第千六百九十五話
凝り性ばかりが多いと大変!
ひとまず五割で出す、みたいなことができないもの。
やるか、やらないか。
どちらか。やるとなったら、とことんやるべし! なんていうのも、ときには考えもの。
レオくんやラビ先輩が、ちらちらっと刀鍛冶のみんなの作業部屋を訪れてみたものの、なんの成果も得られずしょんぼりしながら戻ってくる。
すこし早めに訪れた文化祭の準備みたいな状態が、ずっと続いているみたい。
進展はない。なので、集まった侍候補生の中でも、再び祭りに繰り出す人もけっこういる。
ここで考える。
締め切りという手段について。
そう。手段だ。期限を区切るという手段は、なんのためにあるのか。
ひとつ、目的を設定する。
それはたとえば、銀河中から生命を五割も消しちゃう指パッチンをしたサノスの行いをなかったことにする、というもの。タイムトラベルを敢行し、特別な石を回収して、再び指パッチンをする。
ここで問題が発生。タイムトラベルは、そう何度もできるものじゃない。また、跳躍中はいろいろな縛りがある。しないほうがいいことなんかだ。あるいは過去のサノスの軍団を連れてきちゃうようなのも、無視できない大問題かもね?
一度は破れた軍勢に破れ、サノスに石を奪われたら? また指パッチンされちゃう。次はタイムトラベルできる見込みがあるか。そもそも生きて残れるのかも、謎。
期限は?
サノスに指パッチンされるまで。
目的を達成する手段に条件が加わる。サノスに石を奪われず、奪われたら取り返して、こちらが指パッチンをする。それがどのような犠牲を払う選択だとしても、迷ったら? もう次はない、かもしれない。
というわけで、映画ではあるけれど、偉大なるトニー・スタークは命を落とした! ってわけ。ついでにいえばキャストさんの長期契約も、これにて終了。MCUは次のフェーズに進んでいくのだ。
期限がなく、サノスの軍勢もついてこなくて、キャストさんも、他のキャストさんたちも、もうちょい契約する気でいたら? 愛すべきトニー・スタークはまだ、映画の中で活躍していたかもしれない。まあ、そうはならなかったんだけどさ!
なので彼らは選択した。選択して、選択しつづけた。期限を区切ることを利用して、よりよい選択を目指した。
期限を区切る。
それは手段だ。
手段とは別に、目的が存在する。
いつだってそう。
スマホゲームで課金をするときでも、そう。
青天井。つまり、限界なしに課金する? オイルマネーか投資で笑いが止まらないくらいの残高がないと、借金でまずいことになる。
もちろんそれは困るから、期限を区切る。
たとえば、金額。コンビニで買えるカード一枚分、いくらぶん。コンビニと課金のマラソンを繰り返すかどうかの回数も含めて。あるいはクレジットカードの上限や、リボルビング払いを含めて。やるとなると、だって、青天井と実質、大差ない。
たとえば、課金の目的となる新品や希少品の獲得。これを目安にするとなると、金額の期限におおむね干渉する。なにせ、カジノでプレイヤーが確率を操ることはできない。カジノは、胴元が儲けるビジネスだ。確率を用いた商売も同じ。どこまでいっても、胴元が儲けるビジネスでしかない。ま、普通そうだよね。ビジネスって利益が目的だ。
石ころか、キラキラしてみえる石か、とっても硬い石か、あるいはとびきりの宝石か。それを十個、ガチャガチャで手に入れられる仕組みと、そのためにお肉や木の実を献上する商売を原始人に教えたら、どうなるだろう。たまに出る宝石や、とびきり硬い石の利用法を教え、それを扱い便利に過ごす人と、そのライフスタイルを演出して、素晴らしいものだと見せたら?
邪悪すぎ?
かもね!
話がずれてきたから戻すと、期限を区切る。
それは手段だ。
手段は、用いる人によって利用される。
けれど人によって、手段を上回る欲や、手段を行使せずにはいられない損失があると? だいたい、人は判断を誤る。
そのとき、理屈をせっせと製造する。
たとえばさっきの石ガチャ。とびきりの宝石は、一万個用意した資材の中に、たった三個だけ入れる。そして、排出したものと同じものを、常に補充して、一万個の内訳が変化しないとなると? 毎回、とびきりの宝石が出る確率は、一万分の三だ。
ある者は幸運にも、ささやかな木の実で一度交換して、宝石を得るかもしれない。
けれど、ある者は不運にも、十万回繰り返しても、宝石が手に入らないかもしれない。
十万回はさすがに盛りすぎ?
つい、わかりやすくしたくてさ!
でさ? 十万回もやれば、たとえばまるごと一万個のすべてをもらうとしたら? 最低、三十個は宝石が手元になきゃおかしそうなもの。けれど、不運な者は年月をかけて、まばらな回数だけ挑戦を繰り返してきた。
すると、どうだろう。一万分の三という確率を、アンラッキーチャレンジャーは十万回も試してきたことになる。
それで宝石が手に入る確率を計算することも、もちろん数学でできるんだろう。
けど、その計算が挑戦者に宝石を与える理由にも、石ガチャをやめさせる力になるかも、別。
あくまでも挑戦者の選択次第。
確率を手段に行使するかどうか。
年月をかけちゃったがゆえに、挑戦者は言うかもしれない。絶対に当てる。当たるまでやれば、賭けは負けじゃない。あるいはこう語るかな? これはもう自分のライフワークなのだと。
きっと挑戦者は言われただろう。
そんなに宝石が欲しいのなら、山に似たような石があるって噂だから取りに行ったらどうだ?
あるいはこう言われたかもしれない。
硬い石がいっぱい手に入ったんだろう? それを槍や斧に加工して、ガチャをしている連中を襲って、宝石を奪ってみたらどうだ。最低でも三つは手に入るぞ?
そこまで踏みこんだ話でなければ、これはどうだ?
よく飽きもせずに負けられるものだ。ばかなのか? せっせと貢いで、食わせてやって。あれだけの食糧があったら、次の冬も楽に過ごせただろうに。
嘲笑。あるいは呆れ。見下げる眼差しを挑戦者は浴びる。
胴元は潤う。挑戦者のような者が他にも大勢いればいるほど、危険な狩りをしなくてよくなる。得た物資を利用して、コロニーを形成できるかもしれない。おまけに略奪者から身を守る傭兵を雇ったり、頼もしい人材を集められるかもしれない。
宗教も生まれるかも。
母なる太陽に祈りを捧げ、そののち、ガチャに挑むのだ、みたいなの。
胴元を強く怨む者も出るだろうし? 挑戦者の家族に不和が生じて、大きく揉めるかも。犯罪にさえ発展するかもしれない。それに胴元が人を雇うくらい、襲撃が絶えないかも。
宝石が排出されても、即座に補充できるのだ。もっとたくさんの宝石を隠し持っているにちがいない。いやいや! 宝石なんかには興味がない。奴らはたらふく飯を持ってる! 住み心地のいいコロニーだって! そいつをまるごと奪っちまえ! なんてね?
元を辿れば、宝石。あるいは硬い石。ただの石ころには興味がない。そこらへんにあるのだから。宝石が欲しいか、硬い石が欲しいのなら? それを採取しに行くのが、もっとも手っ取り早い。ガチャは手段に過ぎないのだ。
目的は宝石。あるいは硬い石。加工すれば生活が便利になる道具だ。あるいはだれかとの交渉に使える価値ある石。
手段はいくつもある。ガチャはそのひとつ。
ガチャを利用するのなら、青天井は無理なら、期限を用いる。でないと?
目的と手段が入れ替わる。
忘れたくないのは、目的を達成する際、条件があること。
条件はいくらでも変わる。お空の雲みたいに、変化する。乱数。ランダムに振る舞うもの。
コードギアスというアニメの主人公、ルルーシュが好きだ。彼のセリフの中に「条件はクリアした」というものがある。
条件。
それも人それぞれに決めるもの。決まるもの。変わるものだし、ちがうもの。
私たち侍候補生としてはね?
目的は変身だ。
私の場合、そこに尻尾の穴の転化が加わる。
条件といえば? 刀鍛冶のみんなの用意する、塗る神水や、もろもろ。いま絶賛用意しているものの獲得。これはクリアしないと、目的に挑めない。なので、私たちは時間を持てあましている。祭りに出かける人もいるってわけ。
可視化されていない条件もある。
私の尻尾の穴を、とりあえず今後しばらく問題ないとわかる状態にする。これを目標とするとき、目的と尻尾の穴とに、どういう条件が潜んでいるかを私たちのだれひとりとして知らない。
なので、条件はいずれにしても、クリアできていない。
ついでにいえば条件の探り方さえ、私たちはろくにわかっていない。
逆に光明が見えてくると? あるいは縋るしかなくなると? 条件に執着する。
そこには偏見もある。
私たちは自分の知る世界のフィルター越しに、あらゆるものを認識する。知らないものは気づきようがなく、想像するしかない。想像力は大事だけれど、想像に夢中になって行動しなくなっちゃうこともあるから、期限という手段を使う。
このくらいまでが考えるターン。ここからは、準備が微妙でも、不足していても、やるターン。あるいは、やるしかないターン。そんな感じで。
なにせ、目的と手段が入れ替わるだけじゃない。
条件が目的や手段を塗りつぶして上位になってしまうことがある。取るべきでない手段、変更したほうがいい目的を、条件が維持させてしまう。
その条件は、かかる状況が壮大だろうと、ごく個人的なものでも作用してしまう。
ことが巨大な集団の状況を左右するとしても、個人のプライドや面子を守るというささやかな条件によって、変更したい目的も、とるべきでない手段も選択され続けてしまう。実施されてしまうんだ。
ハリウッド映画だとよく見るよね。ありがち。
しょうもない条件も多いよ?
お父さんとお母さんの世代よりも前の、かなり昔の名作だと?
グレムリンは水を浴びたら数が増えちゃう。ベートーベンはみんなの前だと大人しいいいワンコなのに、なぜかお父さんの前でだけやんちゃなワンコになる。
さっき挙げたコードギアスだと、ルルーシュのマシンの操縦技術は、彼のクラスメイトで仲間のカレンちゃんや、幼なじみのスザクには敵わない。そしてスザクは敵。なので、スザクが出てきちゃうと、ルルーシュがどんなに作戦を練っても覆されちゃう。
アイアンマンだと、どう?
三作目でトニーはスーツに安全基地を強く依存している。だからスーツがなくなると? 安全基地じゃなくなって、落ちつかなくなっちゃう。愛するペッパー・ポッツさえ、一緒に寝るのがむずかしくなっちゃうくらい、彼は強い恐怖にさらされていた。映画アベンジャーズで、宇宙に行ったときの恐怖心がきっかけかなって見て取るけれど。
そんなスーツが使い物にならなくなる。出会った少年に提案されて、トニー・スタークは自作の装備を作りあげた。そして挑む。テロリストの邸宅への侵入を。
もちろんスーツの充電も忘れないところが、抜け目ない。そのあたりの奥の手の用意周到さがトニーとルルーシュの差なのかも? まあ、年齢的にも経験の差があるし、易しく比べてどうこう言うのも雑な話なんだけどね? ルルーシュって、たまに驚くようなポンをやらかすからなあ。
トニーは自分の発明と、その土台となる知識と技術に安全基地を移行した。遊び心も忘れずにね? ルルーシュは「キングが動く」、その選択を貫いたところがすごい。彼の安全基地って、なんなんだろ? 妹のナナリー? シャーリー? ううん。どうだろね?
条件。
映画ロッキーシリーズの第一作目は、かなりの低予算で、製肉所の牛さんボディ相手の訓練シーンも、街中のランニングシーンも、できる範囲でやって作りあげられたものだったんだって。えいどりあーん! 愛する人の名前を叫ぶロッキー。私からしたら、なにもかもがレトロに見えるけど、同時にさ? なにもかもがいじらしく、不慣れで、下手っぴで、その中であがくロッキーも、エイドリアンも、目が離せない。
そんな彼がチャンピオンと戦う。
華々しいファイトを求め、チャンピオンと戦うチャレンジャー。
そういう映画はけっこうあってさ?
つきものなのが「八百長しないか。お前が負ける。そして儲ける」だ。
挑戦自体にこぎ着けるのが、まずかなりの難易度。突破しなきゃいけない条件も、やまほど。
おまけに条件をクリアするまでにかかった年月も、場合によるけど、かなりのものだ。
そこまでしてチャンピオンと戦うんだよ?
ギリギリ皮一枚で保ってきて、やっと戦える、その日にさ?
苦楽を共にしてきたはずのトレーナーから「八百長しないか」と持ちかけられたら? トレーナーじゃなく、スポンサーかもしれない。
ずっと八百長で、やっと稼いで家族を食わせてきたボクサーだとしたら? もう、どんなにがんばっても年齢的に続けられないという条件が加わったら、どう?
大金を稼ぐ?
それとも、チャンピオンと全力の試合をする?
大金がかかっている、となるとマフィアが絡んでいたりして。そしたら? 八百長しなきゃあ殺されるかもしれない。たとえベストな試合になっても。仮に華々しい勝利を掴み取ってもね。
そんな映画もきっと、いつか見れるはず。
条件。
目的達成をややこしくするもの。あるいは目的それ自体を問うもの。目的だけじゃなくて手段の見直しを求めるものでもある。
人によって異なる。立場によっても、異なる。集団によっても異なるし? 状況によって変化もする。複雑なもの。
唸るように回転する「これって、こういうものなんだよお!」という柱。あるいは、動力。しがみついて、利益を得られる反面、強い勢いで振り回されて、その仕組みを変えるどころじゃないし、変えられない人の条件って、なんだろう? 動力を願い欲して掴み、けれどすぐに振り払われてしまった人にとっての条件って、同じ? きっと違う。同じ動力でも、状態によって、繋がるための条件が変わる。
じゃあ、人が原因? なにか問題が生じたとき、人が変われば動力は問題なくなる? 逆にいえば、問題があるのは人のせいで、できる人とできない人がいたら、できない人が常に悪くて、それで済むの?
おかしいでしょ。そんなの。
それじゃあ途端に、原始時代に逆戻りじゃない?
なんのために学校があるの?
ねえ?
やっぱりおかしいよね。そんなのさ。
なんのために遊ぶの? なんのために学び、なんのために練習するの?
なぜ失敗を経験値に変えるの?
どうして、心地よい場所にいようとするの?
なんで、安全基地があるほど好ましいのかな。
それは築き上げることに意味があるからじゃない? 穏やかでいられるからこそ、自分を育てることに集中できるからなんじゃない?
環境次第なんじゃないかな?
学び方次第なんじゃない?
刀鍛冶のみんなはまさに、集中してる。
侍候補生のみんなして待ちくたびれちゃうくらい、しすぎちゃってる。
それは今日のお題からすると、条件をぶっちぎりで無視していて、いっそ清々しいくらい。
成し遂げたいなにかがあって、みんなが熱中している。
それが侍候補生の、私ふくむみんなにとって、どういうものなのかいまいち想像できないから、焦れるし、早くしてくれないかなーって思っちゃう。
そこにはかなりの隔たりがあってさ?
ままならないとき、どう?
落ちついてられる? 笑っちゃえる? しゃあねえ、自分たちでなんかすっかってなる?
それとも、あいつらどうにかしなきゃ! って、ぷりぷりする?
どっちがどうとか、ぷりぷりするやつどうかしてる! とか、そういう話じゃないのよ?
条件は、前提を含める。つまり、人によって異なる前提が、さらに個人差をやまほど作るってこと!
それが集合になると? 国くらいの巨大な群体になると?
個人ごとにある差は熱になるのかも。
熱が出ると、しんどいし、うなされちゃうよね。身体の節々が痛むしさ? だるくなる。頭がぼーっとしちゃう。
心の熱は、じゃあ、どうなるのかな?
心が参っているときを連想するとね?
熱が出ちゃう、あがっちゃうときって、薬のんで、栄養たっぷりとって、おとなしく休んでるのが一番じゃない? 熱が下がることをするじゃない?
ぷりぷりしているときってさ。怒るという動作を、自発的に選び続けていて、しかも熱を上げているように見えるし? ついでにリアルにそばでゴホゴホ咳き込まれるような感じに見えて、うつりそうだし、穏やかじゃない!
けど、そうじゃないんだよね。それだけじゃないよなあ。
反射的に生じるものじゃない? 怒りって。そういうのやだって感じたとき、ふつふつと湧き上がるものじゃない? ストレスが生じて反応したものが、怒りとして出ているんじゃない?
すると、じゃあ、負荷はどうして生じるのかな?
願うから? 求めるから?
じゃあ熱が出ないようにするには、願わず、求めなければいいって?
むりむり! のんのん! それはちがう。
生きるのにはひとつのパンじゃむりだ。バラで飾るように、遊びが大事だ。
だから願うし、求める。それが生きることでもあるのだと感じる。
するとさ?
じゃあ、負荷ってどういう性質のものかな?
どうやったって回避できないものじゃない? 願うとおり、すべてがうまく運び続ける人生って、ないもんなあ。
願うし、求めるよね。
しくじるし、失敗もするし、うまくいかないこともあるよなあ。しょっちゅうさ。
すると、じゃあ、どうする?
私の場合、洞窟作りを提案したわけ。
長い前振りだねえ! 毎度のことながら!
そして、どうなった?
「ぷちたちがいるんだろ? 洞窟は危ないだろうが!」
ギンが訴え、
「レースはどう? 遊園地にあるじゃないか。ゴーカートが。安全に配慮したうえで、その枠組みの中で無茶できたらよくないかな」
シロくんが道を整備する。
マドカやキラリが「もういっそ遊園地つくらない?」なんて言いだして、わいわい盛りあがり始める。
なんだろなー。これって。
水曜どうでしょうでさ? シェフが夏野菜を栽培して、いざ収穫! って日に、ディレクター陣にだまされて「食器つくらなきゃ食べられないでしょお!」って言われて、ぶちぎれまくるの。なにせ、初回から、知り合いのフレンチのシェフにパイ生地ねってもらっていて、収穫の日もねってもらっていたからね? すると、その流れは絶対に踏襲しなきゃいけないわけじゃない? 調理と実食の日にパイ生地なかったら、だって、もうしょうがないじゃない? プライドもあるし。テレビのお仕事何年もやってるんだし? シェフに「いやあ、だまされてんじゃない? 今回もいらないんじゃない?」みたいに言われて「おれぁ何年もこの仕事やってっから、テレビの流れはわかってる! 収穫したら、調理でしょ!」みたいに押し切っちゃったうえで、だまされたもんだからさ。
食器を作る気だ、こいつらって気づいた瞬間の彼の「あああああああああ!」って、願いや求めががらがら崩れ落ちて荒れていくシーン、なかなかなんだよなー! ドキュメンタリーなのよ! もう!
そして、陶芸に行く車中で言うわけ。ディレクターの奥さんを相手に想定しながら「パイ食わねえか!」って。ディレクターへの感情をぶつけるがごとくね!
見事に踊っちゃったから。自分で作った流れで、二度もしくじって。結果的にめちゃくちゃ面白いんだけど、でも、三度目の正直でシェフにお願いしにいく悲しさと、まただまされたっていう事実と、もうあれこれ思い描いて、自分の目的と条件に対する、現実とのギャップに!
そこで、彼がどう切りかえるか、みたいなところが、私はめちゃくちゃ好きなんだよなあ。世代というには昔の映像だけどさ? お父さんもお母さんも大好きなんだもの。見ちゃうよ~!
その流れで、あえていおう。
みんなも、どえらいものを作る気だ。
「あのお。いちおう、洞窟はですね? 私の尻尾の穴を転化させて作る気なんですが」
「「「 じゃあ、どういう遊園地にするか考えればよくて楽だね 」」」
「……おぅ」
遊園地、決定ね。
あ、いいよ? いいと思うの。すごく。私も大好きだし。遊園地は。
冒険感がなくなるけどね? 変身感が、途端になんかこう、魔法の国でネズミのツケ耳つけちゃった、えへ! みたいな感じになっちゃうけど!
ガチで遊ぶ流れになっちゃうぞ?
だいじょうぶぅ!?
むしろ上等すぎじゃない?
あとさ。
「あ、あのう。あんまりおっきな遊園地を化かせと言われてもぉ。私の夢と希望と遊び心は、そこまで熟練のものじゃないというか、あんまりおっきくない気がするのですが」
「「「 またまた! 」」」
ご冗談を、とか。抜かしよる! とか。
そんなテンションでするっと流されましたよね。
なので、せめてこれだけは言わせて?
やるとなったら、とことんやるべし! なんていうのも、ときには考えものじゃない!?
やべえ。
大変なことになる前に、あいはぶこんとろーる! な状態にもっていこう!
具体的には?
「じゃ、じゃあ、遊園地の規模からかんがえよっか!」
主導権、にぎってこ。
じゃないと、舞浜のリゾートでしょ? ブロックの遊園地でしょ? リンゴ三個分のキャラのテーマパークでしょ? それに、あれもこれもって付けたされて、どえらい規模になりかねないもの!
つづく!




