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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!
2008/2984

第二千八話

 



 料理をするしないで、調理ひとつが変わる。

 それどころか材料の買い方ひとつとっても大きく変化する。

 たとえばね?

 レシピを調べて、その通りに買い物をする。

 すべて事前に調べ上げて、予定通りに消化する。

 つまり買い物に行く時点で「メニューはこう」と決めておく。

 それだと疲れた日も、頭が働かない日も、メニューの消化をしなきゃだし? そもそもメニューを考えなきゃいけない。これはつらい。

 手抜き手段はあるよ?

 たとえばレトルト、インスタントの常備。レンチンご飯や冷凍食品の常備。その充実に勤しむ。

 面倒なときはどうする?

 コンビニや外食、あるいは宅配に頼る。

 これだと栄養のことを考えるどころじゃない。たいへん! めんどう!

 できる人もいる。でも、ずるずると外食頼りになるケースも多い。

 面倒さレベルが上昇すると? いざ買い出し、いざ調理が日常から遠ざかる。

 そうなると、料理のイロハが遠ざかったままハードルの高さを感じる人が割合的に増えそう。

 ここでの負荷はいくつか拾い上げることができる。

 献立、メニューの選択。

 買い出し、調理の機会。

 言うまでもなく調理をしたら、後片づけの手間もある。

 食事にまつわる家事も付随する。

 そういうのって慣れてないときほど、日常的でないほど、面倒だし?

 慣れても日常的でも、面倒なものは? 面倒だ!

 そうした負荷は日常的なら下り坂で自転車を漕ぐのに似ていて、日常的じゃなかったり疲れていたり参っていたりするときは上り坂で自転車を漕ぐのに似ている。ところで自転車を漕がずに済むのが一番らくちんと注釈をつけておく。

 じゃあどうするのか。

 いろんな方法論があり得る。

 買い出しは基本的に野菜にお肉、お魚をひととおり仕入れる。

 調理時に食材名で検索。推しのアプリ、料理研究家がいると? なおよし!

 献立はそのつど考える。その負荷はゼロにならない。

 手軽に作れ得るレシピは、いつでもどこでもいくらでも見ることができる。スマホと通信契約と回線さえあればね。だから負荷は軽減できるし、余裕があるときにアクセスすればいい。

 足りなくなった食材を常時、機会を見て買い足せばいい。

 楽ちんレシピやいけるレシピは覚えておきたい。作り置きレシピもね。残りやすい食材も出てくるから、保存の仕方を検索するとなおよし! 冷凍はひとつの手。

 でもって、それじゃやっぱり洗い物や生ゴミの処理などの手間は残る。

 それに、実をいうといままで黙っていたことがあるの。

 そもそも献立って、どう決めるの?

 ぶっちゃけお好みでどうぞ、だ。

 もちろん栄養に関わるからね? 無視して食べる、無視して作ったものを食べさせる、だと? 自分も、一緒に食べる人も影響を受ける。

 食材に選択肢があるのならね?

 さてさて。

 実際、なにがいいのかな。

 初心者には無茶ぶりが過ぎるよね。

 型ならちゃんとあるよ?

 日本だと、ご飯に汁物。主菜と副菜。このあたりかなー。

 副菜の数は家による。副菜なしということもある。

 あるいは一汁一菜なんていうのはどうかな?

 ご飯に汁物、主菜で組み立てるの。

 過去を遡ると主菜も漬物だけってことが多かったそうだ。歴史に読み解くのなら、徳川家康公が健康法として一汁一菜を守っていたと聞くね?

 これなら「ご飯を炊いて。つらいときはレンチンご飯。お汁は味噌汁。レトルトもあるよ? お吸い物粉末だってある」ので、やり方はいくらでもある。なんと主菜を用意すれば? 自炊が可能だ。買い物の内容もずっとシンプルにまとめられるんじゃないかな? 食べたい主菜を用意するの。初心者のうちはレンチンご飯にレトルトでもいい。ただし気持ち的にだいぶ割高だから、材料を買って作れるようになると? 心理的なハードルがさらに下がってお得。

 主菜もさ? 朝は焼き鮭。夜はお惣菜に頼るというのも一手。お肉を焼くのでもいいし? 具材をどばどば入れて煮込む鍋料理も覚えると楽ちんだ。

 口寂しいなあってときは? ひじきの煮つけとか、切ったきゅうりを塩昆布と和えてほっとくとできるのとか、そういうのを作り置きしておくといい。

 食べたいものを作る、とか。これを食べるとお腹いっぱい、とか。

 そういう主菜を出せば、ひとまず一食になるっていうだけで、かなり気持ちが軽くなる。

 いやいや、その主菜を毎回かんがえるのが面倒なの! っていうときは?

 機械的に決めちゃうのも手。

 肉、お魚、肉、肉、お魚、お魚、肉! みたいに。

 毎回お肉が同じのがいやなら? 牛! ブタ! 鶏! の順番に変えればいい。

 お魚なら? 生! 焼き! 煮込み! とか。アジ! イワシ! サンマ! ホッケ! とかね。種類で変える。

 好き嫌いがあって、同じものずっとがいいなら? それでもいいし。

 値段的に気になるなら? 安いものを選ぶといい。

 それさえ考えたくないの! と言われちゃうと、んーってなるけどね。

 逆に言えば、まず献立について、なにを食べるかについて考えるのがハードルかな? とも思うわけ。

 ここがハードルになって、いやいやもうむり! って心境でいるときに料理のいろはなんて到底、学ぶ気にならないんじゃないかな?

 それはたとえば学校でいちばん勉強がきらいでテストの点数も壮絶な人に、いっつも平均点以上の点数がとれるように、かつ、日々の授業をそつなくこなせるようになってもらうくらいのハードル。とびきり高くて、まあ、まずむずかしい。

 去年の夏休み、カナタさんちはみんな、こんな状況に思えた。

 サクラさんのレシピノートに書いてあった心得を踏まえて、私はこれまで述べたくらいのやり方はなんとか学べた。ふり返ってみると? 家庭科の授業って、なかなかのもんだね!

 料理研究家のおじさまが言っていたことなんだけど、一汁一菜が基本でいいかなって思う。毎日三食の一汁一菜。それは縛りが増えるほど、面倒で、しんどくて、うんざりしちゃうから。

 ご飯は白米、玄米、麦飯といろいろ変える、とか。週に何度かは麺にしなきゃ、とか。必ず副菜こみで三菜じゃなきゃだめとか。こういう温度、こういう加減じゃだめとか。毎回、主菜を変えなきゃだめで、かぶっちゃ絶対にだめとか。

 そういう欲はね?

 自分が作って食べるのならいいんだけど。

 作ってくれる人に注文をつけたり、文句をいったりするのは下策。とてもよくない。

 食べたいのなら、いつでも自分で作っちゃえばいいのだ。

 それくらい、作るのってたいへん。

 だれかが作ってくれたご飯は?

 おいしい!

 でも、自分で作るご飯は別。一緒に食べる人がいても、ね? 食べてくれなきゃひどく傷つく。心のだいじな部分が削られて、消耗していくんだ。

 そんなんじゃ、料理のイロハもやる気も永続的に減少していく。

 なのに作らなきゃ、みたいな状況に陥ったら?

 待ち受けるのは、悲惨な日常。

 食べる人は作る人を、その人のやる気や料理に対する気持ちを守れる。傷つけることもできてしまう。

 それくらい複雑な前提を踏まえると、どうかな。

 イメージできるんじゃないかな?

 料理をするしないで、調理ひとつが変わる。

 それどころか材料の買い方ひとつとっても大きく変化する。

 いくらでも思い出せるよー?

 去年の夏休みにカナタがお魚焼くっていってさー?

 奮発した銀ダラの西京焼きが無残にばらばらになって、一緒に焼いたイワシは焦げ目がついてたこと。洗い物がほんとにたいへんだったよ。

 身がほぐれやすくて脂がたっぷりな白身魚は、焦げつきやすいし、取り出しにくい。

 青魚はもうちょい頑丈かなー。銀ダラよりはマシ。

 値段からして銀ダラが横綱で鰯は小結。なのに横綱が見るも無惨な姿になってた。

 こげついたコンロの皮と肉をせっせと洗いながら、ぷんぷん漂ってくる銀ダラの匂いがおいしそうなことといったら! ほんと、しょんぼり。

 あの頃はよくわからなかったけど、いまなら焼き方もっと気を遣うかな。

 そういう知識も配慮も、実のところ意欲にかなり依存している。

 日常の食事にそこまで求められるかっていうと?

 調理を担う機会が実家に戻って増えたぶん、言いたい。

 無理をするな! 毎日のことだからな! って。

 買った食材を無駄にしないための「なんでも入ったおみそ汁」とか、小麦粉と卵を使って焼いちゃう「なんでも焼き」とか、そういうのを覚えると? とても便利。

 野菜煮込みや炒め物もさ?

 いくらでも使える。

 そうと気づかれずに買い出し、保存管理、調理をするのは?

 手練れの技。

 お母さんとサクラさんはそんな感じ。お父さんはもうちょっと、自分の食べたいが優先。

 去年の夏休みをふり返ると? カナタは鉄板ばっかりに依存しがち。シュウさんはお野菜を増やそうと惣菜を買ってきがち。ソウイチさんはカレー作りたすぎ。コバトちゃんも好きなもの買うのに夢中すぎ。

 いいんだ。別にそれで。

 そう言い切るには繊細な話題だ。

 毎日の献立の接し方なんて、ろくに教わらない。

 なんだかんだ家の影響を受ける。それも、とても強く。

 家を出て、離れて、初めて一から組み立てるって人も多いかもしれない。ただ自宅を踏襲する、それだけでもかなりのハードル。

 気がつけばレンチンご飯、レトルトおみそ汁、お惣菜を買って帰る日になったり? 宅配か外食ばっかりになったりする。

 自炊は技術だと思う。

 日々を形作る技術。

 だれかと囲む食卓は? いっしょに食べることもまた、技術なのだと思う。

 ひとりで食べることもまた、同じ。

 食卓にも、いろんな技術が眠っている。

 調理も、買い出しも。洗い物に、お片付けだってそう。

 でもなー。意欲がなきゃ、それをやって楽しいという実感がなきゃ。

 生きるために必要だからなんて目的は、現状維持で留まっちゃうものだから。

 最低限へと落ちついちゃうものだからさ?

 意欲もしんどさも変わらないままなんだ。へこたれ度も、傷つき度も変わらないまま。

 これだと、どんどん追いつめられちゃうんだ。

 それもないまま、やらなきゃいけない状況に陥っている人はけっこういる。

 去年の私はまさに、そういう感じだった。

 無計画に過ごしていた去年とか。事務所が用意してくれて、赤いのが襲撃してきたマンションとか。なにかが起きて、毎日つくって過ごすことになっていたら?

 どうにかなってた。

 結局ね?

 利へと楽しく向かっていくことでしか、私たちは歩いていけないのだと思う。

 そして日常は結局、シンデレラや美女と野獣みたいにどれほど素敵な前振りで結ばれようとも、どこまででも悲惨に、不幸せになっていく。底はない。

 ひとときの胸キュンもロマンスも、日常の土台にはならないから。

 酔いが醒めて、祭りの余韻が抜けた、そんな日々の味わいにはならないから。

 まったくの別物だからさ?

 奮発しておいしくたべたい、とか。メディアで見かけて「あれたべたい!」とか。そういう意欲で三百六十五日、かける三は補えない。

 あまりに面倒だと? 一日二食とか、一食でよくね? なんて具合になっていく。おやつでいいや、とかね。しばらくはいけると思うけど、内臓はどんどん悲鳴をあげてしまう。

 逆算する形で、今度は「栄養! いず! ごっど!」となっちゃうと? それはそれで過剰だ。ダイエットの失敗例にもあるそうな。日常からとても逸脱してるし? 身体も心も参っちゃうから、とてもじゃないけど続けられない。

 世の中はふわっとしてる。

 そんなところにがちがちっと決めて混ざろうとすると?

 ギャップがあるから入り込めない。疎外感がある。

 その弱味は? あやしいあやしいサプリだの、詐欺だのにつけ込まれやすい。

 過剰に求めると? いますぐ、特別に、酔いや祭りのような「ひととき」で済ませたがると?

 到底、なし得ない。

 日常こつこつ。

 毎日毎食の献立を考えていける? あるいは、栄養について考えられる?

 ストレスでやられちゃう胃。肝臓もそう。

 お酒の飲み過ぎで悪くしやすい肝臓だけど、食べ過ぎやストレスでも悪くなる。

 塩分の取りすぎは腎臓によくないけど、現代の食生活は塩分たっぷりなので? 気にせず過ごしていると、だーいぶ腎臓に負担をかけてしまう。

 腸内環境はどうですか? とかね。

 健康にまつわるトピックスは多い。多すぎるくらいだ。

 おまけに眉唾ものの話もやまほどある。注意喚起が「これいいらしいよ」に押し流されてしまう話題もいっぱいだ。

 いま話題だからと、商品パッケージに「これいいよ」と書いちゃう会社もある。

 売り上げは大事だからさ。他社がやるなら? 誘惑に抗うのはむずかしいからさ。

 情報はやまほどあるけど、その見極めはどうするの?

 どこまでやればいいのかな。

 頭がいっぱいになっちゃうね?

 ほどほどがいいね。

 固執して、執着すると? むしろ参っちゃうもの。

 気分を買う? 目に付く情報に「価値がある!」と言っている人たちに乗っかる?

 なんだかそれって貨幣みたいだね。みんなが価値があると思うから、価値がある。

 でもそれって、そんなにいいことなのかな?

 だってさ。実質的な価値は置き去りじゃん。

 あなたの、私の選択がどうでもよくなるじゃん?

 そんなの私は潰されて流されてしまうばかりで、痛くて苦しくて、いやだけどな。

 話が逸れてきちゃったね?

 話を戻すとさ。

 食事において、身体について気を遣う。

 すると必然的に気づくことがある。

 ストレスもよくない。じゃあ、そのストレスに対するケアは?

 食事だけじゃ対処できないの。

 日々の過ごし方、食事以外のフィールドに視野が広がるの。

 どんな寝場所で寝る? 気持ちよく眠れてる? 掃除はしてる? ハウスダストまみれになってない? 洗濯はできてる? ちゃんと毎日、着替えてる? お風呂は? お水はちゃんと入れ替えてる?

 清潔さは病気や痒みなどの対策になる。気持ちもいいし?

 それは人と付き合うこと。職場や趣味においても伝播する。

 だれかとの縁を育てたり、優しくあろうとするのも? だまさず真っ当にいこうとするのも。結局のところ、ストレス軽減のためだったりするし?

 そんなの到底できないくらいの状況や状態に陥るのが現実。

 優しくなんていうけれど。虐待も暴力もだめなのは百も承知だけど。映画で見かける介護の現場、あるいはひたすら暴れてしまうこどもたちを相手に。あるいは悪漢や暴力を振るうだれかを相手に、いかに自分を守るかを考えると、問いは困難を極める。

 私はしない、というのはたやすい。毎日なぐる、蹴る、暴言を吐く。そんな人のお世話をしなきゃいけない現場もある。どうすればいいのかわからないまま暴力に晒され続けると? とてもじゃないけれど身も心ももたない。

 だから、どこかで接触を避けられない。

 それはハグなのか。それとも、羽交い締めなのか。

 許されるか否か。

 ただ耐えなければならない、なのか。

 施設で働く人に、そうもとめる? 家族がそうなっただれかに、そうもとめる?

 毎日だよ?

 ずっと、続くんだよ。

 そうした毎日、日々続くというものの難易度に私たちは大いに苦しむ。

 ポンポンポンな世の中と私はたびたび言うけれど、同時にこうも言った。

 私たちは途上にいる。

 終わらせたがる。なるべく、短く。端的に。済ませてしまいたがる。

 それでは長大な道への対処にはあまりにささやかすぎて足りない。あまりに的外れ。

 三食、三百六十五日の話をしているのに「お腹がすいたら出前を取るから」で済ませるようなもの。そういう話をしているんじゃないんだ。

 そう考えるとマドカの指摘はもっともだ。

 三百六十五日、三食の話をすると? どうしても大ざっぱになる。さりとて一食に注目すると今度は三百六十五日、三食に思いを馳せることができない。

 間に段階がいくつもある。途方もない情報量が相手だ。


「それが、つまり、山吹に話したことなのか?」

「途中からキラリたちも混ざったけどねー」


 いつものうちの和室でカナタに長々と話した私は、カナタのかったい膝枕に頭をのせて唸る。


「隔離世の制御は言うなれば、みんなの食卓からデザートを常に減らす呪いをかけるようなものじゃないかなあって思うの」

「恨まれるなあ」

「でしょお?」


 食い物の恨みは恐ろしいんだぞ?

 例え話だとしても、デザート成分を奪うのは?

 やっぱり恨まれる。

 買うね。みんなの恨みを言い値で買いまくりだね!


「だから、やっぱり毎食きちんとやりたいなって思って」

「魚を焦がしちゃうようじゃだめだと」

「ごめんて!」


 やっぱそこ引っかかってたよね!

 オブラートに包んでも足りないよね!


「いやいや」


 甚平姿で扇子を扇ぎながら、カナタは緩く構えてる。


「いまの俺はちゃんと焼けるもの」


 朝ご飯の焼き鮭、ちょいちょい挑戦しているからね?

 いまじゃ慣れたものだ。それを実感しているから、カナタはかなり自慢げだ。


「それで? 毎食きちんとしたい、と」

「そ。やまほど技術があって、私ひとりに留まらないわけで。みんなの協力あってこそなの」

「なんかそれ、何度も言わされたんじゃないか?」


 やだなあ。じはつてきだよお?

 なんてね。


「マドカにくどいくらい、釘を刺された。頼れって。一緒にやるぞって」

「だろうな。話してすっきりできた?」

「わりと、かな」


 まだいえないこと、整理できてないことも。

 そういう話があるとか、悩みがあるとかも。

 素直にそのまま伝えた。聞いてもらった。

 そういうことに不慣れすぎだ。私は。

 カナタにもいま話したし?

 それは問いに答えることでもなければ、答えを探すことでもない。

 ただ、一食を味わうようなこと。相手と一緒になって。


「はあ」


 息を吐いて、膝に頬を当てる。

 寝返りを打って天井を見上げながら、カナタの顎下を視界に入れた。

 俯いて私を見おろしてくる。

 見つめあい、ほとんど同時にあくびをした。

 じっくりと夜を楽しみたいのに、このところの私たちときたらすっかり疲れてしまって困る。

 こういう瞬間を楽しむのも?

 それはそれで日常の技術なのかもしれないね。




 つづく!

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