3「ピアノの音が聞こえる」
どうぞ。
規格外という言葉がある。フィクションにおいてそれは「大幅に超越している」という意味で扱われがちだが、本来のところそれは「本来あるべき基準から外れている」という意味になる。
不可視のものなので知りようもないことだが、魂にも基準がある。そのときその世界に多いものはいわゆる「普通」の魂だが、時間や世界そのものがずれると基準を大幅に外れて、その世界にあるまじき魂を持ったものが生まれる。大きすぎて肉体に収まっていない魂などは筆頭だ。それは「大幅に超越している」という意味の規格外そのものである。しかしながら――あるべき基準は、そうしたほうが良いだとかそれが適応しているだとか、そういったもとの部分でもある。安易な基準破りによってよいものが生まれることがないように、規格外の魂は必ずしも良いものとは限らない。
世界を跳躍した転生者の魂は、どこかがズレているために、もともとその世界にはなかった力を獲得することが多い。古橋颯太が生まれたときから得ていた〈炎纏矛〉もそのひとつだ。
『当たれば倒せる……そんな状態に持ち込めたところで、当たらないんだもんな。これからもっとすげぇ敵に出会うって考えるとさ、震えがくるよ』
そう――ミズチなど、ほんの緑青等級のモンスターにすぎない。こんなものを倒せないようではグレベルス痕源野に巣食う藍色等級の怪物ども、魔将軍、そして世界を操る龍晶たちに相まみえることすら叶わないのだ。
『だから使う。スキル全部ぶん回して、お前を倒す』
全身に炎熱の亀裂を刻みながら、古橋はその痛みを感じることなく前足を振るう。傾きかけた陽の光に先駆けて燃え盛る彼は、ひどく痛々しいありさまに感じられた。
気能「瞬撃」により、攻撃を繰り出す速度のみならず移動、回避の速度までも跳ね上がっている。液能「夢幻灯」はその速度と結びついて彼を視認することを困難にし、死ぬまで消えることのない炎、液能「虐炎」はミズチを苛み続けている。
(……のわりには、こたえてない。理由はお察しだけどな)
生物の知識がそこまであるわけではないが、あの尻尾の先はどこからか鱗のかたまりだろう、ということは察しがついていた。焼けているのか溶けているのかは陽炎でよく見えないが、少なくとも切っ先は欠けている。それは大きなアドバンテージだ――と、彼は思いこんでいた。否、そう思いこみでもしなければ状況を乗り越えられなかったのかもしれない。
攻撃が当たらないという恐ろしさは、想像以上のものだ。恐怖であり焦燥であり、相手の脅威判定が天井知らずに上がっていくというすさまじい状況だった。
(ガードが的確すぎる……こいつを崩さないと、攻略は無理だ!)
尻尾はまだ痛むほどには焼けていないようで、平気で振り回している。そしてオーラの剣も幻覚などものともしない精度でガードを続け、結局のところクリーンヒットは一撃もない。かれは恐るべき速度で学習を続け、攻撃の軌道や相手の狙いを個体に合わせ即座に修正する技術までも身に着けていた。
『〈加速〉ッッ!!!』
それは音声発動などではなく、宣言による制限破壊だ。そして、攻撃の速度はさらに上がる――しかし、なお敵は回避といなしを続けていた。
『いい加減に、倒れろよ……!』
こうまで戦いを続けられる理由が、古橋には理解できない。生命力、気力、魔力、どれが尽きても戦いは困難になるはずだ。力が枯渇したままの戦いを続けてきた怪物でもなく、かといって相手の力の総量がでたらめに多いわけでもない。相手も疲労に耐え、今にも尽きそうな魔力と気力を振り絞っているはずだった。
だが、違う。その量が違うにしても、相手は魔力を振り絞ってまで戦ってはいない。そして気力――食事のすぐ後で尽きることはめったにないだろう。
古橋の魂から生まれた華能〈炎纏矛〉は、自滅前提で肉体を損傷しながら気力・魔力を継続消費、彼の戦闘能力を大幅に引き上げることができる。それは、あってはならない「規格外」だった。古橋は数度の経験からある勘違いを犯して、ついに二度目の使用に踏み切ってしまったのである。
装備更新と言おうか、肉体の再生と強化が行われる脱皮は、昆虫型モンスターにとって非常に重要だ。古橋も経験からそれを重々理解している。彼はそれをこう理解した。
――なるほど、レベルアップでの自動回復ってのがこの世界じゃこう説明されてるってわけか。千切れた腕もこの通り治ったし……燃えた甲殻とか目も治ったな。脱皮さえしちまえばとりあえずは再生する、ってことでいいのかな……?
――必殺技を使っちまっても、進化して治った。というか、ボス戦の後は治るようになってるのか? どっちにせよ、ヤバい敵がいたときは、こいつを使おう。制御できるようにしたほうがいいってことだとしたら……あの感覚を何度かやってみる必要があるな。
昆虫の再生はそのように都合のいいものではない。最高レベルの再生力を持つものでも、一回の脱皮で足一本を完全再生することはできないのだ。正しい知識があるわけではない彼は、あくまでゲーム的にしか自分の体を理解していなかった。そして何より――命を削る力を生み出すようなパーソナリティーが、それを許すはずもない。
『ここだっ!』
一瞬――ほんの一瞬だけ、古橋の力はミズチを上回った。
尾剣の防御に弾かれ、刃気の受け流しを受けつつも、しかしもう一方の腕剣による攻撃を最高の動きで繰り出す。
(やった――首だ!)
ほとんど時間が止まったように思える、ゆっくりと流れていく視界の中で、首の皮膚がどくりと脈動した。ここに当たれば、動脈が断ち切られる。それはすなわち死んだも同然、その一撃で命が終わることがなくとも、限りなくそれに近い結果を実現できる。動くミズチの目がほんのわずかな時間に揺れる戸惑いを映し、腕剣は発生しようとしたオーラをさらりとすり抜けて――それは、吸い込まれるように首に叩き込まれ――。
(勝っ――――、)
――あっけなく、折れた。
信じることができなかった彼の停止を見逃さず、わずかな、半秒にも満たない時間でミズチは尻尾を叩きつけようとして、溶解した鱗が古橋の頭部にぱしゃりと降りかかる。
『ぐぎァああッッ……!?!』
両者とも、頼りにする相棒が破損したが――その重要度は、比べるべくもない。
「シュゥアッ!!」
先端が欠けた尾剣で、ミズチは古橋を弾き飛ばした。
気力が尽き、ややあって魔力も枯渇し、古橋はぼろぼろに焦げた醜態を露呈した。じりじりと焦げていく痛みに耐えかねてミズチもうめいているが、全身がまともに動かず、頭部に溶けた合金を振りかけられて気絶寸前の古橋のほうがダメージが大きい。
『ピアノの、音が……聞こえる……』
惨痛によって意識が混濁してはいるが、発狂してはいない。
『変だな、異世界なのに……。ピアノ――あの人かな』
言葉を口にした瞬間に強化した、という前歴を見てすぐのことなので、ミズチは何かが発動するのではないかと警戒していた。
『転生ってさぁ……もっと便利能力とかいっぱいあって……すごいんだろ。ほかにも転生したやつに出会って、それで……。こんな、クソみたいな平原でひとりで……人間にすら会えないまんまで――いやだ……』
長い詠唱ならば、途中で倒したほうが効率がいい。そのことに気付いたミズチはじりじりと歩み寄って、焼けていく痛みをこらえながら尻尾を振り上げる。
『あれ――? 鷹、み……ね、さ……』
ふっ、と尻尾の炎が消えた。
〈炎纏矛〉
自己犠牲や苦痛に耐えることを尊ぶ精神から生まれた華能。制御を失わない暴走モードであり、速度や攻撃力がすごく上がる代償として全身を焼き尽くす。この世界には都合のいい再生や復活はなかったが、享華&脱皮による再生をそのように勘違いしたことによって「レベルアップしたらオッケー」と思ってしまい二度目の使用に踏み切る。
戦いにおいて相手の尻尾を使えなくすることには成功したもののこれとはまったく関係がない。また、直接攻撃に出た段階で前足の大半が炭化していたなど火の回りが激しく、相手に与えるダメージが一定以上でない限り、安易な使用は控えるべきだった。使う必要はまったくなかったと言おうか、素直に逃げていれば相手に追いかける手段はないうえ「虐炎」が回って死んでいた可能性もあったなど、あまりにも「退却すること」を忌避したがための結末であった。
カカトアルキ、かなりの当たりだったのになぁ……あのチートクソガキに勝ちの目があるモンスターとかそうそういない(勝てるとは言ってない)。
・死ぬまで消えない炎をデフォ装備
・魔力が尽きない限り隠れ続けられる(これもデフォ)
・死刃類なら闇討ち即殺可能
つよい……! 相手が知らないうちに炎を投げつけ、気付かれないまま相手が死ぬまで待つデスコンボが彼らの常套手段です。魔力を感知されたり姿を見つかると成功率はだいぶ下がりますが、致命部位にぶつけたらもう勝ったようなもの。カッコよく勝とうとしなくていいから(良心)。カカトアルキたちはマジに強敵なので、ミズチくんに勝ちを用意するのが大変だったりする……




