第2話 異世界の空
異世界だ。本当に。本当に異世界だった。
カナタはしばらくその場から動けなかった。
神様に送り出された直後。目を開いた先に広がっていたのは、どこまでも続く草原だった。
空は青い。ただ青いだけではない。
吸い込まれそうなほど深く、どこまでも高い。前世でも空は見てきた。
学校の帰り道。神社へ向かう途中。何度も見上げた。けれど今見ている空は違う。世界そのものが違うのだ。
「すごい……」
思わず呟く。風が吹く。柔らかな風だった。
頬を撫で、水色の髪を揺らしていく。
その感覚が妙にくすぐったい。
カナタは自分の髪を掴んだ。
「本当に水色だ」
神様は何も言っていなかった。気付けば髪色まで変わっていたらしい。
少し笑う。鏡があれば見てみたい。どんな顔になっているのだろう。まあ、そのうち分かるだろう。
今はそれよりも。
「異世界だぁ……」
もう一度呟く。
嬉しくて。楽しくて。ワクワクして。でも少しだけ寂しかった。前世の家族。友達。学校。神社。
もう二度と会えない。そう考えると胸が少しだけ痛む。
けれど不思議だった。絶望はしていない。
神様のおかげだろう。最後にちゃんと話せた。送り出してもらえた。
だから前を向ける。
「よし!」
カナタは両手を広げた。
「せっかくの異世界だし!」
「楽しまなきゃ損だよね!」
返事はない。
だが気分は良かった。誰も見ていない。誰も知らない。だから好き勝手できる。それはカナタにとって最高だった。
草原を歩く。足元には小さな花が咲いていた。
赤い花。青い花。黄色い花。見たことのない花もある。
しゃがみ込む。指先で触れる。柔らかい。本物だ。
ゲームじゃない。CGじゃない。本当に異世界なんだ。
その事実だけで楽しい。しばらく歩いていると、小さな蝶が飛んできた。
羽が七色に輝いている。綺麗だった。思わず追い掛ける。
しかし途中で我に返った。
「私何してるんだろ」
異世界に来て最初にやることが蝶の追跡。我ながら平和だった。
お腹が鳴った。
ぐぅぅぅ。
かなり大きな音だった。
「……お腹空いた」
重大な問題である。
財布がない。食料がない。家がない。知り合いもいない。冷静に考えるとかなり危険な状況だった。
「まずは街かな」
周囲を見回す。すると遠くに城壁らしきものが見えた。
街だ。かなり遠い。だが確かにある。
「よし!」
目標決定。カナタは歩き始めた。
歌を口ずさみながら。誰も聞いていない。それでも歌う。
昔からそうだった。歌う理由なんてない。歌いたいから歌う。それだけだ。
ラララ――。
風に乗って歌が流れる。気持ち良い。
すると。視界の端で何かが光った。
「ん?」
文字だった。
名前:カナタ
呼び名:
・歌好きの少女
祝福:
・歌姫の祝福
「おおー!」
少し感動した。異世界っぽい。ステータスだろうか。
しかし数字は無い。レベルも無い。攻撃力も無い。
代わりに呼び名と祝福だけ。嫌いじゃなかった。むしろ好きだ。
「歌好きの少女かぁ」
確かに。間違ってはいない。
「歌姫の祝福?」
こちらは分からない。
けれど。見ているだけで胸が温かくなる。不思議な感覚だった。
その時だった。
ピィ。
鳥の鳴き声が聞こえた。見上げる。小鳥だった。
一羽。二羽。三羽。気付けば十羽近くいる。
しかも逃げない。近付いてくる。カナタが歌う。
鳥達が鳴く。まるで合唱みたいだった。
「可愛い!」
思わず笑顔になる。すると祝福の文字が淡く光った。
一瞬だった。だが見間違いではない。
「今の何だろう?」
分からない。けれど嫌な感じはしなかった。
むしろ。誰かに歌を届けた時に近い感覚だった。神様が言っていた。歌姫の祝福。
きっと何か関係があるのだろう。そう思った時だった。
ガサガサ。
近くの草むらが揺れた。カナタは歌を止める。
何かいる。鳥達も一斉に飛び立った。警戒するように。草が揺れる。
そして。現れた。灰色の狼普通ではない。大きい。人より大きい。
鋭い牙。赤い瞳。どう見ても魔物だった。
「おお……」
感動した。本物の魔物だ。異世界である。だが魔物は感動していない。
低く唸る。獲物を見る目だった。
一匹。二匹。三匹。四匹。
次々と現れる。完全に囲まれた。
「えーっと」
カナタは考える。逃げるべきだろうか。戦うべきだろうか。
その結論が出る前に。一匹が飛び掛かってきた。
速い。普通の人なら反応できない。だがカナタには見えた。
驚くほどゆっくり。
「あ、危ない」
反射的に手を出す。
軽く。本当に軽く。それだけだった。
ドゴォォォォン!!
轟音が響いた。狼が消えた。
いや。吹き飛んだ。
空の彼方へ。
点になって。見えなくなった。沈黙。カナタも固まる。
狼達も固まる。数秒後。狼達は一斉に逃げ出した。
全力だった。命懸けだった。
「あっ、待って!」
もちろん待たない。もの凄い勢いで森へ消えていく。
静寂。風だけが吹く。カナタは自分の手を見る。
そして。空を見る。
「神様ぁぁぁぁぁ!!」
叫んだ。少し丈夫とは何だったのか。どう考えても少しではない。
絶対に違う。説明を要求したかった。しかし神様はいない。
代わりに吹き抜ける風だけが答えた。
――知らん。
そんな気がした。




