第3話「倒れていた女」
その日も、特に変わらない朝だった。
水を汲み、畑の様子を見て、軽く手入れをする。
「……また伸びてるな」
昨日より確実に育っている作物を見て、少しだけ眉をひそめる。
早い。どう考えても早い。
だが――
「まあ、いいか」
育つなら問題ない、で思考を打ち切る。
細かいことを気にしない。それがこの生活を続けるコツだと、なんとなく分かってきていた。
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昼前、森の中へ入る。
食材になりそうなものを探すためだ。
木の実や野草を見つけては、手際よく採取していく。
「この辺りは本当に恵まれてるな……」
ぽつりと呟く。
歩くだけで食材が見つかる。水もある。気候も穏やか。
理想的すぎる環境だった。
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――そのとき。
ふと、違和感を覚えた。
「……?」
風の音に混じって、何か別の気配がある。
人の気配。
「こんなところに……?」
警戒しつつ、ゆっくりと近づく。
木々の隙間を抜けた先――そこにいた。
ひとりの少女が、倒れていた。
「……おい」
駆け寄る。
年は自分と同じか、少し下くらいか。長い髪は乱れ、服は傷だらけで、ところどころ黒く染まっている。
呼吸は浅く、今にも途切れそうだった。
「ひどい状態だな……」
外傷だけじゃない。
肌の一部が不自然に変色している。まるで、何かに侵されているような。
「……呪いか?」
言葉が自然に出てきた。
知識として理解できる。
放っておけば、長くはもたない。
「……仕方ない」
迷いはなかった。
少女を抱え上げる。
驚くほど軽い。
「あとで文句言うなよ……」
返事はない。
そのまま小屋へと急いだ。
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小屋に戻ると、すぐに寝かせる。
「まずは……体力だな」
鍋に水を入れ、火を起こす。
手近な食材を使って、スープを作る。
何を入れればいいか、どの順番で煮ればいいか――やはり考えるより先に手が動く。
自然と“最適な一杯”が出来上がっていた。
「……よし」
少女の体を起こし、ゆっくりと口元に運ぶ。
「飲めるか?」
かすかに、唇が動いた。
スプーンで少しずつ流し込む。
一口。
二口。
三口。
――その瞬間。
少女の体が、わずかに震えた。
「……?」
次の瞬間、変化が起きた。
変色していた肌が、じわじわと元の色に戻っていく。
荒れていた呼吸が整い、弱々しかった脈が安定する。
「……え?」
思わず声が漏れる。
明らかに異常な回復だった。
だが、それは止まらない。
数分も経たないうちに、少女の顔色は完全に健康なものへと変わっていた。
「……治った?」
信じられない光景だった。
呪いのようなものまで消えている。
「いや、そんな簡単に……」
戸惑っていると――
「……ここは」
少女が、ゆっくりと目を開けた。
「気がついたか」
ほっと息をつく。
「無理するな。まだ――」
「いえ、大丈夫です」
即答だった。
その声には、先ほどまでの衰弱がまったく感じられない。
「……いや、さっきまで瀕死だったろ」
「回復しましたので」
淡々と返される。
少女はゆっくりと起き上がり、周囲を見回した。
小屋の中。配置。道具。素材。
そして、外の気配。
その視線が、わずかに鋭くなる。
「……なるほど」
小さく呟いた。
「何がだ?」
問いかけても、すぐには答えない。
代わりに、少女は自分の手を見つめる。
握って、開く。
力を確かめるように。
「……完全に消えていますね」
「何が?」
「呪いです」
あっさりと言う。
「長年、蓄積していたものですが」
「……は?」
主人公は固まった。
「いや、ちょっと待て。あれ、そんな軽いものじゃなかったのか?」
「本来ならば、専門の術師が時間をかけて浄化する類のものです」
「だよな?」
「はい」
「じゃあなんで消えた?」
沈黙。
少女は、ゆっくりと主人公の方を見る。
その目は、観察する者のそれだった。
そして――
「……なるほど」
もう一度、同じ言葉を口にする。
「いやだから何がだ」
「理解しました」
きっぱりと言い切った。
妙な確信を帯びた声。
嫌な予感がする。
「してない」
即座に否定する。
だが、少女は気にした様子もなく、静かにうなずいた。
「ここは極めて特異な環境です」
「違う」
「あなたの行動はすべて合理的であり、結果として――」
「違うって言ってるだろ」
食い気味に遮る。
だが、少女は止まらない。
むしろ、どこか楽しそうにさえ見えた。
「興味深いですね。非常に」
「やめろその目」
主人公は頭を抱えた。
これはまずい。
直感的に分かる。
「……とりあえず、名前は?」
話を逸らす。
少女は一拍置いてから、答えた。
「レイナです」
「そうか。俺は――」
名乗りかけて、やめる。
まあいいか、と軽く流す。
「……好きに呼んでくれ」
「では“管理者”で」
「やめろ」
即却下だった。
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こうして、少女――レイナは居座った。
理由は単純。
「観察を継続します」
「帰れ」
「却下します」
話が通じない。
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その日から、小屋には二人目の住人が増えた。
静かだったはずの生活に、少しずつ“何か”が混じり始める。
そしてその“何か”は――
確実に、騒がしい方向へ進んでいた。




