2「連斬」
どうぞ。
栄養とは非常に流動的なものである。数時間で吸収されて体の各部に回り、消費されるであったり構成要素の一つに変換されたり、細胞となったものもひと月と経たずに廃棄されることになる。鉱分と呼ばれるものも、比較的長く留まり再利用はされるものの、同じものをいつまでも保存して使い続けることはできない。
長々と続けるこれらの根拠から――「経験値は存在しない」という結論が出る。経験はあるが、それによって蓄積される有形の物質はない。経験によって肉体が超常的な変化を起こすこともなければ、新たな技を覚えることもない。そういったことは努力や自己開発、突然変異から起こることであって、自動的に起こる現象ではないのだ。
『おかしいなー、ぜんぜん進化しないなぁ』
「……ギュウ」
まだまだ語彙の少ないミズチ、彼女が何を言っているのか完全に理解してはいない。しかし「楽をしたい」というニュアンスはそれなりに伝わっていた。
――加えて、「殺しすぎではないか」というきつめの批判を込めているが、まったく伝わっていないようだと理解して、嘆いている。
彼女が荒らした実験室はすでに三十を超え、ミズチの感覚としては脱皮が数回起こるほどに時間が経っている。進行中だった蟲毒、回収を待っていた凶悪なモンスター、自ら実験室破りをして等級を上げていた怪物、彼女は苦戦することなくすべてを蹴散らしていた。ミズチは自分の助けになりそうなものは食っているが、数が多すぎて食いきれない。貧乏性だからではなく、すぐそばで腐っていく死体に対して何も感じないのかと、ミズチには疑問でしようがなかった。
感覚の違いでもあるが、ミズチは殺したものを食う。食わないものは殺さない。しかし、転生者の魂が入った「闇球」のユキノは命を非常に軽く考え、食わないものも殺し、殺したものを食うわけでもない。これに関しては物質食と魔力食の違いもあるが、魔力を蓄積したところで彼女が強くなるわけではない、という点も大きく働いている。
水を流しっぱなしにして皿を一枚洗っても、コップ一杯の水で歯磨きをしても「水を使ってあるものをきれいにした」という点では同じである。しかしながら消費したものと結果になって表れたものに釣り合いを求めるならば、皿一枚に対して適正な量の水を出さなければならないだろう。
ユキノは魔力量任せに敵を蹂躙しているが、魔法を操る才能には欠ける。気能として持つ「魔力吸着」によって死骸から放出される魔力を吸い寄せてはいるが、それでも余裕がじゅうぶんにあるとはいいがたい。
『トカゲ、大丈夫? なんか疲れてない?』
お前のせいだろ、と言いたげな視線を向けても、ミズチの表情は伝わらない。
『ふぁあ、あ……。寝よう』
連日連夜のでたらめな数をこなした戦闘のせいで、ユキノは昼夜の感覚がおかしくなっている。真っ昼間から眠くなってもおかしくはなかった。
ふいに強力な魔力を浴びて、同じように疲れて眠っていたミズチも鱗を立てて起きた。
「なかなか感覚が鋭いようですね? 優秀、優秀」
実験室89号、大昔に掘られた坑道を再利用した施設の中で、奇妙に楽しげな高い声が大きく響く。
「わたしは連魔将軍が部下、青冠位ボルコス・メノン。覚えていただく必要なし」
ボルコスは旧時代の役人が着るような、和服にも似た服装から青い魔力を立ち昇らせる。化身したモンスターが本性を現すときに起こる、儀礼的な現象だ。
『今ここで死ぬのだから、記憶など残す必要皆無。いやはやじつに愉快、愉快』
ミズチは尻尾を鋭変し、最大切断形態に整える。
『わが二つ名「連斬」は伊達ではありませんよ……一本で立ち向かうおつもりで? いやいや、聞いてはおりますとも』
魔将軍という名前に覚えはない。しかし、強力な魔力を持った相手が敵対の意志を見せているというだけで、尻尾を相手に向けるにはじゅうぶんだ。
『おやおや、本当に一本ですか。こちらは四本……有利も有利、噴飯ものです』
ボルコス・メノンの本性は、キメラの子孫である。トカゲの首部分からコブラの首が伸び、首元とあごの下から節になった触手が生えている、という奇妙な姿を持ち、昆虫の触覚のようなその触手を恐るべき速度で振るう。
前触れもなく、触手は宙を滑った。火花が激しく散り、彼らは互いの力が拮抗していることを確認する。
『なるほど、緑等級以上というのは本当でしたか。しかし、しかし……』
その程度では勝てない、とボルコスは笑う。彼は、すでにミズチの力をリサーチ済みなのだ。魔力で作り出す刃気を防ぐ手立てもすでにできており、計算違いがあるとすれば体形が大きく変わっていることくらいだろう。
ボルコスの推測通り、ミズチはこの体形で戦うことに慣れていない。ユキノが大量の敵を一瞬で殲滅するので、戦いの機会に恵まれなかったのだ。
『ならばこの機会を逃さず、滅ぼすべしということですね?』
尻尾は器用に四本の触手を弾くが、その速度には明確な違いがある。軽さということもできるかもしれないが、鋭さが同じで速度が大きく違えば、より劣る方は明らかだ。致命打は刃気で辛うじて防いでいるが、それがいつまで保つのかは分からない。
攻撃が比較的軽いことも、ミズチの生存に一役買っているのかもしれなかった。わざと切れ味を鈍らせた――つまり鋭変の逆、「鈍変」とでもいうべき状態の刃気で攻撃を止められている。あるいは相手が進化していれば、さらなる速度と重さを持つ連続攻撃が繰り出されていたのかもしれない。
しかし、互いの攻撃は当たる距離。どちらかが一瞬でも隙をさらせば、交錯ののちにいずれかが血を噴いて倒れることになるだろう。
『わたしの攻撃についてくるとはね。いやはや面妖、面妖……』
見た目には一本と四本だが、正確には違う。剣の形をしたオーラである刃気の影響で、ミズチの操る刃のほうが多いのだ。ボルコスは舐めているわけでも油断しているわけでもなく、手を抜いてもいない。両者の力がほとんど同じであるために、ほんのささいなものでもきっかけがなければ動きを生じないのだ。
触手の動きをどれだけ変則的に流動させても、反射神経と動体視力で追随してくる。知能の高い叩き上げは彼のもっとも苦手とするところだった。そして、普通のミズチは刃気など持っていない。
(くっ、……余裕がなくなってきましたね)
ブラフのつもりでそう言いたいところだが、そんな余裕もない。四本の刃を受け止めている時点で相手は異常だった。そこで逃げるべきだったのだ。
ゆっくりと向きを変えながら、二匹は互いの命を奪わんと刃を振るう。ゆらり、ゆらりと両者は相手の隙を狙い続ける。致命の間隙を探しているのだ。
(足元が悪い……もう少しばかり滑らなければ、狙いやすいのですが)
ボルコスは、ミズチの受けるときのクセを理解しかけていた。かれは繰り返しに弱い。自分がしかけるときには何度でも同じ手を使うくせに、相手が幾度も同じ手を使い続けると反応が遅れるのだ。
(同じ等級の相手を何体も仕留めてきた――『あれ』を使うときですね)
それは、きわめて単純な繰り返しにすぎない。
『ここだ!』
巻き付くような動きからの、鋭角に首を狙うパターン――
四回1セット、触手が千切れるか相手を仕留めるまで繰り返す、怒涛の連斬。
(これで3セットを防いだ。集中が途切れる――、そう、ここだッ!)
首筋に、触手の先端ががしりと当たる。
『硬――な、』
巻き込むような動きが、ミズチをずるりと滑らせる。
「シャァッ!!」
ずんっ、と重い音が響き渡り――ボルコスの首が、吹き飛んだ。
ボスかな? と思った人には拍子抜けかも。ただのエサ。
足元が悪かったのと「巻き込む動き」の影響でズルッと滑り、ボルコスの首がミズチくんのリーチに入った形。一瞬の隙を捉えたミズチくんの勝利です。




