第千九百三話
知っているのと知らないのと、世界の見え方のちがい。
湯上がりほかほか、ドライヤーでドライ完了すっきり狐でふたりして、縁側に並ぶ。
蚊取り線香に火をつけて、ふたりで並んで星空を見上げた。
「昔の人は星を数えたのかな」
「数えた人もいたんだろうなあ。時間をかけると季節が巡り、地球も回る」
「太陽の周囲も。だけど知らない時代は、そんなのわからない、もんね」
「だから今日と同じ星空が見れないと感じたら、途端に焦ったんじゃないかなあ」
「諦めちゃったのかな」
「どうだろうなあ」
授業でそれとなく教わるけど、それとなくしか覚えてない。
「検索してさ? いまの時期、いくつの数がありますってのっていても、いざ自分で確かめようとするとできないじゃない?」
「このあたりで見る星空はまだしも、宝島や寮あたりで見る星は多すぎるからなあ」
「でしょー?」
「検索して見た数を、自分が知ったことになるか。それとは別に、実感として数になるのかどうか。別かもな」
「しかも、明日には見えなくなる星が出てくるかもしれないじゃない?」
「いま見えている星の光をたどると、既になくなっていた、か」
「どれだけあるのかしらないけどさ?」
「まあなあ」
頭がどんどん火照ってくる。
頭が働いて熱が出てきたのかな。だからなのか、カナタがうちわで煽ってくれた。
微風が程よく気持ちがいい。
「俺たちに見えるのは、目に見えるものまで。情報は集められても、それが自分の知識や実感と結びつくかは別かもな」
「でしょー? 星がすごい好きな人、天体観測が趣味で山にキャンプに行っちゃう人、天文学で研究をしている人に、どでかい観測所で働く人。みんなそれぞれの星空を見てるんじゃないかな」
「実際に見ているのは、同じ星空だ」
「だからついつい、忘れちゃうんじゃないかな。同じ星空を見ている私たち大勢は、ひとりひとりちがうってこと」
「かもな」
ふたりで眺める東京の空は晴れてはいても、街が眩しすぎるから星の光を捉えられない。
人の目だから? 居場所が変われば、見上げる場所が変わるだけで、違ってくるのに。
そのささやかなようで大きな違いが、見える世界を変える。
たいそうなことのようで、それほど大げさな話じゃない。
しごく当たり前の話。
学校のおべんきょうにはつまづきポイントがいくつかある。類例が見える、みたいな話を聞いたこともけっこうある。算数だと、かけ算わり算。理科社会はテストの暗記項目が増えるとき。記憶にまつわるとなれば、算数の公式はどんどん増えるし。小学校から中学、高校になるに連れて覚えることが増えていく。
カナタはもちろんペースに合わせていけてる人だ。うちのクラスでいえば、シロくんもレオくんも、狛火野くんだってそうだし、マドカも岡島くんもそう。
だけど私は四苦八苦。授業の理解度がちがうと、もちろん授業を受けている時間の話だってちがって聞こえてくるんじゃないかな。予習復習ばっちりで、なんなら教科書の勉強はとっくに済ませたなんて人にしてみれば、もっとちがいそう。
私が読んでいる育児本にせよ、専門書にせよ、ギャン泣き赤ちゃんや赤ちゃん返りのお兄ちゃんお姉ちゃんで頭が「わー」ってなってる人が読んだら? 精神科や心理士さんが読んだなら? 学校の先生や福祉で働く人が読んだら、またちがって見えるんじゃない?
そんなの当たり前の話なのになあ。
「星空は同じなのに。見る場所、見上げる人が変わるだけでちがってくるの、不思議じゃない?」
「考えたこと、なかったな。それでこんなこと言うのもなんだけど、おんなじようには見れないんだろうな」
「ふたりで山にバイクで行って、一緒に見上げるような特別っぽい夜空でも?」
「ちがう人間どうし、ひとつになれない。だからこそ、一緒に見た、という最大限ちかづいた繋がりが大事なんじゃないか?」
「それじゃあますます、だれとでもってむずかしくならない?」
「春灯は今後の戦いで、星空を見るように一緒に相手のなにかを見たいのか?」
「そうなの!」
露骨に矛先を変えてきたけど、もちろんうなずく。
カナタにはめいっぱい話してるし、相談もしてるからね。
気づくくらい覚えていてくれるの、うれしい。
でも、待って?
「そうなの?」
「うなずいて速攻で尋ねられても。ちがうのか?」
「なんか、どうだろ。わかんないや。相手の星空を見る。なんだかキラリが得意そう」
というより、既にキラリは何度もだれかの願いを見つけて、伴走してる。
トラジくんちのお父さん、コマチちゃんに、コマチちゃんち。他にも、ルルコ先輩式トレーニングを受けながら、トモに負けじとヒーロー活動をしていると聞く。
「春灯?」
「――……うん。あの」
とたんに世界がぐにゃりと歪む。
それ、私がやる意味あるんだろうか。
キラリがいる。なら、それでいいんじゃないか。
「なんだろなあ」
悩むようなこと言っておいてなんだけども?
なんてな!
過去が過ぎるけど、へこたれないぞ?
中学時代の私に逆戻りするのはご勘弁。
キラリはキラリで苦戦している。それにキラリひとりじゃできないこともある。
キラリに見える星空と、私に見える星空はちがうのだし?
星空としながら、そう例えているに過ぎないのだし。
私にできること、キラリにできることはちがう。やりたいことが重なっていても、ちがうふたりだからね。
キラリがいるから私はいいやって?
んなこたあねえ!
や、ほんとに。
ただただ、夢中に探してみればいい。
楽しいことしよう。楽しめるように向かえること、しよう。いくらでも。
それ故の悩みもある。
「私には、なにができるんだろ」
「なにをしたいのか、なあ」
「うん」
カナタが軌道修正をしてくれて助かる。
そう。したいことはなんだろな?
すぐに見つかるものじゃない。
心が参るほど浮かばない。
前は想像もできなかった。
「食卓になにを出すか、前は悩まなかったんだけどさ? いまは頭が働かないの」
「――……そう、なのか?」
「言っちゃった」
うなずいて、ふたりで夜空を見上げる。
なにを食べるのか、浮かぶのが当たり前だった。
考えだすと、自然に食欲が「これがいいんじゃない?」とか「ああしてみない?」とか騒ぎ出す。食べたいぞって、騒ぎ出す。
親戚のお姉ちゃんや、うちのお母さんや美希さんから聞く子育てやべえ録に比べると、ぷちたちは元気いっぱいだけど、理不尽さは感じない。もっとぶつけられても不思議はないような、私はだめなママなのに。
それでも頭が働かなくなる。心が追いつかなくなる。
なにを作ればいいのか、なにをすればいいのかわからない。
スマホで出前に頼ろうかと悩んでみるのに、どのお店のどの料理もおいしそうなのに「揚げ物ばかり、油っぽいばかりなのだめだ」とか「野菜はやっぱり作ったほうが」とか「出前だと手数料込みで、お店の値段よりだいぶ割高」とか、やまほど浮かんでくる。
食欲が騒がない。むしろみんなして落ち込んでいくばかりだ。
ご飯が決められない。
それがひたすらストレスになる。
だけどご飯を食べる時間が迫ってくるから、なんとかしなきゃいけない。
それもやっぱりストレス。
溺れるのに力尽きることは許されず、苦しみもがきながら溺れ続けるしかない感じ。
シュウさんも、ユリア先輩も、みんなそうだったんだろうなあ。
それは傍から見たら「こうすればいいのに」で済むようでいて、見て感じる世界がまるで違う。同じ世界の中で、みんなそれぞれにちがう自分を生きている。どれほど世界はちがっているんだろう。それもなかなかわからない。
記憶に楽しいを足してくれた結ちゃんからはじめて、カナタにもいろいろ足してもらった。
だけどいいことだけ足せるわけじゃないし、最悪な形になるように引かれることもあるし、組み合わされることだってあるからさ?
頭が働かなくて、心はにぶく重たくなっていくと?
いますぐ安心、効果てきめんが欲しくなる。安易さ大歓迎。わかりやすくそぎ落とされた情報で精いっぱい。読み取れない。そんな余裕も元気もない。
教育に投資! なんていうのは、そもそも体力とやりくりがなきゃむり。現状でマイナス赤字どんどんどんと首が絞められている状態で、頭が働かないのになにをどうせいと? ってなる。じり貧だ。
すかっとさせて。悩ませないで。考えさせないで。感じさせないで。お願いだから、楽させて。そのうえで、楽しませて。すこしでいいから元気をちょうだい。
並べてみるとさ?
やすめ……っ!
と、強く思う。
休む一択じゃない? 無理でしょ。こんな状況でがんばるなんて。
そうは言っても、ぷちたちがいる。こどもを産んでいたら? 子育て常時待ったなし。生活してたら「お金がいる!」から休めない。
ひとりになって、なにもせずに休むのはハードルが高い。不可能にしか思えない。
実際、不可能な状況でやりくりしなきゃならない気がする。
そりゃあ、いくらでも支援があっていいし、充実していきたいし、助けがあるほど困らないよなあ。
キラリがいるからもういいやって?
まさか! ないない! そんなのあり得ない!
だけど頭が働かない。
心も追いついてこない。
ぷちたちのことも。私のことも。
しみじみ噛みしめるなあ。
あーる・いーず・うぇーる!
心は臆病で怖がりだね。ほんとに。どんどん萎縮してしまう。
選択肢が浮かばなくなっていく。
ならばいっそ歌っちゃう。
あーる・いーず・うぇーる! って。
きっと、うまくいくを思い出しながら、自分に語りかける。
どんどん枠組みを狭めて、窮屈に窮屈に押し込めると?
世界を生きるための道が、針穴のように「いや無理だってぇ!」と思えるものになってしまう。だけど行かなきゃと自分を鼓舞するとき、慰めるときに、だれかを陥れるようなことを考えて、忌避していたら? ますます穴は細くなり、自分を追い立てる影が濃くなる。
それこそお昼になにを食べるのか、晩ご飯はなにがいいのかさえ思いつかない。決められない。おまけにそんなに追いつめられる自分自身、否定せずにはいられない。
ああ! つらい!
ほんとつらくてしかたない!
そのままじゃ、自分のことが覚束ない。
自分のことが覚束ないと? 身の回りのことも、身の回りにいる人とのことも、なーんにも手につかない。
針の穴なんか無理して通ることはない。
枠組みは狭めることなんかない。
どういう道を通るにせよ、世界は自分の外にあって、産まれたときからままならない。
生存戦略はいろいろあるけれど、そんなのはさ? つらくてしかたない状態から脱して、回復してからの話にしよう。そのための支援がほしいのだし? そのための支援になりたい。
「頭はたらかないんだけどさ。攻撃されても転化して、分解して、感情を引っこ抜いて。相手の求めがなにかわかったら、また次の問いが見つかるかな」
「――……あああ」
「なに」
いきなり呻くから、ぴんときた。
なにか微妙な、おまけによからぬことに気づいたにちがいない。
カナタさんをじーっとにらんだら、言いにくそうに教えてくれた。
「その、だな? 春灯の好きなダークナイトのジョーカーみたいに、お前を心底こまらせたいんだ! みたいな感情を引っこ抜いたら、どうするのかなって。俺なら、どうしようかなってさ」
「ううん!」
こりゃまたえらいこと言うね!?
頭はたらかないんだってば! なのに「お前を困らせたい」なんて感情もって挑んでくる相手がいたらって?
みんなに「春灯と相性が悪い」って言われるような類いのヤツだ。
それでも相手をしばき倒すの? みたいな問い。
映画にせよドラマにせよ小説にせよ漫画にせよ、このあたりのテーマはそれほど珍しい話じゃなくない?
なにか理由があるんじゃないか。その感情の源泉はなにか。
まあ、このへんは好みの話でもあるんだろうけども。
仮に私が未来ちゃんに倣って、カウンセリングを受けるとする。その相手がハンニバル・レクター教授みたいな怪物だとしたら? 理性的であり感情を嗜むことのできる人格として、安定して破壊的な人物が、やがてドラマのように私を狙い始めたら?
ダークナイトのジョーカーもそうだけど「まず止める」し、それ以外に手が浮かばない。フラッシュでも良心の呵責に苛まれるバリー・アレンでさえ「お前はずっとここにいるんだ」と強く願わずにはいられないヴィランもいる。
他に手が浮かばないのは? こちら側。相手は変わらない。変えられない。
現実問題、どうにもできないから閉じ込める。
そういうことは、でも、いまだって当たり前に起きている。
ほんとに足りない。まだまだ足りない。
永遠に足りないままだ。どんなに足しても、もっともっとよくしたくなるから。
よくしたくなるまま、動き続けられたらいいし、気持ちよく休めたらいい。
けど、江戸時代で会った教授のように、いまは倒すしか手がないときもあるのがつらい。
それはいずれ手に負えなくなった自分さえ倒すしかないのだと受け入れることに繋がる。
素人の私が専門書を読んで引っかかったフレーズといったら、認知の歪みあたりかな。
DVをする人の心理と、それをやめるときのカウンセリングとして、捉えるものみたいな形で読んだんだ。
たとえばこう問いかける。
相手になにかしてほしいときは、どうするの?
相手を殴る。相手から奪う。相手の笑顔がほしいときもそうする。他にやり方を知らないし、応えられない相手が悪い。
そんな形で学んじゃったら、そこら中でトラブルばかり起こす。人と揉めることばかりだ。
あるいは、こう問いかける。
つらいときにはどうするの?
ひたすら買い物をする。ひたすら酒を飲む。ひたすらガチャを回すし、ひたすらスロットをやる。ひたすらセックスするし、ひたすら食べる。つらさをまぎらわせてくれるから薬物に頼る。
そういう形で強く依存すると、それが自分をいかに追いつめるものだとしてもやめられない。
どちらにせよ専門家のお仕事の領域だ。
なので、この列記の時点で不適切だったり、間違えていたりする可能性が大いにある。
先がわからない。
ジョーカーにせよハンニバルにせよ強く依存する嗜好が社会を脅かすものに思えてならない。自らの欲を満たすために選択する行動は、特にジョーカーにおいては社会と噛みあわない。
彼の名を冠した最新映画は? 社会福祉の撤退。投薬治療は勝手な中断がとにかく危ないのに中断せざるを得なくなる状況に追いやられる。お母さんは専門家の助けがいろいろ必要。彼自身もそうだけど、援助は次々と打ちきられ、追いつめられるばかり。その結果、生じる暴力には歪みとかじゃなしに、社会への怒りと悲鳴に満ちていた。福祉は予防線であり、救援隊であり、社会が多種多様に散らばるほど生じずにはいられない歪みに振り落とされそうな人を繋ぎ止める蜘蛛の糸なのだと感じる。傲慢なる者が糸を切れば、それは巡り巡って怒れる者を産みだしていく。ひとりやふたりなんてものじゃない。貧しさと恐れから生まれた狂気が世界を飲みこむこともある。先の大戦にみるように。
ダークナイトのジョーカーは一転して狂気と、彼の求める世界と現実とのギャップがあまりにも強すぎる感じ。
いずれにせよ手強い。
彼らが、というよりも。彼らよりもっと、彼らがそうなるに至る環境こそが手強い。
私たちひとりひとりを氷山に例えるのなら、いま考えているのは海や天候の手強さ。
勧善懲悪で懲罰をくだしてすかっとするエンタメにせよ、世界が変わらない限りは似たような悪役が延々と生まれそうだ。実際、そうなる作品もたくさんある。
現実はよりえぐくて、根深いのかもしれない。
そしてだれかは変えられない。世界もそう。
だけどだれかが乗ってくれることがある。ライブに来てくれたときのように。
ちがうから。同じにはなれないから。共感して、繋がりを感じ取れたときの喜びは大きいし、拒絶されたらとびきり痛い。求めるほどに拒絶の痛みは増すような気がするし、かといって求めなかったらだれとも繋がれないような気がする。
本人の気持ち次第。それぞれに。
これまでの戦いで接した人たちのどうにもならなさ、つらさ、痛さもそう。
相手と変わることもできない。相手になることだって無理だ。
助言はなし。指示なんてだせない。
中立になろうなんていうのもね。一歩さがったところでどちらが自分にとって正しいかジャッジしようってノリだ。それもなし。上から目線で接しようとしたら、すぐに怒りが爆発する。
ますますどうしたらいいのかわからない。
本人がずっとそういう状況で頭ぐるぐる、もうむり状態なら?
やっぱり本人の回復が大事なのでは? でもって、それがジョーカーやハンニバルなら?
てづまり……っ!
すくなくともいまの私にはあまりにハードルが高すぎる。
必要なマス目がやまほど増えちゃうから、いまは思考の片隅にそっと避けておきたい。
逆に気持ちがやまほどあるのに、頭も心も「わー」ってなって、すこしも読み取れなくなっていたら?
だれかに相談すると、自分の中で整理がつくことがあるみたいに、私が感情を引っこ抜いて見えやすくできたなら? なんとかならないかな? 私のお願いに付きあってもらう形になるからハードル高いの変わらないか。
「問いが増えたね?」
「ごめん」
「いいえー」
カナタに身体を思いきり預けて体重をこれでもかとかける。悪かったってと言いながらも、うちわを置いて抱き締めてくる。別にそういうんじゃないけど、でもいいや。
増え続ける問いの答えは出しきれない。
おこさま欲求のかまちょ炸裂。それが暴力で発散となればきついダークナイトのジョーカー。
衣食住。その食で人を狙い喰らうハンニバル。
もしもアダムが生きたまま、止められずにいたら? 既にジョーカーみたいに厄介だった。
教授が黒輪廻に関わることなく猟奇的に歪み抜いていたら? ハンニバルみたいに狡猾に懐に潜り込んで、素知らぬ顔で助言をくれていたのだろうか。気づかぬところで殺人を犯して。
恐怖の輪郭は思いのほか身近に迫っているような気がする。
すぐそばにある、というには溝がある。けれど、儚いもののようにさえ思える。
だからこそ、しっかり身につけたい。
ただ、思い出した。
いつかの拷問。未来ちゃんから聞いた話。聖歌ちゃんがしていたこと。夢に見た最期、数多。天国修行で赴いた時代の亡骸たち。
知っている。
涙するほど美しい星空を生きる人もいれば、歪んで自分を苛む星空を生きる人もいることを、私はもう知っている。
なのにさ?
どうしたらいいのか、どうしたいのか。
私をまだ、知らずにいるんだ。
つづく!




