第二千九百九十五話
気持ち悪さに気がどうにかなりそうな私をよそに、マドカが横たわる女性のそばに屈む。
頬に触れ、髪をかき分けてみたり、手首や肘を撫でてみたりして首をひねる。
「どうした」
「いや。違和感があって。なんだろ」
「顔つきじゃない? 元は同じでも人相がまるでちがうというか」
「そういうことじゃあ、ないんだよね」
キラリの問いに答えながら、マドカは再び顔に触れる。そのあとに前髪をかき上げて、あっとつぶやく。
「さわり心地、変じゃない?」
「え? ああ」
「どれどれ?」
キラリだけじゃなく、ノノカも続く。
遅れてノンちゃんたちも、恐る恐る触りだす。
私が再現したものであって、女性そのものじゃないにせよ、なんだかいかがわしい光景だった。
ただ、みんなして触るなり表情を変えている。不思議そうに。あるいは疑わしげに。
私はまだ、近寄れない。それでも気にはなる。
「な、なに? どういうこと?」
私の問いにマドカが顔をあげた。
言いよどむように視線をさまよわせてから、数秒。
まるで私のリアクションを誘うような空白の後、覚悟を決めたように表情を引き締める。
「あんまりつるつるすべすべしてて、作り物みたい。どこを触ってもそうだし、髪の毛もそう」
「この肌、なんだか陶器みたいじゃない?」
「太ももとかの弾力はぬいぐるみみたいに、綿を詰めたような感じかな」
みんなの話に理解が追いつかない。
すごく悩んだけど、意を決してマドカのそばに近づいて、私も彼女の頬に触れてみた。
あたたかいし、つるつるすべすべしている。十代半ば。産毛らしいものもない。
髪を確かめてみる。手触りは一瞬、ありふれたもののように思ったけど勘違いだ。よく触ってみるほどきしんでいて、まともに手入れされていないことがよくわかる。
肌の感触からすると、違和感がすごい。
あんまり気になってきて、彼女の顔をのぞき込んで匂いを確かめる。今日一日、目いっぱい動いているみんなのなかで、彼女はやや匂う。安いソープの香料の匂いだけ。
ますます気になって、彼女の手を取ってみた。手の甲も手のひらも感触が変わらない。爪との区別もまともにつかないくらいだ。
奇妙にもほどがある。
「思うんだけど」
キラリのつぶやきに視線が誘われる。
「あの男、肌はボロボロ、髪はボサボサの中年に見える。あんなのと深く関わっていたとして、この人、まともに生活できてたのかな」
「あ、そっか」
合点がいった。
そうだ。髪の手入れはもちろん、肌の手入れもできているように思えないんだ。実際、髪はぱさぱさとしていて保湿もなにもあったものではない。なのに肌はまるで作り物のように、感触が統一されている。スキンケアの結果とは到底思えない。
仮に彼女のセルフケアが、あの男と同程度だというのなら? 彼女の肌の手触りの説明がつかない。さわり心地がいいようにするような、そんな状態の説明が。
疑問を整理してマドカたちに伝えたのち、この説明のむずかしさに頭を抱えたときだった。
「むずかしくない」
「え」
未来ちゃんが、コマチちゃんやユニスちゃんに付き添われていた。私の再現した彼女よりも、大量に失血した男よりも顔色が悪い。口元を抑えている。なにかをぐっと堪えているようだけど、耐えきれないのか、ずっと震えていた。
「たぶん、男が気持ちよく、抱くためだよ」
「実際は肌もガサガサかも?」
「術が、あるんでしょ」
見ていられないとばかりに未来ちゃんが背中を向ける。それでも気持ちの悪さが増すばかりなのだろう。ふたりに支えられながら、よたよたと離れていく。
心配でならないのか、キラリは立ち上がって追いかけていった。私も誘われるように立ち上がろうとするけど、手首を掴まれた。マドカが私を睨んでいる。
そうだ。いまは調べないと。
金色を出して彼女の肌を通す。それから理華ちゃんの指輪を出した。鍵はいったん、消しておく。作り物じみた感触をごまかすものを露わにするよう、その因果を引き出すべく術を駆使する。
果たして、金色に因果は移っていく。それと共に金色は赤黒く染まり、芋虫に変わっていくのだ。男の術の形に。
代わりに女性の肌の色がみるみる変化していく。私と同い年くらいの時間にさかのぼった彼女の素肌が乾いていく。唇はひび割れ、乾いていた。薄く開いた口から口臭が匂う。
指で唇を上げてすぐ、眉間に皺が寄る。
歯肉が腫れていた。歯はどれも黄ばんでいたし、歯列も矯正を勧められそうなほど不揃いだった。
彼女の手。指先はささくれが目立つ。親指、人差し指の爪の先が指先よりもややえぐれ気味だ。よく噛んでいるのか。感触だってかさかさしてる。クリームなんて使ったことがなさそうだ。
手入れされてないのは顔も同じ。にきびがあちこちにあるし、眉毛から髪まで伸び放題。首筋や手首にひっかき傷。なんならリストカットの名残さえあるんじゃないかと疑ったけど、それはなかった。刃物が与えられていないせいだろうか。
それよりいっそ、肘にある治りきっていない内出血も目立つ注射痕の数々が目立つ。それは彼女の手の指の腹にもあった。
「なんだか、匂う?」
マドカが息を潜めたとき、ノノカが咳払いをした。
いたましいものを見るように曇った表情で、コートをかぶされた彼女の下半身を指さす。
コートをめくるのも気が進まず、ノノカのそば、彼女の足下に移動。ノノカが示したほうを見て、息をのんだ。
とても直視できるような状態じゃなかった。
裂傷だけじゃない。手術跡さえあった。火傷の跡も。恐らくまだ抜糸されていないであろう縫合のあとも。
それだけじゃない。たぶん性感染症かなにか。粗悪な環境、まともな待遇もなにもないなかで放置されただけでもない。未来ちゃんの言うように、一度や二度じゃ済まない強姦の名残。
それでもまだ足りない。
この手術跡は説明がつかない。
「ああ」
ただ、ひとつわかった。
男が気持ちよく抱くために、女性の実態は邪魔だ。
マスクされなきゃいけない。
都合のいいところだけあればいい。
肌はさわり心地がよく、性器は触れれば濡れて、女が喘げばいい。
彼女がどれほどの状態を生きて、育ち、傷つき、苦しめられたのかなんて、どうだっていい。
必要なのは「抱きたい身体」、「気持ちのいいセックス」、「自分の干渉に歓喜すること」であって、「ひとりの人間」ではない。
それにもちろん「日常的にどれほどの手入れが必要か」「日々の活動がどれだけ蓄積されているのか」、「どう覚えていくのか」「習慣としてどうするのか」などの具体的な答えで成り立っているか、男の願いには含まれない。頭にない。
となれば必然、なぜ彼女たちがそんなことをしなければならないのか、みたいな批判もない。
彼らはただ「抱きたい身体」、「気持ちのいいセックス」が得られればいい。濡れなきゃだめなら「自分にだけ濡れる」し、「自分のやり方に歓喜する」だけでいい。「ほぐれている」し「温泉みたいに熱くて、とろとろする」し、「自分相手にだけ絶頂する」とかね。そういうのと同じ領域に、日常に求めるものも、なんなら「妊娠・出産」も、「育児の最中だろうとまず嫁でいること」さえも含まれる。
なんなら彼女たちが彼らを「安心させ、興奮させる振る舞い、言動」を示せば、それでいい。
だけど実際の彼女は、どれほど悲惨な状態になるのか。
いままさに、私たちは目の当たりにしている。ひとりの実例としての彼女を。
「その、手術跡みたいなの。なにをしたかわかる?」
無茶を言う。
表情に困り、顔がいっそう強ばった。
マドカにどう答えたらいいのか、言葉が見つからないのだ。気持ちの置き所もわからない。
「すぐは、無理かな」
たぶん、やりようはある。
指輪と鍵を使って時間をさかのぼるなり、あるいは彼女に金色を通して、それを映写機にでもして、投射するなり。だけど、なんだろう。いまそれをしたら、私は先に進めなくなる気がしている。
「まともじゃないよ。こんな目にあわされて、きっと十年どころじゃないのにまだ、いいように使われてるっぽいんだよ? それを、いま、ここで見るなんて」
みんなが沈黙するなか、ノノカがコートの裾を取って、彼女の腰回りを改めて隠した。
押し黙る私たちに足音がいくつか近づいてきた。
振り返ると、あねらぎさんがいた。佐藤さんもいる。それだけじゃない。私に八尾を注いだ彼女がいた。小学校時代の先生の姿じゃない。ミコさんにそっくりの姿だ。うちの学生服を着ている! なぜ! どうして!?
「見覚えのある奴がいるなあ」
「まだ身柄は拘束中ですからね」
「わかってるよ」
あねらぎさんに注意されながらも、人造ミコとなった彼女が私のそばにやってくる。みんなにどくよう促して。あねらぎさんも佐藤さんに「あちらをお願いします」と、お父さんたちへの合流を促して、私たちの輪に加わった。
「あ、あのう?」
「彼女はここの関係者らしいの。侍隊は動けないけど、教団や教会の人間などを含め、少数ながら応援に向かってきているところ。それで? この状況を説明してもらえる?」
マドカが買って出てくれて、私の術でなにをどう再現したのかを簡単にまとめて伝えてくれた。
返事も惜しいのか、あねらぎさんはすぐさま、連れてきた子に尋ねる。
「ハチ、彼女に見覚えは?」
なにか気に入らないのだろう。人造ミコの彼女が迷惑そうに顔をしかめた。
「その呼び名、やめてくれないか」
「いいじゃない。末広がりで」
「求めてないんだよ、あだ名に縁起は」
「でもあなたは名称不明だし、それなら名前は必要だし、名前には縁起を担ぐものでしょ?」
「はあ」
抵抗するのをやめて、人造ミコあらためハチが寝そべる彼女の手を取る。
少しして、彼女は「青澄」と低く唸り、私をにらみつけてくる。な、なんだろう。
「こいつはおまえが再現したんだな? たいそう便利な術を持っているようじゃないか」
「ま、まあ?」
私だけじゃなくて、御霊の縁結びをした子の力も借りてる。
あんまり得意げになるものじゃない。
でも、すこしは気晴らしに思ってもいいんじゃないか。やったぞって。
「でも、独学だからか足りない視点がある。霊子を扱う術は自分の影響を受ける。情報、価値観、情緒、体調などのな。意識できるものの影響はまだ対処がしやすいが、無意識となると手強い」
「え」
「修正するぞ」
「えっ」
要修正箇所があった!?
ひやりとした私の前で、ハチは寝そべる彼女のコートを少しはだけさせて、胸元に手を置く。
「エリニュエス、クセニア、カンティカ、シド、ペルデュ、老いたデイヴィッド」
散逸する単語をつぶやき終えると、ハチの手から七色のもやが出てきた。それはみるみるうちに女性の身体を覆い尽くして、徐々に肉体にしみこんでいく。
修正と呼んだとおり、彼女に変化が見えた。顔の形状がやや崩れていく。まだ、ぎりぎり私に似ているけど、少なくとも元々はうり二つを思わせるような顔立ちではなくなった。おまけに右目が落ちくぼんでいて、眼窩が空洞になっていた。
身体の至るところに内出血や殴打の名残、痣や傷跡が増えていく。歯形や生々しい裂傷も。四角くえぐれたまま、肉が露出した傷跡もあれば、臓器があるはずの腹部に過剰なへこみが見られたりもする。
「これが、より実際に近しい状態だ。私にも限界があるが、少なくとも霊子の表現物に九割方は寄せられただろう」
あまりにも悲惨な姿にだれもなにも言えない。
私が再現したよりもずっとひどい暴行、拷問、虐待のかぎりを受けているであろう姿を前にしたら。
肘にある注射痕はより数を増やし、治癒しきれず膿んでいる箇所もあって、とても見られた状態じゃなかった。
「八尾を構成する魂の中には、この子のような人が大勢いる」
さて、こいつの製造は、などと気になることを言い出す。
だが、いまはそれどころじゃない。よっぽど気になることを言ったばかりじゃないか。
「待って。え。八尾を構成する魂にって、え?」
「連中が作ったのが明坂ミコだけのはずもないだろう? いろんな製造実験を試みたさ。もちろんな」
理解が追いつかない。それはもちろん、マドカたちも同じようだった。
あねらぎさんは道中で情報交換をしていて把握していたようで、特に驚きを見せない。ただ咀嚼しきれてはいないようで、目元が引きつっている。
「国内の隔離世絡みで有力とみられる者の再現ならどうか。そう銘打って行われた実験のひとつだろう。彼女、もしかしたら青澄家のだれかの組織から作られているのかもな」
あっ。え?
「連中はあくまで明坂ミコを狙っていた。その製造には、一から大勢を集めるよりも、有力とみられる者たちの組織から作った”もの”同士で交配させ、作り上げるほうが、素材の選定および厳選が行える」
「実験としても条件を限定しやすい、と?」
あねらぎさんの問いにハチはこともなげにうなずく。
「ああ。どんな親、どんな生まれ、どんな育ちかわからない素体を集めるよりも、生まれにまつわる三要素を限定したものを多く集めて実験したほうが、変数の調査も影響も探りやすい」
最高最良最善の人材を作る。
活用したい霊力を開発する。
そのために必要なものがあるのなら用意する。
製造開発者たちの狙いはずっと変わらない。
発端は戦中戦後の隔離世絡みの人材と技術の利用に政府が目を付けたところから。そこから研究開発が始まって、いまに至る、と。
その過程のなかに、うちもきっちり狙われていた。それだけじゃなく、作り出されてもいた、と。
だとしたら、彼女はうちの一家のだれかの組織から作られたものに過ぎない、と?
信じられなかった。
そんなことをする神経が。
思いつく人がいるという事実が。
「隠れ里の妖怪、獣憑きをはじめ、日本の侍隊の有力者や、野の活動家たちは漏れなく狙われた。そんな大それたことをするんだ。それも現代まで何十年もかけて。どれだけの資産と人材を使って成し遂げたのか、想像するだけでもぞっとするね」
「そんなの、あり得ないとしか思えないけど」
「でも結果として存在している。だから、結果と、あり得ないと思える根拠の間にある溝を埋めるんだ。現実に、具体的に、どうやって実現したのかを探るんだよ」
ハチは冷淡に言い返しながら、彼女の身体をじっくりと観察し、触れている。修正してからもずっとだ。
なにかを探しているんだろうか。
「あ、あの。なにしてるの?」
「どんな状態にされているのかがわからないからな。調べている」
そう言って、彼女が「ごめんな」とつぶやき、コートを少し避けた。
布地で隠れていた身体には、修正によって手術の縫合の痕跡が増えていた。お腹を縦断する大きな痕がとりわけ目立つ。目立たないようにする、みたいなことが欠片もない。
「あの。そんな状態で、何年も、無事でいられるの?」
「無事ではなくても、何年もごまかすくらいはできるだろう。ただ、隔離世の影響がない状態の人と比べると、あらゆることがちがう。獣憑きが優れた聴覚を有するように。長所も短所も持つ」
すごく無茶な話をしているという自覚はあるのだろうか。
「そ、そんな。人は簡単に切り貼りできないよ」
「だから大勢が犠牲になったよ」
言葉もない。
「九州のある大学で生きたままの米兵を生体解剖した事件が戦時中にあった。臓器を切除したらどうなるか。出血死の出血量は、どの程度が致命的か。旧満州でも様々なことが行われていた。戦時中はなにかと人体実験が行われていた、その延長線上にあるんだ」
ハチの手は止まらない。
「戦後は親を失い、行き場のない孤児が大勢いた。障害者、精神疾患患者もそうだ。戦中に傷ついた人々もな。これに重病者を加えると、末期的な医療施設に運ばれること自体は現代でも変わらず起きている。現代なら家出や引きこもりなんかも狙い目ではある」
アシのつきにくい形で”奪える”人たちがいる。
戦後から、様々に。
「戦後は米軍相手に慰安所を作ったりしてな。いまでも沖縄を筆頭に犯罪が起きているし、シングル家庭が多い。となれば、だ。そうやって集められたのが、いっときは四校のどこかに通わされた、と」
平塚さんたちのことだ。
「大勢を犠牲にしながら、なにがどう弄れて、どれくらいの猶予があるかなども調べられてきた。だが言わずもがな、臓器移植は様々なハードルが適合に存在する。あんまり意識がある状態でやり過ぎると、邪だけじゃ済まない。黒い御珠になってしまう」
欲は邪になり、邪は放置されれば黒い御珠になる。
黒い御珠はたくさんの邪を生成して隔離世の秩序を乱すし、その影響は現世に及ぶ。
「なぜ東京に零番隊が必要なのか。異常な研究で生み出された黒い御珠の対処のためだ。その研究が、東京で行われているからだ、ということなんだろう」
「聞き捨てならない推測ですね」
「推測なものか。別個の結果を集めて語りたいように使用すれば、いくらでも作り上げられる妄想だよ。いまのはね」
肩透かしをわざと挟んだ理由はなにか。
みんなして無言でハチを睨んだり、顔を歪めたりしていると、彼女はやっと反応がないことに気づいて憮然とする。
「なんだ。冗談だよ。笑えるだろ?」
答えがないことで、ハチの意気が挫けたようだ。
「それで? 冗談抜きで」
「空気を和らげようと思っただけなのに。とにかく、連中は様々なことを試みた。隔離世の特性のなんとかパッチワークで繋げないか、とか。肉体を傷つけることで、どこまで生きていられるのか、とか。医療の発展に伴い、研究目的も変化していった」
「実験対象を調達する方法は」
「そこはさっきの話のままだ。推測も含まれるがな。世の中には、捨てたい人間がいるんだよ。あとは、連中が捨てたい人の受け皿を用意すればいい」
日本の総人口の一パーセント、あるいはその十分の一でもいれば? それだけで十分。
「真っ当な福祉や支援から金をどんどん減らして、現場を疲弊させつつ窓口で追い払うようにすればするほど困窮者は行き場を失う。真っ当に活動している団体はどこもカツカツか、その評判から助けを求めてくる人たちの予約でいっぱいだ。こぼれた人を、助成金を流した組織でかすめとって集めてくればいい」
インフルエンサーとかに、団体はすべて悪であるといわんばかりの風評を流せば?
支援を求める人たちの声が弱まる。接続が減る。行き場を失う人が増える。
窓口は冷淡。現場はカツカツのまま、ますます絞られる。真っ当に支援をしている人たち、団体も同じだ。
そんな状況で、いったいだれがどんな利益を得る?
「なんであれ、そういう人間が研究される過程で求められる状態は大きく分けてふたつ。まともか、まともに思考できない状態にされた廃人か」
逆にうちのだれかをはじめ、組織細胞を採取して作ったものは。
「生み出されたものは、大概が教育されずにおかれる。単純に手間だからな。逆に、実験対象に教育するとなれば、教育のぶんだけ投資する価値を見いだした肝いりの研究なのかもしれない」
彼女は、どうか。
鍵で時間を止める前の段階で意思を見せず、微動だにしなかった彼女は。
「彼女がどういう目的によるものかは、彼女の実物を見ないとなんとも言えないが」
なんの研究のために、なにをして、どうなった存在なのか。
私の再現は再現であって、実物じゃない。
おまけに私の術によるものだから、私の影響を免れない。
事実として捉え、それを共有するためには、越えなきゃならないハードルがいつだってたくさんある。
「たとえば邪が出ないよう思考や反応を阻害した人体から、臓器を取り除いたり、血の量を減らしたり、栄養量を制限した状態で、どこまで邪が出ないか、とかか」
あるいは。
「歯形や性器の裂傷などを見るに、強姦、暴行も疑われるな。何人か出産させられていると明かされたって驚かない。そんな過酷なダメージに保つような身体じゃないと見えるが、そこも、”加工”されているのかもしれない」
なんであれ、ハチはため息交じりに俯く。
「もはや彼女は生きているというより、死ぬことができないし、それを選べない状態だと言えるだろう」
五体はある。たぶん筋を切除されるなどはされていない。その代わりになにか致命的なものを破壊されていて、そのために彼女は覚醒していながらも意思を示さない。示せない。
「気になるのは、彼女と、その芋虫の術の内訳。そして男との関連性というべきか、男と彼女の関係性というべきか」
その指摘に思考を巡らせたいのはやまやまだったけど、気持ちも頭も追いつかない。
気づけば、彼女を中心にした輪がずいぶんと小さくなっていた。みんな、真に受けられないんだ。
当然だ。こんなの、とてもじゃないけど受け止められないよ。
集まりが拡散したから、愛生先輩やルルコ先輩たちもいてくれていることに今さら気づく。だけど、先輩たちも口を開けずにいた。
そもそもみんな、もう、彼女を直視できなかった。
生きながらにして”もの”にされた。利用され、消費され、愛玩によって損壊されつづけているのだ。
そのダメージや傷跡から目を背けるための術が寄せ集められた芋虫は、彼女を救うためのものじゃない。男が彼女を傷つけ、穢して、苦しめるためのものだ。彼にとっては、それが愛だとしても、その具体的な内訳は暴力でしかない。
「解析、頼める?」
「そういう話だったろ?」
あねらぎさんに雑に答えてすぐに、ハチは私を見て、それから未だに残る少ない輪の学生たちの顔を見渡した。
「学生たちは引き続き先に進むなり、これで限界だと思うなら大人に譲るなりするんだな。その責任は大人にあるのであって、こどもにはない」
大いに怯む。
これまでだって、私を筆頭にした少数のメンバーで事態に挑む局面になってきた。
そんなの、一度や二度じゃない。当然、ついてこれない人も出てくるし、徐々に増えてきている。一度や二度じゃないことが、三度、四度と何度だって繰り返し、あらゆる脅威となって立ちはだかるのだから。
今度ばかりはもう、ほんとに無理かもしれない。
人をどこまでも破壊する、そんな集団が相手だと実感すればするほど、湧き上がるものは人によって異なるのだ。怖がったり、恐れたりする人がいたって、それはちっとも不思議じゃない。
私は?
立ち止まれない。
けど、この苦しみと共に生きるのはつらいよ。
なのに、だれもそれをしなかったら、彼女は本当にひとりぼっちになってしまうんだ。
許せないだけじゃ足りない。
知らなきゃ始まらない事実がまだまだたくさん潜んでいる。
彼女の身にだれかがしたことと同種の事実さえ含めた、あらゆる事実が。
それは先に進まなきゃわからないんだ。
「行くよ、それでも」
いやで、つらくて、怖くて、恐ろしくて、それでも先に進みたい自分と共に行くよ。
同じ選択をする人がいるなら、その人たちと共に。いるかな。ぐっと減るかもしれない。
「ほっとけないもの」
ここまで来なきゃ、彼女に気づけなかった。
この先にもまだいるかもしれない。ひとりだって漏らさず見つけて気づきたいよ。
じゃないと、どうするもなにもないもの。
つづく!
お読みくださり誠にありがとうございます。
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