6「ぶざまでも」
……。
どうぞ。
玉虫のように煌めく緑の巨大なカマキリが、噴き上がった魔力の中から現れる。しかし、彼は以前同じように現れたものとは力の格がまったく違った。
『ほら、来いよ』
「シャアッ!」
ミズチは瞬時に跳躍し、彼に向かって爪を繰り出す。
『無駄だよ、無駄ァ。効かねえんだよ……お前ごときの攻撃は』
それは、異常な隔たりだった。「幻灯螂」のように隠れるものでもなく、かつての「炎朧魔鎌」のように凄まじい速度を持つわけでもない。かわしもせず、弾きもしない。尾剣も当たらず、刃気も虚空を攻撃しているかのように手ごたえがまったくなかった。
「シュウゥ……」
『やっと気付いたか……。まあ、地頭がトカゲだからしゃーねえのかな』
かれは大きく距離を取って、何が起きているのかを把握しようとした――しかし、彼はそれを許さない。
『さてと。じゃあ攻撃に移りますかね?』
大きく振りかぶった鎌がゆらりと恐るべき銀光を放ち、ミズチはそれに対処しようといつでも動ける体勢を整える。
かれは、トカゲだった頃に飛刃撃を飛ばす剱蜥蜴に出会ったことがある。いまのこの体ならば、完全な回避は難しくともダメージを減らすくらいにはなるはずだ――そう推測して、かれはダメ押しで飛刃撃に当てるための刃気を用意し――
そして、前に向かって思い切り跳んだ。
『いい勘してんな……? せんせーが達人とか言うだけある』
跳躍したことで、さっきまで晶殻があった位置にある尾剣が、ミヅノの刀のように鋭くて重いなにかに触れる。カルン位階5といえば普通の石ころ程度だが、尋常の道具ではそれに切り傷を刻むことは難しいだろう。
――尾剣には、果物に切り込んだような深い傷があった。
『クク……攻撃の正体が分からないって顔してるなぁ。全員そうだったぜ……即座に見抜いたのはせんせーだけだ、だから尊敬してんだよ』
同じような力を使うものは、同じ力の把握に長ける。細川の持つ液能と同じような力を操ることのできるタルクは、その正体をある程度察していた。
『この「亜攻撃」と「亜防御」は絶対に破れない――そういう力だからな』
転生者の持つ力は、生前のパーソナリティーに由来する。人の成功をねたみ、人の失敗を陰で嗤うような、人にあるまじき心の持ち主――細川が生み出した液能は、相手をあざ笑うためにあるおぞましき力である。
『まあ、漢語を連発したとこで意味なんてわかんねーだろうから解説しないけどな……簡単に言や、一時間かけようが十年かけようが、俺には勝てないってこった。あの剣魔将軍どのにだって通じたんだぜ……? お前ごときが俺に勝てるわけあるかよ』
魔王軍「四魂」のひとり、「剣魔将軍」。無双無敵の体と無限の力を持ち、倒すことができるものはこの世界にも片手の指ほどしかないと言われる怪物である。
『魔力をいくら消費しようが……どれほどご自慢の尻尾を繰り出そうが……、俺には届かないんだよ。無駄――お前には何もできない。わかるか? こういうことだよッ!』
とっさに横へ跳んだが、首の甲殻に生えたトゲが吹き飛んだ。
『ちょこまかあちゃこちゃ、うぜェんだよいい加減に。これならどうだ? ……勘がいいってなら分かるだろ、このヤバさ』
「シュルゥ、ウ……」
律儀に刃気をぶつけても魔力が枯渇するだろう数、そして攻撃の発生している位置――かれの周囲すべて。勝ち目がないのではない、命がなくなる以外の道がないのだ。
『さァ言ってみろ、お前のいちばん大事なものはなんだ? 自分の体ん中でどこがいちばん大事なんだよ……いや、そいじゃつまんねえや、モノとか人でもいいぜ? なんだか人と仲が良かったんだとか聞いたが――』
捧げろ、という意味だった。
『思い浮かべてみろよ、大事なものがめちゃくちゃになるところを……? 高慢ちきな女は「全身」だったし、食い盛りのクソは下あごだった。そういうのでいいんだよ、そういうのでさァ……来た、来たぞこれだ、ククク……!』
「ギュウッ、ギ……!?」
全身をがきりと掴まれたかのような、平らにぐちゃりと圧し潰されそうな威圧感。かれが感じたものは――「動かせない」という感覚である。
『そうか、そうか――そりゃ大事だよなぁ? だからこそだ……そいつを壊すのがいちばんの楽しみになるわけで。――〈絶断・光消ゆ〉――さあ、壊してやるよ』
動かせない――尻尾が。
甲殻がぎりりとひしゃげ、肉に不可視の刃がめり込み、骨がぞりぞりと粉砕して、あれほど頼みにしていた鱗がするすると切れていく。ぷつぷつと筋肉が裂け、なめし革などよりも数段頑丈であるはずの皮もまったく役に立たず、水に刃を通すように分かたれていった。
――――苦痛が、終わる。
ごぅん……と、落ちたものが何であるのか、血の匂いの主が誰なのか、バランスが取れないほどに軽くなった体がどうなったのか、その痛みが何なのか――。知性の余る生物であれば狂い死んでも不思議ではないような状況であった。
『いっちょ上がり、っと。くく、ククク……あーぁ、たまんねえよなァこれは。何回やっても飽きねえ。トカゲだから顔とか分かんねぇけど、そう、……信じられないって思いだけはめちゃくちゃ伝わるぜ』
自切したときと同じように傷口を締めて出血を防ぐが、すでに流れ出た血を戻すことはできない。
『せんせー、見てんだろ? どうする、これ?』
『ふむ、どうしたものかな……? 君の魔力はそろそろ尽きるのでは』
『いっけね、忘れてた』
『危険ではないが、休憩のためには見逃すべきだろう……あちらも逃げる気まんまんだ、少しばかり姿をくらませば全力で走る』
すうっと細川の姿が揺らいだ瞬間に、ミズチはせめて食うべき尻尾を放り出して逃げた。気配の少ない方へと走り、走り続けて――
気付けば、色濃い気配が混じり合う場所に来ていた。死の恐怖のあまりに、死の危険が少ないとはいえ恐るべき場所へと足を踏み入れてしまったらしい。
しかしこの場所こそがミズチの目指したところであり、予定とはやや違うものの、等級が高く危険なモンスターがあふれる「ベディロンケール龍洞」への到着は果たされていた。かれは自分の求める匂いが満ち溢れていることに気付いて、小さく足踏みをする。しかし同時に、ミズチは恐るべき事実に思い至った。
――尻尾がない。
ちょうど、鋭変したときにわずかなエッジができるかできないかの瀬戸際で切り落とされており、重量を乗せるどころか振り回すことができるほどの長さも残っていない。動かすとキリキリと痛みが走り、露出した骨が金属光沢を帯びていることも容易に確認できる。
「キュウゥ……」
尻尾をなくしたら、まずはその尻尾をくわえて逃げて、それを食べなさい――というのが親たちの教えだった。芋虫たちが生まれた卵の殻を食うのと同じで、自分たちのものならば求める栄養は必ず含まれているからだ。それを守れなかったということは、尻尾の分の栄養――体長の三割にも及ぶものを失ったうえ、補填する方法と技術までも同時に失ったということである。
金属を含む甲殻をも噛み砕くために、頭部の筋肉は発達していて重い。尻尾は尻尾なりにバランスの取り方があったが、頭をそれのみ支えるというのは大変な難行だ。あのオンナが背中の晶殻を消し飛ばしたときよりもはるかに重傷、かつ直接的に命に係わる重大事であった。
だが――それでも。
ミズチはあきらめていない。かれは、自らの体がどのように動くのか、どのように使えるのかをすでに知った。尻尾が最大の武器であり道具であったことは間違いないが、それを失ったから何もできなくなったわけではない。
わけのわからない敵を、その爪で倒した。そのあご、咬合力もリーチは最低だが威力はそれなりに期待できる。しばらくは小さな獲物で我慢するとしても、その力は解き放たれるそのときを待っている。
かれは、本能に目覚めた。グレベルス痕源野には関係のない――原初の生物がことごとく持っていた、かの「万魔時代」を築き上げるほどの力を持つ渇望。その正体が何であるのか、かれらは知らない。しかし、はっきり言えることがひとつ――
次の時代が来る――新たなる強者どもを擁く、星輝ける時代が。
マジかと思ったかもしれませんが、単なるパワーアップイベントなので……。というか、トカゲって尻尾切っても治るやん(マジレス)。もしかすると「尻尾を切った」ということ自体の狙いに気付いた人がいるかも? どうでしょうね……情報は出しておいたんですが。……でも、あっちが華能撃ってくるまで耐えるミズチくん、普通にすごい。軌道も発生場所も分からない斬撃をぜんぶ避けるとか、できるのかそんなこと? こちらも大概おかしいですね。
やっと名前だけ出てきた「チートクソガキ」=「剣魔将軍」。設定によって突き詰めまくった、小学生が考えた「バリア破壊ミサイルを防ぐバリアを破壊する光線」みたいな無敵っぷりです。種族が強い、メンタルが強い、能力が強い、肉体が強い、支えてくれる人も強い。めちゃくちゃですね……




