田舎? それなら友達を作ろう!
鼻に冷たい空気を押し込まれて、月歩は飛び起きた。
何事かと辺りを見回すと、真っ暗闇だった。
何処だか分からないが、何処だろうとは考えなかった。
ただ真っ暗闇だなと思って、辺りを見回していた。
しばらくぼんやりしていると段々と目が慣れてきて、白い土壁に囲まれた部屋だと分かった。
壁の一部からコの字型の光が漏れて、その光の中でだけ埃が舞っている様子が見える。
更に何も考えずにぼーっとしている内に、ようやくここが他人の家だという事に気が付いた。
お誂え向きに外からは鶏の音が聞こえてきた。
人の会話も聞こえて、その会話から今が朝だと分かった。
起き上がって光の漏れる壁面に近付き、窓に被さる木の板を上げると、外も真っ暗だった。
朝のはずなのに。
不思議に思って外をよくよく観察してみれば、空の彼方が少しだけ明るくなっていて、外は真の闇だとは言えなかった。
こんなに早起きした事無かったなと、何だか楽しくなってきて、窓から離れて、傍で眠っている陽菜に近付いた。
「陽菜、起きて。おはよう」
しばらく掛布団を揺すってみたが、反応が無い。
「陽菜、朝だよ。おはよう」
更にまた掛布団を揺すってみたが、反応が無い。
月歩は思い切って布団を取り払うと、中からだらしのない陽菜の寝顔が現れた。
布団を取り払われた陽菜は身を縮込ませて震え始めたが、それでも尚起きなかった。
月歩はしばらくその様子を観察していたが、やがてゆっくりと陽菜の顔に自分の顔を近付けていった。
もう少しで付くという所で、一気に加速し陽菜の額に自分の額を当て、こつんと軽妙な音を奏でた。
陽菜の口から呻き声が漏れた。
もうすぐ起きるだろう。
満足した月歩が顔を上げようとした瞬間、目の前に火花が散った。
月歩はもんどりうって後ろに倒れ、そのまま痛みの張った額を抑えた。
陽菜に何かされたと直感したが、何をされたのか分からない。
もしかしてあんまりにも悪戯が過ぎて怒らせてしまったのかと不安に思いながら、陽菜を見てみると、陽菜もまた額を抑えて蹲っていた。
陽菜は月歩をちらりと見て、理解の外といった目をしながら聞いた。
「え、何? 何があったの?」
「えっと」
本当の事を言っても陽菜はきっとすぐに許してくれるだろうと分かっていたが、何となく言い辛くて月歩は嘘を吐いた。
「陽菜が転がってきて私と当たった」
「ホント? ごめん!」
陽菜は慌てて膝立ちでどたどたと月歩に近付いて、悲しげな顔をしながら月歩の額に手を当てて撫でさすり始めた。
「ごめんね。あたし寝相は良い方なのに。変だなぁ」
「あ、うん。大丈夫だから。私も悪かったし」
「そんな事無いよ。ごめんね。ごめんね」
守ると決めたのに自分が傷つけてしまった事、自分の我が儘で辛い思いをさせてしまっている事、そんな後ろめたさも相まって、陽菜は必要以上に月歩を心配し、謝罪した。
月歩の方は自分のちょっとした悪戯と嘘が思わぬ重たい反応を招いて、面食らった。
もう変な嘘はしない事にしようと心に誓った。
一頻りごめんね、大丈夫の押し問答を続けてから、ほとぼり冷めて居間へ向かうと、庄太だけが囲炉裏を前に座っていた。
囲炉裏には赤い炎がちろちろと輝いて、傍に置いてある米櫃と焼き魚を瞬かせていた。
「あ、おはよう」
そう言って笑顔を見せた庄太に、二人も挨拶を返した。
「おばさん達は?」
「お祭りの準備に行ってるよ。明日だからね」
「庄太君は?」
「僕は二人を待ってたんだ」
庄太はお茶碗にお米を盛り、湯飲みにお湯を注ぎ、焼き魚を添えて、二人の前に差し出した。
水気を含んだお米の匂いが二人のお腹を刺激して、くーと音を鳴らした。
早速、二人は手を合わせて「いただきます」と言ってから、ご飯に手を付け始めた。
それをにこにこと眺める庄太に、陽菜が聞いた。
「あたし達は何をすればいいの?」
「え?」
「あたし達を待ってたんでしょ? 何かお手伝いをしなくちゃいけないんじゃないの?」
「そんな事は無いけど、ただここに居ても暇だろ? 都にある様な遊び道具も無いし。だから僕が何処かへ案内しようかなって」
「なるほどー」
大仰に二度三度頷く陽菜に変わって、今度は月歩が聞いた。
「気になってたんだけど」
突然、庄太は身を乗り出して、興味深そうに月歩の質問に耳を傾けた。
「うん、何?」
異様な食いつきを見せた庄太から、月歩はちょっと体を引いて、庄太の髪の毛を指した。
「何で髪伸ばしてるの?」
月歩の指摘に庄太は驚いて身を固くし、月歩の指先から隠す様に髪に手を当てた。
どうやら自分の意志でやっているのでは無いらしい。
だったら何故と、二人の疑念が膨らむ中、庄太は顔を赤くして俯いた。
「その、僕は村長の子供だから」
それだけ言って、庄太は黙り込んだが、二人には何の事だか分からない。
尚も津々とした視線を送っていると、庄太の口から掠れた声が出た。
「この村の村長の子供は女の子になってないといけないんだ」
「なんで?」
陽菜が追い打ちを掛けると、庄太は言い辛そうに続けた。
「良く分からないけど、そうしないと酷い目に遭うらしくて。だから僕の名前は庄太だけど、子供の間は美月って名前なんだ」
そう言われても二人は良く分からない。
庄太自身もあまり分かっていない様だった。
これ以上、聞いても無駄の様なので陽菜は追及を止めた。
それでも庄太は恥ずかしそうに俯いて黙っている。
二人は赤くなって俯いている庄太を見て、女の子が良く似合っていると感じた。
俯いて赤くなった様は儚げで、陽菜はもしかしたら自分よりも女性らしいのではと、理由の分からない危惧を感じた。
月歩は似合っているのに恥ずかしがるなんてもったいないなぁと思いつつ、それとは別に気が付いた事を指摘した。
「美月って月の字が入ってるから私と一緒だね」
全く見知らぬ土地だけれど自分と繋がりがある。
年齢や名前、きっと考えている事や遊び方も一緒に違いない。
その新鮮な発見が月歩の心をすっと爽やかにして、元気をくれた。
自分の仮の名前を言われた庄太は一瞬体を震わせたが、一緒という言葉に促されておずおずと月歩を見た。
月歩の顔は無表情で、自分が馬鹿にされたのか、喜ばれているのかも分からない。
分からぬままに、庄太は緊張気味に頷いた。
「そうだね」
「お揃いだね」
月歩に真顔でそう言われて、庄太は赤らめた顔を更に赤くした。
何となくだが、月歩の顔が笑っている様に見えた。
馬鹿にする様な笑みではなく、嬉しそうな笑顔。
そう思うと、庄太には月歩の無表情が満面の笑みに見えてきた。
良い印象を持ってもらっている。
そう考えて心の中で飛び跳ねている庄太に向かって、陽菜がそれを押さえつける様に聞いてきた。
「外に行くんじゃないの?」
庄太が我に返ると、二人は既にご飯を食べ終えていた。
庄太は馬鹿みたいに喜んでいた自分を思い返して、内心を気付かれたんじゃないだろうかと恐る恐る二人を見たが、陽菜は憮然とした面持ちで、月歩は無表情で、庄太がお祭りに連れて行ってくれるのを待っている様だった。
「ご、ごめん」
必要以上に自分の事を考えすぎたと自戒して、庄太はすぐさま二人の前から茶碗と湯飲みと皿を拾い上げ、水場に持って行って洗い、即座に取って返して、二人の前で息も絶え絶えに笑顔を見せた。
「それじゃ、行こうか」
外に出ると、ようやく山の向こうから日が昇ろうかという頃だった。
二人にとってはまだ辺りは暗く、霞む様な薄闇の景色は酷く物寂しいものに思えた。
庄太にとってはいつも家を出る頃より幾分遅い時間で、夜露で光る常より明るく爽やかな朝に胸を弾ませながら、お祭りの会場へと向かった。
家を出てすぐの場所で、十字路の右手からやってくる人影の群れに出会った。
人影の群れはみんな、陽菜達と同じ位の年齢の少年だった。
人影は全部で四人、一際体格の良い荒ぶれたのを筆頭に、何やら粗暴そうな顔を嫌らしく歪めて、陽菜達を、特に庄太をにやにやと眺めていた。
何だろうと陽菜と月歩が困惑していると、一際体格の良い奴が大仰な身振りで庄太に語りかけてきた。
「おやおや、美月ちゃんは女の子なだけあって、やっぱり女の子と遊ぶのが楽しいみたいですわねぇ!」
四人の意地の悪い笑いに晒されて庄太は恥ずかしげに縮こまっている。
陽菜と月歩は一目見て、いじめだなと判断した。
庄太は何も言い返せない様で唇を噛みしめていた。
そんな庄太を見て陽菜が肩を怒らせ始めた。
そんな陽菜を見て月歩は無表情で事の成り行きを眺める事にした。
「いっつもお人形さん遊びしてるんだもんな!」
「家中、お人形さんで一杯なんだもんな!」
陽菜と月歩が思わず庄太に目をやると、庄太は必死で否定しながら目に涙を浮かべていた。
それを見た陽菜が庄太の前に立った。
「あんた等、庄太君は家の決まりで女の子のかっこをしてるだけんだからね。庄太君は女の子じゃないよ!」
突然、口出しをしてきた余所者の女の子に面食らいながらも、ひょろ長いのが言い返してきた。
「そんな事知ってるよ! でも、そいつなよなよしてて男らしく無いんだよ!」
「そんな事無いよ! ねえ、庄太君?」
庄太は自分が男らしいとは思えなかったので、何も言えなかった。
庄太が黙っているのを見て、悪がき達が調子づいた。
「ほら見ろ! 女には分からないんだよ」
「はあ? あんた等こそ庄太君の事何も分かってないんだよ!」
一気に場が沸騰する。庄太と相手の一番小さいのがおろおろし始め、月歩はそれを無表情で眺めやり、悪がき三人と陽菜はいきり立った。
先に動いたのは一番体格の良い奴だった。押さえつけた怒りを全身から芬々とさせながら陽菜達へ一歩踏み出した。
その瞬間に、陽菜が駆け出した。
風を切って、狼狽える悪がき達へ一足飛びに近付き、身体を捻りながら左足で着地、上半身を下に折って両手を地面に付けて身を低くして、その反動で残る右足を巨体の脇腹へ振り回した。
悪がき達、特に一番体格の良い奴には近付いてくる陽菜が一瞬で消えた様にしか見えなかった。
次の瞬間、呆然とした一番体格の良い奴は、何かに思いっきり腹部を押し出され、そのまま隣の枯れた田んぼへ吹き飛ばされた。
綺麗に回し蹴りが決まり吹き飛ばされた巨体を、月歩を除いた他の傍観者は呆然と眺めていた。
月歩はいつも通りの無表情で、陽菜の鮮やかな野試合を見て、小さく拍手をした。
陽菜は偶にこの手の喧嘩をするが、一度たりとて負けた事が無かった。
陽菜は田んぼに倒れた巨体には目もくれずに、怯えだした悪がき達を鋭く睨みつけ、威嚇した。
悪がき達は震えあがった。
それでも足を止めていたのは、女の余所者、しかも普段馬鹿にしていた庄太陣営、に背を向けるのが悔しかったからだ。
だがその勇ましさも陽菜がゆっくりと近寄って来た事で消し飛び、一番小さいのを筆頭に残らず駆け去って行った。
田んぼにはまっていた巨体も、ようやく起き上がって呆然と辺りを見回した時には、自分の味方が一人もいない事に気が付いて、他の仲間が逃げたのと同じ方角へ這う這うの体で逃げ出していった。
それを見送った陽菜は振り向いてにやりと笑った。
「二人とも大丈夫?」
当然、二人とも体に傷は付いていない。
「陽菜こそ」
「あたしは全然大丈夫!」
庄太は如何にも快活な笑顔を見せる陽菜が、自分と同じ位の体格である事に愕然とした。
庄太は喧嘩に負ける度に、その原因を自分の体格が小さいからで、強くなるには体を大きくすれば良いと毎日必要以上にご飯を食べる事を心掛けていた。
そんな毎日の積み重ねが完全に否定された。
呆然として何も考えられなかったが、それでも心の奥底に宿る強くなりたいという願いが、庄太の口を開かせた。
「どうしてそんなに強いの?」
「運動が得意だから」
言われてみれば、庄太は走るのも重い物を持つのも、同年代に比べて劣っていた。
だから俺は喧嘩に弱いのかと納得しつつ、ならどうすれば強くなれるのだろうという新たな問いには答えは出せなかった。
「早く行こう」
「もう大丈夫だから」
その声に庄太は思考の泥沼から抜け出した。
慌ててまた二人の先導に立ち祭りの会場へと向かった。
何度も頭の中で自分の弱さを責めそうになったが、その度に明日からは家の手伝いだけで無く、沢山運動しようと心の中で誓い続けた。
「ねえ」
黙り込んでしまった庄太に月歩は声を掛けた。
庄太が落ち込んでいるのは目に見えていた。
やはりいじめが相当応えたのであろう。
多分、その原因をあっさりと陽菜が撃退してしまった事にも落ち込んでいるはずだ。
月歩は自分の経験からそう考えた。
陽菜に守られるだけの自分と庄太が重なった。
なんとか庄太に元気になって欲しかったが、どうすれば元気になってもらえるのか分からない。
月歩が落ち込んだ時には缶詰の中に硬貨を入れる事で立ち直る事が出来るが、それはかなり特殊だと自分でも分かっていた。
何と言えば、立ち直ってくれるのか。
単純な慰めをされるのはもっと惨めな気持ちになるので嫌だった。
下手に別な事に気を向けられるのも、明け透けていれば嫌だった。
怒ったり、強く励まされるのも、どうしても反発心が湧いて嫌だった。
そう考えてみると、何とか上手く、自然に、相手に気付かれない様に、別の事に気を逸らすのが良さそうだ。
では何に?
再び月歩は自分が嬉しい事を考えていくと、それはすぐに見つかった。
「庄太君は私達の仲間だからね」
「え?」
「だから探検するのは一緒だからね」
陽菜と一緒に出掛けた時の、陽菜と一緒に未知の場所へと向かう間の、陽菜と一緒に未知の場所を探検した時の、あの高揚感が強烈に印象に残っていた。
だから、月歩と、そして何よりも陽菜と一緒に探検すれば、それはとても楽しくて嫌な事なんてすぐに忘れてしまうに違いない。
果たして、庄太は笑顔になった。
「分かった。仲間だね」
庄太は自分が励まされている事は十分分かっていたし、それを惨めにも感じていた。
けれど陽菜と、そして何よりも月歩と仲間になれた事が本当に嬉しくて、月歩の思惑通りに悩みなんて消え去った。
「それで探検て何するの?」
意気込む庄太の質問に、月歩と陽菜はちょっとの間考えていたが、やがて陽菜が言った。
「それじゃあ、お祭りの探検!」
毎年行われているお祭りなんて庄太にとっては探検でも何でもなかったけれど、それはとてもわくわくする大冒険だった。




