3「羽翔ける」
ふふふ。
どうぞ、お愉しみください。
樹上生活を営む羽尾蜥蜴は、飼育に際しても籠の中に大きな高低差がなければならないとされている。キャラキャラと笑うように鳴き、何が楽しいのかぴょこぴょこと跳ね回って追いかけっこをしている同族を見ながら、彼女はため息をついた。
『ぬぁーっ、もう……あたしのことあんなにうまそーに食べてさ!』
キュロロルゥ、というやや物憂げな鳴き声として発されたその嘆きは、聞き入れられることすらない。広い籠の中でラエネやノスプァ、ときにはコフェクを与えられながら駆けまわったり飛び跳ねたり滑空しているトカゲたちは、肉をとるために飼育されている牧畜ならぬ牧竜である――にもかかわらず、かれらは目の前で同族が連れられていくことに関心を持たず、仲間が減っても新たに加わった子供たちと遊ぶことに執心し、子供と一緒にゲームをやるダメニートのような一種異様な雰囲気を漂わせていた。
人間として生まれ育ち、食料は給金で買うものであり、労働の義務を果たすことを約束された未来として受け取っていた少女にとって、飼い籠などただ気鬱がひどくなるだけの牢獄のようにしか思われない。
(陸上部だから、立体的に跳ね回れるのも最初は面白かったけどさー……)
トカゲの体に収まっているせいか、同族の言いたいことは何となく察することもでき、追いかけっこで一番になってみんなの人気者になったこともあった。しかし、他にすることもなければ誰かと駄弁ることもできず、エサをむしゃむしゃ食んで落ち着いたら腹ごなしの運動をして――そんなルーティンが三か月ほど続いたところで、彼女はその生活に飽きた。
細分化されたルールと、個性的な仲間たちと、挑むべき記録。陸上部のレギュラーとして活躍していたころにはそれがあった。子供に匹敵するかどうかという知能、記録媒体のひとつもない場所で、スタートとゴールが定まっていない競争をしても「先に疲れ切った方が負け」程度のものにしかならない。
(よくわかんないけど……あたしの超能力は、リスタート? なのかな)
栄養が定着し、成長し、匂いだけで雌雄の区別が付くようになった彼女は羽尾蜥蜴としての成熟を迎えた。同じような成熟を迎えたものたちが次々に連れ去られていくことも最初はよく理解していなかったが、徐々に飲み込めてきた……サーカスの仕込みでもなければ絶滅危惧種の保護でもない生物の飼育、金持ちの娯楽ではない、街で伝統的に行われてきた牧竜業の目的などひとつしかない。
(逃げなきゃ……そのための超能力のはず)
屠殺用破魂刺し針を打ち込まれた瞬間、魂はすうっと体を離れてゆき、そこから起こることを間近に見せられる羽目になった。吐きたくても、胃の内容物などなかった。悲鳴が誰かに届くことはなく、震えて祈ることが正解であるかのように、守ってくれるもののひとつもなかった。
そして、それなりに地位のある名家に直送された肉はさまざまに調理されて出てきた。調味料は控えめであることが多く、色の薄い野菜と合わさっており、サラダに乗せる蒸した肉として出ることが一般的であるようだった。内臓はよく煮込まれたりさっと炙ったり、部位によって扱いは違うが、好みが分かれる味だったに違いない。
もっとも好まれ、最上級とされているらしい尻尾の肉は、ステーキになって出てくることが多かった。こってりした肉であるせいか、濃い色のソースを塗り野菜と合わせ、熱いうちに頬張るのが最上の食べ方らしい。彼女は、自分が消費されていくところを見た。かじり取られ、咀嚼され、舌で転がされ、肉汁をすすられ、飲み込まれ、その息がわずかな肉の匂いを宿すのを確かに感じ取った。グロテスクな竜骨(注1)が鋼色のトカゲに向かって放られ、それがごりごりと音を立ててかみ砕かれるところを見ていた。
(――っ、怖い)
死にたくないと叫びながら、あれほど精一杯に暴れて逃げ出そうとしたことが、ただひとこと「活きがよかった」とだけ表現されていた。それに言及したのも二人だけで、残りのほとんどは肉を肉としか見ていなかった。彼女は、肉にすぎなかったのだ。
(何かひとつだけでも、別の手段を探さなきゃな……)
幸いと言うべきか、彼女は力の発現によって自分の魔力を感じ取れるようになっていた。魔力を操る感覚や尾に生えた羽を飛ばす気能にも開眼し、羽尾蜥蜴として見れば驚異的な戦闘能力を手に入れたのだが――しかし、格子を破るには至らぬ強化である。
死は注射針よりも痛まぬ一瞬だったが、だからと受け入れられるものでもない。垣間見たゆえになおすさまじく刻み込まれているその恐怖は、まさに彼女を殺した針のごとく冷たい現実として意識に刺し込まれていた。
(あれをかわすのは絶対として……そんなことより、だよね)
銛撃ち銃のような屠殺器の針をかわすことは、彼女の動体視力でもさほど難しくなかっただろう。加えて、もともと樹上を素早く動くことに長けた生物であるがゆえの運動能力、それも生来のものだ。だが魔術によって拘束され、確実に殺される未来をすでに体験していた彼女は、それをはねのける方法を見つけられていない。
(魔法……って、使えるような、使えないような)
風を起こすことができるようになったものの、魔力を感じ取ることが可能になった今は檻の上部には見えない隔壁が張られていることも察している。あのまま突っ込めば首が折れて楽に収穫されてしまうことになるだろう。それはなんとしても避けたい事態である。
わずかでもヒントになれば、と仲間たちが遊んでいるところを見ていた彼女は、彼女を慕ってたびたび遊びに来る子供を見つけた。
『おねーちゃん! 見てほら、羽飛ばしー!』
『お、すごいよー! お姉ちゃんにも教えて?』
コロロックィクィ、とたいそう自慢げに鳴くかれは、「クリリックク」と雄を見せようと尻尾をはたはた振っている。最近は尻尾を絡めに来ることもあり、匂いからするとまだ成竜ではないのにマセているなと思うこともあった。楽観的でありつつもちゃっかりしているのがこのトカゲたちの性質なのかもしれない。
『こーやって……』
『ふーむ、ふむふむー?』
ふつうの羽飛ばしとは違い、一枚ごとに魔力をまとわせている。性質を見極めるほど術に明るくない彼女はそれを察することができなかったが、かれは反発と吸着の術をそれぞれの羽にかけている。長距離を翔けつつ自在に曲がったり、羽全体を散らしてから再集合させたりといった芸当も可能になっており、術を操るモンスターとしても上等のたぐいである。
『わ、難しいよこれ』
『ぜんぜん見てなかったね、ねーちゃん?』
性質を把握せぬままに魔力だけまとわせてもうまくは行かない。彼女はまた羽飛ばしを見せてもらい、見よう見まねで術理を再現することにした。
『じゃ行くよ? それっ!』
『えーと、えっとえっと……? ふむふむ、ふむむむ……むむ』
理解したふりをしているのがかれにも察せられたのか、『クキュルキック』と気遣わしげな声がかけられる。その後数回の再現を経て、風の魔術と羽飛ばしを組み合わせた液能が完成した。飲み込みの悪さはともかく、魔力でむりに術理めいたものを作り出す液能は天然の感覚が優れていなければ身に着かない。知性や学習といったものをどこか押し付けがましく感じていた彼女でなければ、もう少しばかりおぼえが悪かったかもしれぬ。ともあれ習得は済み、改良の余地も生まれた。
『“くる”ってしよ、“くる”って』
『え、ちょっともう……』
気に入った雌にはアプローチをかけておくべきと言われたわけでもないのだろうが、中学生男子が女子大生に抱きつくような、危うさを含むコミュニケーションである。
きぃ、と檻が開いた。
「やあやあ諸君やっほーだぜ……人の言葉が通じるかどうかは知らんが。たまたまこの俺がいなきゃ逃がしてたとこだが、この中にいやがるんだろ? 聞こえてんのかぁ?」
羽尾蜥蜴の檻の中に入って、大きな声で独り言をいう変人と取るべきだった――しかし、彼女はそうできなかった。
目と目が、合う。
「てめぇか。トカゲふぜいが時間改変なんぞやりやがって、いい迷惑なんだよ……クソが。っつーか、発動の根幹が分解してから発動する華能なんて目録にもなかったぜ? 結論はひとつだよなぁ……そうだろ、転生者?」
針撃ち弩がきらりと光り、照準を合わせる。
『ねーちゃん、どうしたの?』
『ほんとに分かってないの!? ねえ、おかしいよ!!』
かれらは死を理解していない――否、漠然とした「いなくなる」感覚への不安はあるが、死がその場にとどまることがないために、死がどういうものか理解できていないのだ。それもそのはず、破魂刺し針を撃ち込まれた羽尾蜥蜴は屠殺場へと持ち運ばれてゆき、若くして子を産んだ個体はそれなりに長く生かされるが、死ねば果樹園の肥やしになる。死体を捨ておいても疫病が発生するだけで、一クインの利にすらならないからである。
「ややこしいトラブルは起きないに限る。まあなんだ、簡潔に行こうや……死ね」
タイムリープの二度目が記憶とまるで違う、という状況に放り込まれた彼女は、一度目と同じように死ぬわけには、と全力で跳躍した。
初速は弩の方が上だが、加速度はみずから術を使う彼女の方が高い。針弾を避けること自体はさほど難しいことではないが、人の用いる術が出てきた時点で勝ち目は限りなく薄くなる。適性はともかく、術理さえ理解すればさまざまな魔術を行使できる人間は、それだけでなく我流の最適化までも行う。水や風の鎖、炎の回転刃といったものさえ、術理と適性の組み合わせによってはたやすいものなのだ。
空を泳ぐように尾で風を受け、体を蛇のようにくねらせて恐るべき速さで移動する。そして鉄格子に着地し、飛んできた風の回転刃と矢を避け、弩の針からきりもみ回転で逃げる。この時点でこうまで殺意の高い魔術が出てきていることから見て、すでに対策は終わっているらしい。
(や、っばい! 避け、る……ちょ、精一杯なんだけど!?)
それなりの集中を必要とする液能は、当たり前だが、他のことにかかりきりの今は使えない。習い損である。
「ちっ、活きがよかったつうにも限度があんだよなあ……どうにか止めろ、撃ち込みゃそれで終わりなんだから!」
闇の魔術の系譜にあたる「破魂」は、その針に込められた魔力の大きさや質にもよるが、一撃が命中すれば魂が砕け散って死ぬことは間違いない必殺の術である。一般人が屠殺用に使うことを前提に作られており安全の施策は万全、暴発や操作の誤りによる事故は望むべくもない。
(羽だけ飛ばして、隙を……!)
一度目は羽を飛ばすことすらできなかったことに比べれば、戦力は格段に上がったとみていい。しかし、相手はその倍以上の戦力を割いてこちらを殺しにかかっており、逃げる難易度も尋常でなく跳ね上がっている。人生をやり直せればすべて最適な選択ができたのかも、などと一瞬でも考えたことのある自分を殴りたくなりつつも、彼女は本能に任せて体を動かした。
どうしてこうなっているのか、という理由は察しがついた。相手の口ぶりから考えれば答えはひとつしかなく、それに気付かないでいることの方が難しい。
あの男――濃いわけでもないひげが台風に負けた稲のごとくへなへなと折れ曲がり、くせ毛がもさりと衛生帽からはみ出た、何とも言いがたく地味な作業着の男は、少なくとも時間改変を認識できる同系統の異常能力者なのだろう。そして、改変の結果を違和感なく周囲にフィードバックし、ある意味での抑止力として働くことができるのだ。
「くっそ、これ以上は……」
「明日にしますか」
彼女は知りようもないことだが、運動による疲労をあまりに高めすぎると肉の質が落ちる。魔術による攻撃や液能の行使による軽度の魔力停滞によって、味覚とは関係ない部分で「変だ」と感じるものもあり、今日の彼女はこれから屠殺されるためにはあまりよくない状況にある。
「仕方ないな、今日は――」
攻撃が止んで、ほんの数秒が経過したそのとき。
ぽひゅ、と軽い音が彼らの意識を奪った。
「……くし羽か?」
「どこへ」
救難信号のように、尾の先端に生えた羽が飛んだ。さして大きな音も立てず街の上空へと飛んだそれが破裂し、ささやかな魔力を花火のように散らし、消えた。
――ミシッ、ギギ、と檻が曲がった。
「なんだ今の魔力はっ!?」
「わかりませんが、……ッッ」
作業着の男たちが頭痛を訴え、目から鼻から血を流して昏倒する。
「いったい何をした……何をしたッ!?」
ひどく上ずった声が、やけに遠く聞こえる。彼女には、そのあまりにも巨大な魔力が見えていた。ただ魔力を放射するだけで、特殊鋼製の檻が歪むほどの物理的威力を発揮する何者かが、この街へやってきている。
(ひゃくメートルく、らいの・おおきな、おきな、すごく・ぶどういろのおばけ)
意識にガンガンと響く、この世のものではない響き。究極的な誘い、つまるところ強制執行を成し遂げんと迫るそれは、準備を始めている。
(やめて!!)
届くことを信じて、ようやく言葉にしたそれは――拒絶された。
(……否)
内臓が液状化するような、骨という骨がタンポポの綿毛のごとく舞うような、それを衝撃というならば水滴ひとつも絨毯爆撃に等しいと思えるほどの魔力圧が、彼女の体内を突き抜ける。
不穏が、恐慌が、街を覆った。
※注1「竜骨」
「りゅうこつ」は木造船のもっとも重要な骨格となる、船の中心を通る背骨的存在のこと。もしくは単純に「竜の骨」としてさまざまな作品に登場する。そのわりには設定が練り込まれていないことが多いが。
いわゆる鶏ガラとか豚骨のような肉を取ったあとの骨のことで、淡水魚や野菜から出汁を取ることが多いグレベルス大陸では地竜類にやるのが関の山。最近思いついた回文×料理探求×百合ものの間章でちょこっと扱うつもりではあるが、ガラはやっぱり活躍していない。ちなみに淡水魚は火を通して乾燥、出汁を取ったら捨てる流れなのでこちらも地竜にあげている可能性が高い。
私的な感想として、鶏ガラはすっっごいグロい。父が「これでスープを云々」と言って行きつけのカシワ屋(鶏肉を売っている店。「桜肉=馬肉」や「牡丹=イノシシ肉」同様の隠語的呼び名だと思われる)でもらってきたことがあったのだが、なんか血まみれであちこち骨が露出した、ゴアサイトで見る惨殺死体に引けを取らないくらいすげー生々しいシロモノであった。鯛を骨の一片まで解体したことがある私でもさすがに受け付けなかったので、生の手羽先を見てなんかちょっと気持ち悪いなと思う人は見ない方がいい。
いちおう章タイトル回収だったりしますが、本来五つくらい意味あったんだよね……忘れちゃったけど。メモも取らずに記憶頼りで書いてるとこうなる。




