依頼を探していたカナタは。なぜか魔法関連の本を読んでいた。読んでいたのだが。
五分後。閉じた。
「難しい」
早かった。非常に早かった。ミリアが苦笑する。
「まだ数ページです」
「難しい」
「読んでください」
「文字多い」
ルークが吹き出した。エマも笑いを堪えている。カナタは本気だった。本当に難しかったのだ。
風の理論。魔力の流れ。詠唱構築。理解できない。
◇◇◇
その時だった。
広場から帰ってきた子供達の声が聞こえる。
「歌のお姉ちゃん!」
「また歌って!」
「今度はもっと遠くで聞きたい!」
その言葉に。カナタが反応する。
「もっと遠く?」
「うん!」
「後ろだと聞こえにくい時ある!」
「広場広いもん!」
子供達は悪気なく言った。
だが。カナタは少し考える。確かにそうだ。最近。人が増えている。広場の後ろまで歌を届けられているだろうか。
もっと遠く。もっとたくさんの人へ。歌を届けられたら。
「……」
ふと。
神様の言葉を思い出した。世界に歌を届けてこい。
あの日の言葉。忘れていたわけではない。
けれど。最近になって少しずつ意味が分かる気がしていた。
「ミリア」
「はい?」
「風魔法って」
カナタは聞く。
真っ直ぐに。
「声も運べるの?」
ミリアが少し驚く。そして頷いた。
「運べます」
「遠くまで?」
「可能です」
その瞬間。カナタは立ち上がった。
「やる!」
即決だった。
◇◇◇
ギルド裏の訓練場。ルーク。エマ。ミリア。そしてカナタ。四人が集まっていた。
「飛ぶためじゃないのか?」
ルークが聞く。
「それもある!」
正直だった。
「でも」
カナタは空を見る。少しだけ笑う。
「もっと歌を届けたい」
その言葉に。ミリアは少し微笑んだ。それなら。確かにカナタらしい。
◇◇◇
まずは魔力を感じる練習。ミリアが説明する。
「体の中を流れる力を意識してください」
「うん」
カナタは目を閉じた。
すると。すぐに感じた。暖かい流れ。
大きな力。自分の中を巡る不思議な感覚。
「感じる?」
「感じます」
「では少しだけ手へ」
「うん」
カナタは言われた通りにする。少しだけ。本当に少しだけ。そのつもりだった。
だが。
ごうっ!
強い風が吹き抜けた。草が揺れる。木の葉が舞う。
ルークが目を見開く。エマも驚く。ミリアは固まった。
「……え?」
カナタ本人も固まった。
「出た」
普通に出た。しかも強い。
◇◇◇
「もう一度お願いします」
ミリアが真顔になる。珍しかった。いつも冷静な彼女が焦っている。
カナタは頷く。再び魔力を流す。今度は慎重に。
少しだけ。そう思った。
しかし。
ぶわっ!
再び風が吹く。先程より強い。木の枝まで揺れている。ルークが口を開く。
「おい」
エマも驚いていた。
「これ初心者?」
「初心者です」
ミリアが答える。
だが。その声には困惑が混じっていた。
◇◇◇
しばらくして。ミリアは一つの結論に辿り着いた。
「カナタさん」
「なに?」
「魔力量がかなり多いです」
「そうなの?」
「はい」
カナタは首を傾げる。全然分からない。自分では普通だからだ。ミリアは続ける。
「ですが」
「うん」
「魔法技術は初心者です」
「うっ」
痛いところを突かれた。ルークが笑う。
「つまり力はある」
「うん」
「使い方知らない」
「うぅ……」
「宝の持ち腐れだな」
「ひどい!」
全員笑った。
◇◇◇
そして。
ミリアは考える。理論では駄目だ。カナタには合わない。
なら。別の方法。
「カナタさん」
「うん?」
「風は何だと思いますか?」
突然の質問だった。カナタは考える。
風。風。風。そして。
自然に答えた。
「運ぶもの」
ミリアが目を見開く。
「歌も」
カナタは続ける。
「声も」
「想いも」
「風が運んでくれる」
そう言いながら。前へ手を伸ばした。遠くの木を見る。
そして。
自然に言葉が出た。
「届け」
その瞬間。風が走った。
優しく。真っ直ぐ。木の葉を揺らし。訓練場を抜けていく。
綺麗な風だった。今までで一番。ミリアは息を呑む。
ルークも。エマも。誰も喋れなかった。理論ではない。
詠唱でもない。
ただ。届けたいと思っただけ。それだけで。風は応えた。
◇◇◇
その日の夕方。
ギルドへ戻ると。中は騒然としていた。昨日以上だった。
冒険者達の表情も険しい。
そして。
ギルドマスターが姿を現す。
「静かにしろ」
空気が張り詰める。全員が振り返る。ギルドマスターは低い声で言った。
「北の森の調査結果が出た」
誰も喋らない。
「グリフォンの目撃情報は事実だ」
ざわめきが広がる。
そして。
次の言葉で凍り付いた。
「さらに」
ギルドマスターの表情が険しくなる。
「確認された個体は一体ではない」
冒険者達の顔色が変わる。王都近郊。複数のグリフォン。
明らかに異常事態だった。
そして。
カナタは窓の外を見る。風が吹いていた。昼よりも。昨日よりも。少しだけ騒がしく感じる風。
胸騒ぎは消えない。それどころか。少しずつ大きくなっていた。
王都の平和は。静かに。確実に揺らぎ始めていた――。




