第32話 噂の歌
市場を歩くフィオナは驚きの連続だった。
王城では見られない景色。人々の笑顔。賑やかな声。
漂うパンの香り。全てが新鮮だった。
そして何より。隣を歩く少女。カナタ。
「フィオ!」
「は、はい!」
突然呼ばれ。フィオナは少し慌てる。カナタは気にしていない。完全に自然だった。
「このパンおすすめ!」
「ありがとうございます」
「あとあっちの果物も美味しいよ!」
「そ、そうなのですね」
案内が止まらない。市場の人達も笑っている。
「あら、歌のお姉ちゃん」
「今日はお友達かい?」
パン屋のおばちゃんが声を掛ける。フィオナが固まる。お友達。その言葉が妙に嬉しかった。
「うん!」
カナタは即答だった。
「フィオ!」
紹介された。フィオナは少し照れる。王女として紹介されることはある。
だが。友達として紹介されるのは初めてだった。
「よろしくね!」
「よ、よろしくお願いします」
おばちゃんが優しく笑う。市場の人達も笑顔だった。王城とは全く違う空気。けれど嫌じゃない。むしろ心地良かった。
その時だった。
広場の方から元気な声が聞こえる。
「あっ!」
「歌のお姉ちゃんだ!」
「いたー!」
子供達だった。いつもの集団である。カナタが手を振る。
「こんにちはー!」
すると。
子供達は一斉に駆け寄ってきた。
「歌って!」
「聞きたい!」
「お願い!」
いきなりだった。フィオナが目を丸くする。本当に人気なのだ。噂は本当だった。カナタは苦笑する。
「また?」
「また!」
即答だった。子供達は遠慮しない。ルークなら呆れていただろう。エマなら苦笑していただろう。
市場の人達も笑っている。どうやらいつものことらしい。
「うーん……」
カナタは少し考える。
そして。フィオナを見る。
「フィオ」
「はい?」
「歌聞く?」
フィオナが固まる。聞くも何も。そのために来たのだ。
だが言えない。恥ずかしい。とても恥ずかしい。
「き、聞きたいです」
小さな声で答える。カナタは笑った。
「じゃあ歌おうかな!」
その瞬間。
子供達が歓声を上げた。市場のおじさん達も笑う。
「今日は運が良いな」
「久しぶりだ」
「聞いていこうか」
人が集まり始める。だが前回ほどではない。
いつもの広場。いつもの人達。穏やかな空気だった。フィオナは噴水近くのベンチへ座る。少し緊張していた。
どんな歌なのだろう。何故こんなに人気なのだろう。
気になっていた。
そして。
カナタは噴水の前へ立つ。
夕暮れの光。風。揺れる水色の髪。歌紡ぎのポシェット。
その姿はどこか自然だった。
まるで。
そこに立つことが当たり前であるかのように。
「それじゃあ」
カナタが笑う。
「少しだけね!」
歓声が上がる。
そして。
歌が始まった。優しい歌声だった。高く。
澄んでいて。
どこまでも伸びていく。
フィオナは目を見開く。思っていたのと違った。
もっと技術的なものを想像していた。もっと凄い歌手を想像していた。
だが違う。
歌が上手いのは間違いない。
それでも。それだけではない。
歌声から楽しさが伝わってくる。
歌うことが好きなのだ。
それが分かる。
だから。
自然と聞き入ってしまう。周囲の人達も同じだった。
子供達は笑顔。市場の人達も笑顔。冒険者達も足を止める。ただ聞いている。それだけなのに。心地良い。
そしてフィオナは気付く。自分も笑っていた。
いつの間にか。自然と。
王城ではあまり見せない笑顔だった。
歌は続く。風が吹く。広場を抜ける風。歌声を運ぶ風。フィオナは空を見上げた。
『自由に飛べ!』
その歌詞が胸へ刺さる。
自由。
その言葉は。王女である自分には少し遠いものだった。やるべきことがある。果たすべき責任がある。
だから。
少しだけ羨ましかった。
自由に笑うカナタが。
自由に歌うカナタが。
そして。
少しだけ憧れた。歌はやがて終わる。
大きな拍手。
歓声。笑顔。フィオナも思わず拍手していた。気付けば夢中だった。
「どうだった?」
歌い終わったカナタが近付いてくる。フィオナは少し考えた。言葉を探した。
けれど。
上手く見つからない。だから正直に答える。
「……素敵でした」
カナタは笑った。満面の笑みだった。
「ありがと!」
それだけだった。偉そうでもない。特別でもない。ただ嬉しそうだった。
フィオナは思う。王城へ帰ったら。きっとまた勉強が待っている。書類もある。礼儀作法もある。
けれど。
今日は来て良かった。本当に。そう思えた。
そしてまだ知らない。
これが。王女フィオナと。歌を届ける少女カナタの。本当の始まりになることを。




