6「あたたかく開き、風へ舞う」
間に合ったぞッ!(0時36分)
どうぞ。
1ルーケの隙間があればまだ温いと感じるほどの、絶死圏。
羽尾蜥蜴は、天竜を思わせる動作で空を駆けている。
(こんなの呼んだ覚えないってば! なにこれ、ほんともうなにこれ!?)
傷を負うかどうかは相対速度にかかっている。先ほどから何度も死んでいる彼女は、否が応でも術のコントロールを鍛えられていた。風を縫って泳ぐ天竜の動き、そして自らを都合のよい軌道へと導く魔術の風。尾から切り離した羽をいくつも配置して足場に変え、目まぐるしく跳躍と方向転換を繰り返してどうにか滅刃気を避けている。十重二十重とは言えぬものの、刃の檻は人間を殺すに充分な威力と幅を持って襲いかかっている。
『ねーちゃん、無事?』
『なんとか!』
彼女は死ぬたびに数瞬前に時間を戻して復活し、一瞬一瞬を避けることだけに集中して生き延びていた――生き延びる、という言葉を使うのはインチキのようにも思えるが、弟分の雄はそれなりの余裕を持って死を回避している。かれのごとく天賦の才を持っていればまた違ったのかもしれないが、ようやく思い出した自分の名前が「リツカ」だった――くらいの至極くだらない前世の記憶と意識に縛られて、彼女は術理をしっかりと身に付けられないでいる。
(捨てなきゃ……! 今ここで、こうして必死にならなきゃいけない状況だもん……)
ユキノといういまいち顔の思い出せない誰かと行ったファミレスで食べた、シリアルの割合が妙に多いいちごパフェ。トモカが伴奏をして、ソウタが指揮をとった合唱コンクール。チカの書いた似顔絵はすごく上手だったのに、ユリが嫌がらせをして絵具を洗った水をぶっかけたこともあった。結果として、レースカーテン越しの似顔絵という美麗なものができあがったのは、彼女がすごい人だったからなのだろうか。
記憶がホワイトノイズに飲まれて浪費されていく。
受験に成功したお祝いに、お父さんとお母さんと並んで、回らない寿司屋に行った。お兄ちゃんもすごくすごい大学に受かって、これから一人暮らしをするんだ、と言っていた。里帰りしてきたお兄ちゃんは、どこかぽやっとした女の人と一緒で、彼女ができたんだ、と照れくさそうに笑っていた。ぼんやりした人に見えたのに、ふいに「わがらぁーん!」と投げ出しそうになった課題を手伝ってくれて、おねえちゃん、と慕うようにもなった。
(なんで……思い出しちゃうんだろう)
きっと、ふたりはあの日のとんでもない大災害から逃げたはずだ。
(死んでる。一回死んじゃったし、今だって何度もばらばらになってるのに)
不思議なほど、「生きている」と思えた。
(お兄ちゃん、生きてる……わたし生きてるよ! 生きてる!)
途切れた集中を埋めるように刃は訪れ、リツカの頭部を爆砕する。
それから――と、彼女は考えた。
(それで……おねえちゃんが)
魂の消費は、すでに記憶を食い尽くそうとしている。
『違う、えっと』
『ねーちゃん危ないよ!』
羽が飛んできて、彼女の足をぐっと踏みとどまらせた。
『ご、ごめん』
『なんか、さっきから危ないことしてる』
弟分の言うことにも一理あるが、そうでないとも言える。この死滅の檻の中で、彼女は生き残ることができていない。際を攻める最小限の動作でかわしているようにも見えるが、次につながらぬ無理はかれにも見て取れる。才能のあるなしでなく、動作の下手・無茶がもよおす不安は穏やかならぬ空気として伝わるものなのだ。
数秒単位の時間改変を繰り返しているからこそのギリギリの「生存」であり、生きているのか死んでいるのかはいまひとつ判然とせぬところである。華能の代償として消費される魂は、比較的多く残った記憶を優先的に燃やしているが、あと数度も死ねば意識の存続は危ういものとなり、それ以上の無茶をすれば魂魄の崩壊を招くだろう。そうなれば魔力の伝達異常により全身の魔力脈が極度の緊張を起こし、一瞬で測定等級が下がるほどに魔力が薄くなり、そのうえ過剰に引っ張られて固くなった魔力脈にろくなチカラが通らぬことにより、ショック死を引き起こすことになる。
彼女は存在していられるか消滅してしまうかの狭間にあった。
『……ねえ。ここから遠くへ行く方法ってあるかな?』
『あそこの隙間がいちばんおっきいよ。三回大きいの避けたら、あっち行こ』
『うん、わかった』
大きい滅刃気は、比較的避けやすい。それに付随するように高速で飛翔する刃こそ、もっとも用心すべきものである。とはいえ、時間が真夜中、どす黒い紫のそれであっても、自ら光を放つものを見過ごすことはあり得ない。三次元的な相対位置の把握はここまでの死でそれなりに身に付けており、時速にして約百三十ルケリクスまでなら、急制動で回避可能だ。
とはいえ、それも魔力が尽きなければの話。
(あ、マズいかも)
動かそうとした風が、動かない。やっとのことで避けた滅刃気はすぐに次が迫り、飛ばしていた羽を足元に添えて自分を押し出すことでなんとか回避に成功する。風を操る術と羽を操る術は大きく術理が異なるらしく、消費がまるで違った。
もともと不安定な避け方ばかりしているのだ、多少の違いがあっても問題はないだろうと彼女は判断したが、思ったよりも危機は近い。高空にあって不安定な足場、なおかつその足場を維持する力さえ乏しくなっている。残された時間も力も、わずかであった。
『来るよ!』
『大丈夫!』
巨大でありつつ、やっと見えるかどうかという速度で飛翔する刃を余裕を持って回避する。続けて、当たっても問題のなさそうな速度で進む刃に乗る。
『これに乗って、あれを避けたら……』
『出られるね!』
こっちへ向かってくる、唯一「檻」でなく斜めに傾く滅刃気。とどめを刺す機会を待っていたと言わんばかりにようやく動き出したそれは、すでに滅びた街を掘り返すかのように深く深く傷付けていく。そして――
(えっ、何あれ……?)
――夕闇の刃は、果てしなく巨大な剣と切り結んだ。
巨大な角柱、あるいはそのようなオブジェとして緑の中に配置されているものに近い、真鍮の物体が浮遊していた。そして角柱はふわりと外側へほどけ、八枚花弁の中心に花紫のオーブを配した金細工の花と化す。紫と金の花は、その花弁からすさまじい規模の雷を落とした。
彼女こそは「雷魔将軍」ローヴィ・カルクナ、魔王城に常駐するものの中でも最高戦力として数えられる化身である。
「相対座標がいつまでもつかめないと思えば、こういうことだったか。ある程度の足跡が追えていてよかった……どうかなローヴィ」
『とても危険だと思います』
そうか、と感傷をおぼえるまでもなく答えた男は、ふいにリツカと弟分の方を振り向いた。その瞬間、彼女はとてつもない恐怖を覚えた。いつかガラス張りの展望台から自分たちの街を見下ろしたときのように、生きていること自体が疑問に思えるような、あまりにも巨大な存在が目の前にいる。
「ほう、転生者。そっちの子供には、双命核を渡してもいいかもしれない」
『だ、誰ですか!?』
何をどのように見て、何を言っているのか。言葉は通じているのに、単語の意味があまりよく理解できなかった。
「私の実験体が監視から外れてしまってね。大気中の魔力がどうなっているかの観測結果には目を通していたんだが、あれがこの街の近辺を都合よく通りかかるとは思っていなかったんだ……いやはやまったく、あってはならぬ油断だった」
迫った刃を防ぎもせずに受け止めて消失させた黄金の男は、ほのかに笑う。
「あれは私が行っている実験の成果でもかなり大きなものでね、それを通りがかった怨念ごときに渡したくはない。おっと、刺激しすぎてしまったようだ」
地表近くに渦巻いていた汚い煙のようなものが収束し、トカゲのような形をとった。獣とも竜ともつかない咆哮をあげ、斗怨邑火は無数の刃気を発生させる。
「まあ、勝手に避けてくれたまえ」
『そんな、無責任ですよ!』
直接関係がないとはいえ、黄金の男……「従魔将軍」タルク・ザーンにとって転生者は仇であり、死んで感情が動く相手でもなく、救う理由などどこにもない。
「今の今まで生き残っていたんだ、不可能ではないだろう?」
『ねーちゃん、おれより下手なんだよ! 死んじゃうって!』
「これは失礼したね。気遣う理由にはならないが」
当然のように言葉を交わしているのは、タルクが発話しているのが竜言語だからである。しかし、それを理解する知能はかれに依存している。その点においても、並よりもはるかに優れた個体なのだ。
何も言い返せないリツカは、やや憮然としながらも必死に羽を動かして刃を避けるほかなかった。命がかかっている状況では、感情は切り離さなければならない。先ほどにも、思い出された記憶に沈んで死にかけたところを助けられた。同じ過ちを短い時間で繰り返すほど、彼女も愚かではない。
「ローヴィ、形のあるところを壊す必要はないよ」
『いつもですけど、無理難題が過ぎませんか?』
害をもたらす以外に目的のない死力の塊を、その憑依する生物に傷をつけず倒せというタルクの注文には無理がある。とはいえ、それも相手に対する評価がもたらす思考であり、彼がローヴィを高く評価しているということにほかならない。
「できないのであれば代わるよ、雷魔将軍どの」
『いえ』
恩があり、自負がある。乗算に加える数字がふたつもあるのなら、超える限界も小さくなろうというものである。
おびただしい滅刃気と無尽の魔剣が打ち合い、火花の滝が咲く。そして、雷の奔流が街を焼き、残った建造物をも爆破し、死力の悪煙を祓っていった。
「――そこまでだ。内側から破れる」
『……みたいですね』
憑りつかれていた剣竜が内部からなにがしかの干渉を行ったらしく、死力が薄くなっていく。自らを使い尽くさんと暴れていたエネルギー塊は、どうやら目的を終えようとしているようだ。
「が、ひと暴れをやり過ごさなくてはね」
荒れ狂う刃の嵐が、視認することすら難しい速度で訪れる。逃げ場がない、と死を見たリツカが戸惑った瞬間に――
『あっ……』
『ねーちゃん、ほら』
風が、リツカを導く。
『ちょ、ちょっと……!?』
『へへ。おれ、ねーちゃんより上手だもん』
突風が、軽い体重と広がった羽を捉えた。風を裂いて泳ぐ動きを身に付けた彼女は、反射的に鼻先で空気をかき分け、恐るべき速度で飛翔する。
『ごめん……!』
「やれやれ……修復は可能かもしれないが、命は戻らないね。あれのような特例でもない限り、意識や体に依存する液能は屍化処置によって大きく劣化する……。使えないのでは仕方ない」
四半ルーケよりも細かく散った肉片を尻目に、タルクは顔をしかめた。
「引き上げよう、ローヴィ。実験体は放っておいて構わない」
特筆すべきところのない享華をした個体が倒れ込んでいる。そこら中に転がった死骸を食っていれば当面の食料にも困らず、逃げるにしてもそう苦労はしないだろう。浮遊したまま、従魔将軍と呼ばれた男はそう考えた。
「綾錦竜、か……。晶殻に起きている変化が気がかりだが、それ以上に気になる点はないな。命がけで逃がしたあの転生者、あちらに双命核を投与してみよう」
方針が決まれば、行動するのみである。
化身に戻ったローヴィとともに、タルク・ザーンは転移して消え去った。
珍しく天才が死んでチートが生き残るパターンでしたね。今回は時間がなかったので個体名とか個人名がぜんぜん出てこない……まあ、カフェインで無茶した二日クオリティなので。ノルマになっているタルクさまレポートですが、今回は「金持ちのペットみたいな姿になっちゃってまあ……うん、気になる情報だけ精査して他のやつに注力しよう」ってな状態。
次回で終わり、その次が所感&用語解説になる予定です。毎日更新は絶対できないので、気長にお待ちいただけると助かります。




