第千九百七話
手を洗い、神水で流してから、スマホでカナタと手分けして連絡を取る。
私は高城さんに。カナタはシュウさんに。
高城さんから知らせてもらっていた人ないし関係者が、ファイルを投函したのか。はたまた、プロジェクトの名前だけ借りて投函したのか。いずれにせよ、怖いことには変わりない。ひとまず警察には相談をするので、なにか進展があったらお知らせすると約束して通話を切る。
カナタのほうはというと「隔離世絡みだとわかれば、人を寄越してもらえるそうだ。でなければ近隣の大きな警察署に事務所の人と一緒に相談をしにいくように」と教えてもらったうえで、今日の仕事終わりに寄ってもらえるとのこと。
いますぐ来てもらえると思っていたのか、カナタは憤慨していたけどさ。ごもっとも、じゃないかな。緊急性があるのなら、シュウさんを介さず通報しましょうねって話だし。
良くも悪くも世紀末みたいな治安状況じゃないから、初動が遅れがち。
鼻が利くぶん、匂いを探ると? カナタの言ういやな匂いが玄関から流れてくる。
匂いの元は明らかに茶封筒。汗臭くて、生臭くて、おまけに刺激臭じみてる。
その茶封筒のそばにお母さんが屈んで、チョークで玄関前になにかを記していた。これが魔方陣とか、五芒星とか、そういうんなら「お母さん!?」ってテンションあがっちゃうところだけど、近づいてみて首を傾げる。丸を書いて、線を引いて描く棒人間たちをいっぱい描いているのだから。彼らはみんな、茶封筒に両手を伸ばしている。
「なにそれ」
「すっごく簡単な儀式絵」
「ぎしき? なんかするの?」
「こんなの玄関に出したまま放っておけないからね。前は隔離世に行かなきゃいけなかったけど、現世にこれほど霊子が満ちているのならだいじょうぶ――……よし、と」
パンツのポケットにチョークをしまって、新たにビニール紐を取り出す。
それで茶封筒の周囲に円を作ってみせた。囲うんだ。
「なにかの作法に則ってるの?」
「ん? ううん。そういうんじゃない。まあ見てなさいって。カナタくーん!?」
「はっ、はいぃっ!」
お母さんに呼ばれるとき、カナタはいつも動揺している。
身構えすぎだし緊張しすぎ。思いはするけど言えない。私もカナタんちに行くと、似たような感じになる。こういうの、もちろん人にもよるみたいだけどさ。
「刀鍛冶でしょ? 霊子の流れを調べて。それから――……」
指先についたチョークの粉をはたき落としながら、私たちへとふり返った。
「ふたりとも、刀を持ってきて。念のためね」
「は、はい! 俺が行くよ」
ただちに私に言うと、カナタはとっとこ和室に駆けていく。
すぐさま四振り、走って持ってきた。
おまけに私のキューブまで。
なになに!? なにが始まるの?
お母さんの初めて見る一面にドキドキが止まらない。
カナタから刀とキューブを受けとって、金色を化かしてサスペンダーを装着。鞘をしっかり固定する間に、カナタがお母さんに尋ねた。
「あの、いったいなにを?」
「この封筒に宿ってる霊子を引き抜いてみせるの。仕事柄、いやあな感じのする物品には、大概いやあな感じのする思いがこもっている。あ、主観的なのは認める」
「は、はあ。は!? え、そんなことができるんですか!?」
「できますよー。学べばね」
私が鞘を固定し終えたのを見計らって、お母さんはヒモの円に人差し指を置いた。
すると、どうだ。ヒモが揺れた。繊維の組み合わせでできていそうなビニール紐がツルツルした管へと変化する。とくん、とくんと脈打ち始める。かと思ったら、お母さんの人差し指の先、ヒモに触れている箇所に火が灯った。オイルにでも浸かっていたのかと思うくらい、一瞬でヒモに燃え移る。そのわりには、小さな炎。その中で、チョークで描かれた棒人間たちが動き始めた。
「「 お、おおお 」」
カナタとふたりして見入ってしまう。
両手を茶封筒に伸ばした棒人間たちが足を動かし、茶封筒を中心にくるくると回る。両手を掲げて、わっしょいわっしょいと躍りまくるのだ。それは小さな小さなお祭りのようだった。やっぱり儀式に見えるけどね。
「ほうら、おいで? おいで?」
お母さんが囁く。
その間に火の輪のそばにいる棒人間たちが、火の輪に手を伸ばす。ひょいっと松明を取りだした。チョークで描かれた棒の先に火が灯る。
どの火も玄関先の石畳を焦がさない。燃やさない。煙を出さない。
入学式に向かう電車で狛火野くんに「これは斬れない」と言われたときのことを、なんでか思い出していた。
みんなが松明を配り、全員に行き渡ると? 彼らは一斉に茶封筒へとほうり投げる。
「「 あっ! 」」
証拠物が!
「だいじょうぶ。よく見て?」
お母さんのことばにあわてて茶封筒を睨む。
どんどん火が集まり、大きく育って燃えていく。
そのはずなのに煙は出ないし、ちりちりになっていく様子もない。
幻かなにか? それをいったら、チョークの棒人間が躍るのはなんで? って話になる。
「さあさあ、おいで。願っていたのでしょう? 素直におしゃべりしてごらんなさい?」
茶封筒を包んで燃える炎に向けて、お母さんがふうっと息を吹きつける。
揺らめいて、一気に燃え上がった。お母さんの吐息と時差がある。炎がより強くと願ったかのように。燃焼の勢いすべてを代償に燃え尽きた燃焼剤を失ったのかなんなのか、真っ黒な塊が残る。チョークの棒人間たちは動きを止めた。ヒモの炎も消え去る。
けれどお母さんは満足げだ。
「よしよし。灰が落ちたら小さな邪になる。本人との繋がりが弱いから、隔離世で見る邪よりは小さく脆く弱い。けど根っこの欲望が強ければ? どうなるでしょうか」
「出てくる邪もまた強くなる?」
「そういうこと」
カナタは速攻で答えたし、当たっていた。
黒い塊から煤が落ちる。風に舞っていく。そのときに香る匂いときたら!
「「「 んんんっ! 」」」
三人そろって呻いた。
いちばん近い匂いは? 私の御珠から香る、汚れの激臭!
その匂いの元が出てくるってことは?
急いで金色を出して、鼻栓に化かす。合計むっつ。人数分だ。
四の五の言っていられないので、カナタとお母さんに渡して、私もセット。
絵的にきついって? 言ってられねえ匂いなのよ!
私たちがお間抜けなビジュアルになっている間にも、塊からぽろぽろと炭が落ちていく。
そうして出てきたのは、とぐろを巻いたヘビだった。うろこも、模様もない。強いて言うなら肌を焼いたひと肌に見えた。皺がある。敢えて言えばそれが模様に見えた。
太くて、長い。なにかを飲みこんでいるのか、歪だ。ところどころが出っ張っていて。
前に調べたことがある。ヘビは実はかなり臆病だという。それでも噛む。他に手がないと悟れば。
ヘビを扱う伝承は東西問わずある。アダムとイブを唆すのもヘビだし? 医学と医療の象徴だって杖に巻きついたヘビだ。古代ギリシャ人に崇拝される治療の神さまアスクレピオスが持っている杖なのだとか。日本でいえば、ヘビは水神系の伝承と結びつき、崇拝されている地域が多いという。農業をやっていた人がめちゃくちゃ多かった時代をふり返ると? 脱皮を繰り返してしぶといヘビは厄介者。そのわりに、伝奇として語り継がれる話は多いそう。
アダムとイブ。ヘビとりんご。このエピソードから、神が与えなかった性欲の芽生えとして、ヘビを男性のあれに結びつけて象徴と捉える向きもあるみたいだし? 脱皮を繰り返すことから再生の象徴と捉える向きもあるという。死と再生を繰り返すヘビは永遠を示すものだ、とも。
それらと、目の前の歪なヘビが重なるかって?
どうだろう。
「なぜここへ?」
お母さんが若干の鼻声で問いかける。
思わずカナタと顔を見あわせた。意思疎通が可能なの? そもそもこのヘビ、しゃべるの?
いや。お母さんによれば、これは邪の欠片みたいなものだ。そして邪は欲望を声高に叫びがち。
『よこ、せ、よ、こせ、女、人気、金、かね、女、おんな、あしを、ひらけ』
口元が引きつる。全身に鳥肌が立つ。
ヘビはまっすぐ私を睨んでいた。角度のせいか、笑っているようにさえ見えた。
目を細めるときの面相が人の顔に似る。目元に皺が入る。
迷わずカナタが刀を抜いて振り下ろそうとしたけど「待って!」とお母さんが制した。
「ひとりで思いついたの? だれかの入れ知恵?」
『だれ、かの、いいなり、ならない』
「口うるさいのは、だあれ?」
『うるさい、おれ、おれ、やる。おせっかい、いらない。みんな、いうとおりに、する』
「うるさいのは、だあれ?」
『わかぞう、金だけ、よこせ』
「若造の名前は?」
『うるさいやつ、みんな、くそ』
「ああもう。いい、やっちゃって」
会話になっていないけど、お母さんはカナタを制する手を下ろした。
ふり返って目配せをしたら、待ってましたとばかりにカナタが刀を振り下ろす。
真っ二つに斬られて、ヘビはすぐに溶けて消えた。
全身が気持ち悪くなって、両手で身体をさする。
心が勝手に暴れる。気づかずに呼吸が荒くなっていたみたい。カナタとお母さんが私の顔を覗き込んでいた。お母さんの手が背中に触れる。その感触が驚くほど冷たくて二重に焦る。
いや。いやだ。ああ、くそ。くそ。
「ごめん、お風呂はいってくる」
カナタがなにかを言おうとしたけど、お母さんが止めた。
逃げるようにお風呂場に。刀を下ろして、キューブを置いて。なにもかも脱いでとびきり熱い湯を出す。
偏見はどうやら、当たってしまった。
高城さんが教えてくれた人はろくでもないやつだ。
そんなの、その人だけじゃない。凝縮体みたいなのが、私を連れ去り、脅した。
けど、ヘビの主は教授じゃない。
この怒りも恐怖も苦痛も、なにもかも、いまじゃない。
過去の痛みが声高に叫んでいる。でも、ヘビの主は教授じゃない。同じことにはならないし、させない。そう。わかっている。
わかっているのに止められない。
読み取れないし、わからない。心に渦巻く感情がどれほどあって、どれがなんなのか。
ただただつらい。いやでいやでたまらない。
パーフェクトブルーっていう映画をなぜだか思い浮かべる。お母さんはまだ見ちゃ駄目って言ったし、お父さんもディスクを持っていないって嘘をついた。中学時代に気になって、こっそり探し出してお部屋で見て後悔した。当時の私には、あるシーンがとてもつらくて痛かったから。
そう。それを思い浮かべているんだ。
粘り着くような「お前は道具」という偏見の壁。前提からして踏みにじられるのが当たり前なあの感じ。教授が狭くて息苦しい部屋で私を苛んだときに流し込まれた悪意の塊。はね除けるために浮かべずにはいられない、怒り。恐れのぶんだけ、痛みのぶんだけ振り起こさなければ潰されてしまいそうな、怒り。
ずっと心に怒りがあった。
その先に恐れがあったし、痛みがあった。傷つけられた心があった。
なのに、いま。
初めて喝采が聞こえる。
いつか浴びた喝采が過ぎる。
たぐり寄せようとしている。願っている。
ライブの詰めをするの。みんなが集まって作りあげる。事前に準備に備えるのは私だけでも、メンバーだけでも、スタッフだけでもない。
お仕事はなんでもそう。
たまにお金だけに執着する人がいるけれど、みんなで集まってじゃんじゃん稼ぐのは? みんなでできることを増やすためでもあるし? お仕事のみならず、人生ちょこちょこよくするためでもある。儲けるなんて! じゃない。儲けることだけに囚われるのが「ないわー」ってだけで、結局やっぱりお仕事だってQOLが大事。
それは学校でもそう。日常生活でもそう。
つらいの当たり前、我慢当たり前って人からしたら?
相容れないだろう。
やる側の目的だけ達成できるように、みんな理解して受け入れるべき! なんて人からしたら?
なに言ってんだこいつって感じだろう。
でもいいの。
私はこう考える! 以上だ!
目指してるものがある。折れても立ち直れる。だいじょうぶ。
喝采だけじゃない。足踏みが聞こえる。
私の中の帯刀男子さまが足を二度踏みならし、手を一度つよく叩く。
オールディーズ! ううん! でも映画やるんだって。天国で見たよ?
ボヘミアンラプソディ。その中でも、足踏みに拍手ときたら? あれでしょー!
シャワーヘッドを掴み、ケーブルをもう片手で握りしめて、思いきり鼻息を出す。鼻栓をぷすんぷすんと出してから、息を吸いこんでぶちかます。
どんなヤツがこようとも、やるぞ?
私は絶対に目に物みせてやる。思いどおりになると思うな。
あんたの偏見の壁ごと切り裂いて、渾身の歌声を浴びせてやる。
手が届かないって思い知らせてやるとも!
ぶっ飛ばしてやりたい。ああ! ほんとに! とことん!
でも、そんなことさえしてやらない。その義理もない。
ちんけな悪意に阻まれてたまるか。
構ってさえいたくない。関わりたくだってない。
それでも構えよと、どの立場でものいってんのかわからないまま迫ってくるのなら?
結ちゃん流でいこう。
こういうときこそ自分のやりたいことを貫く。
以前の私にはその術がなかった。
頼りまくるのほんとに大事だ。それも立派な術だから。
素直にしゃべりまくるんだ。助けを求めるときほど、黙るのなし!
赤ずきんとオオカミのトラウマ・ケアにもあった。
目指したいところに向かうぞ?
なにがこようと、その目的は変わらないんだぞ?
そして、いまできること、できるようになったことだって、変わらないぞ?
罵声さえ浴びせてやるもんか。ちんけな悪意に私を歪めてやるもんか。
相手は私を捉えたつもりだろうが、言ってやる。
私もまた、あんたを捉えた。
甘く見ているんだろうが、生憎だ。
スイッチの入った私も、私たちもね?
あんたと同じさ。言いなりになるつもりはない。
さあて。
どうぶちかまそうか?
仕事がある。ぷちたちがいる。
無鉄砲にはいかない。守りたいものがたくさんあるんだから。
然るべき流れを利用したい。
そのためには警察に渡せるようななにかがあるといいし?
そういう流れにできることをしないとね!
それには下調べがいるぞ?
となれば、いろいろ相談しなきゃ!
だれか手を貸してくれるかな?
いてもたってもいられないのに、思いきり大声で歌いたくてたまらない。
足踏みを。手を叩け。
待ってろよ。お見舞いしてやるからな!
つづく!




