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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!
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第千九百八話

 



 気持ちを入れ替えたつもりだけど、せっかくならとお湯を止めてストレッチに勤しむ。

 柔軟に入念に取り組む。

 去年、ルルコ先輩に教えてもらったことがある。

 体操教室で学べる身体の使い方、バネと柔軟の鍛錬方法。

 体操競技はいろいろある。中でも新体操でいけば、男子でとても面白い演技をする学校が九州にあると噂だし、動画を見たこともある。すっごくユニークだし、楽しい。その中でもだし、オリンピックでもだけど、男子も女子も驚くほど高い身体能力の持ち主。

 バレエでも見かけるけれど、足がI字に開くのすごくない? 跳躍からの百八十度開脚着地とかあるじゃない? 身体どうなってんの!? って、オリンピックの競技を見て思ってた。

 あの開脚、ルルコ先輩いわく「ほんと生半可じゃないよ」という。

 ところによってはコーチや生徒が手伝い、負荷をかけて、開けない足を開いていくのだとか。なにそれ。拷問かな?

 もちろん、日々の柔軟でとにかくこつこつっていうアプローチもあるという。願わくばそっちのほうがいい。だって絶対、痛いもの。

 でも、そんな痛くてきつい柔軟をしているところはあるそうで。百八十度を上回る角度になるよう、両足の置き場を設置。身体の力で百八十度にあげて、下ろしてと、上半身の上下運動をするなんてところもあれば? 人が直接足にのったり、強く圧迫するケースもあるという。

 お、おおおお。

 たしかに「生半可じゃない」!

 探したらアウト判定になるところもありそうな気がするくらい、きつそうだ。

 そういうのはいやなのでルルコ先輩に教えてもらった鍛錬方法と、タマちゃんが教えてくれたり叩き込んできた鍛錬方法を組み合わせて続けている。

 十兵衞はむしろ賛成派。身体が柔らかいのに越したことはないそうだ。

 せっせと動く。タマちゃんがびしばし指導を始めるまでの私だと痛くて根を上げるような負荷も、いまはなんてことはない。

 お風呂のマットは濡れちゃっているから倒立なんかはできない。そもそもお風呂場の床は固いから危ないし。寝そべってできること、立ってできることを中心に取り組む。スクワットにプランク、ヨガのポーズをいくつか。開脚もするし、呼吸は大事。

 荒ぶる心が静まっていく。運動に心も頭も引きずられていく。身体に引っ張ってもらいながら、自分の傷と怒りと嫌悪感が、あのヘビに溶けあって一緒くたに混ぜていることを自覚する。

 根深く心に残っている。

 それでもう「ヘビの持ち主であるおじさんは、さっきのお見舞いしてやる以上は考えたくない」として思考放棄スイッチが入っている。

 心の中にある怒りが、傷が、声高に叫ぶ。一生懸命、傷口にふたをしながら。それが痛くてつらくて、怒鳴り散らす。

 ドラマのボッシュで、彼が許せない類いの犯人や現場、ろくでもない連中を前に感情が燃え上がる瞬間がある。彼はそれをぶつけてしまうこともあれば、意図的にぶつけることもあるし、なんとか自制して謝罪することもある。燃え上がった感情をぶつけてしまうのは、いやな相手だけとは限らない。

 差別や暴力に晒されたとき、あるいは「こんなの冗談なんだから」と済まされそうなとき、他にも「まるまるだから仕方ないんだよ」となにか不愉快かつ象徴的なものを引っ張ってきて不当な扱いを受けたとき、特に抑圧し、支配的で、暴力を振るい、差別をする側ほど求める。こんなのいちいち、と。

 慣例だから。みんなそうしているから。

 方便はいろいろあるけれど、それを引っ張ってきて言うのだ。

 だから、我慢しろ。

 なんならその場が和むか、あるいは「強さ」を示すことで覆せ。笑えるようだと尚いい、みたいな振る舞いさえ、ときに求められる。

 でもさ。

 そんな「強さ」がだれにでもあるかって? ないない!

 そもそも、いらない。

 必要じゃだめだ。

 必要としてちゃあ、だめなんだ。

 傷ついてる。それがつらい。ふざけんな。そういう気持ち自体つよく湧きあがるけど、それでいいのかどうか、ぐるぐる考えることない。つらいもんはつらい。

 開脚して身体を前に倒しながら思う。

 よく見るドラマじゃこういうとき、私はチームから外される。ギブスやホッチ、ボッシュ。イマジナリーなみんな、言い方はちがうけど同じように言うだろう。

 個人的感情があるのなら。傷に障るなら? まず私がつらい。無理をして挑むのは危険。私だけじゃなく、みんなを危うくさせかねない。想定通りのくそったれなら、余計に無理するところじゃない。必要ならカウンセリングを手配する。それでもというなら、バックアップに徹しろ。

 だいたいこんなところだろう。

 それは私がだめとかそういうんじゃない。彼らはみんな、体感している。自分がきついときの立場を経験している。

 ただし同時に彼らは自分だけは例外として挑むだろう。おまけにみんな、いい年してて、経験豊富。流されそうになったり、感情が爆発しても、なんとかなだめて周囲に頼れるし、自分の限界の中で無茶をする。私は? 限界の境界線が見えないまま無茶をする。そこがちがう。

 自分を見失うんだ。

 それでついつい言い返したくなる。

 そんなことにはならない! って。

 でも逆の立場で聞いたら「いや、そこで感情的になる時点でさ」って話。感情を押し殺して伝えても、漏れなくバレるし? バレたほうがいい。現場で事故るより、ずっとマシ。

 もしも習得できる技術があるのなら?

 自分を見失わない、じゃない。

 焦りすぎだ。どうどう。

 まずは見失ったらすぐに我に返れ、からじゃない?

 もっと手間に段階があるかもしれないけどもぉ! ひとまずそのあたりを意識しながら、ぺたーっと上半身をマットにつける。


「――……」


 呼吸を続けながら考える。

 対応はいるから、それは相談しよう。

 だけど戦いになりそうなら?

 ヘビに、あのおじさんに、かつての教授を重ねるのなら。


「っ」


 ずき、と痛む。病院でもらったレポート。狭い部屋。囚われた人。哄笑。天井の――……。


「ふ、ふう、ふうう」


 息を吐く。

 吐いて、吐いて、吸って。吐いて。

 再演になる。傷の再演。ひとつじゃない傷の。

 痛みをふり返ることはない。

 ないんだ。

 そんな風に強くなることない。

 結ちゃん方式でいう私の求める願いは、そんな強さの先にはない。

 だけどこの感情の波は寄せては返して、私の心の傷を刺激する。きっとおじさんに近づくほど、波風が激しくなって痛さを増す。そうしたら、自分を見失う可能性がどこまでも高まる。

 耐えきれるものじゃない。

 耐えることだってない。

 耐えられなくたって、いい。むしろ痛いものは、痛いのだ。痛くないとはならない。

 だから耐えられないやって認めるの、悪いことじゃない。

 狙われることが耐えられないけど、耐えなくていいことだとわかるほうがいい。

 だって耐えた先に私の希望はない。

 さっきのハイな時間に見つけた気持ちは確かなものだ。

 自分の求める道筋を確かめて、進んでいけばいい。痛みは減らすもの。軌道修正するためのもの。なにより自分を安心や安全へと導くための「いま、ここ、これはやばいよ!」と教えてくれる知らせ。

 高校に入ってかなり悩まされた筋肉痛も、ストレッチをきちんとするようになってだいぶ軽減した。運動の前後のストレッチは本当に大事。

 食べるものをどうしたらいいのかなんて意識してこなかった。お母さんとお父さんの選び方に頼りきっていた。それもタマちゃんに教えてもらいながら気を遣ったら、うちの親がどれほど気にしていたのかを学べたし、気を抜くと雑になる自分は勉強不足だと気づいた。

 睡眠も。日頃の過ごし方も。願うほうへと進めるほど、よくなっていく。あれこれ失敗するけどね。やまほどやらかすけどね! いい経験値になってるよ。

 柔軟なんか、わかりやすい。

 痛いのだめ、そもそもやだ! だから柔軟やらない! じゃなくて。無理せず、だけどしっかり柔軟を続ける。それはやっぱり、身体が柔らかくなるとできることの中に私のやってみたいことがあるからだし? だからって身体を痛めて意欲をくじいていたら、続けるのが難しくなる。そのあたりの調整の舵取りを自分でしっかりしたい。

 ここでいうのは責任の話じゃない。ちっとも関係ない。

 柔軟してないのが悪い、みたいな言い方それ自体が「いや、え? なんの話してんの?」って感じ。いい悪いとか、責任とか、なに。常に裁判所で裁かれているのか、警察の取り調べでも受けている気持ちで生きてるの? それはたいへんだなあって感じ。

 じゃなくて。

 願う場所へ、自分で進めるペースで向かうだけ。

 どんな風に進みたいのか、どんな道のりで向かっていきたいのか、ぜーんぶ自分次第。

 それは他の人もそう。どういう感覚で生きているかも含めて、人それぞれ。

 目指す先へ自分で旅をしているし、出会った旅人とどう過ごすのかはお互いに差し出す手の繋ぎ方、進み方次第。ちがっていたら? 合わなかったら、それまで。

 それでいい。


「――……よし」


 だいじょうぶ。だいじょうぶ。

 荒れる心をなだめながら、深呼吸を続ける。

 そうとも。愉快にぶちかまさないと。

 楽しいことじゃなきゃ、みんなにお願いする意味がない。

 そりゃあシリアスにも程がある状況かもしれない。そのあたりは調べなきゃわからない。

 やっぱり、なにをするにしても調査は必要不可欠。

 シリアスな状況だったら?

 既に被害が出ていたら?

 脳内捜査官たちが声を揃えて「うちの管轄じゃない」と言う。

 分業を。分けてなんぼ。得意? 不得意!

 学ぶべきことはある? やまほど!

 それは現場で喫緊の状況で勉強できるようなもの? のー!

 お見舞いの仕方をきちんと練ろう。

 それとも巷じゃ妖怪扱いだってされかねない私なら、いっそ妖怪然として脅かしてみる? 江戸時代に飛んだ先でやってみせたように。


「ありかも」


 お姉ちゃんに地獄絡みの情報をもらえたら、特に捗りそうだ。

 だけど難しそう。そう易々と提供できる情報じゃないだろうから。

 情報を管理する責任があるのなら、余計に無理じゃないかな。


「地道がいちばん――……ふう」


 身体を起こす。

 調べものなら、シオリ先輩と理華ちゃんが頼りになる。

 お金回りはどうだろう。大学部のユウヤ先輩にひさしぶりに連絡を取って聞いてみる?

 オファーが来たから受けるかどうか考えるとき、調べたかもしれないから高城さんに尋ねるのもありだ。

 現状でより踏みこんだ調査を考えるのなら? 専門家に頼る。でも、それもやっぱりシオリ先輩と理華ちゃんに伝手がありそう。

 いつまでも「仲間だし無料で!」っていうのも心苦しい。ま、そのへんは直接お話して固めていこう。落としどころは話さなきゃ見つからない。吹っ掛け云々については、ふたりを信用している。

 もう一度シャワーを出して、さっと汗を流した。

 尻尾を思いきり震わせて水気を払う。それから壁や浴槽を流す。

 ひととおり終えて、湯を止めた。めいっぱい伸びをする。


「くううううっ!」


 根深いわあ! 私の怒りも傷も。

 だけど気負わないで、痛いときはめいっぱい痛がっていこう。

 つらいときはつらく、むかっときたときはむかっとしていこう。

 そんな自分をきちんと掴んで、うまく踊れるようになっていくぞ?


 ◆


 それぞれに連絡を取って漏れなく「しばし待て」と返事あり。

 待ち時間に思いついて、書斎に戻って仕事をしているお母さんに尋ねる。


「お母さん、あの茶封筒のヘビって、また出せる?」

「おんなじ儀式をすればね。けど中身はたぶんプリントされた書類で、宿った霊子はあれを用意したときと、持ち運んだときにこもった量でそれほど多くないから、さっき以上の情報は出ないよ?」


 どしたの、と。キャスターが転がる音を立ててお母さんがふり返る。

 壁際にある窓から光が入り込んでくる。観葉植物がいくつも飾ってあり、花も目立つ。お父さんに並ぶ大量に収納された本棚も並ぶ。樫のデスクのそばにある本棚には専門書や辞書が多い。それも私の持っているのよりも日焼けした、何冊もあるシリーズの辞書。背表紙にみみずののたくった字で記された、革表紙や木製表紙の本も。


「そこから、霊子の主についてわかることってないかな」

「やめなやめな? 性欲と所有欲はあらゆる人にある。一部の欲から本人の全体像が浮かぶか? 理解できるかって? むりむり! 不快な感情に触れて、あんたが病んで傷ついて、ぷりぷり怒るだけ」

「おぅ……」


 ばっさり却下されてしまった。


「加害性を感じるレベルの欲なんていうのはね? 釣り針みたいなもので、刺さると抜けないカエシがついているようなものなの」


 先端に向けて尖る針の向きに逆行する棘。一度刺さると、抜こうとするほど棘が深く刺さるし、抵抗するから抜けない。痛い。


「それを意識しようとするとき、カエシのついた釣り針を心に刺すようなもの。意識しようとするたび、新たな釣り針が足される。それがだれであっても私は止める」

「新技を試すのは?」


 お母さんの目がすっと細くなる。

 眉間に皺が入った。縦に一本の皺が。見間違いじゃない。


「自分の傷に祟る欲から感情を取り出せたとして、いまの春灯じゃせいぜい、それぞれの欲が具体的にどういうものか感じとるのが関の山」


 声のトーンが低い。


「見たい? 見ず知らずの中年男の妄想による欲の憂さ晴らしが、どんなものか」


 ただただ気持ち悪いので「け、けっこうです」と答える。


「じゃあ質問を変える。ねえ、春灯。あなたはどういう感情を掴み取りたいの?」

「それは、そのう……相手の救いになるような? 共感できるものとか、かなあ」

「じゃあ、次の質問。たとえば、いまある欲を満たして済ませたい感情? 憂さ晴らししたい感情を知りたいの? それとも憂さに対する気持ち?」

「憂さそのもの、だし。憂さに対する気持ち、かも」

「そ。で、それは、ヘビの欲からわかりそう?」

「――……んんん」


 呻いて悶えるけど、結局は首を横に振る。

 お母さんが教えてくれたとおり、ヘビの欲はどれも憂さ晴らしに過ぎない。

 そんなものに利用されたくないし、そこを掘り下げてもろくな内容じゃない。

 少なくとも私にとっては、傷つけられることと同義だ。尊厳を著しく貶められること。

 断じて受け入れないよ。そんなのは。


「一緒に見てきたドラマの名物捜査官たちなら、なんていう? 身の回りにいた人たちさえ、みんな含めて、きっと同じことをあなたに言うんじゃない?」

「それは、そう」


 お風呂場で並べた名前だけじゃない。

 それぞれのチームの仲間たちさえ、同じことを私に言うに違いない。

 そんなことしなくていいんだって。

 逆にドラマのハンニバルで捜査に協力していた主人公は?

 殺害現場に行き、脳内で殺人をシミュレートして情報を提供していた。

 結果はどうなったかって?

 彼の主治医であるハンニバルに揺さぶられながら、どんどん病んでいった。

 歪んだ欲望がどのようなものか、その背景と文脈さえ読み解こうとしていくほど、彼は犯人と重なり過ぎていた。だからこそハンニバルを読み解こうとできるのかもしれないけど。

 でも、そんな風にやれる素養があるかって?

 ない。だれにもない。主人公だってどんどん調子を崩していった。

 クリミナル・マインドの初期シーズンでチームの柱になっていたギデオンは? 自分の心の安定を保つための人や場所を殺され、侵入されて、猟奇的な殺人事件で犯人ふくめ大勢の心を深く読み取る仕事が続けられなくなった。

 心に安心は欠かせない。

 必要不可欠なものだ。

 それを自ら脅かすことはできない。

 いまの私は特にそう。

 自分の身体の安全だけじゃなく、心の安心をきちんと守れない限り、できない。でなければ仕事に支障を来す。自分だけでなく仲間の命さえ危うくするし、職務で出会う市民の危険に繋がりかねない。だからこそ心身の安定を。それこそが私の見た人たちにとっての境界線であり、長期休暇を取るか取らないか、仕事を続けるかやめるかを判断する線だった。

 私はまだ、安定してない。

 主に心に安心が足りてない。怒り、痛くてつらいぶんだけ身体中が怖がり緊張が走っている。

 お鍋料理なら? 大量のからい油が垂らされているような状態。どんな味つけも具材も、からい油を通って痛みを与える。これじゃ心を探るどころじゃない。

 もちろん心はお鍋じゃないし、怒りはからい油じゃないから、和らげることができる。

 そのためにも安心がいる。

 急ぎ、下手人をしばき倒して「はいもう安心」とやりたい。

 安全でいたい欲を叶えるために、憂さ晴らしのような安易さを選びたい。

 ぶっ飛ばして済むのならそれでいいじゃないかって、心の怒りが吠えている。

 そういうときほど、たしかに関わらないほうがいいと気づく。


「手を引いて。みんなに任せて。あんたはうちで、どぉーんとぉ! のんびりしてなさい」

「いいのかなあ」

「いいもなにも。いまの春灯が出ていったら絶対きずつくもの。傷つきたいの?」


 断言するじゃん。

 そんな風に聞かれたらさ。


「ぜったいやだけど」

「傷ついたら傷つけたくなる。傷つけたいの?」

「う、んん」


 知らない、あんなやつって心が怒鳴る。

 やり返せ。倍返しなんて生ぬるい。祟ってやらなきゃ気が済まないと。

 心が揺れる。波打つまま千々に乱れる。

 そんなのしたくてがんばってんの?

 傷つくほど強く願ってきたのは「ぜったいに! ちがう!」ってことだ。

 痛みは私に知らせてた。何度だって、心の叫び声に負けじと声を上げてた。

 楽しくやらなきゃ嘘でしょって。そのために活かすんでしょって。

 それこそが私の意地なんだとさえ思ってる。

 阻み、引きずり込もうとする手にはどうするのか。決めきれない?

 とっくに答えは出てるのに。


「ちがう。ちがうよ、私それはやだ」

「そ」


 話は終わったとばかりに、お母さんが背中を向けようとするから「あの」と引き留めた。


「あのさ? ヘビを別の形で楽しませることはできないのかな」

「あの邪には、それを受けとる余裕がない。霊子が、ね」

「じゃあ、本人は?」

「どうかな。心に余裕がなくて、それをだれかに当たり散らすことでなんとか保っているのなら? たぶん、すぐには無理じゃない?」

「――……ほんとに私、なんにもできないのかな」


 呟いたら、お母さんが椅子から立ち上がった。

 スリッパの足音を立てて近づいてきて、容赦なく私の眉間にデコピンをかます。

 ただし、ぺちっと当たるくらい。痛くはない。驚きはするけどね。


「おぅっ」

「背負い込まなくていいのよ。なんでもかんでも」

「でもさ? ほっといたら繰り返すか、エスカレートするでしょ?」

「それは相手の問題。自分を守るのは自分の問題。不愉快だけどね。うちにいる限り、私とお父さんが安全を守る。できないことは周囲に頼る。警察に知り合いがいるって、やっぱいいわ」


 カナタくんを泊めて大正解! なんて、しれっと言っちゃうんだから。

 それはどうなんだろうなあ! 貸しがありますよねえ、なんてちくちく攻めなくても、緋迎さんちは協力してくれると思うんだけど!


「暴走暴力と孤立無援が卵が先か、鶏が先か状態だったら、相手の問題で済まないのでは?」

「済まないから世の中いろいろ問題だらけって?」

「そう、じゃないの?」

「その解決方法がすぱっとはっきりわかっていて、楽にできるようなら苦労しないって」

「そうだけどさあ」

「まあ待て、娘よ。たしかにいまないから、しなくていいってことにはならないけどね?」


 私の眉間に人差し指の腹を押し当てて、ぐにぐにと円を描く。


「自分とぷちたちか、それとも見ず知らずの者たちか。選び、手を伸ばせるのはいつだって、ひとつだけなんだぜ? 安心が脅かされるときは特にそう」

「う」

「大昔の狩猟民族時代にできないことが現代でできるのはなぜ? 安心と安全が確保できるから、余裕ができる。その余裕で、初めて手を伸ばせることが増えるからじゃないの?」

「うう」

「しかるに、春灯。安心と安全は確保できてる?」

「ま、まだです」

「そういうこと」


 指を離して、手のひらでおでこをぺしっと叩く。

 お母さんめ、やりたい放題か!

 でも言うとおりだなあって思った。


「順序を誤ると、手の伸ばし方を間違えちゃう。余裕を確保してからじゃなきゃ、挑戦も遊びも満足にできないんだぜ? よろしいか?」

「よろしいです」


 むすっとする私を見て、お母さんが噴き出す。


「ふてくされなくても、春灯はしっかりやってるよ。脅かされると解決に浮気したくなるものだけどね」

「警察や侍隊は、危なくてもがんばってるのに」

「お、粘りを見せる? いいけど、その答えは簡単に出るわ」

「む! なあに?」

「侍隊はより厳しく細分化した訓練を受けて最大限、安全に解決できるよう努めている。日頃からね。あなたよりも訓練量は膨大。日々きちんと鍛錬しているいまなら、その意味が想像できるんじゃない?」

「ぐう!」


 たしかに!

 それに比べて私はまだまだ鍛錬中。

 どんなにがんばっても、日々の積み重ねの量がちがう。単純な量だけじゃない。きちんと状況に分けて、対応できるよう練った訓練を受けているのかいないのかの差がある。

 それは大きい。

 私にできることは?

 きちんと地続きに考えればいいんだ。


「じゃ、じゃあさ? うちの学校の妖怪御霊チームで、おじさんを脅かすのは?」

「人を呪わば穴二つ」


 うっ。

 なんか不思議な術を使うお母さんに言われると、おっかない!


「脅かすより愉快そうな芸を見せたい相手を探したら?」


 ううっ!


「あなたのしたいことが、どう活きるのかな。ぷちたちが見て、春灯をもっとずっと好きになれるようなの」

「そ、そんなのないかもしれないよ? 厄介な相手ならさ」

「へえ。それくらいで諦めるんだ?」


 くうっ!


「厄介な相手がちらついて、諦めちゃうんだ?」

「ううっ」


 あっさい煽りだと思うのに一蹴できない。

 検討しきれていないとわかるもの。

 調査して情報を集めてからじゃないと、だけどさ?

 それにしたって、夢という目的地点と地続きにある座標で、なにかできないか調べ尽くしてないし、力を尽くしていない。

 そんなの、あるのかな。


「諦めなくて、いいのかな」

「なに言ってんの! あんたが決めていいの、その答えはいつまでもね?」


 どうなの? と尋ねられたころには、すっかりその気になっていた。

 結ちゃん方式の意味がひとつ、掴めた気がする。

 むかっときたり、うまくいかないとき、お見舞いすることの意味は?

 ぶっ飛ばすとか、そういうんじゃない。支配権を奪いあうことでもない。

 どうだ、これ面白いだろ! って、思いきりやりきる。

 そういう意味での、お見舞いする! だ。

 諦めなくていい。結ちゃんに言わせれば、諦めてなるものか!

 とことん、徹底的に突きつめていいんだ。

 探し抜いていいし、やり抜いていいんだ。

 そのための問いは、これだ。

 どうやって叶える?




 つづく!

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