第1話 歌が好きだった
「もっと歌いたかったなぁ……」
朝比奈かなたの最後の記憶は、それだった。
痛かったとか、怖かったとか、そんなことはほとんど覚えていない。ただ一つ。もっと歌いたかった。
それだけが心に残っていた。かなたは歌が好きだった。
物心ついた頃からずっと。
家でも。学校でも。通学路でも。気付けば鼻歌を歌っていた。
特別な理由はない。ただ歌うのが好きだった。
歌っている時だけは嫌なことを忘れられた。
落ち込んだ日も。
失敗した日も。
歌えば少しだけ元気になれた。だから歌った。誰かに聞かせるためじゃない。自分が楽しいから。
それだけだった。特に好きだった場所がある。
家の近所にある小さな神社だ。古びた鳥居。苔むした石段。誰も来ない静かな境内。放課後になると、かなたはよくそこへ通った。
ベンチ代わりの石に腰掛けて歌う。
アニメの曲。流行りの曲。昔の曲。そして時々、自分で考えた歌。誰もいない神社に歌声が響く。それが好きだった。
「今日もありがとねー」
歌い終わったあと、社へ向かってそう言うのもいつものことだった。
返事はない。当たり前だ。神様なんて見たこともない。
それでも。なんとなく。そこにいる気がしていた。
そしてその日も。いつもと変わらない一日だった。
学校が終わる。友達と話す。家へ帰る。神社へ向かう。
ただそれだけ。ただ一つ違ったのは。
その日が最後だったことだ。
――――――――――
目を開く。真っ白だった。上も下も分からない。何もない空間。
「……あれ?」
かなたは辺りを見回した。意味が分からない。ここはどこだろう。
病院?夢?それとも。
「死後の世界だ」
突然声がした。
「うわぁっ!?」
飛び上がる。いつの間にか目の前に男が立っていた。
白い髪。白い服。整った顔立ち。年齢不詳。
どこか人間離れした雰囲気。
「誰!?」
「神だ」
「絶対違う」
「神だ」
「怪しい!」
「神だ」
真顔だった。かなたは思った。怪しい。とても怪しい。
だが相手は気にした様子もない。
「朝比奈かなた」
「はい」
「死んだ」
「はい」
数秒沈黙した。
そして。
「えっ」
理解した。
「ええええええ!?」
叫び声が響く。死んだ。自分が。本当に。
「嘘でしょ!?」
「本当だ」
「ええぇ……」
かなたはへなへなと座り込んだ。しばらくして。ぽつりと呟く。
「もっと歌いたかったなぁ……」
神は少しだけ笑った。
「知っている」
「え?」
「ずっと聞いていた」
「何を?」
「お前の歌を」
かなたは首を傾げる。神は続けた。
「あの神社だ」
「神社?」
「お前が毎週通っていた場所」
「……え?」
「私の神社だ」
数秒。思考が止まる。
「は?」
「だから聞いていた」
「全部?」
「全部だ」
「全部!?」
「全部だ」
かなたの顔が一瞬で真っ赤になった。
「恥ずかしいぃぃぃ!!」
自作の歌も。変な鼻歌も。全部聞かれていたらしい。死にたい。いや、もう死んでいた。神は満足そうに頷いた。
「良い歌だった」
「やめてぇ!」
恥ずかしさで転げ回りそうになる。しかし神は真面目な顔に戻った。
「礼をしよう」
「礼?」
「転生させてやる」
かなたは固まった。
「……異世界?」
「異世界だ」
「剣と魔法?」
「ある」
「ドラゴンは?」
「いる」
「飛べる?」
「飛べる」
かなたの目が輝いた。
「行く!!」
即答だった。神は苦笑する。予想通りだった。
「だろうな」
神が指を鳴らす。光が現れる。柔らかな光だった。
「歌姫の祝福を授けよう」
光が身体へ溶け込む。暖かい。不思議な感覚。
「それと」
神が続ける。
「少し丈夫にしておいた」
「ありがとう!」
かなたは笑顔で答えた。神は何も言わない。説明すると面倒だからだ。
「最後に一つ」
「なに?」
神は静かに言った。
「自由に生きろ」
かなたは笑った。
「うん!」
それが一番嬉しかった。光が強くなる。世界が揺れる。身体が浮く。意識が遠のく。最後に神の声が聞こえた。
「世界中に歌を届けてこい」
かなたは笑う。
「任せて!」
次の瞬間。足の裏に感触があった。柔らかな草。頬を撫でる風。暖かな陽射し。ゆっくり目を開く。
そこには。どこまでも広がる青空があった。
「――――わぁ」
遠くには街。見たこともない森。巨大な山脈。そして空を飛ぶ鳥。知らない世界。
本当に異世界だった。カナタは大きく息を吸う。
そして。満面の笑みを浮かべた。
「異世界だぁぁぁぁ!!」
その声は青空へ吸い込まれていく。まだ誰も知らない。
この少女が未来の歌姫になることを。世界中へ歌を届けることを。
そして。
神様の言う『少し丈夫』が全く少しではなかったことを。




