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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!
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第千六百九十六話

 



 遊園地とくれば、なにが思い浮かびます?

 ジェットコースター? 修学旅行? ちょうこわいお化け屋敷? 園内すべてが特別料金? 旅の恥はかきすて?

 人によるよね。

 デートで行くとこ! なんていうのもありだけど、なかには「やめておけ! 沈黙イコール即死やぞ! せめて関係が落ちついてからにしとこ!?」って危惧するケースもあるそうですよ? 話が弾むふたりならありで、沈黙がつらいならやめとけ、みたいなね? そんなことを言うみたい。気にしないんなら、それもよし! 逆にハードルを感じるなら? 共通の話題が見つかりそうなところから、なんていう誘導は、私も見かけたことがあるなー。

 アトラクションひとつとっても、遊園地によって様々だ。ファストパスを使う使わない、取れないときの待ち時間もアトラクション! など。ね?

 そもそも種類からして、いっぱいあるじゃない? アトラクションって。

 待ち時間が長い園内ほど、その待ち時間を待ってもらえる仕掛けはどうする? なんてところに知恵を絞れそう。

 たとえば、境界の概念。

 大昔、大きな山は境目だった。もちろん、他にもあるよ? それは川だったり、洞穴だったりした。あるいは森の入り口かもしれない。

 明らかになにかが変わる場所。切りかわるもの。線か、それとも空間か。

 メイドインアビスなら階層で表現されそうだし、千と千尋だったらトンネルと川かもしれないし?

 それはさておき、原始の時代に移動する際にも、定住スタイルに切りかわって冒険をする際にも、肌感覚として、区切りとなり、体感的に異なる空気を感じる線引きみたいなとこ、ある。

 洞窟にせよ、森にせよ、平原や野原とはちがうじゃない? 冷えた空気や、湿度の違いを感じるかもしれない。そこに住んでいる生物が変わるかもしれない。

 これまでのように振る舞えるだろうかと、なにかを感じる境界線。

 山も川も、自然の強大さは原始に立ち返るほど存在感を増すもの。水害は、現代でも天候次第で容易に起こりえるものだ。水との距離感、治水は国家にとって特別な関心事。川と文化のお話は、それこそ学校で学ぶレベルのもの。

 で、水はどこからくるの? まあ、山だよね。

 その山にある洞穴には、なにがある? クマが冬眠してるかも。他にも住処にしているこわぁい動物がいるかも? だとしたら、なかなか近寄れない。

 遊動民時代の名残か、はたまた学習する環境があるがゆえなのか。

 いずれにせよ、境界は文化に利用されている。

 それは鳥居や門かもしれないし? アトラクションに向かう途中にある門や、洞窟っぽい通路かもしれない。通路の途中に設置された、スピーカーのついたマスコットかもしれないし? 切りかわる音楽なのかもしれない。

 あるいは「この位置だと、あと何分くらいだよ!」と示す標識かも? なんてね。

 境界。区切り。分かれ目。段階。

 あると気持ちが切りかわる、かもしれないもの。

 現代人のだれもかれもが川にかかる橋を渡ったところで「お、おお!? 世界がかわりよるぞ!?」と身構えたりはしないよなあ。けど橋も境界を示すものだよね?

 ゴールテープなんかもそう。学年が変わるのも、学期が変わるのも。広義にすればするほど、増えていく。

 たとえば関係性においても、同じことが言える。

 さっきの遊園地デートにまつわる、やめとけ案。会話に困る困らないの境界があると助かる人もいれば、そんなの気にしない人もいる。じゃあ、その境界線って、どこにある?

 たとえばお互いによく知りあっているわけじゃないのに、それこそ一夜を共にしただけで「もういいでしょー」と気が緩むタイプもいるし? そうじゃないタイプもいる。このとき前者はなぜ切りかわるかっていったら? そう。一夜の経験が境界を越えるものだと思っているからだ。

 ともだちの境界って、どこだろう。恋人は? 伴侶は?

 結婚、婚姻。とてもすごいことのようだけど、かつてそれは就職するのと同じくらい、当然にするもので、しなければまずいことだった時代もある。おうちの今後の行く末が婚姻にかかっていて、自由に恋愛する前にまずは嫁ぐのが当然みたいな時代があったという。世継ぎを生むのもセット。みんなが狙う人物の、何番目かに嫁いだとして、目的を達成できるかどうかは別。じゃあ達成したら、よし? そうもいかない。人生は続く。

 有望視される相手ほど、嫁ぐ人も多く。若い人も次々と入ってくるかもね? 待ったをかけても、相手も相手で仕事めいたところがあるかもしれず。もちろん立場の差と、上下は見て取れるケースもあるだろうからさ? ますますもって、ままならなさそうだけど!

 そんなとき、心を惹くのはなんだろう。

 人生を飾る花は、なんだろう。

 短歌を作る時代があった。流行りは、いろんな土地、いろんな人が、いろんなものを嗜んでいるじゃない? 料理という場所もあれば、度胸試しや飲酒かもしれないし? 踊りだって土地もあるよね。なにも日本に限った話じゃないからね!

 境界。それは最初、感じとることで備えるための感覚だったのかな?

 どうだろ! し~らね! わかんないや。

 ただね? いまとなっては、手段として使えるものじゃない?

 いわば、花だ。

 心躍る境界にできれば、それは弾みになる。

 けれどうんざりしたり、いやだなあって心が硬くなって身構えちゃうような境界だと? 越えたくなくなる。

 クラス替え、中間と期末の試験。そして、行列の最後尾! 特にトイレの最後尾は最悪中の愛悪……っ!

 他にもあるよね?

 お父さんが追いかけ、トウヤもちびちび見ている、ご長寿アニメシリーズ。ロボットもの、そして戦争。宇宙世紀を駆け巡るこどもたち。それがゼロふたつに八十三の作品だと? 兵士たちの話になる。

 あのアニメシリーズの中でもぶっ飛んだ破壊兵器が、宇宙の巨大構造物を地球に落とすというものなんだけどさ。それを阻止するための限界点っていうものがある。そのままズバリ、阻止限界点。

 映画のアルマゲドンでも、地球に落ちる軌道の隕石を破壊する際、リミットとなる地点がある。落下を阻止するための限界地点だ。

 トイレの最後尾も似てるとこあるよね。便意、対、待機時間! ふぁいっ!

 負けたら漏れるので、限界点はだいぶ余裕を見て設定したい。

 それって、なにかに似てません?

 締め切りっていうんだけど!

 明確に、ものとしては存在しないんだよね。だから、ごまかそうとすればごまかせる。その選択と結果は、もちろん別々のものとして存在する。

 長蛇の列ができて、なのに便意がぎりぎりのときに並んだトイレで「もう我慢しとこ!」って、身動きを止めたら? 間に合わなかったときの結果は、出て知るべし! なんてな!

 きたない話題でごめんね!

 アルマゲドンや0083なら、地球に被害が及ぶ。学校の単位が足りないのなら? 留年。

 はっきりと可視化されたり、数値化されていると、認識しやすい。

 逆に、そうじゃなかったら?

 学校に通っている頃ならさ。昼休みがあるじゃない? だから、だいたい決まった時間にお昼を食べるんだ。けどね? 今週はおうちにいたでしょ? すると、わりと自由なんだよね。ぷちたちの腹時計頼りになってた。もっといえば、ぷちたちが「おなかすいたー!」ってぷりぷりしない限り、私もお母さんも、わりとゆったり決めていたんじゃないかなあ。

 さて、その境界、あるいは区切りに対する余裕だけど、ある?

 あるいは、作らないまま、手段として利用しないまま、心が穏やかでいられなくなってない?

 だいじょうぶぅ?

 逆に、明らかに「こいつぁ阻止限界点だぜ!」って思えるボーダーラインを余裕でぶっちぎっていません? あるいは、そういう人たちになにかに巻き込まれちゃっていません?

 ワルキューレの歌に「いけないボーダーライン」っていうのがあるけどさ。

 境界線って、なにもかもがアウトなわけじゃない。

 遊園地で利用される境界線は、わくわくを刺激するものも、いらいらをなだめるものもある。

 締め切りは設定すれば、逆算して工程における段階的な余裕を可視化できるから、チームがお互いにカバーしあえる指標に使える。

 これを越えたら? 危なくてきわどくて、ドキドキする。だから楽しんじゃえ、というラインもあるし? あるいは、自分で「やだやだこわい、知らなくてこわい!」と引いていた線を越えて「わあ」と感激しちゃえるラインだって、ある。

 頭の中で「ラインは越えちゃだめ!」と思考停止しちゃうと、いま挙げたラインは頭に入ってこないかもしれない。こえちゃだめ、という思いで頭がいっぱいになっちゃってさ。それはそれで、いろいろ思うところがあるけどね!

 本題はむしろ区切りにはいろんな種類があって、それをどうするか、手段がいくつもあるってところ。あと、越えちゃならないラインをなかったことにしたり、ごまかして負債を自分に押しつけてくる人ないし集団ないし組織があったら、自衛の手段は必要だよなーってとこかな!

 境界からはずれる、というかずれてる部分もあるんだけどさ。

 たとえば越えたらやばい基準ってものを見つけるのも、その根拠にも、知識と技術があればあるほどいい。

 遊園地でいえば、ジェットコースターの安全なんかがそれだ。

 速度がでればでるほどいい? 重力を感じられれば感じられるほど最高?

 まさか!

 それに、コースそれぞれの耐久性は? 乗り物の安全の基準は?

 利き手じゃない手でざつぅに描いた人に、漫画の吹きだしつけて「あんぜんは、てきとうれす。きっとだいじょうぶれす」って言わせるノリで紹介されたら、乗れる? 私はむり。死ぬかもって思うから、こわくて乗れない。

 車もそうだよね。単車だって原付だって、電車だってそうだ。食べものだって、お薬だって、なんだってそう。

 隔離世の技術は、これらのようにはいかない。

 だから切実に思う。

 知識と技術の集積は、人の積み重ねた失敗と経験値なんだって。

 欲しくてたまらないよ?

 敗戦時の文書と同じく燃えてなくなってしまって、私たちは自前でなんとかしなきゃならなくなっている。おかげで苦しんでいる人も現在進行形でいて、学びは大事だし、更新してかなきゃだめだし、維持しなきゃやべえものがやまほどあると痛感してる。

 ユニスちゃんやファリンちゃんのような、他の国の異なる技術体系は、そのまま転用できるものばかりじゃない。翻訳が必要な部分や、集積の足りない部分があってさ?

 言うなれば機械と機械を繋ぐコネクタが、いくつか必要なものがあるし? おまけに、どのコネクタがどれほど必要かわからなかったり、わかってもすぐには解決できなかったりするから、さあ大変!

 学校の教育で、あの国のあれいいなあ、あの国のあれもいいなあって思い描いてきている私だけど、日本の学校にそのまま持ち込めるとまでは思ってない。取り入れるためには、それこそコネクタとなる手段や制度が必要になりそうだなあって思うことのほうが多い。

 理想的な新たな制度は、いまある歯車にひとつ足す歯車ってほど、安易には噛みあわないんじゃない? その前にまず、どうやって噛み合わせるか分析と検討が必要じゃない? それはどちらも、いまを改善するために進めるための意図であって、安易に現状維持すればいいって話じゃあないんだけどさ。

 すると、それをするには現場の状態を理解していることが必要だし。停滞するためのラインを打破して越えることも必要だし? 逆に、これは必要だと冷静に判断するためのラインも見極められるほうがいい。それって、すっごくむずかしくて、繊細なもの。あるいは大胆さもときに求められるもの。繊細だろうと大胆だろうと、深い理解と知識がなきゃあ、下手に立ち入らないどけって話。

 じゃあ、だれもその理解も、知識も持ち合わせていなかったら?

 どうすんの?

 手探りでやってかなきゃならない。

 ウォーキングデッドみたいなポストアポカリプスものだと? 技術者がいたら、どの集団も喉から手が出るほどほしい存在になる。

 逆にポストアポカリプスものに、凄腕技術者集団が残されて、クリーチャーかゾンビ集団の中でせっせと文明を復興していったら? おっかないとかじゃなくなるよね。話がさ。

 DASH村のポスアポワールド版みたいな?

 それはそれで見たいかも!

 しかもちょっと変だったり愉快な発明が出てくると? わくわくしちゃうね!

 逆に言えばさ?

 知識や技術をもって、それを理解し、説明できない限り、ふわっとした話に終始する。

 たとえばの話。


「「「 ジェットコースターのりたい! 」」」


 ぷちたち、とりわけ元気な子たちがギャン泣きしながらじたばたもがいても。


「ごめんね? 安全なジェットコースターはまだ作れないの」


 と言うしかない。

 実際、そうだ。保障できないのに「安全安心のジェットコースターを用意し、楽しんでいただきます」とはいえない。そしてそれは、安全と安心が具体的にどのように保障されるか理解していなければ語れない。

 信用の担保、という概念もあるだろう。

 遊園地のアトラクションの案内役を担う人が、そのすべてを理解できている必要性は必ずしもない。それはなんで? 建造するうえでの安全基準があるし、運用するうえで必要な整備やチェックの基準があるし、それが適切に行なわれているかどうか確認する手順があるし、それを義務として定めているからじゃないかな? たぶん、そんなとこじゃない?

 逆にいえば、そのひとつも用意できない私が、ぷちたち相手に「安全安心のぉ!?」なんて語ろうと、そんなの嘘っぱちでしかない。具体的にどのように安全安心なの? と問われて答えられないのなら、やるべきじゃない。そんなの、自明の理だ。

 それは覆さないほうがいいよなあ。天秤にかけるまでもない。

 でしょ?

 でも、楽しみにしちゃっているぷちたち相手に、それは通用しないので。


「代わりにほら。金魚マシンで空中レースっていうのは!? ジェットコースターより自由自在だぞ?」


 さっき出した要領で、金魚を出して泳がせてみる。

 あの手この手で、泣いている子たちをなだめながら、交渉だ。


「楽しいし、気持ちいいだろうなあ! しかも、ジェットコースターみたいに、捕まってるだけでも、わあわあ騒げちゃうんだよ?」


 なんてったって、私が操るからね!

 これなら経験則でだいじょうぶだと言える。

 反面、ジェットコースターほど厳密にした基準も、計算もなにもないものだから、そこは正直たりてない。それはぐっと飲みこむ。いくらでも自由になるから。

 そこに、先ほどまで述べていた内容に対する欺瞞がないといったら嘘になる。

 あ~あ! やだやだ!


「んー」

「なんか……ずるい気がするけど」

「金魚さんに乗れるのは楽しそう!」


 みんなを盛り上げるように、ユメが声をあげる。

 そうして、ぷちたちみんなが私を見つめてくる。

 探る目。たまにひとりかふたり、私を、いまみたいに見る。

 寝起きに私にひっつき、移動中に私にくっついて、徐々にわがままも言ってくれるようになってきた。

 それでも、私はこの子たちに自分から親だと立場を明らかにして、境界を鮮明にすることなく、ふわっとさせてきた。その期間が、あまりに長すぎた。

 だから、この子たちはどこかで私を信じられないとしても正直、不思議はない。

 過剰に甘えてくる子もいる。過剰に怒ったり、泣く子もいる。そこに私の罪を見る。

 ユメが特にそう。

 がんばって、小さな大人になろうとする。

 この子が特に、必要を感じているのかもしれない。

 繋ぎとめなきゃ。繋がっていなきゃ。私とぷちたちみんな。そうじゃなきゃ、だめだ。

 なんでそう感じるの?

 不安だからじゃないの?

 その不安は、どうして生じたの?

 聞くまでもないでしょ。

 私が気にしてこなかったからでしょ。

 マドカやキラリが間に入って、化け術を利用したアトラクションを考えるのもありではないかと言い始め、さらに議論は進んでいく。ぷちたちは率先して、話に混じっていく。遊びも中断して、すっかり夢中だ。

 遊びたい盛りの騒ぎたい盛り。

 なにもしていないつもりなのに、勝手にすくすくと自責が育っていく。

 それは正直、なんの役にも立たない。

 訂正。

 私が私を責めるのに夢中になる役にしか立たない。

 バランスを。

 目標に向かって、バランスを。

 目標と現状がつりあわなきゃ、崩れてしまう。そこに条件を見て取る。安定を保つうえで必要な条件をクリアできないのなら、変更しないとね。

 みんなの議論に積極的に参加して、アイディアを提示する。みんなのアイディアに対しては、私が実現可能で、かつ、ちゃんと安全だと私が請け負える形になるよう修正案を出す。

 みんなの協力を得られたら、修正案の幅が広がることもある。

 大事なことは、なに?

 嘘を吐かない。

 隠しごとをしない。

 失敗は直ちに、ほうこく! れんらく! そうだん!

 これに尽きるんです。

 結局のところ、刀鍛冶のみんなもレオくんやラビ先輩に言うべきことは言っているから、伝達は成されていてさ? なので、侍候補生もしぶしぶ、あるいは素直に暇を持てあましているわけで。

 これが「できてるってことにしよう!」とか「あんぜんあんしん……たぶん!」とかって、雑に出されて、もし万が一、事故っちゃったら? 目も当てられないからね。

 信頼も大事。じゃなきゃ、あんぜんあんしんなんて、ただの文字になり果てる。それにはなんの価値もない。

 変身も、霊衣になるくらいのコスチュームも、場合によっては隔離世での戦闘に用いることになる。自分の身を守る大事な装備のあんぜんあんしんが、ただの文字の、なんの価値もないなんてことになったら?

 無理だ。

 選べないし、選びたくもない。

 これまでのしんどい戦闘を思い返すと? もっとひどいパターンを想像すると?

 ますます無理!

 そこんところの意思疎通もできているから、だれも刀鍛冶のみんなの部屋に行って「はやくしてよ~!」と抗議なんかしない。みんなの仕事を信じるっていうより、しっかりやってほしいから、待つ。

 だけど、ただ待つだけなんて時間の過ごし方はむずかしい。

 人生には、花が必要なんです。

 ご飯も食べられればいいんじゃないよ? おいしさが必要なんです。

 なので遊園地の暗にしたって、花やおいしさを求めるんです。

 実現可能は、ある意味、境界だ。

 その先に行けないなら、参加するみんなが楽しく歩けないようなら、たぶん、そこには価値はないんじゃないかな。

 ぷちたちにも、求める花やおいしさがある。

 私にも、マドカやキラリにも、そう。

 眺めたいのは、歩きたいのは、荒野ではない。

 私には夢がある。

 今日、私はユメと、大事なこどもたちといる。

 キング牧師を引用するには私の知識はあまりにも浅く、短く、脆い。

 ぷちたちの求めるもの、そのままを渡せるほどの学びを、私はまだ得られていない。

 だからこそ、私には夢がある。

 いつの日か、今日もとめる学びを得て実現し、さらに求める学びへと歩く夢がある。

 さらに輝きを増す時間を、ぷちたちが過ごせる未来という希望を抱いている。

 そのためにも、嘘は吐かない。

 隠しごとをするのもやめよう。

 失敗ばかりしてきた。恥ずかしい人生を、いまも過ごしている。

 素晴らしいことばかりしてきたわけではなく、私はしくじってばかりいる。

 自由に、健やかに生きているとは言いがたい。

 小学生時代に、すでにつまずいた。転んでばかりだ。私は。

 そりゃあせっかくの九尾に穴も見つかる。

 なぜなら、私には足りないことばかりだから。

 その穴を認め、隠さず、嘘を吐くのもやめよう。一歩ずつ、学び、経験値を得ながら進んでいこう。

 いまはまだ、自由とは言いがたいことがある。

 やまほどある。

 だからこそ、進もう。

 不自由な泥沼から、すこしでも這い出て、胸に抱く希望へと進もう。

 この夢を、一歩ずつ形にするためにも。

 さあ、遊びを形にしていこうか。

 人生には花が必要だ。うまさが必要なんだ。

 そこで問うよ?

 遊園地とくれば、あなたはどんな素敵を思い描く?

 じゃあ、私はどうかって?

 まだ気持ちが荒ぶっているぷちのお世話で精いっぱい! なので、ちょっと待って!




 つづく!

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