デイジーの村で 12
最初は、そこに小さな水たまりでもできているのだと思った。あるいは、生まれたての森の、瑞々しい息吹を含んで玉を結んだ露か。陽の光を弾いてきらきら光るその上に、小さく浮かぶ淡い虹──。
咲き乱れる丈低い花たちを、らしくもなく乱暴に踏み分けて、リーフィアスは己の勘違いであることを流転の神々に祈りつつ、見つけた輝きに向かって急いだ。近づくにつれ、疑いが確信に変わる。浅い窪地の中心で、密集したデイジーの花々に持ち上げられたそれは、いつか師匠に見せてもらったものと同じ、特異な輝きを帯びていた。
「何それ……きれい……」
後から追いついてきたトイヴォが、立ち尽くすリーフィアスの背中ごし、のぞき込むようにして言う。色とりどりの花の真ん中で輝く石は、確かに幻想的なまでに美しいけれど──。
「これは、禍つ石。穢魔の依り代だ」
「……!」
固い声で告げるリーフィアスに、背後の少年が身体を硬直させたのがわかる。
「今はもう、ただの石だがな──」
そう呟きながら手を伸ばそうとすると、トイヴォの必死な指がリーフィアスの袖をつかんだ。
「あ、危ないよ、リーフィアス! そんなものに触ったらダメだ!」
穢魔の穢れが取りついたら、おっかぁたちみたいに病気になって死んじゃう、死んじゃうよ、と泣きそうな声で止める。
「大丈夫だ」
リーフィアスは宥めるように少年の手を軽く叩くと、ひと息吐いて、ゆっくりと石を拾い上げた。
「もう穢魔は消えてしまっている──。再生の祝詞と緑の弥栄に触れて、浄化された。今のこの輝きが、そのしるしなんだよ」
手のひらの中で転がすようにしてみせる。赤子の握りこぶしほどの石は透明で、色とりどりのデイジーを映して淡く発光するかのようだ。
「虹、みたい……」
石をほのかに取り巻く七色の光を、何に喩えるかといえばやはり虹だ。リーフィアスはトイヴォのもらした言葉にうなずいてみせる。
「ああ。こうなったものは、虹空石と呼ばれている」
「イーリス……これって、ほう……ほうせき、っていうものなのか?」
きらきら光るきれいな石のことを、たからの石、宝石というのだと、迷い込んできた旅人から聞いたことがある、と呆けたようにトイヴォは呟く。
「こんなん俺、見たことないよ。村は何もかもが灰色で、こんなきれいなもん……」
「だろうな──」
リーフィアスはに皮肉な気分で肯定した。
「しかし、今ここにこれがあるということは、禍つ石があったのだ。虹空石の元は禍つ石。再生の祝詞と緑の弥栄で浄化されると、そのほとんどはただの石となって砕けてしまう。だが、ごく稀に、弥栄の緑の歓びに覆われ尽くして穢れが消し飛び、散じ果て、まったく違う石として形成され直すことがあるという。──これは、宝石よりも希少なものだ……」
かつて、師のシダリアスに連れられて訪れた神殿のひとつで、リーフィアスはこれと同じ輝きを持つ虹空石を見たことがあった。その神秘的な美しさに息を呑み、呆けたように見惚れていると、師が耳元で囁いたのだ。「これは元は禍つ石といって、神殿が最も忌み嫌うべきものだったのだよ」と。
冷や水を浴びせられたように、一瞬で我に返ったリーフィアスが師の顔を見ると、彼は「本当のことだよ」と、弟子の反応を面白そうに眺めていて──「神々の御心は、我々小さき草にはとうてい計り知れないものなのだ」と、言葉だけは重々しくつけ加えられたが、流転の神々の御業の摩訶不思議さに畏れ入るより、なにか納得できない、理不尽な感情を抱いたことを覚えている──。
そのときに師から聞かされた説明を思い出しながら、リーフィアスは虹空石を親指と人差し指でつまんで、太陽に透かすようにしてみる。透明な石が光を弾いて輝くと、その周囲をまた新しい虹が淡く取り巻いた。
「この村に何度も、何日も禍つ風が吹いたのは、おそらくこれのせいだろう。禍つ石は穢魔の依り代。きれいに風のめぐる良い土地であっても、禍つ石を投げ込めばそこに穢魔の風が吹く。穢れを、呼ぶ石なのだ」
「……何でそんなもんが、俺たちの村に?」
悲鳴のように、トイヴォが問う。リーフィアスは「わからない」と首を振った。
「一番可能性がある、つまり、そうではないかと考えられるのは、どこかから転がってきたのではないかということだ」
「転がっ、て……?」
「ああ。禍つ石というものは、特別に濃い瘴気が凝り固まったものだと考えられている。どこか、人里離れた穢魔の土地で。何らかの形でそれが外に転がり出ても、流転の風に押し流され、やがて消えていくのだが、稀に、風の流れからすり抜けて零れ落ちるものがあるのだそうだ。──その落ちた先に、禍つ風、穢魔の風を招くのだと」
だが、普通は吟遊詩人の再生の祝詞でそれも消え果るはずなのだ、とリーフィアスは半ばを口の中で呟きながら、師の言葉を思い出そうとする。
『デイジー村には何かおかしなものがある。それは存外、お前の歌と相性が良いかもしれない』
無理やり独り立ちさせられたあのとき、シダリアスはそんなことを言っていたけれど──。
「こんなもの!」
言いざま、トイヴォはリーフィアスの手から虹空石を奪い取り、地面に叩きつけ、粗末な履物で踏み躙った。
「……」
感情のまま何度も繰り返される蹂躙に、それでも虹の光輝をまとう石の、その輝きは消えない。神殿の歌神官たちに見せればいくらでも金を積むだろうし、商人に見せればどれほどの値がつくかわからない。恐ろしいほど価値のある宝石だと知ってはいるが、少年の気持ちを考えれば、それを止めることはリーフィアスにはできなかった。
ただ、一緒に踏みつけられるデイジーが可哀想だと思った。葉も花もぐしゃぐしゃになって、下の土と混ざる。──それは、トイヴォの中で今もまだふさがらない傷となっているであろう、穢魔の風に蹂躙されていたときの、あのデイジー村の姿なのかもしれなかった。
だがもうそろそろ止めようと、荒ぶる少年に声を掛けようとしたとき。
「……? ……!」
リーフィアスはまたも声が出なくなったことに気づいた。何故、と思うよりも先に、眼の端に答が現れた。肩の上で、瑞々しい緑の双葉が揺れている──。
リーフィアスの頭の上から、あのおっさん草が抜け出してきたのだ。




