38 認めるわけにはいかないだろ?
ゴクリと、俺の喉仏が上下に動く。
分かっていた。
この瞬間が訪れることは、分かっていたのだ。
ポイント0の俺が、ノノカと対峙した以上、ノノカがこの瞬間を逃すはずがない、と。
目を赤く腫らしたノノカは、タブレットを見せたまま、無言を貫いている。
二人が立ち尽くす廊下が、まるで異世界まで続くかのように、広く遠くまで伸びていくような錯覚を覚える。
ヤバイ。このままでは、本当にヤバイ。
ノノカの寄越した【不成立三角関係】。更に、この後、科せられるとされている【不成立ペナルティ】。
ポイント0の状態で、俺にはすでに2つの枷が括りつけられている。
この2つを回避する方法。
そんなもんは、よくわかっている。
恋人がいないという理由で括りつけられているこの枷は、どちらもたったひとつの冴えたやり方で回避することができる。
そう――恋人を選べばいいのだ。
ノノカが何を期待して、この質問をぶつけて来たのか。
わからない筈がなかった。
引きつった笑みを浮かべる俺の頬に、一筋の汗が垂れる。
「……わかったよ。俺は、お前のことを――」
雷を受けたかのように、ノノカの全身がふわりと逆立つように見えた。
たまらず俺は、目を逸らした。
ノノカ、お前なんで、そんなに嬉しがるんだ?
お前が声を潰した原因を作ったのは、俺なのに。
お前は、何を俺に期待しているんだ。
だがな、ノノカ。
俺は、お前を――
「受け入れるつもりは、まだねぇえ!!」
そう言いながら、俺は自分の生徒手帳をノノカの鼻先に突き付けた。
俺の生徒手帳は、メール画面を開いており、一通のメールを表示していた。
突き付けられたメールを目で追うノノカの瞳が、見る見るうちに大きくなっていく。
『件名:人命救助活動に対する報酬
貴殿が、先のゲームにて人命救助活動を迅速に行なったとして、
一ノ瀬由紀恵様より、生徒会執行部へ申告がなされました。
これに伴い、生徒会執行部および学園より活動に対する報酬の提供が行われております。
この報酬を受理なさいますか?』
俺はノノカの目の前で、受理のボタンを押した。
「フハハハッ! これで、お前の【不成立三角関係】への返済は可能! まだだ、まだ俺は負けてねぇ!」
俺は、胸を張って高笑いを決めた。
分かっていたのだ。
そう、分かっていながら、なんの対策もないまま、ノノカに接触するほど、俺はバカじゃない。
俺はわざとポイントを0にしたまま、ため息を付き、ノノカが油断をして接触してくるのを、彷徨いながら待ち構えていた。
予想通り接触してきたノノカは、まさに俺の罠に嵌ったといえる。
今までにないほど、ハッキリと睨みつけてくるノノカ。
頬を膨らませ、子供のように地団駄を踏んだ。
これでノノカのペナルティは、回避できる。
もうひとつの枷である不成立ペナルティだって、学園側が科す罰則ペナルティに他ならない。
罰則ペナルティは、全体のパーセンテージで搾り取られるペナルティであり、ほんの少しでもポイントさえあれば、生き残ることは可能だ。
まさか、恋人がいないからといって、100%のペナルティを科してくるとは考えにくい。
これで、俺の問題は万事解決。オッケーなのだ!
ヒュンッと鋭く風をきる音が横切り、俺の目の前を黒い影が通りすぎた。
「おわっ、あぶねぇな!」
ノノカが、俺の頭目掛けてタブレットを振り回してきていた。
ノノカは、非常にご立腹の様子だ。
今にも噛みつかんとする狼のようにノノカは、歯を食いしばっている。
[カズちゃん]
顔は怒り狂っているのに、文面は至って簡素だ。
むしろ、感情的になっているからこそ、文章は短くなるのかも。
[恋と愛の違いってわかる]
思わぬ言葉に、俺はギョッとした。
罵詈雑言が出てくると思いきや、ノノカはおかしなアプローチをしてきやがった。
「なんのことだよ、それは?」
[お姉ちゃんが、昔言っていたこと覚えてる]
「それは――まあな……」
軽いジャブに、俺の心臓はすでにえぐられていた。
ノノカから、あの人のことを持ち出してくるとは思わなかった。
若干表情が落ち着いた。というか、自分自身も凹んで表情を曇らせたノノカは、少し下を向いた。
頭をかいて、俺は必死に思い出す。
あの人が、俺に言った言葉。
俺の、あの人に対する思いは――『愛』ではなく、『恋』なのだという意味。
「恋は、一方的なものだったか。恋をするのは、自分一人でできること。片思いは、自分がすること。愛っていうのは、双方向のもの、なんだろ。二人がいて、二人がいないとできないこと。愛は、お互いを知っていなくてはできないこと……」
言ってて、なんか恥ずかしくなる。んで、虚しくなる。
俺の思いは、愛ではなく、恋なんだと、あの人に言われたから。
ノノカは、くるりと自分の方へタブレットを向け、何かを入力した。
入力を終えると、ノノカは顔を上げた。
俺の言葉を聞いて、納得した――というだけではない。
ニンマリと口元をゆるめ、どこか勝ち誇った表情で、タブレットを向けてきた。
[じゃあ、私はカズちゃんに『恋の告白』をするね。これは恋の告白。私はカズちゃんが好き。カズちゃんが大好き。いつでも好きでいたい。これは一方的なものだから、愛じゃない。愛の告白じゃない。だって、カズちゃんは私のことを好きだとは言わないでしょ。だから、私は負けない。負けじゃないよ]
俺はその文面に目を通して、呆気にとられた。
な、なんだよ、これは!
恋の告白って、そんなのおかしいだろ!
なんでお前は、素直に好きだと言えないんだ!
「み、認めねぇぞ! 俺は、お前がちゃんと自分の口で言うまで、そんな告白は認めない!」
[うん、知ってるよ。だから、一方的なもの、恋の告白なんじゃない。それで、カズちゃんはどう思ってるの。私に、恋の告白はしてくれないの]
「な、ん、だ、と」
んな、わかりきっていること訊くな!
考えるまでもないだろうが。
俺が、お前のことをどう思っているかだなんて、なんで今更そんなことを口にしなくちゃいけないんだよ。
恋の告白なら許されるからって、なんでも口にして良いってわけじゃないだろ!
それに、俺はなぁ、例え自分の本心であってもこのままのお前を認めたんじゃあ――あん?
絡みつくような思考の中で、唐突に疑問符が浮かんだ。
ノノカは、一方的に告白をした。
それはいい。
それは恋の告白であり、相手からの了解を得られていないから、恋の告白のままとなる。
だが、もし相手から告白を受けた場合、それは双方向の関係となり、それはつまり相手にとっては――
「ちょっと待てぃ! 俺が告白したら、自動的に愛の告白になるじゃねぇか!?」
チィッ、とノノカは見事に舌打ちをする。
「てめぇ~悪あがきしやがって~」
俺が拳を上げると、ノノカはひらりと後退する。
くるくると回りながら距離を開け、立ち止まるとあっかんべーをした。
手を広げ、ブーンと飛ぶようにノノカは俺の前から走り去っていった。
明るくって巫山戯たヤツ。
他のやつと何ら変わらない、どこにでもいるような普通の子。
――認めない。
やっぱり俺は、認めるわけにはいかない。
ノノカは、俺のせいで自ら声を潰した。
俺があの時、ノノカに嘘を吐かせたために、ノノカは自らに呪いをかけたんだ。
もし、今ここで俺がノノカを受け入れてしまったら、ノノカが喋らないことを認めることになってしまう。
それは、ダメだ。
そんなことは、絶対ダメなんだ。
俺だけが、楽になる道を選ぶ訳にはいかないんだ。
ノノカが俺をちゃんと認め、ノノカから許しを貰わない限り、俺は誰かを好きになる訳にはいかない。
俺の身勝手な行動が、ノノカを傷つけた。
その傷すら癒やされていないままで、俺だけが別の人を好きになる訳にはいかない。
例え、それがノノカ自身であろうとも。
そんな自分を俺は――認めない。




