第千九百六話
そろそろ晩ご飯の準備に取りかかる。
せっかくだからカナタが料理動画を参考に作らせてほしいというので、買い出しも含めてお願いした。うちに迷惑をかけているんじゃないかって気にしてたし、去年の夏休みのこともあるし、なにかしたいんだって。
ご飯を作ってくれるのなら大歓迎!
ぷちたちの食事になるから念のため、どんなメニューか事前に確認したけど問題なし!
なのでお任せして、見送った。
今日はそば作りにご飯まで。どうしたのかな?
高城さんの話はすでにカナタにもお母さんにも伝えてあるんだけど「春灯が買い出しに行くよりは」と話を切り出してきた。
不安だからかな?
カナタの言い方に思うところはある。
それこそ文字に起こしたら数千文字くらいにはなりそうな文量でね? トモやキラリに話し始めたら一時間は余裕で話せるくらいの熱量の思うところが、ある!
それはそれとして?
家事の分担制、いま思うとお母さんの本棚に見る昔の少女漫画にちょこちょこあったような。逃げ恥でも、ふたりは家事という生活の営みについてかなりの熱量でぶつかる。
それくらい大きなもののようで、食事・洗濯・掃除と仮にこのみっつを並べても「どこまでやるか」は個人差がかなりある。
なので「自分ひとり暮らししてたから、余裕っす」と言っても、ふたを開けてみると食事は外で済ませて、洗濯は週一にやればいいほうで、掃除は年一でやればいいほうみたいな人もいればさ? トイレは頬ずりできるほど綺麗にみがくし、埃ひとつないくらいマメに掃除するし、自動掃除機はそのうえで使うし。そもそも見事に整理整頓しきる! みたいな人もいるし。みっつが満遍なく同じくらいいいかわるいか、というとそうでもなくて、私みたいに料理はがんばるけど掃除と洗濯は正直そこそこでいいや、みたいな疎らな人もいる。
自分のできる、というのと「ここまでできたらいいなー」という変動する願望は、人それぞれちがうし、願望はふとしたきっかけであっさり変わる。
あえて言うなら「お風呂に入れる人が、お風呂があるのにまるで入れなくなっている」とか「明らかにゴミがたまっていく」とかなると、気持ちが参っている可能性がかなり高いと聞く。
家事をとっても心身の健康、習慣、これまで過ごしてきた環境などなど、安易になんて語れるはずのない背景に繋がっている。
大いなる難敵。
それこそ、家事なのである! ドドン!
なんてね。どどんはやりすぎかな。
練習にせよ習得にせよ、維持するにせよ、できなくなったときの回復にせよ、一口には語れないもの。心身の健康なのか、習慣なのか、これまで過ごしてきた環境ゆえになのか、言語化できない「なんかむり」なのか。掘り下げられるとは限らない。ぷちたちに「片付けて」って言うだけで滂沱と激怒が返ってくる、みたいな状況もあり得るわけで。
決して簡単だと見積もるなかれ。
特に自分にはできるから、というときほど、その見積もりは偏見であって、いずれ老いるか、なにかで弱ったときに、必ず自分に祟るから早めに呪いは解いておいて。
そう自分に言い聞かせるくらいにはさ?
現代の幻想種であり、怪物なのですよ。家事ってやつはね!
めんどい、から気持ちが始まることって、なかなかやり始められないし、どんどん続かなくなっていく。やり始めたら案外やれた、の前のやり始められなさが怖い。
トシさんと高城さんがふたりして言うには「めんどくさいのは心の錆びになる」のだそう。
油を差すなら、一も二もなく「好きな方向性から攻めて、積み重ねる」のがいいという。
ふたりして盛りあがっていたら、ナチュさんがぼそっと「方向性が見つからないとき、また錆びるんですよね。それ」と言っていた。おかげでふたりは肩を落として、すっかり項垂れてた。
錆びはどうやら年々、たまっていっちゃうもののようだ。
だからなのかな。私がみんなを「おじさん」と呼ぶと? それだけでみんなの「まだ若いでしょー」という魔法が解けちゃうみたい。年齢を軸にした呼び方は男女問わず、きつく感じる人に鋭く刺さりすぎるもの。そうしたときに、自分たちの錆びに気づいて心が途端にくたびれてしまうのだそう。
それは自分が年齢にかけた呪いが自分に戻ってきたかのよう。
心の錆びも似てる。
これはだめ。これはむり。
自分発信か、だれか発信か。いずれにせよ錆び成分となって、じんわり心にたまっていく。
家事ひとつひとつにおける、私の錆びとカナタの錆びは別のもの。やり方にしてもそう。
なにをするにしても、学ぶにしても、挑戦するにしても考え悩むにしても、そう。
そのへんで個人で異なる「正しさ」や「まるまるだからこうすべき」という価値観で、ふたりのうちどちらを取るかになると? もうただただ不快な時間が始まる。
そこで「だったら私がやればいいんでしょ!?」とか「俺がやるから構うなよ!」とかでキレる、無視して抱え込むと、負の連鎖の始まり。やるときに恨み辛みを心に抱えるし、そういうのは相手をじわじわと刺激するから、お互いの不愉快が充満する。可燃性の高い気体のように、一触即発。話し合いなど、もうできない。下手に刺激したら? 爆発してしまう。お互いにそれがわかるし、面倒になればなるほど「このままでやるしかない」と済ませる。
きついねー。
きついのよ。
そういうままならなさをゼロイチ判定のゼロにしたくて、なんでもかんでも錆び判定していたら? 今度は錆び枠ジャッジがきつくなっていく。それはそれで息苦しさが増すばかりだし、挑戦する気がどんどん落ちていって、気がついたら錆び判定だけですっかり錆びているまである。
やっかい!
でもさ?
錆びの根本にある「どうしたいのか」から、自分の延長線上で立てなおしていくと?
思ったよりも錆びはひとつずつ落としていけるものなのかもしれない。
それも、できる相手は結局やっぱり自分まで。
自分以外のだれかは変わらない。
だからかな。
お互いに「一緒に居ると、どう?」とゆるくふらっとらふに尋ねあい、心を傾け、よく聞ける人と出会い、そういう人たちのいる居場所に巡り会い、今日を明日に繋げていけるといい。
お互いに「こうするんでしょ!」とか「これはこうじゃなきゃだめなの!」とか、一方的に言うばかりだときつい。ほんとにきつい。お互いにやり方を変えられないか、変えたくなくなるほど感情的にこじれやすいから、つらい。
家事ひとつとっても、この調子。
一事が万事、そう。
生きるのってほんとにたいへんだ。
だけど、ちっちゃい頃からやってることでもある。
ぷちたちのゲーム遊びや、ご飯やお菓子の好物争いなんかを見ているとね? ケンカしたり譲り合ったり、忙しい。なにせ人数が多くて、揉めるときはすごい。間に入ると、やっぱり痛い目に遭う。それでなくても私が痛いかどうかを意識したことがないかも。
逆に問いが生じる。
お父さんやお母さんが疲れたり、私のすることをいやだとか痛いとか感じたりするのって、いつごろどうやって学んだんだろう。トウヤの幼い頃をふり返っても、ぜんぜん思い浮かばない。
案外、自分や弟、なんなら自分のこどもを通じて体験しても「なんかわからん」って感じになるのかも。大人になってもできない人はできないままだと、特にトシさんあたりが行きつけのお店で教えてくれる。
なかなか思うようにいかないね?
だから、よく聞くの。
自分の声さえ、そう。
願わくば、聞いたら気持ちがあがる声を聞ける環境へ。
そうなると、家族はほんとにむずかしい。パートナー間でさえ歪になりやすく、DVさえ起きる。選び合えるふたりでこれだから、こどもはもっとむずかしい。
家庭は内に閉じている。休日にご近所と付きあう家庭でさえ、それは変わらない。
権力勾配は生じやすい。「稼いでいるから」「お前は女だ」「こどもが口答えをするな」ということばに、ようく現われている。
永久保障はない。
ただただ毎日お互いにできるかぎり、よく聞き、受け入れあうことでしか、補えない。
まさに、伴走。
意識高いだけじゃもたない。自分越しに相手を見て、自分の判断だけで楽に手早く済ませていたら見失う。
みんなが遊んでいるのを見守りながら、しみじみと痛感する。
「ううん」
調べた私塾が繁盛している理由がさっぱりわからない。
繁盛している、というのはでまかせかなにか?
オファーで提示した金額は、そもそも支払う気のないでたらめ?
これくらい頭がいっぱいになっている時点で、間違いだったのかも。
「んー」
家族にせよ集団にせよ、そこに集まり、居る人たちで閉じると?
やっぱり内向きに、どんどん窮屈になっていく。
権力勾配を利用するだれかを上に据えて、そちらに閉じるのもまったく同じ窮屈さ。こちらはより危ういけどね。
そこに集まる人がいい、のみならず、新たにくる人にとってどうか、というところにも意識を向けたい。
まるでウォーキングデッドのグループごとの生存戦略のようだ。
思いついて笑いそうになったけど、真面目にいえばちっとも笑える話じゃない。
あっちは世界が崩壊した極限状態だけどね。でも、人と人との間に生じる不安と恐れも、距離感も、それとは別に求めずにはいられない安心への欲求も、共通して存在するものだ。
孤独ではいられないし、ひとりではやっていけない。ひとりの限界はあまりに苦しいもの。
ふたり以上になったら今度は話さずにいられなくなるのか、はたまた聞かずにはいられなくなるのか。それとも変わらず内に閉じこもろうとするのか。ほかにも、あれやこれや。
ホームページを確かめて探る元気はない。
一方的な自分語り。
いまの私にそっくり!
『自嘲は好かんぞ。高城と話してから、なんじゃ。延々といやな話を続けて』
ごめんて、タマちゃん!
めっちゃお怒りじゃん!
『当たり前じゃ! お主の愉快さが好きなのであって、延々としみったれた説教が聞きたいのではないわ!』
『説教、きらいだもんな』
『おお! だいきらいじゃ!? それがなにか!?』
『……すまん』
十兵衞も何度か怒られてるな、これは。
私はいまがっつりと怒られたばかり。
「――……」
深呼吸をしてから、自覚する。
小学生時代に貯めこんだ怒りが、まだ残っている。
晴らしたくて、すっきりしたくて、虚空に向かって叱りつけている。
考えを整理しながら、同時に怒りをぶちまけている。
タマちゃんに怒られるわけだよ。
私自身も苦手。なんならきらいまである。けど同時に、自己嫌悪なのかも。
その象徴として、おじさんにぶつけている。ホームページを見ると、自分の傲慢さや怒りを重ねてうんざりしちゃう。
『……』
お怒りの息づかいが聞こえた。
いけないいけない、すっぱりやめないと!
「ううん」
私の感情はさておき、もしもうちに来るようなら?
お母さんと話して、意見は一致している。
警察に通報。事務所に相談。
警察には知り合いがいる、という文句を私はもう使える。シュウさんを頼り、相談してもらい、すべきことをする。以上だ。
他に私のすべきことは? ない。
ぷちたちの、そして自分の安全を守るためにすべきことは、以上なのだ。
相手の出方で対応策も切りかわるけど、基本方針は変わらない。
なんてぱっとしない決定なんだろね?
でも勇み足で意気込んで越境しない。そんな余裕があるのかって?
ねえ!
「うん」
じわじわと染み出る怒りの対処のほうが先。
それもやっぱり赤ずきんとオオカミのトラウマ・ケアを元に考えるのなら?
まだ、うちにいて、みんなに助けてもらいながら過ごせるいまのほうが安心だし、安全だし?
しっかり回復しておきたい。
それにはタマちゃんが言うように、愉快なことしてたいな。
その中にあるからさ。
できるを積み重ねることが。
いまはまず、自分から。焦らずいくぞー?
「ねえ、なにうんうん言ってるのー?」
「うんち!?」
「うんちなの!?」
「出てないの?」
私にくっついてごろごろしていた子たちの問いに、笑顔で返す。
「ちょっと考えごとしてたの」
「「「 うんちだいじょうぶ!? 」」」
「だいじょうぶ、うんちは出てる」
こんなことをだれかに言う日が来るなんてね!
「「「 いまうんち出てるの!? 」」」
さっきまではうんちみたいに怒りをぷりぷり出してましたけども!
反省したので! あの、どうか、お願いがあるんだけどさ?
ママ、そろそろちがう話がしたいなあ!
◆
夕方五時を過ぎた頃になって、カナタが帰ってきた。
玄関に出迎えにいくと、薄気味悪そうな顔で分厚い茶封筒を眺めている。
足元には買い物でぱんぱんに膨らんだ大きなバッグがふたつ。買い出しは無事に済んだようだけど、様子がおかしい。
「おかえり?」
「んん」
うなって返事とは、これいかに。
「どしたの」
「高城さんに連絡して」
「……どゆこと?」
カナタが茶封筒を私に向ける。
そこには「青澄春灯様」と角張った字で大きく書かれていた。重要書類在中。
受けとって、裏返して思わず「ひ」と声が出る。
共に教えるプロジェクトなんてしれっと書いてある。私塾の名前ですらないし、住所もない。
ひっくり返して改めて表を確かめると、そもそも切手が貼ってない。
「ちょ、直接投函」
顔が引きつる。
これはこれでホラーなんですけどぉ!?
「帰ってきたとき、それとおぼしき人影は見当たらなかった。ただ、ポストにいやな匂いがして」
確かめたら、これがあったと。
分厚い資料でも入っているのだろうか。直接嘆願はせずに、中身を見ればわかるとでも?
どういう思考回路!? ねえ!
ただの脅迫なんですけど! ねえ!?
「シュウさんにも連絡してもらってもいい?」
「すぐに」
なになになになに!
ねえ、ちょっと!
急にくるじゃん!
血の気が引いているのか、なんなのか。カナタがすぐに封筒を掴んで、そっと私から離した。迷わず手放す。なんならいますぐ手を洗いに行きたいし、実際にそうするつもりだ。
ふたりしてなんともいえず、お互いに九尾が内股に逃げているなか、二階からどたどたと足音を立ててお母さんが殺気立った顔つきで降りてくる。
「緋迎くん、それ! 中あけてないね!?」
「は、はい!」
「いい? そーっと、そーっと外に出して。どうもいやあな呪いがかかってる」
「の、呪いですか!?」
「そう! うちの霊子構築は強力なのに、どうにも揺らぎを与える、いやあな感じがするの。焦らずに、ゆっくりと。絶対に中を開けちゃいけないよ? 封に触れたらお終いだ」
なになになになに!
お母さんまでなに!? 千と千尋の神隠しのおばあちゃんみたいなこと言いだして!
やめて!? あと妙なことしれっとぶっ込んでこないで!?
裏家業は現在も絶賛稼働中なのかな!? 私の知らない単語をしれっと使って!
カナタも聞いたことがないみたい。すっかり青ざめて、ぎくしゃくと固い動きで外に出ようとする。滅多にないお母さんの剣幕を聞きつけたぷちたちが、なんだなんだと集まってくるけど「すとーっぷ! 止まって! 近寄っちゃだめ! 危ないよ!」とお母さんが止める。みんなびっくりして足を止めるほど、お母さんの圧はすごかった。
恐る恐る外に出たカナタが、玄関の前でふり返る。お母さんが両手を振って、ポイ捨てするジェスチャーを繰り返すものだから、カナタがあわててそっと下ろした。
「いますぐ燃やしてやりたいところだけど、警察と事務所に連絡してからだわ。カナタくん! それから春灯も! 封筒に触った手は、冷たい水で綺麗に洗って! そのあと、神水で濡らすこと!」
「「 は、はい! 」」
「警察にも事務所にも私から連絡するから! ほら早く!」
両手をぱんぱんと強く叩いて促されて、私もカナタも急ぐ。
入れ替わりにお母さんが玄関の封筒を睨みつけた。
「なーにー?」
「どうしたの?」
「どういうことなの?」
「みんな、出てきちゃいけない。わるういわるういオバケが出るよ?」
気になって仕方ないぷちたちを制するように、お母さんが怪談話で怖がらせるつもりの低くてか細く揺れる声で脅しに掛かる。のみならず、いつもはちっとも見せてくれない隔離世の力を使ってか、周囲に黒いモヤが出てきた。そこまでするか。ほんとにやめてほしい。
いつになく本気なお母さんに気圧されて、ぷちたちがすっかり怯えてしまった。
「私がオバケを退治するまでリビングで待っていて? 退治が済んだら、オバケは出てこないから」
「「「 は、はあい 」」」
こんなに素直に従うなんて、ある!?
だとしてもよくない。よくないけど、お母さんの剣幕が不思議で仕方ない。
それはそれとして、あの封筒がおっかないのは間違いない。
なんなん!? もう!
つづく!




