7「咲いて」
よし!(0時49分)
どうぞ。
大地に走る魔力の流れである「地脈」、そして天にある魔力の渦「雲海」、これらは結晶生命体やそれに近しい凝魔霊命体たちによって生み出されるものである。代表的な結晶生命体である「石晶子」やその享華体「六角晶」、さらに成長した「玉牙」たちは大地や大気に流れる魔力を吸着して成長し、心や固有の剣気に目覚める。
そういった何の変哲もない出来事が、滅びた牧竜都市ギエラの入り口で起ころうとしていた。たとえ周囲に言い尽くせぬほど損壊された死骸が転がっていても、かれの体内で起ころうとしている出来事自体はありふれたものである。
死力――死したものの体に残る魂魄の残滓が無形エネルギーとして流れ出し、そのままに変換されなかった「なにものでもない力」。それは集まり続けたある意識のかけらと結びつき、凝り凝って怨念塊と化した。もとがエネルギーの塊であるそれは、発散されるためにある種の災害として振る舞い、災害が終わるころには消滅するはずであった。しかしながら、このモンスター「斗怨邑火」が持つ憑依の性質が、あるべきものとは違う結末をもたらそうとしている。
ある洞窟で芽吹いた石晶子は、剱蜥蜴に丸ごと食われ、そこから姿を消した。鉱蟹やサソリのたぐいも同じことをすることがあり、多くの場合は魔力の非常に多い甲殻を形成するためのつなぎとなる。しかし、すぐさまそのトカゲの背から生えてきた晶殻は、見た目にも明らかに、つなぎの魔力ではなかった。結晶の中に輝くものは、いずれ目覚めるべき魂の根とも呼ぶべきものであり、命力の光だった。双命核によって補強されたそれは、静かに目覚めるときを待っていた。
しかし、ここに大きな課題が立ちふさがった。
噛み砕かれ、機能を失いかけた命力の脈は、トカゲがミズチに、ミズチが蛟竜になっても修復されなかった。かれは晶殻を体の一部であるとは認識していたが、それが損傷を受けても痛みを覚えぬことで、臓器や手足のひとつのようには考えていなかったのだ。しぜん、意識されない晶殻が享華によって大きな変化を迎えることはなく、成長はしても覚醒はしていなかった。生と死を超える、あるいは裏返すきっかけは、トカゲの方からは与えられなかったのである。
そこで、死力の塊が流れ込んだ。あまりに過大な力は全身を侵食しようとしたが、ごくわずかな時間で大幅に減衰し、そしてある種の幸運を与えた。無形エネルギーは、拙くとも命力の脈をつないだ。経路があいまいで、形が生まれる前の形とでも言うべき混沌に近いありさまであったが、つながれば命になり、目覚めもする。そして、才ある六角晶は半覚醒状態にありながら死力……今は形を持たないエネルギーへ規格を与えた。次いで魔力へと変わった力を自らの構成要素として取り込み、命力と魔力の導管を作り上げる、というまさに凝魔霊命体たるにふさわしい働きを為し、彼女は覚醒した。
彼女こそが凝魔霊命体:ソリッド・共生種親和類・竜殻派生「剣殻晶」である。覚醒したとはいえ竜の背になじみ、移動はかれに依存することになる。命力の脈は剣竜の脊髄近くのものと直結し、魔力の導管もこれまで通り相互につながり、互いを支え合っている。しばらく竜が気付くことはないかもしれないが、これまでと同じか、より深い支え合いがかれにもたらされることになるだろう。
体を乗っ取られ、芽生えた力を望まぬことに使われた綾錦竜はといえば、あまり好まぬ午後いちばんの直射日光が当たるまで目覚めることはなかった。
「ギュ、ルグィ」
きょろきょろとあたりを見回すが、見覚えのない光景である。そもそも街になど近寄らず、近寄るときはうっかり人間につられたり連れられたりしたときのみだ。酸鼻極まる光景を前にしても、その原因がつかめない以上は戸惑うほかなかった。
幸か不幸か、殺戮の記憶はかれには残っていない。そうであっても、建物に刻まれた刃気の痕跡を見て察せぬほど竜は愚かではなかった。自分か、あるいは自分へと手を伸ばしてきたあの巨大な怪物の仕業であろうとあたりをつけたかれは、あたり一面に転がっている人やトカゲの死骸には目もくれず、恐るべき速さで駆けだす。自分どころか、以前出会った怪物たちすべてを屠って余りある巨大な力が振るわれた現場で、悠長に食事などできようはずもない。野生動物として当然の判断であった。
とてつもない速度で走るかれは、やぶに隠れ森に紛れ、無辺大に広がるグレベルス痕源野へと飛び出してゆく。その行方を知るものは、今は――
いないが、いる。
◇
方角や速度からあたりをつけ、余剰の力を蓄えた魂を探す。タルク・ザーンが数百年に一度実施する魔将軍の候補探しでは当たり前に行っていることだが、魔力に鋭敏な視覚を持つ凝魔霊命体でもない限りたいへんに困難なことである。山野にあってなお魔力的に見れば違えることのない輝きを放つものは、それなりに等級の高い生物だけだ。その魔力の中にある種の崩壊が見られれば、それは転生者でまず間違いない。
木陰にうずくまるそれはとくに警戒する様子もなく、近寄るのは容易だった。
羽尾蜥蜴にしてはやや大きく、色味も、この種が持つ木の葉色より咲き初めのつぼみに似た、淡緑にわずかな桜花色が差し込まれたようなものである。どうやら順当に享華した「花霞舞蛟」らしいと確認したタルクは、彼女に声をかける。
「やあ」
『……あなたは。何か、用ですか』
「あの子のことは残念だったね。しかし、形を復元することはできても魂まで完全に元通りにはできない。死者は死に向かい、沈み、戻ることはない」
『あなたがやったことじゃないですか! あなたが……』
近いね、と男は目を細めた。
「だが、どうだろう? 君が持つ力が変えうるのは過去か、それとも未来か……結果いかんによっては、あの子の復活もたやすいことになるが?」
『何が言いたいんですか』
「これを食べてみないか? 君に大きな力を与えるものだ」
『信じられません』
それは残念、とさほど惜しげでもなくタルクは言葉を続ける。
「君たちを襲ったあれも、これを食べて強くなったものだ。君が必要とする力はあれほど派手でないとはいえ、小さなものではないだろう? 私を信じて力を手に入れるのと、機会を逃して無為な生をただ過ごすのと、どちらを選ぶのかね」
『……あなたを倒すかもしれませんよ』
「まあ、究極的にはそれでもいい。まずは求めるものを手に入れたまえ、結果はその先だ。受け取り――」
双命核を差し出した、その瞬間。
魔力異常のノイズのようなものが走り……そこには、卵色や濃いめの桜花色、花紫に彩られた薄衣の化身が立っていた。
『いずれまた、黄金の朽ちるときに』
「うん? テケリ、私の部屋は寝床ではないよ」
「ん、むぅ……タルクさま? 王子がお休みですから、お静かに」
「何を言ってるんだね」
「タルクさまこそ、何をおっしゃっているんですか? 安心できるところで寝るといいと、わざわざ掛け布団までご用意しましたのに」
毛足の長い絨毯に、毛布をかぶったテケリと王子が寝ている。ちょうど執務や研究の邪魔だからと何も置いていなかった場所に、である。寝かしつけた後らしく、王子はすやすやと寝ていた。ついこの間まで基礎教養を熱心に学んでいたはずが、体づくりを叩き込むような年頃に見えた。
「……何かをしに行っていた気がするんだがね。頬杖をついて眠りこけるなど、私らしくもない」
「きっとお疲れなんでしょう。ここのところ、お仕事が立て込んでいましたものね」
自分の部屋ではなく、魔王領のどこか、山野にいたように思う――しかし、その根拠もない。どこへ出かけるにしても、どこへ行くからそのように準備をせよ、などと命じた覚えもなく、単身で転移するのがいつものことである。
「うーむ、疲れが限界に達して、眠ったまま転移してしまったのかな?」
「かもしれませんね。起こさずに戻っていただけたなら、それもありがたいのですけれど」
乳母として職務に忠実な彼女のことはともかく、タルクは内心の引っかかりが取れずにいた。
「ひとまずは、目の前の仕事を片付けるとするか」
「そうですね」
では、と目を閉じたテケリから目を外し、タルクは思考に沈んでいった。
やっちゃいましたね。




