第16話 広場の歌の子
「――知らない空を見上げていた」
夕暮れの広場。カナタの歌声が静かに響く。
最初は本当に何気ないものだった。
ただ歌いたかった。
それだけだった。誰かに聞かせるつもりもない。注目を集めるつもりもない。
だからこそ。その歌声は自然だった。透き通る声。夕暮れの風に乗る音。広場の空気へ溶け込むような歌声だった。
「昨日までとは違う景色――」
噴水の近くを歩いていた老人が足を止める。
商店街から帰る途中だった女性が振り返る。
小さな子供が母親の手を引く。
「ねえ、おかあさん」
「どうしたの?」
「あの人、歌ってる」
母親も視線を向けた。銀色の髪。不思議な雰囲気を持つ少女。
そして。優しく響く歌声。思わず耳を傾けてしまう。そんな歌だった。
一方。カナタは気付いていない。目を閉じたまま歌っている。ただ歌が好きだった。
だから歌う。それだけだ。
「不安が無いわけじゃない――」
歌詞が流れる。異世界へ来たばかり。知らない世界。知らない人々。本当なら不安なはずだった。
だが。歌詞を口にするたび。不思議と前を向ける。自分自身へ向けた歌でもあった。広場へ人が集まり始める。
一人。二人。五人。十人。誰かが誰かを呼ぶ。何があるのかと足を運ぶ。
だが騒がしくはならない。皆静かだった。歌を聞いていた。ただ聞いていた。
その頃。冒険者ギルドでは。
「お疲れ様でした」
ミリアが最後の受付処理を終えていた。窓の外を見る。夕暮れだ。今日も一日が終わる。そんな時だった。
「おい、聞いたか?」
近くの冒険者が話している。
「広場で誰か歌ってるらしいぞ」
「吟遊詩人か?」
「知らん」
ミリアは少し首を傾げる。広場で歌。珍しくはない。王都には吟遊詩人もいる。
だが。なぜか少し気になった。
「……」
理由は分からない。けれど。なんとなく。見に行こうと思った。ギルドを出る。
夕暮れの街を歩く。そして広場へ向かった。
その頃。カナタの歌はサビへ入っていた。
「自由に飛べ――」
風が吹く。広場の木々が揺れる。空は茜色。噴水の水音。全てが重なった。
「風の向こうへ――」
誰も話さない。
誰も動かない。
歌声だけが響く。
冒険者。商人。子供。老人。身分も立場も関係ない。皆が聞いていた。
「まだ知らない景色を探して――」
カナタは歌う。
まるで。この世界へ来た日の自分へ向けるように。
自由に生きよう。見たいものを見よう。行きたい場所へ行こう。そんな想いを乗せながら。
歌う。
そして。ミリアが広場へ到着した。人が集まっている。思った以上に多い。何事かと思う。人混みの向こうを見る。
そして。目を見開いた。
「え……」
そこにいたのは。昨日登録したばかりの新人冒険者だった。
カナタ。
噴水の前で歌っている。ミリアは言葉を失った。歌が上手い。そんな言葉では足りない。歌声に惹かれる。
自然と聞き入ってしまう。
それが一番近かった。
「この世界が広いのなら――」
歌は続く。
そして。最後のサビへ。
「自由に飛べ――」
空を見上げる。
夕焼けの空。
流れる雲。
異世界へ来た日のことを思い出す。神様との別れ。新しい世界。
希望。不安。全部。全部抱えたまま。前へ進む。
「空より高く――」
カナタは歌う。誰かのためではなく。自分のために。それなのに。歌は人の心へ届いていく。
「いつの日か振り返る時――」
広場は静かだった。
誰も声を出さない。
ただ聞いている。
「今日を好きになれるように――」
そして。最後の一節。
「自由に飛べ!」
歌が終わる。風が吹く。静寂。ほんの数秒。誰も動かなかった。まるで夢から覚めるのを拒むように。
そして。次の瞬間だった。
パチ。
誰かが拍手した。
一人。また一人。さらに一人。やがて。広場中へ広がっていく。大きな拍手。
歓声。驚き。笑顔。その全てがカナタへ向けられていた。
「……え?」
カナタは固まった。ようやく気付く。周囲に大勢の人がいることに。聞かれていたことに。
そして。拍手されていることに。
「えぇぇぇっ!?」
夕暮れの広場に。盛大な声が響いた。




