第千九百十一話
奇妙さに最初に気づいたのは瑠衣だった。
通りすぎたコンビニを振り返り、途中の店や、行く先にある店の駐車場を何度も確認してぼやく。
「やけに閑散としてんなあ」
「深夜時間帯に突入間際とはいえ、人が見当たりませんね。車はよく通っているのに」
ワトソンくんまでも賛同するものだから、怒りをぶつける矛先がすぐにはない聖歌が「知らない」と唸る。その間に確認するけれど、実際に駐車場には一台も停まっていない。コンビニもそうだった。およそ人のいる気配というものがない。
「たまたまかどうかもわかんねえな。来るの初めてだし」
スバルがぼやく間に指輪に尋ねる。
仮に隔離世に影響を及ぼすほどのできごとが件の施設で起きていたとして、ここまで影響を及ぼすことはあり得るのか。
『現状だけではなんとも』
状況を読み取るには圧倒的に情報が不足している。
怒りだなんだと感情的になっている場合ではないのかもしれない。
この感情はどこまでいっても立沢理華に閉じたものであって、怒りの対象に向けた感情さえ私のものでしかない。それがときに不愉快さを堪えきれない理由にもなるのだが。
自制に努めて、足を止める。
ハンバーグチェーン店と食料品を取り扱うチェーン店の間にある細道の入り口から、道の先を見た。ぎりぎり車両が向かい合わせで通れるくらいの道幅ながら、街灯が設置されておらず、店舗の明かりが届かなくなる先が真っ暗に見える。開けた平野部のようでいて、すこし上り坂になっており、遠くに見える丘までの間に光が見当たらない。
「なぁんか気にくわねえな」
「古い道なんすかね。通りに比べて露骨にアスファルトが痛んでる」
スバルと瑠衣がふたりして気乗りしないのか、浮かない顔で道を見おろしていた。
瑠衣の言うように、細道の舗装は土埃に汚れ、ところどころヒビが入っている。そばを走る通りは雨水が地面に落ちて溜まらない構造の舗装で、ヒビは見当たらない。一見して綺麗なものだ。ワトソンくんさえ、アゴに手を当てて考え込む。
いまでさえ車通りは多いのに、そばにある店には見向きもしない。
これくらいが普通なのか? それともやはりおかしいのだろうか。
夏場の暑さに参る徒歩も一度止めると細道から冷たい風が吹いてきているような気さえする。虫たちの鳴き声がうるさいくらい聞こえるのが、また不安を刺激する。
「さて、ここで道を曲がるわけですが」
だれもなにも言わなくなってしまったので、私から切り出すのだが返事はない。
せめて九組が全員集合していたら、話は別だったのだろうか。
そんなことを考えていたときだった。不意に聖歌の身体がびくっと動いたのは。
「あっ、あの、あのあの、あの」
不意に聖歌がぼそぼそと声をだす。
私の手を握る力が強くなるばかりか、もう一方の手を添えて抱きついてきた。密着する聖歌の身体が微かに震えている。
「ああああ、あの、あれ、あれあれ」
「どうしました?」
「んだよ、珍しくサプライズか、あ」
冗談めかして笑ってみせたはずのスバルが固まった。
聖歌の視線の先を辿った途端にだ。
瑠衣もワトソンくんも、ふたりして同じようにある一点を見つめて硬直している。
それもそのはず、聖歌が見つめる先に人影が見えた。
ぼんやりと淡く白く発光した人影が。
これがひとりなら? どんな人かよく見えて、おまけに傷だらけだったら夏の怪談話にぴったりだ。そう笑いとばさなきゃと焦っていたかもしれない。
問題は数だ。いつの間にか顔も服も見えず白い発行体が、ぱっと見ても数十人ほどいた。細道の上に立って、奥を指差している。見ている間にひとり、またひとり増えていく。
「いやいや」
「多くね!?」
「あ、新手のギャグっすかね」
「日本はこういった趣向がお好みなんですか?」
「ぜったい違うと思うの」
五人そろってリアクションに困っている。
「ふ、増えてるよね? 見間違いじゃないよね?」
恐らく最初に見つけたのであろう聖歌が言葉に困っていた理由はこれか。
たしかに、増えている。連鎖的に奥へと明かりが灯るように、白く淡い人影が増えていく。
「ここで侍隊を呼ぶって選択肢はねえのかな」
行きたくないと言う代わりにスバルがぼやく。
けど今回に限っては全員の気持ちは一致していたにちがいない。
いやだなあ。明らかに面倒そうだなあ。
怯む五人を促したいのか、人影が私たちを指差して、一斉に道の先へと指を振る。
はよう来い。さっさと来い。あんたたちが行け。来るんだよ。
そう怒るように、人影が忙しくジェスチャーをする。
「しゅ、主張が激しいっすね」
「俺、やだなあ。すくなくとも五人じゃ足りなくねえか?」
「彼らに敵意は感じないので、行ってみるのも手ではあるかと思いますよ」
「「 ワトソンくん? 」」
瑠衣もスバルもやめて。
ホームズみたいな呼びかけに聞こえるから、やめて。
「ただ、彼らが目的地に関わる怨霊かなにかの類いなら、明らかに数が多い。現状の戦力で足りるのかという疑問は残ります」
そうそう、そうだよワトソンくんとばかりに男ふたりが必死にうなずく。
情けない。
「あんなに主張の激しい幽霊が怖そうには見えませんけどね」
「「 いやいや! 見た目で判断しちゃあだめだろ! 」」
「いや見た目じゃなくてジェスチャーでしょ、この場合」
「「 そうだけどぉ!? 」」
うるさいし面倒だなあ。
あと、ビビってるな。これは。
仕方ないな。
「ワトソンくん。彼らが出てくるような術があるかどうかわからない?」
「五人が五人、同じものを見ているのなら、これほど露骨な怪奇現象はもはや怪奇ではなく現象ですよね。興味深い」
いやいや。いま興味深さを楽しんでいる場合じゃないから。
「ないわけではないのですが。理華の言うように、祟る類いには見えません。すると、よくわからない」
つまりわからないと。
教団で働く騎士のひとりが「わからない」と。
指輪。あなたはどう?
『特に魔法が使われた気配はない。怨念を頼りに現世に残留する思念が、祟るでなし、あっちあっち、はよこんかいと訴えているとなると、知らん』
さすが全知全能。
うそ。皮肉を言ってすみません。
ぼんやりと浮かぶ人型発行体たちが「あっちだって、あっち!」と必死に道の奥を指し示したり、地団駄を踏んだり両手を掲げたりして「なんで来んのかい!」と怒りを示したりしている。
つくづく主張が激しい。
すくなくとも怪談話やホラー映画に見るような恐怖は感じない。
どちらかというと、愉快な舞台やコントの仕草に重なる。
彼らを見るまで目的地に重ねていた印象では凄惨な虐待が行なわれている印象だった。
あまりにギャップがある。
人影が亡くなった人数なら多すぎる。それほど凄惨な現場にしては、人影たちの必死のアピールは喜劇の役者のように見える。
どう受けとめればいいのかわからない。
これをよくわからないと怖がる瑠衣とスバルのほうが、よほど真っ当な気さえしてくる。
いけない。私も混乱している。
「行ってみますか」
「「 いやいやいやいや。理華さん? 」」
ふたりのビビリはハモったのにツッコミひとつせずに私と細い道の間に割って入った。
「よくないって。なんかやだよ? 俺」
「聖歌に万が一があったら困る。尾張先輩に報告のうえ、せめて九組全員で行くべきじゃねえか?」
瑠衣がフィーリングでくるなら、スバルは作戦で万全を期すべきだとくる。
このあたり、違いが出るな。しみじみ実感するが、考えはまだ変わらない。
「せめて彼らが問題のある存在かどうかだけでも確かめておきたいんです。行ってみましょう」
「「 いやいやいやいや! ないわあ! ない! それはない! 」」
ふたりして上半身をのけぞり、大きく右手を振って否定してくる。
めんどくさいなあ!
「ここでなにもせずに去っても、調べなくても、彼らのひとりが取り憑いて追いかけてくる可能性もありますよ? なにも探らないと、彼らがどういう存在かさえわからないままです」
「「 でも近づいたらますます取り憑かれちゃうじゃん! 」」
ずっと白状し続けている彼らがいっそ可愛く見えてきた。
怖いのだ。意外なことに。
「聖歌はどう思います?」
「なにか言いたそうにしてる。いちばん手前の人影、お尻をこっちに向けてるよ?」
「あれは尻文字ではないですか?」
ワトソンくんの口から出るとは思えない単語だな。尻文字って。
言われて視線を向けると、十メートルほど先に立つ人影が両手を掲げてめいっぱい左右に振る。それから人差し指を立てて、上下に振った。もう一回やるよ、と言いたげだ。
お尻をこちらに向けて、動かし始める。
「「「 こ、の、さ、き 」」」
「「 き、け、ん 」」
「た、す、け、て」
「「 は、や、く 」」
「へ、る、ぷ、み、い……ですかね?」
たっぷり時間をかけてみんなで読みあげる。最後に首を傾げると、尻文字をした人影が肩を上下させながら、両手でマルを作った。
どうやら、合っているみたいだ。
「ずいぶん感情表現が素直な幽霊ですね」
「お尻の切れ味がちがうね」
すっかり怖さが和らぎ、なごんじゃう私と聖歌のトーンに気づいてビビり男子二名が顔色を変えた。
「いやいやいやいや! 逆に!? 逆に怖いっすよ!」
「そっ、そうだぞぉ!? 敵の出した誘いかもしれない!」
尻文字をして助けを求める幽霊が?
なに? 逆に怖いって。
「ワトソン!」
「ほら、どう出るかわからない相手に不用意に近づかないほうがいいだろ!? な!?」
もう。ほんと情けない。
多数決に持ち込みたいのか。そうまでして逃げたいのか。
カウンターはある。シオリ先輩に連絡を取り、脅威ではないと感じる理由をプレゼンしたら? 味方についてもらえる予感はある。ただ、そこで思いつく。
スマホを出して、カメラを細い道に向けた。
肉眼でははっきりと人影を捉えることができるのに、スマホの画面にはなにも映らない。
「おっと」
隣にいる聖歌がスマホの画面と道の先を交互に見て「かひゅう」と息を吐き、覗き込んだスバルと瑠衣が身震いをして、ワトソンくんひとりが「ますます興味深い」と微笑む。
「いちおう幽霊みたいですね」
「ど、どう捉えたらいいの? ねえ!」
聖歌が混乱している。
尻文字が足りないのかと焦った手前の人影は尻文字で「はよこい」と書いているし、他の人影たちもこのままでは帰ってしまうと気づいたのか、手旗信号を始めたり、尻文字に加わったり、頭を下げたりと必死だ。彼らもまた混乱している。
男子ふたりは怖がり、もうひとりは好奇心を刺激されていた。
なんだ。
この状況は。
「あー。ひとまず連絡してみますよ」
こういうときは迷わず報連相。
「彼らに尻文字で、しばし待てと伝えるべきでしょうか」
「焦ってるみたいだもんね」
「瑠衣、やれよ!」
「はあ!? スバルがやればいいだろ!」
夜道で騒がないの。まったくもう。
焦らず騒がずシオリ先輩に連絡する。
手短に事情を伝えた。予想外の事態にしても、妙な緊張の抜け方をする方向性でどうしたらいいのかわからないのだと。すると、先輩はすぐに決断をくだした。
『しばし待機を。仲間トモカちゃんと結城シロくんに駆けつけてもらう。二年生のふたりの指示に従って動いて』
「ああ」
いまの士道誠心学院高等部の中で最も機動力のあるふたり組が来てくれるというのなら、ありがたい。人影たちに捕まる恐れはなく、強襲や奇襲を受けたとしても対応できるであろうふたりが来てくれるのなら頼もしい。
『それとも理華ちゃんたちは一度もどって、増援と一緒に再びそこに行く?』
「待ちます」
面倒なのもあるにはあるが、人影たちがずっといるかどうかがわからない。
この現象が収まるかどうか確かめておきたい。
『わかった。すこし待って。危険だと思ったら即撤退。いいね?』
「もちろん無理はしません」
だからこそ逃げるべきだと瑠衣もスバルも訴えているのだが、早いって。
さすがにいますぐ戻るのは早すぎる。
通話を切って、しばし待つ。その間に思いを馳せる。
これはむしろ侍よりも、魔女の出番ではないか。
それこそマオか八雲先輩か、いっそユニス先輩あたりが来てくれたらいいのに。
ただの事前の下見で終わるかと思っていたら、妙なことになってきた。
彼らは必死にジェスチャーを繰り返すが、だれひとりとして声をあげない。もっとも手前にいる人影よりも手前に距離を詰めてくる気配もない。そこが境界線の間際であるかのよう。
よくよく見れば必死にアピールしている人影だけとは限らない。うなだれ、悲嘆に暮れているものもいる。大勢でいるから荒れていないだけで、もしもひとりであったなら? 怒りと恐怖に暴れていた人影さえ、もしかしたら中には何人か混じっているのかもしれない。
むしろそちらのほうが普通ではないかとさえ考える。
あるいは集団であることで彼らはなんとか過ごせているのかもしれない。
いや。彼らが現象であるのか、それとも幽霊なのかさえわかっていない。コミュニケーションを取れそうに見えるし、尻文字を真似ている時点で他の人影を見ることはできていそうに思える。けれど、如何せんぼんやりと発光しているのであって、はっきり見えているわけではない。細かく身体がどういう状態であるのか見えないのだから、わからないことが多すぎる。
決めきれない。決め手に欠ける。わからない。
そういうことばかり。別に見てもよくわからないのは、彼らに限ったことじゃない。
どれほど学んでも「ああ、わからないことがあるのだなあ」と気づくことばかりだ。知らないことを知ると、その先に知らないことがあることに気づく。その繰り返し。
一見すると愉快にさえ見える尻文字さえ、その背景にどんな体験があるのか。
私にはわからない。
愉快でいいのだけど。
愉快で済ませていいのかは、別問題だ。
「見えているのは、理華たちだけ?」
呟く。
「これは話題にならない現象?」
「たしかに、ネタになりそうな話だな」
「スマホに映らないから、なんてことはないっすよね」
「じゃねえの? 呟くくらいはしそうだろ」
スバルと瑠衣の話を受けてますます思い悩む。
もしも急に今夜、このような光景が見えたのだとしたら、引き金はなんだ。
彼らはだれにでも姿を見せるのか。
「先輩ふたりが来る前に、だれか尻文字できます? 質問したいんですよね」
「やだよ、恥ずかしいだろ」
「そうっすよ。見るのはいいけどやるのはいやっすね」
「でも、みんなでやったら怖くないんじゃない?」
「言い得て妙です」
「「 いやいやいやいや! 怖いんじゃないから! いい!? 怖いんじゃないから! 」」
なにが悲しくて夜道に五人で並んで幽霊たちを相手に尻文字を? しゃべればよくね? と男子ふたりが固持する。どちらでもいい。
やりとりができるのなら確かめておきたいことがある。多すぎるくらいだ。
ふたりの走者が来るまでに、とっととやるべきことをやろう。
「あのお! 質問があるんですけどお!」
「「 いや言い出しっぺなのに尻文字やらないんかい! 」」
大声で呼びかけた途端に突っ込まれた。
さすがにひとりでやる勇気はない!
つづく!




